白い男3
にこにこと機嫌良さそうに開けられた鉄格子を嘘の様な気分で眺め、ほとんど明りのないそこを見ようと必死になって目を細めた。片手は相変わらず引っ張られたままで、そのまま投げいれようとしているのを感じている。せめて目が慣れるまではと抵抗してみると、ふっと眼が細まったように感じてびくりとした。先ほど無遠慮に扱われる恐怖を教えられたためか、素直に足が前へと動き出す。
―――ガシャンッ
冷たい音にゆっくり振り返ると、にこやかに手を振って階上へと上がる三の上帝の姿があった。牢屋は一階の巨大な玄関ポーチの隅っこから階段で降りたすぐにあり、彼は今、そことの扉を閉めようとしている所だった。背後の温かな光と笑顔が、最高の皮肉である。ここに落りたあたりから上着だけでは誤魔化しきれない寒さを感じていた彼女は、無駄とわかりつつ二の腕を摩って閉まる扉を眺めていた。
ぱたん、と閉じてしまうと真っ暗で、鉄格子前で途方に暮れる。一体なぜこんな事になったのだろうと考えてみるが、全て流されるままにしてきた自分のせいにも思えて、さらにがっかりする。この世界に来たことだけが大きな間違いであると彼女の中では確定しているのだが、三の大陸に来た事だけが解せない。あの黒い竜はこうなるとわかって連れてきたのだろうか。いや、だが、私に仕えると言った。では、これはRPGで言うところの試練か何かか。「ちくしょう…」と小さくぼやいて、彼女はようやく闇に慣れてきた目で周囲を確かめようとした。だが、小さな物音にびくりと体をすくませる。
「誰!?」
警戒の為に大きな声が出て反響した。音のした方向は牢屋の隅、一番最初にも見えなかった闇が深い部分だと知る。これ以上悪さされてたまるものかと睨むように目を細めれば、小さな光の粒が二つこちらを見ていた。
「犬?」
実は苦手な方なのだ。少し身を引いた彼女にそれはそろそろと近くにやってきて、姿を見せた。それで彼女は半口を開けてぽかんとしてしまう。今迄、一の大陸でも二の大陸でも見たことがない、犬に似た耳と少し尖った鼻先を持つ、人間の子供だったのだ。よろっと後ろに下がると、はっと身を固くして「ううう」と唸る。
「どういう、こと…」
「異形となった者を見たことがないか。無理もない」
「誰!?」
再び違う声がし、彼女が誰何すると、相手は「先ほどから目の前におる」とゆっくり頭を持ち上げて見せた。そこには巨大な犬の姿があって、その足元に、先ほど見た半獣半人の子供が数人固まって座っている。へたっと、らしくもなく腰が抜けて、彼女は声の主を見上げた。流石、上帝なんていう変身できる人間が居る世界である。しゃべる、人二人分程の大きさの犬も居るのかと彼女は思った。確認の為に声をかける。
「貴方、しゃべれるの」
「お前もしゃべれるだろう。何を不思議がる」
「だって、貴方、犬じゃない」
言えば、相手は愉快そうに笑った。それから「元は人だ」と話した。それを聞いてピンと来たことを告げる。
「じゃあ、貴方が、本当の三の上帝?」
「恐ろしい事を言うものだな。私は異形となった者。先ほどの方とは違うよ」
それにものすごく残念に思ったのは彼女だ。先ほどの異常者が上帝だなんて、信じられない気持ちがまだある。一の大陸でも二の大陸でも、上帝は正しく人を導く存在と敬われていたし、それに見合う人格だったというのに、この大陸の上帝は何がしたいのかさっぱりな言動をしているのだ。
「異形となった者って、何?」
「やはり世間からは隠されているか。異形に噛まれたり怪我をさせられたりした者の中に、稀に異形を取り込む者が居る。それは次第に姿が人でなくなり、やがて尻尾や牙、翼や爪を持った存在となる。それが私達だ。黒い娘よ、お前もまた異形を取り込んだ者だろう」
「違うわ。私のこの目と髪は生まれつきよ」
「だが、二の大陸でない顔立ちをしている」
またこの話をしないといけないのかと疲れて口を閉じると、何を納得したのか、「こちらにおいで」と促された。顔を上げれば、尻尾を振っている。
「まだ人の身体では、この寒さは辛いだろう。私の毛皮に混じりなさい。明日にはこの子らの様に、寒さには慣れる格好となる。ここに来た者は、大抵がそういう者たちだったよ」
確かに寒い。どこか勘違いされているようだが、毛の長い犬の身体は素直に暖かく、子供達とは少し離れた尻尾の側に座って押し付けた。ふわっと犬の腹が呼吸したようで、少し体を押される。
「ともかく、休みなさい。明日には少し冷静になっていられるだろうから」
布団からはみ出す子供を気づかうように、鼻先で腹側に押され、彼女は素直にそうする事にした。真っ暗だった牢屋の中だが、この犬の気性の為か、それとも一言もしゃべらなかった子供達の寝息が聞こえるためか、しばらくするとすぐに眠気がさし、彼女は呼吸音に合わさるようにして夢に落ちた。
久しぶりに夢を見る眠りに落ちたと彼女は思った。それも変な幻とわかる夢でなく、自分は映画館に座っている夢だ。観客はまばらだが、マイナーな映画を田舎で見るにはこれぐらいのものである。それは、武骨な宮殿のような場所で対峙する二人の男が登場していた。
―――上帝がご懐妊だと!?
―――確かだ。しかも、王の子だと、王ご自身が宣言なされた。
―――馬鹿な。上帝は神の遣い。人が触れて良い存在では…そこらの女と同じではないのだぞ!?
ここまでセリフを聞き、彼女は先ほどの普通の夢を訂正しなければならなくなった。ここでも上帝の話を聞くのかとうんざりしながら、買ったのだろうアイスティーを飲む。どうやらここでの上帝は、二の上帝のような女性らしい。あまりに美人なせいで、その大陸の王様が奥さんにしたかったが周囲や上帝本人から断られ続け、とうとう無理やり後宮に押し込めてしまったとかそういう話の様だった。どうしてこんな映画を選択したのか、と我ながら不思議に思いつつ眺めると、その上帝が映し出される。
――――――…。
これは確かに、美人だった。ハリウッド映画でエルフをする女優さんのような美女である。白金の髪に、儚げな瞳と完璧だった。もしや、内容よりもこの人が見たいために自分はこの映画を選んだのかとさえ思う。話自体があまり好きな内容でなかったから、そうかもしれない。彼女はほっそりした体に不釣り合いな大きなお腹を片手で撫でて座っている。表情は、まぁ、無理もないかもしれないが、憂いのみだ。恐らく絹だろう、白いサラサラした布の服で、全体的に雪みたいな人だった。
―――……私がこの世界に降りて、幾年が過ぎただろうか。
声まで色っぽいなと思いながら、最後のスタッフロールで彼女の名前を絶対見ようと決める。どうも、この上帝は、今私が居るだろう世界の上帝とはちょっと違っている様だった。彼女の回想映像のようなものがちらちら流れるのだが、元々彼女は別の世界のエルフだったようで、それが突然この世界の祭壇に降臨したとなっていた。突然の誘拐めいた召喚に荒れる彼女。そこで護衛として付き、宥めていた男が後々の王になったらしいのも映像で見た。それだけならロマンスでもよかったのだろうが、なんと、彼女には元の世界に恋人が居たらしい。
あぁ、泥沼と映画を見ながら彼女は思った。やはりこの映画を選んだのはミスだと強く思う。こういう面倒なのは見ない性質なのだ。特に救われない悲恋なんてのは、面倒くさ過ぎて見ていて辛い。
――――――……私は、帰りたい。故郷の森に。
ぽそりと呟かれた言葉に感情移入しそうになって、彼女はぐっと唇を噛んだ。いつのまにやら映画は、美しい上帝のアップになっていて、その、七色に輝く瞳が映し出されている。
――――――…忌まわしき子よ。
自分の子供にそんなことを言うだなんて、と彼女は見ていて悲しくなってきた。自分も母親とはちょっとした確執があるので、そんなことを言われると、自分の事でないのに悲しくなるのだ。
――――――…私は、呪う、この世界を。この国の王を。そして、お前も。
まぁ、映画を見ていて思うのは、確かにそう思うだろうって事ではあるが、そこで全部ではないにしろ許してくれるっていうのが、気持ちの良いエンドではないだろうか。せめて、お腹の子供には、お母さんは優しくしてほしいなと、ちょっと泣きながら眺める。そんなこと言わないで欲しい。悪いのは全部、王様でしょうなんて勝手な気持ちで眺めていると、ふと、自分の周囲に誰も居ない事に気が付いた。手にしたアイスティーも何処かに消えていて、まだ食べかけだったポップコーンだってときょろきょろ見渡す。
――――――…可哀想な娘。
映画の続きだろうが、急に呼ばれたように思って振り返ると、大きなお腹をした上帝が鋭くこちらを向いていた。最近の3Dはリアルだなと思いながら突っ立っていると、さらに声をかけられる。
――――――…お前もまた、この世界に選ばれた。
お腹の子への呪詛の続きだろうか。もう、腹黒い展開はお腹一杯よと眺めていると、ついっと彼女はこちらに片手を差し出す。
――――――……許しておくれ、この子の選択を。
次の瞬間、美しい彼女のお腹は引き、腕に白い塊を抱えて立っている。
――――――…許しておくれ、同じ定めを負った私の為に。
ついっと、彼女が前にやってきた。もうこれが映画だなんて彼女には思えない。差し出された手が、頭を撫でる。と、視界が逆転した。
見えるのは、石造りの城の床。それは凄い速さで床を滑っていると思ったら、走っているのだ。誰か、走っている視界に自分も紛れ込んだと彼女は驚いて眺めるしかない。床の色が少し変わった。同じ城ではあるが、どこか別の場所に出たのだ。少し青みがかった床だなと思っていると、その上に赤い古ぼけた絨毯が敷かれる床となる。ばっと視点が上に上がった。大きな扉だ。それを細い白い手が押す。ゆっくり開けたのは、誰かの個室の様だ。
と、「見るな!!!」と声がして彼女の目は覚めた。




