ゆりかごの城3
元々インドア派なのか、センは室内で見かける事が多い。代わって、本体は竜となっているギョウは屋敷の庭や入って来ても玄関ポーチまでで、他は影を動かして屋敷の中を走り回っている。衝立をして区切ってある暖炉前からギョウの体が横たわるポーチへ出れば、ぶわっと冷気が押し寄せて、彼女は無意識に両手を摩っていた。どうやら影が出ている間は本体の方は眠っている状態らしく、彼女が近づいてひやりとした鱗の肌に手をつけても反応はなかった。
「ギョウ…さん」
確認のため着いた手を放し、彼女は練習の為に彼を呼ぶ。一の大陸で別れた時、切羽詰まったのもあってか彼と一種の連帯感を感じたが、今はどうだと眺める。
冷静に考えれば、吊り橋効果のような感情で、自身はともかく、彼には依存する理由はない。あるとすれば、彼が未だに彼女を上帝、もしくは類するものと考えている点だろうか。それでも彼女は、自身が上帝であるとは思えない。
「私は、ただの異邦人です…」
騙しているという意識より、どうしてわかってくれないのかという気持ちが強い。期待されても、返せるものがないのは、寄生しているのと何が違うのだろう。異形から助けた一点だけで、こんな姿になっても慕ってくれている彼の熱意が怖い。初めて殴られた時の様に、失望から一転、殺意を抱かれるのではという恐れがある。
三の大陸に来た当初、あんな約束をするのではなかったと彼女はため息を吐いた。異形と成りし者の存在を知っていれば、殴られてでも彼を突っぱねるだけの気持ちが湧いたと思える。
「何も、……返せるモノが無くなってしまった」
孤独を癒す仲間として傍に居ると、約束した。けれど、同じような人が沢山居て、その価値は無くなってしまった。あと返せるモノは、本当に、何も、ない。
ぽろりと、一筋だけ涙が零れた。また、一人きりになってしまったと思った。
――――――御方。
低く、響くような竜の声がする。彼女はさり気なく頬を擦り、何事もないように彼を見上げた。ゆっくりと伏せた首を浮かせたギョウが、金の目でこちらを見ている。鏡のようなそれは目元が赤くなっており、彼にも泣いていた事はばれているだろう。
「すみません、お時間よろしいですか?」
――――――もちろん。
自分で言っておいて何だが、もっと彼が多忙であれば良かったと一瞬だけ考えた。昨日の今日と、短い時間で騎士に対して、大切だろう制約を取り消してくれとお願いするのは、気持ち的にも苦いものがある。だが、心臓の痛みとは別に、苦手な事をすると意識して、彼女は彼を見上げた。
「貴方に、謝らなければなりません」
竜の顔は変わらない。微動だにせず彼はこちらを見下ろしている。食い殺されるだろうかとぼんやり考えて、それでもいいかと、きっと嫌な笑い方をする顔が浮かんでいるはずだ。
「私は、こことは異なる世界から来ました。何の予兆もなく、以前お会いした一の大陸の森に居たのです」
――――――はい。
頷く替わりか、彼は魔の法で短く返事をした。彼女の強張った顔に気付いているのか、無駄口は叩かない。あまり騒ぎたてられずに良かったと、彼女は続ける。
「それから生きるために、薬師の姿をしていました。実際は、偶然拾った金貨や、社のお金を盗んだのです。それからあの酒場で虎へと成り、貴方と再会し、竜と成りました。私は、貴方を助けようなどという意思はなかったのです」
――――――はい。御方は、私を追い返そうとした。
「そうです。突拍子もなく姿が変わり混乱していましたし、精々、目の前で死なれては寝覚めが悪い程度の思いなのです。私は…」
さぁ、言うぞと彼女は一度息を吸い込んだ。真っ直ぐ、竜の目を見る。何の感情も浮かんでこないそれには、睨みつけるような自分の顔があった。
「私は、上帝などではないのです」
――――――存じております。
わかってくれと、彼女は念じ、一心に見つめた。だが、ギョウは即座に返事する。かっと感情的になって、彼女はさらに訴えた。
「分かっていません。私は、貴方がたの言う尊い存在などではない、と言っているのです。貴方に敬意を払われる存在などでは、ないのです…!!」
――――――御方。
ここまで言って、まだ尊称をつけてくるギョウに、彼女は歯ぎしりした。
「やめてください。もう、貴方は一人ではありません。あの約束は、無かった事にしてください」
――――――それはできません、御方。
「何故です!? 制約には、破れば罰則でもあるんですか!? けれど、元々私には、貴方の尊敬を受ける価値が無かった。騙したんですっ」
やけくそ気味になって声を荒げれば、軽く息を吐かれた後、彼もまた目付きを鋭くして返した。
――――――言い方を変えましょう。嫌だと申し上げている。貴女の謝罪は受け取れません。
魔の法でもわかる、苛立ったような声音に彼女は眉を寄せた。ここまで言ってもわかってくれないのかと責めるように見上げれば、ずいっと挑むように彼女の顔の前に竜の鼻先が来た。呼吸でぶわっと髪が乱れるが、彼女は乱暴に前髪を掻き上げた。
――――――貴女は随分な、お人好しだ。今も私を騙しているのではと、心配してそんな事を言う。過去、虎の姿でなくとも、貴女は私を助けようとしたでしょう。私は騎士です。騎士とは、己の心に決めた主に寄り添う。決して、上帝だから剣を捧げるというわけではない。
彼の呼吸は強大だ。風で目が乾くのだと、彼女は何度か瞬きしたのだが、『御方』と優しく声をかけられて、堰が決壊してしまった。
――――――私は、私の意思で、貴女を主と決めました。どうぞ、嘆かないでください。貴女の心に、憎まれ口を叩いても他人を助ける優しさに、私は救われたのです。
「だか、らっ、…美化しすぎ、だと…」
――――――泣きながら何をおっしゃっているのやら。一の大陸で別れてから、何もお変わりになっておりませんね。
べろっと、ざらついた舌が伸び、顔を舐めた。逆に顔中が濡れてしまい、泣いて良いのか何をしていいのか、固まっている彼女の後ろにギョウの影が現れ、手に持ったタオルで拭われた。最後に、鼻先を摘ままれたのは、きっと彼の意地悪だろう。ひっくひっくとしゃくり上げていると、抱き寄せられ、頭を撫でられる。
「例え、貴女が何で、いつの日か元の家に戻られるとしても、私は、貴女の騎士として在ると誓いましょう。どうやら、信じて頂けていないようですので」
「お給料も…払えないって、言って、る、じゃない…。どうやって生きて、いくんですか」
今は、三の上帝が興味を持っている間は何とかなるだろう。だが、彼が使用人でも彼らを雇ってくれるかと考えるのは難しい。また、うっかり虎や竜になるともわからない彼女だって、安定した生活をここで送れるとは思えなかった。そんな彼女に、ギョウは「三の大陸の居住許可を貰ってから?」と少し悩む様子だったが、次にははっきりと告げた。
「私が狩りで、猟師の真似ごとを。貴女には、申し訳ないが、家庭での内職を覚えて頂かないといけません」
「…世知辛いです、ねっ」
彼女と共にあるために、異形でも住む事が出来る三の大陸に来たとは思っていたが、実に具体的に示された案に彼女は、とほほと呟いた。さらにギョウは野望があるのか、彼女の両肩に手を置きながら口を開いた。
「私が魔の法を扱えるようになるまでは、不自由させると思います」
「…いいえ。お世話になります」
何だか、結婚するような話だなと半分笑いながら考えていると、背後の方で、「こほん」と咳払いがされた。慌てて振り返れば、センが呆れたように二人を眺め、その首をこてんっと傾げて見せる。見た目は大きな犬なので可愛らしいが、中身はセンである。彼は渋い半眼でギョウを見た。
「こんなところで油を売っておらんと、小姓共が貴様を探しておる」
「それはお手数をおかけした、セン殿。では、御方、私はこれで」
見れば、竜の体は頭を伏せて眠っている。彼女の手にタオルを渡し、彼はセンにも軽く会釈をして部屋の奥へと行ってしまった。所在なげになって、タオルをごしょごしょしていると、センが不思議そうに彼女を見た。
「夫婦であったか。なるほど、婚約者が異形とでもなったのか」
「いえ、そういう関係ではないんです、本当に。ただ、これからは、その、……家族、みたいに、一緒に生きていく事になりそうです」
からかわれたわけでもないのに、顔を真っ赤にしながら、彼女はやっとの思いでそれだけ言った。きっと、仲が良い兄妹のように過ごすことになるんだろう、男女の艶っぽいのはないだろうと、そんな思いではあるが、今程の抱擁は恥ずかしい。
「では、これから夫婦になるかもしれんな」
「だからっ、からかわないでください!」
恥ずかしさに頬を押さえていた彼女に、今度は揶揄する声がかかり、振り返ってセンに噛みついた。するとセンは存外真面目な顔で続ける。
「我々も、この屋敷を出る日が来る。そう信じている。さすれば、皆で集まり村でも作ろうか。そうなれば、家が建ち、子が生まれ、我々も人の頃と同じ様に生活できるだろう。夢のある話ではないか」
温かみのある笑みで言われ、それまで眉を吊り上げていた彼女も固めていた拳を解いて、「そうですね」と微笑む。一の上帝にも共に生きようと言われたが、一生彼に依存してお世話になりっぱなしで卑屈に生きるよりも、センやこの屋敷の皆と生活していく、そんな情景がぱっと浮かび、彼女は笑顔で頷いた。そんな日が来ると良い。
急に城へと戻って来た三の上帝に、三の大陸の若き王は眉を顰めて見せた。彼の曽祖父の代でもずっとあの若い姿を保ったままの三の上帝は、実に千年を生きているといわれている。その間、彼の気まぐれは全く変わっていないが、今回のような奇行は、彼の父の代には無かったものだ。古く、上帝の記録の残る三の大陸では、同じく異形に関しての研究もおこなわれており、その権威であるセン老師が病に倒れてからは一時的に止まっている。その老師の療養と称して、王の別居を独占したり、急に他国まで使者を飛ばして異形と成りし者どもを集めたりなど、奇行と言わずに何と言う。元々、三の大陸が孤立するように幻覚の霧を纏わせている三の上帝が、何を思って他大陸に手を伸ばしているのかと、若き王には全く考えが及びつかない。どうせ碌でもない事でも考えているのはわかりきっているので、彼は戻って来た白い男を早々に呼びつけた。
「用があるなら、そっちからおいで」
素直にやってきたは良いものの、一言文句を言った白い男に、若き王はため息を吐く。
「大伯父上。宮から出ようともしなかった貴方が、急に動き出した理由を、いい加減教えて頂けぬか」
「そんなこと。面白い事が無かったからさ。宮から動かなくとも、上帝の仕事はできるからね」
白い男は、実に真顔で言いきる。「面白い事ね」と若き王はため息を吐き、白い男の側近兼監視役としている青い目の男からの報告を思い出した。
「それは、黒い竜の異形か。確かに珍しい形のモノだが、貴方が生きていた間にもそのような物はいたはずですな、大伯父上」
「バカだな、お前は。そんなものに興味はないよ」
「は?」
途端ににやにやと笑みを浮かべ始めた白い男に、微かな苛立ちを押し殺しながら若き王は尋ねる。すると、両手を軽く広げて何かを掬う動作をした白い男は、それを握り潰す様にぐっと拳を固めた。
「やっと待っていたモノが届いたようなんだ。早く見てみたくなるだろう」
「はぁ。まあ、良いですが。少なくとも、他の大陸との不和や三の大陸に相応しくないモノは許しませんよ」
基本的に白い男も、若き王も、互いに干渉される事を嫌っており、彼らは良くわからない事があると、必要最低限それだけを約束して別行動をしていた。今回もそれかと若い王が会話を諦めようとしていた時、白い男はくるりと振り返って、ベージュ色の唇を艶めかせた。
「そうだ、王よ。一つ頼まれてくれないか」
「とんでもない事でなければ、大伯父上」
また意味不明に城が欲しいとでも言ってくるかと思った王だったが、白い男はさらりと長い前髪を耳にかけて麗しい顔の半分を晒すと、にっこりと美しく微笑んで見せる。そんな顔をするときは、またとんでもない事を言いだすと決まっていたのだが、次の言葉に王は普段の三倍は驚いた。
「何、簡単な事。女の歓心が欲しくてな。贈り物をしたい」
「は?」
「そうだな。さしずめ、服と靴、装飾品も何点か。侍女も何名か貰って行く。用意しなさい」
撤回する気はない発言に、若き王は犠牲になる娘に多少同情して、「はぁ」とため息を吐いた。そうして宰相に言って「用意しろ」とだけ短く告げる。そこまで見て、白い男はふらりと妖精の様に退室していった。




