黒い卵2
咄嗟に眼下の兵を庇った彼女だが、二の上帝としての本能か、彼女の体から外れた兵も含めて、味方全員の上に防護の魔の法が展開されていた。カンっと間抜けな音を立てて一撃目が弾かれた後、カカカカカっと弾かれる。複眼で捉えたのは数人程度の筈なのに、降って来る鏃が多いのは、狩猟民族の手際の良さだろうか。一の大陸で常用される衣装を纏っている人物の構成だけなら、盗賊にでも出くわしたと考えただろう。だが、一人、茶色の毛皮で作られた三の大陸の衣装の者が居たのを、二の上帝は、偶然発見していたのである。盗賊であっても、変化して巨大なムカデになっている上帝へ矢を浴びせようなど、不敬な事は考えまい。何の思惑があるかは知らないが、上帝とその一派と知って仕掛けて来ているのは明白だ。
相手は、罠や弓矢、ナイフでの接近戦や隠密に長けた民族である。ここで変化を解いて注意を喚起したい二の上帝であるが、人に戻らねばならず、一時的に守護の魔の法を消去した瞬間、さらに多数の鏃が降って来るだろう。苛立たし気に顎を打ちならせば、一瞬呆気に取られた精鋭達は上帝の巨体を越して上を見上げた。上帝の魔の法で守られていると理解した彼らは、即座に体勢を整え、太股に巻いていた刀身だけの短剣を取る。何本か予備があるのは、投擲用の為だ。
「”カフカ”様、ご寛恕を」
聞きなれた声に本名を呼ばれ、二の上帝は反射的に、足元に居た武官に道を作るように体を動かした。慣れた動作で沢山ある彼女の脚の一つに飛び乗ると、武官は背中を走って崖の上に駆け上がり、弓を引いていた一人に飛びかかった。宙に一瞬、赤が飛ぶ。一時攻撃の手が緩まったと見て、二の上帝は伏せていた上体を起こした。全方位を見る複眼でまだこちらを狙う者も居るのを見るが、先行した武官が数名相手にしているためか、そちらにも気を取られているようだった。後は、調子を取り戻した精鋭達が、的確な投擲で敵の手を止め、何人か、武官を真似て上帝の背を走って行った。
――――ギチチチ…
『後で覚えていろ』と軽く唸る彼女は、必要なくなった防御の魔の法を消して、その他に動きがないか見る。廃村を丸く囲むようにして霧が動いているような気がしたが、単純にここを囲む崖があるせいだ。丁度良い崖上を射的場として廃村中央の上帝らを囲んでいた者共は、彼らの思惑通りにはいかずに、一方から武官を筆頭に押し上げられて乱れている。万が一、武官らが手加減出来ずにいた場合は、より毛皮の人物の捕縛が重要となるが、三の大陸の者らしき人影は霧に紛れたらしい。三の大陸に知らぬ存ぜぬで通されると、後始末が面倒だ。これ以上憂い事を増やして堪るかと、二の上帝が魔の法を使おうとすると、動きのなかった黒い卵から似たような気配を感じた。
―――――カカカカカ、ロロロロロ…
各大陸に溢れる”異形”は、魔の法で滅する存在だ。これら異形が魔の法を使うといった事は、今までの上帝らの認識にない。この黒い卵、微かに”異形”の気配がするが、魔の法の気配もするとは奇妙な事。二の上帝は、近くで大きめの魔の法を使用して刺激しすぎたかと臍を噛む。三の大陸の者も気になるが、それらは抜け目ない武官の責任、と任せる事にし、即座に卵に向き直った。
つるりとしていた卵は、魔の法の気配の後、無機質的な表面から皮膚に似た滑らかさとなっており、身構えた二の上帝の前で一度だけびくりと震える。しかし以降、睨みつけて微動だにしない上帝の前で、動きがない。すわ、過敏になりすぎたかと気が抜けかけたその時、黒い卵からでなく、廃村内部に広く”異形”の気配を感じた。反射的に、尾の側を振り回して薙ぎ払うと、ボロボロの廃墟と共にごく小規模の”異形”を掻き消す。正式に術を組む程もない、霞ほどの”異形”であった。だが、その数が問題だ。
―――――――――ギチッ…
風の入りが悪いとは思っていたが予想以上に淀んでいたのか、”異形”は廃村内の廃墟、朽ちた柵、枯れた樹木に張り付くようにして出現していた。下手をすれば、上帝の足元の地面までも薄らと覆っている。周囲を囲む崖の表面から廃村内部に向けて、巨大な薄絹を被せたかの様に”異形”が広がっていた。奴らの内部に居ると気付かなかったのは、霧の妨害もあったが、二の上帝として大変に遺憾である。先ほど尾の側で薙ぎ払ったそれも、きちんと浄化できたのか不安になってきた。
崖に上がった武官たち、周囲に居る精鋭達も、”異形”の気配に上帝側に目配せする。溢れる”異形”の原因は自然現象なのか、中央の卵なのか。周囲に”異形”が散っているせいで大元がはっきりとしない上帝だが、如何にもな卵に注意が行ってしまう。だが、これを思いっきり叩きつぶしたとして、虫の卵のように中からぶしゃっと汚らしいものが出てこないだろうかと悪い想像もするのだ。それに実行するのは、武官らでなく、巨体を持つ二の上帝である。これでも女だ。躊躇いもする。
ガチガチと顎を鳴らした上帝は、数呼吸程沈黙後、魔の法を編み始めた。彼女の足元の精鋭らは、魔の法を編む上帝を守護する為、周囲の”異形”を剣で退け、崖上の武官らは魔の法は専門家にと、切り捨てたり逃亡を図る敵を追った。ガチンっと顎を鳴らして合図され、地上の精鋭は廃墟から染み出してうろうろと徘徊を始める”異形”を剣で斬り伏せる。鉄が影を薙ぐと、煙を引いて影が薄れ、当たり所が良ければそのまま四散する。その後、元に戻ろうと集まろうとする煙もあれば、吹き消された蝋燭様に消えるものもあった。反撃もないような薄い”異形”であるので、敵の鏃を警戒する他、精鋭らの仕事は普段より簡易だ。
二の上帝はぐるりと囲まれた地形を利用して大きな魔の法を編みあげると、外から中に”異形”を閉じ込めてそのまま浄化しようと操作する。揺ら揺らと徘徊する”異形”は、上帝の目から見ても数さえ少なければ浄化せずに放置して良いほどの無害なものだ。ここまでの数になったのは、もうほとんどない、鏃の洗礼をしてきた不審者の影響でないだろうか。ゆっくりと自然に任せてもいいだろう”異形”を早急に浄化するのも無粋な気がするが、これ以上利用されないようにするのも務めと彼女は”封”をする。
この奇妙な地形のせいで風の動きが変化し、猛獣の咆哮のような風の音が響いたのだろう。大型の”異形”の気配かと思えば、単純な数の多さだったと理解でき、人に戻っても良い頃と上帝は判断した。”封”を使うと同時に、巨大なムカデが発光し、眩しさの中に浮かぶ影の輪郭が揺れる。巨大なムカデの高さが段々と縮む中、単純作業と化していた精鋭達の動きが変わった。
「上帝!」
一人に声をかけられて変化途中だった彼女は人に戻らずに、光源の集まりで仕立てた祭りの山車のような状態のムカデ姿で止まる。注意を引いた精鋭達は、”封”をされた瞬間、目的を持って動き出した”異形”に気がついた。一人は険しい顔で一斉に迫って来た”異形”達を屠り、一人はすり抜けようとする”異形”を剣で押し留め、一人は”異形”の形を一時的に掻き消している。光のムカデが軽く脚で薙ぐと、魔の法の影響もあって数体が浄化されるが、”封”を急いだ方が良いと、彼女は光でなく、質感のあるムカデへと成った。崖上の兵らもこちらの騒ぎを聞いて、乱暴に捕縛した数名を崖から廃村へ突き落とした。その後、立ったまま滑って彼らも降りると、加勢する。揺ら揺らと揺れながら上帝へと迫って来る”異形”の目的がわからず、奇妙なそれに上帝も困惑した。煮詰めた薬湯のような濃い”異形”であれば人に害をなそうとするものだが、これほど薄い”異形”は、過去に居た人間の残滓のようなもので、本当ならば敬意を持って鎮めるのだ。それが濃い”異形”へと変化するように目的意識を持ち始めたとすれば、殺すようにして浄化せねばならぬ。魔の法に反応していると思いたいが、”封”は廃村全体にかかっており、今更上帝を目指しても意味はないし、魔の法の気配も上帝側にない。足元に兵らが居る事もあって微動しかできない上帝だが、ゆっくり動く一際小さい”異形”を追って、黒い卵に行き着いた。小さい”異形”がふらふらと近づくと、黒い卵の表面二か所が盛り上がり始める。
――――――孵る、のか?
殻が割れるわけでない、二つの塊が盛り上がり、左右対称に広がり始める。すると、もう一か所、先ほどより小さいが塊が上へと伸びてきた。孵化というより、寝ていた何かが背伸びをするようにゆっくりと、上帝の下方から今や胸元近くまで上がってきている。一人の兵が堪らず、「上帝!」と守るように黒いそれに剣を突き立てた。ずぶっと、あっさり半分ほど埋まるが、血が噴き出すような手ごたえがないのは、見ている側でもわかる。剣が無駄とそれで判断したらしい数名が警戒するように動きを変え、物は試しと最初の兵に続いて二名が黒い卵に全体重をかけて剣を埋めるが、意味はなかった。
ふらりと、黒い何かの前にある、小さな”異形”が揺れる。まるで黒い何かを歓迎するかのような動きに、二の上帝は戦慄した。不可解な物体、恐らく”異形”だろうコレを、どうして良いのかわからないのである。ここに一の上帝が居れば、まだ不安でなかったかもしれないと、無意味な想像をした。
二の上帝は、堅牢なる甲虫。防護を主とする強力な魔の法を使い、それを戦いに応用する技も持っている。けれど、本能的に、目の前の黒いナニカに、それが効かないだろうとわかってしまったのだ。でなければ、”封”を強めた今、黒いナニカの前の小さな”異形”も含めて、ここらは浄化されてしまっているはずなのである。けれども、完全に無意味というわけでなく、縮まりながら中央へ向かう”封”に触れた傍から、薄い”異形”達は吹き飛んでいっていた。マッチの火を水に突っ込む時の、ジュッという音を立てて、数は減っている。それらが助けを求めてか、または違うのか、黒いナニカに向かっているのも、彼女は焦りを感じた。これらの”異形”が触れて融合し、より巨大で未知のモノとなったら、という恐怖が湧くのだ。
――――――ええぃ、儘よっ。
恐怖を振り切るために、”封”で黒いナニカの消滅を図る。狭まる範囲に、ジュッ、ジュジュジュと次々消える”異形”。もう少しで、小さい”異形”に触れると狭まった”封”だったが、その包み込む”封”をやんわりと広げるようにして、左右対称の黒い――恐らく翼だ――が動いた。ほんのり押し返すような感触を感じた上帝が、はっとして魔の法を強めるが、強めた分だけぐっと翼が押し返す。何より、黒い翼が上帝の魔の法を上回っている。
―――――――ギギギギギギギッ
『まさか』と上帝は恐怖した。腐っても上帝の、魔の法が破られるわけがないのである。力が弱まるのは世代交代の時だという話だが、その時期ではない。ぐっと上帝の真剣味が増した。ここで浄化すると彼女が意思を固めた折り、ガチンっと顎を鳴らして緊張する上帝に気がついた武官は、一瞬の思案後、ひらりと彼女の背に乗った。上帝が力を強めたせいか、小さい”異形”に”封”が触れる。ジュっと音はして”異形”の端を消し飛ばしたせいか、小さい”異形”がふるりと一回り小さくなった。
刹那、穏やかに押し返していた黒い何かが、びくりとする。今まさにこの状況に気がついたとばかりに、二の上帝の顎付近まで背を伸ばすと、それは長い首と尻尾に、翼を持つ姿をしていた。細かな造形はなく、皮膚にた質感には目も口らしきものもない。だが、明確な敵意を二の上帝に向けてきた。恐らく、この押し返している”封”の効果に気がついたのだろう。これに反応するとなると、やはり”異形”かと二の上帝が飛びかかろうとするのと、ムカデの上部から豆粒のような影が落下するのは、後者の方が早かった。いつの間に登ったのか、武官が剣を構えて黒い何かを狙う。不意の攻撃に驚いたか、それとも問題ないとしたのか、黒い何かは泰然としていたのだが、その前に小さい”異形”が飛び出した。
『――――シーナ…っ』
再度、驚きに上帝は固まった。魔の法を持って伝えられた声を拾ったのは、この場では二の上帝だけだろう。
『―――やめ、……やめてぇ―――っ!!!』
声の制止虚しく、武官の強力な断ちは、小さな”異形”ごと黒い何かを縦に斬る。その時起きた事を正しく理解できたか、二の上帝も、実行した武官もわからない。小さい”異形”が、黒い何かに両手を差し出すように小さく影を伸ばしたかと思うと、黒い何か毎斬られた場所から薄い”異形”が吹き飛ばされていったのだ。微かに”異形”の残滓を顔やら末端に残すものの、”異形”を飛ばされたそれは小さな少女の姿をしていた。そして同じく、浅く斬られた胸元から黒い影を吹き飛ばされて現れたのは、後悔に顔を歪める女だ。
「あ、あぁ…ああぁ…」
触れたら壊れてしまうというように、上帝側からは背中しか見えない少女に手を伸ばそうとしている。黒い髪が印象的な女だ。二の大陸も一の大陸でも珍しい、平坦な顔立ちが、ぐしゃぐしゃになっている。あまりに驚いたせいか、二の上帝はその姿を認めて人型に戻っていた。斬った後その場を引いたか、状況に追いつけない二の上帝に外套を差し出すのは武官である。横目で認めて、上帝は呆れてしまった。この男は、上帝に対してだけでなく、他の場面でも空気を読まないのかと。
二の上帝が酷く動揺するほど、黒い影を剥ぎ取ってしまった彼女らの姿は真に迫っている。一瞬で空気に呑まれてしまい、彼らに声をかけるのさえ憚られるぐらいだ。嘆く女の前で立っていたはずの少女が、ゆっくりと傾く。咄嗟に足を前に出そうとして、しかし警戒心から精鋭らは止まり、黒い髪の女は倒れる少女を受け止めるため、駆けだした。受け止める瞬間、少女の片手が女の頬に触れる。その一瞬の間に何か、託けを受けたらしい女が硬直した。
―――――ぼろっ…
もう少しというところで、女に受け止められるはずだった少女は、音を立てて崩れた。ざわりと、流石の精鋭達もざわめいて動揺を示し、武官だけが奇妙な顔で、崩れて灰になった少女と、一部を受け止めて座り込んだ女を眺めている。上帝だけが、この場から”異形”の気配がなくなった事に気がついていた。




