施術の侍女3
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「大丈夫か」
蹲り嗚咽を堪えるだけで精いっぱいだった彼女の背後から声がする。敬語でなく砕けた口調は、上帝の声でなければ身分の高い者だろう。気付いた瞬間に涙が引っ込み、数度鼻を鳴らして調子を整えた彼女は、なるべく顔を上げないよう背後に礼を取って振り返った。彼女を心配したというより義務感から声をかけたような声音だったというのも、見苦しい顔を見せたくないというのもある。不慣れな侍女の礼に大して気に留めなかったのか、声をかけてきた男の足元は二の大陸の武官の靴ではなく、彼女を困惑させた。ここは一番城壁に近い場所とはいえ、二の上帝が住まう宮の一角。不審者の可能性もあって顔を上げきれない彼女だったが、この男の声をどこかで拾ったような気もして何とか顔を窺えないかと思った。それがわかった訳ではないだろうが、男。
「顔を上げてくれ。私は一の大陸の者だが、異形調査の為、此処に滞在することになっている」
『異形調査』の”異形”の言葉の響きに、半場確信を持って見上げた顔は、前に一の大陸の街道で見た。前髪まで長めで、全部を無造作にひっ詰めた髪型。どこか冷たい目付きだが、きっと本人は普通のつもりなのだ。彼女自身もそうだから。
それと同時に思い出された、彼女の背中を押した男の顔が浮かび、一瞬顔色を変えてしまったのだろう。『ん?』と片眉が上がる男の顔に、慌てて頭を下げる。とにかく恐縮したのだと思ってくれれば良い。格好は前回見た時と違い、もっと立派になっているし、それなりの身分なんだろう。魔法、らしきものも使っていた。槍らしき杖も、今も持っている。あれで首を浅く刺されたのを思い出して、首を片手で触れた。
「ぉ…お見苦しい、ところ、を……」
「いや…。ところで、此処は何処だろうか。迷ってしまったので、案内を頼みたい」
やっと絞り出した声は我ながら情けなく、再び困惑を滲ませる男は空気を変えたいのもあったのか、そう言った。客人の予定を知らなかった彼女は、頭の片隅で不審者の疑惑が拭えないのもあり、不慣れという事と大広間までの案内で良いか尋ねたが、やましい処がないらしく快く了承してくれた。どうやら本当に客人のようだ。簡単な仕事はさせてもらっていたから侍女として連絡が来るだろうと思っていたのに、やはり現在の彼女の扱いは食客であると自覚させられる。それでも二の上帝が招いた客ならばと、精一杯気を引き締めて彼女は客人を先導した。目元は赤いなりに笑みを浮かべれば、男。
「人気がなかったが、いつもあそこで?」
ぱっと顔が熱くなったのは羞恥なのか、まだ見苦しい顔を晒している事に気がついたからか。彼女は直後困った顔をすると軽く口元を隠した。
「郷愁がつのりまして。お恥ずかしい限りです」
単なる奉公で上がった訳ではないが、そう受け取ってもらう狙いで言えば、軽く頷く気配。
「ならば、あの歌は故郷の歌か」
頭の回転が良いのだろう。納得がいったと頷く男に、急に話が切られた気がして彼女は鼻白む。一瞬固まった彼女は、『何だ』と言わんばかりの視線を向けられて、一つ気がついた。きっと自分もこういう話し方をするから、対応する相手が困惑顔をするのだと。そういう意味で、彼とは何だか気が合いそうな気がして、身分不相応な事と、簡単な妄想をしてくすりと微笑した。
「菜の花、か」
部屋に帰って来た第五師団長がぼんやり呟いた言葉に反応したのは、第二師団長である。どこから持ち込んだかここ上帝の宮がある街の地図を引っ張って書き込んでいたが、顔を上げて第五師団長を見た。それに気がついた彼もまた苦笑を浮かべて第二師団長ともう一人、若者が座るテーブルへと着いた。
「急に出かけたと思えば、花見か」
「そうおっしゃいますな。若も感じたでしょう」
からかうような笑みを浮かべる青年に、第五師団長は弱り切った顔で苦笑した後、急に顔つきを変えた。
「微弱ながら魔の法でした。しかしながら、その場に居たのは侍女だけで、私としても困惑しておりますれば」
「俺が行こう」
間髪いれずに青年が返し、第二師団長が口に咥えた筆記具を手に持って「お止めください」とたしなめた。
「二の大陸では、上帝の血筋を尊ぶあまり、血統争奪が常軌を逸しているとの話です」
「大方血筋を引く女でしょう」と完結させる第二師団長だったが、戻って来た第二師団長は再び思案顔となった。一の大陸にも二の大陸にもない顔立ちの娘が思い出され、彼女の歌も蘇る。まるで詩の様な言い回しの歌であり、その音も聞き苦しくはなく、詩人か何かに指導を受けたのではと思わせた。それなりの身分の娘と考えれば良いのだろうが、やはり、その顔立ちがどうしても引っ掛かる。
「私より貴殿の見聞が広い。黒い髪と目の、平坦な顔立ちといえば、どこの出身だと思われるか」
疑問はさっさと解消してしまいたい性質らしい第五師団長の言葉に、第二師団長は若の意識が向きはしないかと軽く眉根を寄せた。第二師団長の視線の意味に気付かなかったらしい第五師団長から一度青年を観察した彼は、それほど興味を示さなかった青年にほっとする内心、考える。
「一の大陸と三の大陸の境、島々が並ぶ諸国のどこかにそういった人間が居ると聞いた。だが、二の大陸の民も黒を持つ。混血で珍しい顔立ちなのだろう」
「三の大陸か…」
中心と外側は海の、円を描く大陸にあり、一の大陸と三の大陸は隣接しているものの、霧深く、険しい崖や勾配のある山脈と荒い海が阻み、なかなかそちらへは行けない。二の大陸も一の大陸同様に三の大陸と隣接しているが、長い砂漠を渡らねばならず、そちらも一の大陸との行き来の様に気軽には訪問できないとの話だ。
「ありえない話ではないな」
多少の違和感が拭えないものの、そういう事もあるだろうと第五師団長は頷いた。
「噂の”異国の侍女”だったのだろう」
第二師団長がふと情報収集で得た話を出せば、「それもそうか」と納得する第五師団長。ようやくこの話に終わりが見えた頃、それまで二人を眺めているだけだった青年が興味を持ったらしくにやりとして、見咎めた二人が揃って身じろぎする。
「聞いているぞ。確か、不思議な術を使うのだろう」
「………単なる肉骨の柔軟です。経験を積んだ兵士でも出来る」
他の噂話もどこから拾ってきたのかと渋い顔をして第二師団長が話せば、誤魔化そうとしているのがわかっているらしく鼻で笑い、青年。
「百聞は一見にしかずと言うではないか。魔の法の事もある。俺が見よう」
自身がきっかけを作ったとわかったか、第五師団長が髪を結び直しながら「若。退屈でしたら、私がお相手いたします」と言った。それにちらっと部屋の隅に用意された娯楽用のボードゲームを見た彼はさらに気を害した。
「いらん。お前と勝負して勝てた試しがない」
「手加減致します」
「それが嫌だと言っているのだ。宮からは出ん」
「「当たり前です」」
間髪いれずに第二、第五師団長に言われ、青年は堪らず「はっはっ!」と笑った。
「あれが、件の侍女です」
完全に物見遊山になっていると恐らく言わずとも、青年も自覚しているだろう。宮の隅、ともすれば倉庫かと思われる小さな一角が侍女の私室らしかった。彼女はそこや部屋前の小さな庭園を行動範囲としているらしく、他の場所では見かけない。先日案内を頼んだ際は道こそ迷わなかったが、広間に着いた際の人への緊張が高まっていたのを横目で見ていた。人慣れしていないとすぐにわかる程の緊張だった。
「………珍しいのか違うのか、わからんな」
「遠くから眺めるだけ、のお約束です」
人慣れしていないだろう点や侍女の仕事の邪魔をしてしまうかもしれない点を何度も説明してこの約束を取り付けただけに、今暇そうにしていてもらっては困るんだがなと、第五師団長は庭先の侍女を見る。今日の彼女はふらふらと自室と庭園を行ったり来たりで、とてもではないが仕事をしているようには見えない。時々箒を手に取って入口を軽く撫でると、次には再び道具を置いて入口でぼんやりと立っている。
「埒が明かんな」
一言ぽそりと告げた青年がゆらりと前へ出たのはそんな時で、慌てて引き止めようとした第五師団長の手は空振りに終わる。
「あぁ…っ、」
何か悪態をつきたかった第五師団長だが、言葉は表に出ず、一度噛み締めると諦めて青年の後ろに続いた。恐らく感付いていたのだろう侍女の、ちらりと不器用な視線にも気付いたからだ。先日はどうだったか、ほとんど顔を合わせてないので気付かなかったが、今日は不躾な者を見るような険しい視線だ。
「………お客様、こちらは使用人の棟になります。広間は――…」
「そなたに会いに来たのだ。”異国の侍女”とはその方であろう」
青年の言葉に第五師団長は頭を抱えたくなった。口調は丁寧なものの、侍女の視線が最初から厳しい事に気がついていないのだろうか。それとも負けん気が強い彼の事、喧嘩を買ったとも取れる。どちらにしろ、頭が痛い。侍女の言葉には「早く立ち去って欲しい」とも取れる声音だったものだから、青年の言葉に彼女ははっきりと眉間のしわを深くした。からかわれていると思ったのか、彼女は至極丁寧に礼を取って顔を隠す。
「カフカ様からのご紹介でしょうか。どのようなご用件でしょう」
庇護者の名を出して牽制してきた所はなかなか賢い。人に対して緊張が強いようだが、そういった度胸はあるのかと第五師団長は感心した。一方青年は、彼女の表情から喧嘩を買われると思っていたのが外れ、一瞬困った顔をする。
「あぁ…いや、用という用では………そなたの施術が知りたいのだが」
恐らく思いつきで言った事に侍女は興味を引かれたか、軽く顔を上げた。それでも眉間のしわは深く、彼女が怒っているように見えるので、青年はさらにうっと詰まった。それを見て少し表情を緩めた侍女は「施術の講義でしょうか。それともご予約をなさいますか」と、先ほどまでの態度が嘘のように下手に出てくる。
「簡単な講義でしたら、先に予約されている方がいらっしゃるまでお話できます。施術をご希望でしたら、本日は午後より対応が可能です。ですが、お客様はお若く、思うほど効果が出ないと思われます」
「如何なさいますか」と今度は笑顔で言われ、青年はぐぅの音が出ない程驚いているようだ。第五師団長でさえ、第一印象と違いすぎて目を丸くしているものだが。
「先程から庭にいらっしゃるのは、予約客を待って?」
「はい。足の悪い奥様でして、普段からゆっくり時間を取っているのです」
「あぁ…それで」
先ほどからうろうろ徘徊している意味がわかり、第五師団長はぼつりと呟いた。そちらに顔を上げている侍女は軽く視線を逸らせたかと思うと、「ワタクシとしましては、機会がありましたら、貴方様の肩に施術したく思います」と苦笑した。何を見ているのかわからないが、確かに万年肩凝り持ちである。案外本物かもしれないと第五師団長は思った。素で感心している第五師団長が珍しいのか、それまでたじたじであった青年が「丁度良い」とばかりに見上げてきた。
「では、午後はお前が施術してもらえ」
「……若」
あまりに気軽に言うもので、小さく怒気を混ぜて呼ぶと、件の侍女まで不意な出来事に嬉しそうに微笑する。目に映してしまっては断りにくく、「よろしいか」と定型的に声をかけると「もちろんです」と存外乗り気で益々墓穴を掘った。これで帰って事情を説明すれば、第二師団長に苦言を貰うのは確実である。
「では、お待ちしております」
結局断り切れずに、第五師団長は、仕掛け人の青年と面倒事に表情を固定した第二師団長を伴って彼女の元を訪れる事になる。




