ゆりかごの城4
彼女が穏やかに過ごせたのは、ほんの二週間前後だったように思う。最初の報告を持ってきたのが、狩りに出ていた角人で、遠方から結構な人数の一団が向かっていると聞いた時は、「もう戻って来たのか」とがっかりさえした。それから皆に三の上帝が戻って来た話をし、センと相談してなるべく目立たないよう過ごす事と各自に注意を促される。そんな中、彼女はセンやギョウより格上と思われている以上、三の上帝を迎えるのは彼女の役目とセンに諭され、玄関ホールに立つ事となった。あの不可解な人物と相対するのかと考えると足が震えたが、影のギョウとセンが付き添ってくれたおかげで気分は大分ましだ。
外からの大勢の人の気配。ごくりと喉を嚥下させると、ゆっくり扉が開く。侍従が扉を開ききってしまうと、ぱっと大輪のような笑みを浮かべた白い男が、スキップを踏む勢いで彼女の前へとやって来た。即座にセンに教えられた礼をする彼女を、彼は強引に肩を掴んで顔を上げさせる。目が合った。にっと白い男が笑う。こういう笑顔の時は、何か嫌な事を言われるのだ。何度も経験している彼女はそう思って身構えるのだが、彼はこれまで見せた事のない、うっとりするような優しげな笑顔をしてみせた。急な変わりようにぎょっと表情を変えてしまった彼女を面白そうに眺め、彼はようやく口を開く。
「すっかり女主人の様ではないか。息災か」
「三の上帝におかれましては、ご機嫌麗しく。ご厚意のお陰で、皆と共に穏やかに過ごせました」
とにかく礼を述べろとセンにも言われている以上、何とか言葉を紡いだが、存外嫌味っぽくなってしまった。戻って来て欲しくなかったという本心が出たにしても、白い男の前で正直に言うのは不味いと思う。だが、彼は「そうかそうか。気にいってくれたか」と何事も無かったかのように呟いた。人を牢屋に投げ込んでおいてよくも―――と心が揺れるも、下を向いて歯を噛み締めて耐える。ご機嫌を損ねてまた突拍子もない事をされるわけにはいかなかった。複雑な気持ちを押しつけていると、「ところで」と白い男が声をかけてきて、思った以上に彼女の肩が震えた。「はい」と弱々しい声が出たので、顔だけは力を入れて上げる。
「ワシを部屋に案内してもらおうか。それと、贈り物だ。好きなのを選べ」
彼女の両肩を押さえたまま、白い男はちらりと肩越しに背後を振り返る。合図を受けて侍従が転がしてきた大きな三つの麻袋を、彼女は呆然と目に入れる。袋のふくらみは決して何か物を詰めた様子でなく、人の姿をしていた。息を飲んだ彼女は白い男を振り払うと、それらに駆け寄り、三つあったのを全部解く。中からは半泣きの少女が這い出てきた。彼女の顔を見てほっとしたか、どの少女も半泣きの顔である。
「どういう、事ですか!?」
声を荒げる彼女に、白い男は「全てか。欲張りだな」と笑った。そう、笑ったのだ。いつか、牢屋に入れられる時に見た異常さを発見して彼女は血の気が引いたが、ここでされるがままになると悪い方向にしか行かないとわかっている。白い男の姿を認めて震えながら平伏する少女たちを横目に、彼女は彼を睨んだ。すると、白い男は何でもないように「贈り物だ」と笑う。
「お前の侍女として連れてきた。好きに使うと良い」
相手に対して扱いに配慮がない事と、何か企んでいるのではないかという点を除けば、彼の申し出は、不慣れな平民ばかりのこの屋敷の人間を見ても有難い。見るからに身なりの良さそうなお嬢さん方は、彼女より上手く人を使い、屋敷を管理できそうだと思ったからだ。何の意図があるのかと戸惑いながらも、言葉通り素直に受け取った彼女は、白い男へ上目を向ける。
「では、私もここに滞在してよいとおっしゃるのですか」
「もう何日も居るだろうに、厚かましいね、お前は」
「あぁ、………そうですが」
少しは信頼を傾けてみようかと思った矢先にこれだ。出ていけと言われなかったのと、好きにして良いと言われたから勝手にしていたというのに、何て言い様だと、彼女の声は萎む。やっぱりこの人とまともな会話を望むのは諦めた方が良いと、彼女は見切りをつけて三人の少女を順に見ながら言った。
「では、お部屋へご案内いたします。ここには都の付き人はおりませんし、わたくしは不慣れなもので、この三人に貴方様のお世話をお願いしましょう」
「ついてきて」と彼女たちに告げると、びくりとしながらも立ち上がり、小奇麗なドレスを軽く整える。ようやく周囲を見渡す余裕が出来たか、彼女らはまずセンの姿に怯え、次にギョウを見て悲鳴を上げた。彼女が少女たちの無遠慮な様子に眉を上げたのと同時に白い男が「煩いな」と呟き、彼女ははっとして少女たちを嗜める。
「この方は、三の大陸の学位であるセン様です。また、こちらは一の大陸の騎士様です。貴女方、少々失礼ではありませんか」
強めに言った声に少女らは流石に口をつぐんだが、顔色は悪いし、どこか頭がおかしい女として彼女を見ているのがわかった。それまで周囲の人間を怯えさせてはいけないと黙っていたセンは、彼女の紹介を皮切りに、伏せた状態のまま声を出す。
「麗しき幻影の君。元々この城は王の別所。何故、宮に居られる貴方様が行幸なさる」
「センか。この城は王から賜ったワシの物だ。準備が整うまでの隠れ蓑には丁度良い場所なのだよ」
犬がしゃべったと、三人の内誰かが言った。専門の学者たちはともかく、三の大陸でも異形となりし者の存在は浸透していないようだと彼女は思う。だが、少女らは怯えはするものの、遠く、柱の影から見える蜥蜴人や角人には、化け物を見る目より、嫌悪する目を向けているようだ。センやギョウのような存在は珍しいと言っていたのを後から思い出して、そういうことだろうと納得させる。
「準備とは。式典でもありましたかな」
「噂好きなのは、その姿になっても変わらぬか。良かろう、教えてやる。ワシの契りの儀を計画しておる」
センの話を待つ形ではあるが、上帝について来た周囲の人間がざわついた。青天の霹靂だったのだろう顔を見ていると、彼女だけでなく他の人間も彼に振り回されているのがわかった。ギョウが初めはそうでなかったと言っていたが、ギョウを信用させるために、まともそうな素振りをしたのだろうかとさえ思う。嫌な気分になりながらも、何の式典かはわからないが、そのために白い男はここへやって来て、しばらく過ごすのだろうとわかり、そこにはがっかりして彼女は顔を曇らせた。
「それはそれは、目出度い事。お相手は何処の令嬢ですかな」
周囲の動揺を無視して、普段通り軽くセンが続けた言葉に、この男も結婚をするのかと彼女は驚いた。相手はきっと聖母か、生贄に違いないと他人事に思う。
「さて、それは分からぬが。不細工であるのは見ているから間違いない」
あんまりな言い様である。政略結婚の類かもしれないと考えれば、相手にも白い男にも同情を抱けるかもしれない。事実、美形な男であるので、隣に並ぶ女性は霞んでしまうだろうとも分かった。それよりも、早く立ち話を終えてくれないと、案内して部屋に押し込める事が出来ない。訴えるようにセンを見れば、こちらを見て笑う白い男とも目があった。にこりと微笑んでいるのに、なぜかにたりと笑んでいるように感じる笑みだ。もしかすると他に何か興味が移ったのではと考え、少し背後を振り返るも、誰も居ない。もう一度センの方を見ると、先ほどと同じ笑顔の白い男が、視線を外さす口を開いた。あぁ、絶対嫌な事を言われると、直感する。
「のう、異界より帰し女よ」
ぶるりと、腰の力が抜け、彼女は座りこんでしまった。意図せず体が拒否反応を起こした事を、彼女自身驚いてしまい、慌てて手足を見るが、細かく震えるだけで決して力は入らない。ゆっくりとギョウが膝をついて「御方」と声をかけ、肩を抱いてくれるが、それでもほっとする事はできなかった。センもセンで唸るようにして驚きを噛み殺しているらしく、こちらに動いてくれる気配はない。
「ば…馬鹿な事を…」
震える声で、形だけでも笑い飛ばそうとした彼女に、白い男は一つ二つと足を進めると目の前に立った。顔を上げる気力すら湧かず、ぴかぴかに磨かれた彼の靴先を眺める。白い男は軽く首を傾げた様子で、恐らくにやにやと笑みを浮かべながら話をしているのだろう。
「無一文の身に、返せるものといえばそれぐらいだろう。まさか、ただの善意で住まいや使用人を用意したとは思っていまい。―――屋敷の鍵を受け取ったのは、お前だ」
男の声で、片手に持っている鍵束を思い出して、思わずそれを床に滑りやってしまう。思考が停止してしまいそうな空気の中、ぽんぽんと肩を叩かれた手が離された。
「恐れながら、三の上帝。こちらに貴方の証文がある。そのような条件は一切ない。無償の提供であると前提される以上、我が君を弄ばないで頂きたい」
「ほう、そうか。だが、お前はそうでも、お前の主は……同じ、なのか?」
どきりと心臓が急に騒ぐ。きっと今の一瞬だけなら、ギョウの言葉に便乗して話せるだろうが、明日になったら、次の日になったら、もっと先の未来になったら、どうだ。彼女と白い男は他人同士。善意以外で施される理由は、何らかの利益がある場合だろう。そこまで考えたところで、耳元で白い男の「盗人」という言葉が聞こえ、顔を上げた。彼女と白い男の距離は、先ほどと変わっていない。でもすぐ近くで声がしたと不安になってギョウを見上げれば、「御方」と呼ばれる言葉と一緒に、「恥知らず」と白い男の声が聞こえる。
「あ……」
極度の不安になると、人は幻聴が聞こえるようになるらしい。思わず両手で口元を押さえる彼女に、今度は白い男のはっきりした言葉で続けられた。
「ワシは慈善事業は好まんでな。採算が取れないならば、もう好きにさせる事は出来ぬ。そうだな……まずは、お前が放し飼いにしている異形人を小屋に戻さねばならんな」
あんまりな言い様に、彼女の目は極限まで開かれた。ギョウも一瞬動きを止めたのは、彼も彼らと共に過ごすうちに情が湧いたからだろう。屋敷の奥、柱の陰からこちらを見守っていた異形となりし者たちの動揺が聞こえてくる。センも一時言葉を失ったようだが、彼はのっそりと彼女の前まで来ると、尻尾で手を撫でた。
「悪趣味ですな、幻影の君。このように身寄りのない女子を怯えさせて、恥ずかしいと思わんのですか。我らは貴方をお迎えする為に外へ出た。すぐに元の部屋に戻りますとも」
センの言葉に、「くぅん」と子供の声が聞こえた。そちらを見れば、旅籠屋の娘さんに肩を抱かれる獣人族の子供がいる。何か声を出そうとして、彼女は失敗した。代わりに押さえつけた口から吐き気とも嗚咽とも思われるような何かが競り上がり、ぎろりと眼を見開く。鼻がつんとして、ポロリポロリと涙が零れた。
そんなセンの様子を見ながら、白い男は笑顔で「そうか?」と笑って、鍵束を持ってくるよう使用人の一人に合図した。堪らず、彼女は片膝を立てて、力を込める。恭しく差し出された鍵束を受け取ろうとしていた白い男に向かい、さっと立ち上がると、一発、思いっきり彼をひっぱたいた。それから、呆気にとられる使用人から鍵束をひったくる。
「ぷ、プロポーズに、花束も、指輪も、なし!! 贈り物もこれっぽっちですか!!」
きちんと言えたかはわからないが、彼女は泣き叫びながらそう言った。冷たい鍵束の感触に、心の一方できっと後悔すると思ったが、屋敷中を管理できるぐらいの人数の人を巻き込む訳にはいかなかった。そういう風に彼女は一族から教育させられていた。生真面目な彼女がそんなことを自分に許せるはずがなかったのである。
「わ、私は、我儘な女ですよ!! 使用人は、特別変わった人間がいっぱい必要ですわ!! そ、それに、彼らにもまともな生活をさせてあげたいし、異国の騎士もつけて頂かなければ!! それから、それから…っ、き、きちんと私を妻として愛してくれると、誓って頂きましょう!!」
恥ずかしさではない、顔中の熱を感じて彼女は呼吸困難になりながら必死に言い募った。白い男に約束させるなら今しかないとわかっていたから、思いつく限りを叫ぶ。何とか言いきってしまうと、片頬を赤く腫れさせた白い男が、痛みに軽く顔をしかめながらも、にやっとした。
「ワシの嫁は、随分と我儘だな。一国の女王にでもなったつもりか」
「丸太のような不細工のくせに」と余計なひと言まで付け加えられ、俄然彼女は戦う気になった。
「私が欲しいというのなら、貴方が本当に三の上帝というのなら、…それぐらいはお約束していただかなければ」
「良かろう…」
片頬は押さえたまま白い男は「約束しよう」とはっきり宣言し、泣きながら呼吸を整えている彼女の前までやってきて片手を差し出した。白い、筋張っているのが惜しいと思える程の美しい手を差し出される。この世界にどういう礼儀があるのかわからない彼女だったが、誰かに教えられる前に、自然と両手で彼の手を受け取った。そのまま床に膝をついた状態で、彼女は自分の両手に乗った、白く美しい手に万感の思いを込めて口付る。音を立てて手の甲へ口付、そっと顔を放すと、自分の両手の上で翻った男の手が片頬に滑らされる。膝が笑っていたが、立ち上がれと彼女は力んだ。頬を撫でられ、導かれるまま立ち上がれば、滅多にない真剣な表情をした白い男の顔がある。
「名前を」
短く告げられ、彼女は一度目を閉じてふーっと息を吐いた。
「カリナです、ナナシ様」




