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KARINA  作者: 和砂
本編
36/51

ゆりかごの城5


 異世界だからと言って、その場の宣言で何か魔法が起きるわけではないらしい。ただ、するりと頬を一撫でされてきっと見上げた三の上帝の顔が、特に何も思わないようなぼうっとした表情だったのが印象に残っただけである。片手を下げられ、「カリナ…」と小さく確認するように言われて、ついつい硬い返事をしようとした彼女だったが、その手をぐいっと引っ張る者がいる。

「何と言う事を―――…」

 真っ黒な人型の影だというのにその表情が強張っているように感じて、彼女もまた、ぼんやりとギョウを見つめた。ただ言っただけであるので彼女に実感はないものの、とても重大な事をやってしまった気がして怖くなる。だが、泣き腫らして真っ赤に熱を持つ頬の感覚に、今のは冗談だと言ってはいけない強迫観念もあって、彼女の頭は考える事を放棄しているようだった。

「御方…」

 熱に浮かれた彼女を見下ろしギョウが一言呟いたが、彼にも何と言っていいか掴めていない様子である。ここで彼女が言を翻したとしても、セン達も、ギョウも、そして彼女自身でさえ、どうにもならない事を、彼も思っている様だった。その時のギョウはこう思っていた。

 異世界から来たという彼女は、ギョウには上帝に類する者に見える。ただ、彼女がそうでないと言うのなら応えてやりたいと思う程に、彼女と共に過ごした彼は、異形となった自分を見て最初に困惑した。なぜなら、一の大陸では異形は討伐されるモノと決まっていたし、自身と同じ様に竜へと成った彼女を見ていたからである。その時、真っ先に想像したのが、竜の姿の彼女が異形として討伐されるという最悪のモノだったから、彼は何とかしたいと考えた。頭は大して良くなかったので、三の大陸の話を聞いた時は助かったという思いだけであったし、二の大陸の宮に彼女が捕えられていると聞き、彼女の目の前に一の上帝が立っていた時は救出せねばと行動したのである。あの時は、二の上帝も現れて冷や汗をかいたものだ。

 それがどうだと、彼は気が抜けたような彼女を見た。守ったつもりの主人は、自身も含め、皆を護るために身売りをしようとしている。そうして、三の大陸という最後の選択肢が消えれば、主人にも自分にも安住の地はないとわかっていた。この力不足を詫びる事も、遮るように微笑む彼女の前では、矜持が許さない。

 ギョウが黙って手を掴んでいるのを、不意に彼女がそっと外して、ギョウははっとした。それは何かを言う為でなく、ただ、このまま立っていても仕方がないから動くといったモノだったが、彼女は急に来た客人への対応として部屋を割り振り、皆へ移動するよう指示する。また、泣いているのか呆然としているのか分からない少女達にも部屋を案内すると言って、彼女は歩き出した。頭が動かないなりに、彼女は少女らを観察していた。

 駆け出すことなく足早に着いて来た少女たちの動作は、優雅と言っていいほどゆったりして見える。身に纏っているのも旅籠屋の娘さんのような質素な物でなく、光沢のあるドレスで、素人目にもレースのあしらわれたそれは高級そうだ。そうして一番の特徴が、異形と成りし者たちを見る目である。独特な雰囲気のあると、人から爪弾きされる事の多かった彼女にも馴染みのある、人を何かと区別したがる目であった。

 どうも、仲良くしたい様子のない視線と表情に、彼女も一線を引きたくなる。さらに、異形となった娘さんともコミュニケーションを図る彼女も、少女らにとっては同一視する部類のようで、先を歩いている彼女の背後では、「ひそひそ」「くすくす」と嘲笑する響きが届いてきていた。時折、我慢できずに振り返るが、素知らぬ顔で前を見る少女らは、「何か?」とでも言うように彼女を見る。それがまた癪に障るが、不確定なものを言うのも憚られた。

 三の上帝は、侍女として少女らを連れてきたと言っていたが、彼女らにそのつもりはないようだ。今も、仮にも上帝に望まれた彼女に対して、出来の悪い使用人のようにしかみていない。お互いに立場が不明だというのにと軽く苛っとしたが、不本意はお互い様と見ないように努め、当初の目的である客間に少女たちを通す。それに一瞬目を見開いて信じられないとの顔をされたが、相手も口に出さないので、彼女は微笑むだけに留めた。何か不足があれば周囲の人に相談するようにと、到底少女らには無理そうな事を言って笑みを深める。踵を返した彼女の耳へこっそり「何よ…」から始まる愚痴や嘲笑が聞こえた気もしたが、相手にするだけ無駄と足早に去った。少女の後ろからは心配そうな娘さんがついてきてくれていたのか、少女たちの態度に我慢ならなかった娘さんが、一度だけ「がうっ」と吠える。びくっと身を竦めたらしい気配と、急いでドアを閉める音が聞こえた。

「すみません」

「がぅ」

 少し振り返って微笑めば、強気に笑われた様で、先ほどまでの苛ついた心が和んだ。そのまま玄関ホールに戻れば、気付いたらしい三の上帝とギョウが振り返る。三の上帝はすっかり元通りの不可解な笑みに戻っており、ギョウは不穏そうな気配を纏っていた。また何か上帝が言ったのだろうかと心配そうにギョウを窺えば、彼に即座に手首を取られて、あっという間に彼女の部屋へと押し込められた。どうやら立腹しているらしく、扱いが手荒い。無言を貫いて彼女を送り届けた後は退室し、続いてセンと娘さんの二人が訪室した。

「また思い切った事をするな」

 入室早々にこう言われた。呆れた様な口調のセンは、他の皆の重い空気とは違ってほっと身を軽くしてくれて、彼女は困ったように苦笑する。

「どうしてでしょう。私にも何故かよくわからないんです」

 カッとしやすい性格が災いしたというしかあるまい。けれど、彼女はバカな事をしたと思いつつも、逃げ出そうとは思っていなかった。例え逃げても何の当てもない身、使いどころとして間違っていないと思うのだ。そんな彼女に娘さんは心配に「くぅん」と鳴いたが、彼女の心変わりで自分達の身に困難が降り懸かるとわかっており、時折「ぐぅる」と唸っている。

「儀式まではまだ時間のある。何とか上帝の考えを変えさせよう」

 千年と言われる程長く生きている三の上帝は、これまで数度婚姻を結んだ過去があるらしい。いずれの妻も普通の人間だったので天寿を全うして彼は今独身であり、彼女との婚姻は何の問題もないのだが、婚姻の儀は上帝の立場に恥じないよう大仰に広める必要があるらしく、上帝の宮という、この屋敷よりももっと大きな城で行うとされている。準備に数カ月、またここから移動するにも一週間はかかるとあって、彼女にはまだまだ時間があった。当初から彼女に良い感情を向けず、さらに、気まぐれな上帝である。そんな長い時間を過ごす前に、明日にでもまたころっと意見を変えるかもしれないと、センは言うのだ。センの穏やかな口調のせいか、それとも上帝の気まぐれを見ているせいか、話を聞きながら彼女もすぐに考えを改めるだろうと気を楽にすることが出来た。だが、日が落ちるかといった頃、ギョウの激昂した声が響いて来、三人ともびくりとする。

「何をお考えか!? まだ契りの儀を終えても居ない間に、御方の部屋に参られようとは!!」

 部屋の外が段々と騒がしくなる。恐らく上帝が彼女の嫌がる顔でも見に来たのだろうと考えて、彼女はため息を吐いた。まだ夜には早い時間だからと、部屋を開けようとすると、ギョウはさらに吠える。

「御方、お出になられますな! この様な無礼、捨て置けぬ!!」

 部屋にいた娘さんと二人、首をすくめる程の大声だ。センも、「少々堅物だが、尤もな事」とギョウの意見に賛成の様で、こちらの文化様式がわからない彼女は、センに仲介を頼む事にした。

「よかろう」

 センが扉を開けて出ていく際、一瞬だけギョウと目が合う。状況が分からなかった彼女はきょとんとしていたのか、ギョウに少し痛ましそうな表情をされた。”御方”と、大切にしてくれる彼の事、今回の事は業腹で納得はできないものの、彼女の行動を止める事はなさそうだと感じられる。異形としての彼が彼女と共にあるには、三の大陸での居住権が必要だからであると彼女もわかり、やるせない顔の彼に少しだけ微笑んだ。

 と、ギョウの表情がぎょっとしたものに変わる。それが自身を通して背後を見ているようだったので、彼女は娘さんがどうかしたのかと思って振り返ると、ぐいっと頭を抱き寄せられた。あまりに急だったので、鼻やら頬の骨が壁にぶつかる。痛みが収まってから顔を上げると、にやにやと他方を見ている三の上帝の顔があった。それから、バンっと勢いよく扉が閉まる音と、ダンダンッと乱暴に連打される音が続いて聞こえてくる。

「あまり、他人をからかうのはどうかと思いますよ」

 子供の様な喜び顔をしている白い男に、彼女は急に冷めて言った。抱きしめられる姿勢はときめくものだと思っていたが、間抜けな感情とじっとする体のだるさに、もぞもぞとする。すると相手もそうだったようでぱっと放された。

「何、話をするだけだと言うのを、目くじら立てるあいつも悪い」

「あるんですか、話」

「お前の不細工な顔を見たら、消えてしまった」

「でしょうね」

 特に目的もなく来たのだろうとも、ギョウをからかうだけだったのだろうとも取れる。彼女が見渡せば、娘さんの姿も消えており、部屋の外からギョウの怒鳴り声とセンの宥める声、娘さんのハラハラした鳴き声が聞こえた。それがどこか遠くぼんやりした風に思えて、彼女は白い男を見る。

「これは、魔の法ですか?」

「そう。三の上帝の魔の法よ」

 特に詳しい事がわかるわけでも興味があるわけでもないから、彼女はうんうんと頷いて三の上帝にソファを勧めた。当然の如くどっかりと座る彼から距離を取るように、ソファ端の位置に立つ。

「何をしている、座れ」

 流石に目ざわりだったか、そう言われて少し悩んだ後、彼女はソファ前、テーブルを挟んだ向かいの床に座った。すると、不可解そうなモノを見る目で白い男が彼女を見、呆れて「ここだ」とソファの端を示す。座ったら座ったで文句を言われそうだなと思いつつも、冷たい床は思った以上に辛かったので、彼女は素直に彼の隣に座った。重みでついつい白い男の側に行きそうになる体を叱咤して、なるべくぴんと背筋を伸ばす。

「………すごい重みだな」

 まじまじと尻のあたりを見つめられて、彼女は恥ずかしくなった。顔が小さいらしく、意外に着やせして見えるタイプだというのも思い出して、さらに赤面する。つまり、三の上帝の目測よりもずっと重い体だと早々にバレたという事だ。

「そのような女を妻にと言われたのは、貴方でしょう」

 あまりに恥ずかしかったのと、やめるなら今の内だと暗に告げるように言えば、にやりとだけ笑われる。それがわざとらしい笑みで、嫌な予感がしたので彼女は気持ち身を逸らしたが、次には体を寄せられた。

「何、慣れればどうという事はない」

 言われて、弛んだ腹を抱き込むように倒れこまれ、彼女は悲鳴を上げて逃げようとした。だが一瞬遅く、彼につかまり、珍しそうに腹の肉を抓まれる。この時彼女の理性が勝らなければ、きっと男の顔に肘を埋め込んでいたはずだ。くすぐったくて突き離してしまいたい気持ちと、恥ずかしくて死にたい気持ちが混じり、彼女は苦渋の顔のまま肘肩を上げるようにして身を固まらせる。

「しかし、何を喰えば、ここまで肥えるのか。胃が四つあるのか。それとも前世は豚か」

 ぶにっと揉むように触られ、さらに悲鳴を噛み殺す。力任せに握られると痛く、それには抗議したが、もう知られたモノと彼女は無心であろうとした。そのままどれぐらい経ったか、つい数秒だったのだろうが随分長い時間に感じられる。ふにふにと腹や腰に触れながら、見目麗しい男は次第に違和感のない笑みを浮かべていた。

「なるほど、感触は悪くない。見栄えは悪いが、もっと太るか、嫁女」

「御冗談を!」

「そうか。まぁ、すぐ痩せそうにもないものな」

 「ははは」と軽く笑われ、彼女は怒りを呑みこんだ。ごくりと嚥下していると、とうとう破壊音を立てて扉が蹴破られる。ゆるりと身を起こした上帝が、殺気立って今にも剣を抜きそうな気迫のギョウへと笑みを向けた。

「おぉ、おぉ。随分と主想いの従者だな、カリナ」

 腹の肉を揉まれ、十分に辱めを受けた顔は赤く、また殺気立つギョウの気迫に押されて口を開けない彼女に、上帝は言う。その彼に、ギョウは低い声で剣の柄に手をやった。

「ナナシ様、お戯れは―――」

「今からコレでは、お前、嫁女がワシの物となったら、どうするつもりだ」

 今にも剣を抜きそうなギョウに、上帝もやれやれと肩をすくめる。それまで羞恥で口を開けなかった彼女も、上帝の言葉にぞっと寒気を思い出して口をつぐんだ。生々しい言葉があったわけでないのに、言葉を向けられる対象が自分だというだけで、こんなに気持ち悪いものなのだろうか。急に緊張して震えだす手を、彼女は組んだ。

「それとも、懸想しているのか?」

 呆気に取られて半口になるギョウに、不思議そうに上帝は続ける。するとギョウは「恐れ多い」とだけ返し、急に火が消えたように大人しくなった。手を組んでぐっと力を入れる彼女には、彼が膝から崩れ落ちそうに見えて、ギョウの後ろ、センや娘さんを見る。センもまた難しい顔をしてこちらを見ており、目が合ったと知ると耳をへたっとした。

「ふぅむ……”カリナ”」

 呼ばれて「はい」と返事をすれば、悪意も何もない顔の上帝が腕組みしたままこちらを見ている。彼の興味は、消沈してしまったギョウにはないようで、ただただ腑に落ちない顔のまま、彼女を見た。

「明後日には宮へと移動する。準備しなさい」

 咄嗟に「はい」と言いそうになり、彼女はまた固まる。上帝の急な言葉に、彼女も、セン達も目を丸くした。


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