施術の侍女5
初めて顔を合わせた時はお互いに名乗っていないのもあって実に呆気なく、それは二の上帝が自身の動揺に気づかれないよう極力努めたのもあって、会ったとの実感もなかった。そう、二の上帝の要請に一の大陸が応えたというわけでなく、これは一の上帝の独断だと、見た瞬間に二の上帝は理解したのである。でなければ、一の大陸で有名な魔の法の師団、その団員と偽ってくるはずがない。それもその団長と、さらには戦闘集団でこれまた有名な師団の団長まで伴って。二の大陸の狸爺共こそ、こぞって詰め寄ってきそうなモノであるが、二の上帝は頭痛と眩暈がしたぐらいであった。多少困らせてやろうとは考えたが、こちらに厄介事を持ち込む気はさらさらなかったのだから。狸爺の目を気遣って二の上帝の宮に滞在させたが、勝手に出歩かないよう武官達が手配し、軟禁状態にしておこうと実行した矢先に、これまた隠しておきたい客人の所に居たとなれば、頭痛がさらに酷くなった気分しかしない。
代わって一の上帝は、邪魔な武官もおらず、やっと会えたという上気した気分であった。やり方としては、第二、第五師団長が自殺するのではないかといった、顔真っ青な行動であったのは自覚している。そうまでして無茶をしたのは、一重に他の上帝に会ってみたいとの思いが強かったからだ。上帝だったわけではないが、不可思議な虎の異形を見てからその思いが強く、一度都に帰ろうと提案する二人を振り切った。碌な準備もせずに虎となって駆け出せば、人間の追いつけない速度の事、二人とも諦念して付き合ってくれているのであった。
「で、どういうつもりだ」
年の頃は40手前といった二の上帝が凄めば、一の上帝ははっとした心持ちで姿勢を正した。同じ上帝とはいえ、相手は年上の女性である。顔つきが変わったのに気付いたか、二の上帝も足を組みなおす。
「まずは寛大な歓迎に、心より感謝を。我は、一の大陸を司る風虎“リチョウ”」
「“カフカ”だ。先日の“竜”の件といい、貴様、何を考えておる」
竜が出た事で、少し一の上帝は思い返した。ずっとある焦燥感が抑えきれなくなったのは、あの虎にあってからだと考えている。あの虎の意思のある横顔から、同族を見つけたと期待したのだ。それも手の内を逃げ、二の大陸に向かったと風で知れば、そこに足を向けたくなった。まるで導かれたようだった。
「大変恐縮だが、個人的な興味だ。降臨してこの方、我らは先代とも碌に会わずに任に就く。それを不満というわけではないが、我はずっと考えていたのだ。我の同族はどこぞに居る、と」
個人的な興味と言われて、婚活の切羽詰まった時期にいる二の上帝は一瞬、ほんのりと期待したものの、続けられた言葉に軽く溜息を吐いて、眉間を押した。降臨してから二十年は経っているはずの一の上帝が、身近にいる武官よりも幼いと見抜いたからだった。
「妾から言わせてもらえば、それはただの感傷だ。思春期の人間であるまいし、自身の役割や運命など、自身で獲得していくより他にない。まだ年若い上帝よ、妾から言える事はそれほどないぞ」
最近説教臭くなってしまっているのは、執務に疲れているせいか、厄介な若輩を二人も抱えてしまったからなのか。思春期など、そんな暇がない程に狸爺とやり合い、仕事に情熱と誇りを持っている彼女は、自身としては柔らかく諭したつもりであった。だが、目に見えて一の上帝の目が曇るのも、見て取れた。
「貴女もそうおっしゃられるか」
「多くの人間が同じ問いをし、同じように諭されたであろう。妾は女故、感じ方も違うであろうが、我らと人とはそれほど違いもない。同じ物を食べ、同じように考え、同じように生きている。それは、間違いないぞ」
年下だという事実と、しょげた顔が多少可哀想であったというのもあって、侍女の時と違い、労わるような言葉が出る。真心は伝わったか、それに苦笑するように顔を上げた一の上帝は、次には気持ちを切り替えたか、少々の凛々しさを取り戻していた。
「情けない事を申した、お忘れくだされ。さて、竜の件をダシにしたとはいえ、我がそれを確認したのは間違いない事実。その後の経過に竜の形をした異形の塊を退治されたとのことだが、詳しく教えてはいただけないか」
これは気持ちを持ち直させ過ぎたかと二の上帝が一瞬固まったのは、また別の話であるが。
「ではな。ゆるりと休まれよ。以後、この様な無体は御免こうむりたい」
「寛大なご処置に感謝を、二の上帝殿。後日の現地調査では、我らの有能さをお見せしたい」
「ぬかせ」
ふざけ交じりに硬く返す一の上帝に、二の女帝もまた軽口で返して宮奥へと歩いて行く。その後ろ姿は羨ましい程に真っ直ぐで、ある意味討伐に向かう際の第二師団員らに似ていた。彼女には、焦燥をかき消す程の人生の輝きがあるのだろう。それを羨ましく思うと同時に、同じように考えられない自身に自己嫌悪が湧く。多分に労わりを含んだ言葉であったが、安易に“諦めろ”と言われたようでもあり、心中は複雑であった。
「―――お帰りになられましたか」
そんな折、後ろの薄暗がりから柔らかな声をかけられ、一の上帝は飛び上がった。ばっと急に振り返れば、異国の顔立ちの侍女がじっと立っている。瞬きが少ないせいか、目を開いて微動だにしない様子は不気味である。
「何だ。侍女殿か」
そんな声のかけ方をしなくともと、そういった軽い恨みの口調で言えば、何か言いたいのはわかったのか片眉を上げる彼女。喜楽の表情は乏しいくせに、不快な表情はすぐ出るなと、一の上帝は思った。彼女は自身の身分を知らないからそういった事が出来るのかもしれないが。
「申し訳ありませんが、そちらの部屋はワタクシの自室ですので」
これまで待ってやったとでも言いたいのかそう言われると、確かに勝手に人の部屋に居座り占拠してしまっていたのは間違いない。それも蝋の短さを見れば結構な時間が過ぎているはずである。
「もしや、それまでここで?」
「いいえ、庭に居りました。ワタクシ以外には誰も通りませんで、ご心配なさることはないかと」
「いや、やましい事などないぞ」
「申し訳ありません」
つんと、あくまで事務的に返答する侍女にそう言えば、特にどうでも良いのかあっさりと頭を下げられた。それまで庭に居たと言われても目と鼻の先であるし、芝生と小さな水路だけでどう時間を潰したというのだろう。
「何をされていたのだ、特に何もないようだが」
「あぁ…月を、眺めていたのです。風がとても気持ち良いので」
彼女の視線は落ちて、小さな水路にぼんやり反射している光の塊を見た。それから軽く目を閉じて肌に感じる風を味わっているようである。それに、「確かに」と一の上帝は返した。こういう薄っすら雲がかり、しっとりした夜は過ごしやすい。風が夜の香りを含んで過ぎた。
「お笑いになりませんね。カフカ様は軽くお叱りになりましたが」
侍女独特の感性に、二の上帝は合わないだろう。彼女は現実に生きるたくましい人だ。だが一の上帝は、この侍女のぼんやりしたところに始めて共感できた。
「風が心地よいというのは、わかる。夜の風だ」
そういうと、侍女は嬉しそうに笑った。そういう顔も出来るではないかと思いつつ、きっと愚鈍で不器用なのだろうともわかる。これまますます二の上帝とは合わないだろう。何故彼女がここに侍女を置いているのか今更ながらに疑問に感じた。
「そういえば、侍女殿はいつからこの宮に?」
それにしばし侍女は無言であった。ゆっくりと風の来る方に顔を向けて、髪を耳にかける。
「お笑いになりませんようにお願い申し上げます。ワタクシは、生来ぼんやりしておりますので、気づいたらここにおりました。自分でもよくわかりませんが、皆さんのご厚意でこうしているのはわかります」
「随分、ぼんやりしているのだな」
どうも、物心つくころにはここにいたのだろう。きっと二の大陸にあるという、上帝の血筋として集められた子供だったのだろうと考えると、訳も分からないまま連れてこられた境遇は何となく共感できる。からかい交じりに告げると、ゆっくりと侍女は一の上帝を見上げた。
「今夜は、お客様も静かなお顔をされていらっしゃいますね。月明かりのせいでしょうか」
静かに告げられ、一の上帝は少し固まった。黒い目で見上げられただけなのに、見透かされたような気分になったのは静かに告げられたからだろうか。内心に生まれた共感がそうさせたかはわからないが、「座らないか」と声をかけると彼女は素直に従った。
「俺も、自身の境遇がよくわからないのだ。親もおらず育ったからな」
座って話しかけると、侍女はにわかに口を開いた。だが一の上帝がそちらを見れば、さっと口を噤んでゆっくりと頷いた。やはり、この侍女は静かな性質なのだろうなと、彼は思う。
「お前と同様、親代わりが居てだな。良くしてくれるのはわかっているので、こういう事を言っては難だろうが、時折、どうしようもなく隔意を感じるのだ。――あぁ、単なる被害妄想だとも思っている。だが……、感じてしまうのだ。周囲と自身に何かあるようで」
音はないも、髪を揺らす強い風が吹いた。じっとこちらを見つめてくる侍女に少々照れが出るも、その静かな目を見るとどこか人でなく動物に勝手に話しかけているような気分にもなった。とても静かで、それこそ岩のような気配なのだ。
「それは、…ワタクシも共感できるかもしれません」
静かに、小さく、ともすれば風に掻き消えるような声音で侍女がぽつりとつぶやいた。一の上帝は、何を語っているのだと多少照れくさく思いながらそれを聞き流す。
「月が、美しいな」




