三の上帝
民族的な平面顔は仕方がないとしても、どちらかというと鼻筋の通った顔立ちは、まだドレスに着られている感は少ないだろう。何にせよ、縦もそこそこ横もあるといった存在感のある体型なので、堂々としていれば案外他の人は気にしないものだ。だから背筋を伸ばしてと気合いを入れるものの、太い胴体を締め上げられる感覚に背筋が伸びただけかもしれない。
宮へ出発する前日、準備という物もなく、宿屋の娘さんと女性の必需品についてジェスチャーで確認し合いながら、荷造りを終えた彼女。日が落ちて、丁度娘さんが部屋に戻る頃、部屋を訪ねてきたのは目深に毛皮帽を被った人物だった。扉を開けた娘さんは一瞬呆気に取られ、目の前の不審人物に「ぐぅる」と唸ったが、彼女は見た事がある風体にピンと来ると「その節はどうも」と彼に駆け寄った。”守人”と名乗った彼は、扉の前で帽子を脱ぐ。直毛の金髪に青い目の彼は、どことなく三の上帝と顔立ちが似ており、彼女は目を見張った。
「貴方は、王族の方ですか」
上帝に近しい血ならばそうかと思って尋ねると、一度娘さんを気にしながらもしゃべれない事を思い出したか頷いた。何か事情があるらしいとその仕草で感じ取り、「ところでご用は」と話を変える。すると、彼は背嚢から大きな布の塊を取りだして彼女へ手渡して来、以前と同じように服を彼女に届けに来たのだとわかり、おかしみが湧きあがった彼女は笑った。
贈られたドレスは恐らく中年用と思われる、ゆとりはあるが暗い色の、落ちついたモノだ。鮮やかなドレスを着る勇気のない自分には丁度良いのかもしれないと思う一方、どうせなら明るい色であったら気分ももっと良かったかもしれないのにと思う。最近では大きい服の店も増えてきたが、基本的に、無理に同行してきた母から、店員から、「あら、まぁ」と見られるので服を買う事は嫌いだった。量販店か、もしかすれば男物でも構わないという風のある祖母そっくりの自分だったのだ。異世界に来てから、家に居た時の様に食べれるわけではないからマシになっているとはいえ、不健康なやせ型をした体は、元々の体質というモノがある。締め付けられる余計な肉の感触に、彼女は顔を顰めた。
「どうした」
退屈そうにぼうっと外を眺めている三の上帝が言い、彼女は「何でもありません」と返す。この一週間ほど、二人で馬車に乗っても始終無言だったのに、流石に暇になっていたのか、気になって来たのか、良く見ているなと感心する彼女に一瞥をくれた彼は、頷いて座り直した。いい加減同じ体勢で苦しいのだろうと彼女もわかり、自分も軽く身じろぎする。そろそろ宮が見えるという話であったが、それから四日経つ。どうも距離感も時間の把握の仕方も、彼らと自分とで隔たりがあるようだ。人力で何でもしていた時代はこんなもんかと、三の上帝と目が合いそうになった彼女が、今度は外を眺めた。厚く積もった雪が針葉樹の森を隠しているのか、一面の白。三の大陸はどこもかしこも雪山のイメージになりそうだ。彼が話しかけてきたので、無言は苦しくなった彼女はそれについてやっと尋ねてみることにした。
「積雪が多いのですか」
「そう。だが、夏も来る。城に帰るのは、雪解けの頃になるだろうな」
「お心遣い感謝いたします、ナナシ様」
珍しく丁寧に返答するので反射の様に言うと、まるで害虫を見るような目で見られた。まぁ似たような立場だろうなと特に気にせずにいると、相手は不満があったようで「それをやめろ」と短く告げる。
「嫁女よ、お前はワシの嫁になるとわかっているのか」
「………どう話せとおっしゃるのです。敬語をやめても、貴方の場合、不満に思うでしょう」
呆れたような三の上帝に、すぐに眉根を寄せた彼女は言う。それに頷いてから「名だ」と彼は指摘した。
「”旦那様”だ。ワシの名をみだりに呼ぶな」
「……………………はい、”旦那様”」
きっと理由を聞いても答えてくれないだろうなという顔だったので、余計な事は言わずに修正した。するとやっと納得いった顔で頷き、再び腕を組んで黙りこんでしまう。そのまま寝るつもりなのか、両瞼を閉じてしまったので、彼女は深呼吸して外を見続けた。
今頃、後にしてきた屋敷はどうなっているだろうかと、毎日思っている事をまた繰り返した。あの屋敷には、再び異形と成りし者たちのみとなり、彼らも自由に行動しているだろう。あの辺りは、元々王族の狩猟場の森であり、一般人は入ると罰せられる地域らしい。その森深くに屋敷があるため、人の目につかず、無用な混乱は出ないとセンが言っていたのだが、彼女の気掛かりは、見送りの際も無言だったギョウの存在である。彼がどうして沈黙しているのかは窺い知れないが、まだ力が不安定だと言っていた事と、さらに精神的に落ち込んでいる今、彼に無理をさせてはいけないと、セン達と共に屋敷に居るよう頼んだのは彼女だ。何か悩んでいる彼を傍において、甘やかされるまま彼に依存して、さらに追い詰めるのではないかと思ったのだ。だが、この強がるような感覚は、両親が離婚間際の、小学生だった時の気持ちに似ているなと、一週間、三の上帝と無言の旅路を続けた今、そう思う。そして不意に思いついた。過去、自分も自分の名前が嫌いだった時と同じような顔を、向かいの彼もしていたような気がして、彼女はもう一度彼に声をかけた。
「名前が、お嫌いですか」
「なに?」
「そういう顔をしていらっしゃった気がしまして」
片眉を上げて目を開けた三の上帝の不機嫌そうな顔が正解に見えたのと、何か理不尽な事が降り懸かりそうな気配を感じて、彼女は言い訳のように続ける。萎んでいく彼女の声に、だが不機嫌そうな顔は解かない彼は「そうさな」と頷く。一々面倒な説明をしている顔だったが、彼女はきちんと話してくれそうな気配に真剣に顔を向けた。
「ワシの名は呪われた名よ。”上帝”なんぞいう、不可思議な立場を押しつけられた者のな」
「旦那様も、上帝という立場は不本意なのですか」
至極面倒だと言わんばかりに言われ、似たような事を言っていたと一の上帝を思い出せば、それに気付いたらしい三の上帝が腕組みを解いて足を組み、頬杖をついてにやりとした。
「そうか。他にも不満に思う者が居るのか。大方、一の小僧だろう」
「二の女傑はあれで逞しいからな」と面識があるのかそう言い、少し気を良くしたらしい彼は続ける。
「人というのは短い記憶しか持てん。上帝という存在一人で本当に歪みを抑えているのかなどと思い、そもそも歪みは本当に存在するのかなどと疑問に持つ。特に今のように上帝が全て在住する場合は平和でな、そういう者もいる。そんな馬鹿にワシの有難さを教え込むのは手間でな。ワシも宮に帰るのは憂鬱で仕方がない」
やれやれと肩をすくめる彼に、何と言って良いかわからなかったので彼女は適当に「心中、お察しいたします」と無難な返事をよこした。そして次いで気付いた事があったので、「よろしければ」と続けた。こちらが会話をする気になったのが珍しいのか、余程機嫌が良いのか、視線を向ける三の上帝。
「どうやって異形を抑えているのですか。一の上帝は、神託が下ると言っていたのですが」
「神託、なぁ。そんなものは奴の妄想か心の声だ。ただ、上帝は異形に反応する臓器のようなモノがあるのだろう。奴らが動けば、自然と分かるし足が向く。一の小僧はそれを滅する力を持ち、二の女傑はそれを押さえ込む力を持ち、ワシはそれを生み出さぬようにする力を持つ。だからこそ、三の大陸は混ざり者どもが生まれたと言えるが」
怪訝そうな顔をする彼女に、三の上帝は自嘲するような顔をして「完璧ではないのだよ、上帝の役割も」と告げた。
「当然、ワシにも異形を滅する魔の法は使えるが、本来ならば上帝は、戦士よりも巫女としての役割が強い。けれど、ワシの存在が異形を生み出さぬとしても、それを上回る淀みがあれば何らかの歪が出来る」
「それが、センさん達ですか」
先を取った彼女の言に、三の上帝は無言で彼女を見た。しまった出過ぎたと彼女は身構えるが、三の上帝はそれににやりと笑うと、おどけた仕草で狭い馬車内を立ち上がり、勢いをつけて彼女の隣へと、彼女を突き飛ばすようにして座った。理不尽な暴力で無かったので、彼女もほっとして、ぐらりと頭をぶつけた姿勢から身を正す。
「ワシはな…」
姿勢を正したところで三の上帝に声をかけられ、ドレスの裾を払った彼女はそちらに顔を向けた。オパールの様な七色の、しかし白い瞳が細められる。
「それが、新しき上帝の存在を産むのではと思うのだよ」
突き付けられた指が、鎖骨の下、胸骨のところに押しつけられる。存外痛い指の圧力に眉をひそめつつも、彼女は「何度も言うようですが」と繰り返した。
「私は異形の存在を感知できませんし、魔の法とやらを自在に扱えるわけではありません。今程も、貴方様のお顔に風を叩きつけてやろうと思っても、そよ風一つでませんでしょう」
「ふむ。確かに」
そうは言いつつも、彼は新しき上帝としての彼女を否定しているとは思えなかった。力が不安定な上帝も過去居たとの話はセンから聞いている彼女もその一種に見られている自覚はあったが、本当にいざという時に何も感じない、出来ないのは嫌と言うほど知っている。無用に担ぎあげられないよう、面倒でも毎回否定しているのは彼女の配慮だった。突き付けた指を離すと、三の上帝はぐっと伸びをする。彼にもこの狭い馬車は辛いとあって、小さく動いた後は、何故かごろりと彼女の側へ倒れてきた。
「……旦那様。重いのですけれど」
「我慢せい。ワシは疲れた」
見目麗しい白い男だが、中身は不気味、しかも大人げないと、全くときめく要素がない膝枕をしながら彼女もまた首を回す。ごきっと音がして、寝ころびたいのはこちらの方だと、日課のように腹の肉を摘まみ始めた彼を睨んだ。
「申し訳ありませんが、抓むのはやめて頂けますか。うっかり床に叩き落としてしまいそうです」
「そんな事をしてみろ。馬車から突き落としてくれる」
うつぶせた顔を上げ、にやにやとこちらを見上げてくる彼は、恐らく本気だろう。彼にとっては、自分もクッションの一種だろうか。時々、執拗にされる手だけ叩き落とし、彼女は無言で彼の頭を支えた。
「言っておきますが、馬車が揺れて倒れた場合は、ワタクシのせいではありませんよ」
「わかったわかった。しばらくだけだ、我慢しろ」
言って、腹の肉から手を離し、素直に頭を乗せて目を閉じる三の上帝の顔を見おろす。狭い馬車内なせいか、肩と同じ高さに首が落ちているのを見て、ついつい職業柄、彼女は片足を持ち上げ、背骨が真っ直ぐになるよう気を使った。これがなかなか足の筋肉を使うので、靴を脱いで、対面の座席に足を乗せる。男性というだけでなく、硬い背中の感触が伝わり、機会があればこの人もインの時と同じように施術をしたいなとぼんやり思った。思ったところで、ふっと上帝の目が開き、眺めていた彼女を見てにっと笑う。
「見惚れたか?」
「麗しいお顔ですが、それよりも背中が強張っていらっしゃるようなのが、大変気になりました」
「何じゃ、つまらん」
言って、再度目を閉じ、今度は本当に眠るようで無駄口を叩かなくなった。軽い馬車の振動で彼の長く白い髪が落ちると、鈴の様にしゃらりと音がして、彼女はそれも目で追う。白と言うよりは物凄く細い銀糸の束で、光がかかると透明となる。さらに麗しい顔立ちに、オパールの瞳と、中身はともかく外見だけは良いなと彼女はまじまじと見た。
これが、”旦那様”になるのかとぼんやり思う。確かに自分には不相応の麗しい人なのだが、この人がこれから男女の生々しい行為の相手になるのかと見ると、いくら麗しくても浮かんだ嫌悪に頭を床へ落としたい衝動に駆られた。自分に、こんな生娘の様な気持があったなんて信じられないと彼女はため息を呑みこみながら、しかし奇妙な事と、もう数度、三の上帝を見る。
今までニタニタと笑いながら嫌味を言われていただけに、このようにべったりと甘えられるのは違和感があった。それほどまでに柔らかい肉の感触が気に入った、とも思えない。ただ、この場ではそういう態度を取って良いと感じられるというか、変にこうしなければと、意固地になっていないようなそんな気がした。まだまだ謎が多い”旦那様”を眺めて、彼女も振動に任せて軽く目を閉じる。小さく馬車の揺れをカウントしていたはずだが、膝にある重みと温かさにうつらうつらと寝入ってしまった。




