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KARINA  作者: 和砂
本編
16/51

黒い卵

 荒い麻の服を乱暴に着、下着のないごわごわ感に不快だったのは数分程度。直接肌に当たっていた風がなくなって体が温まったか、変な暑さを感じて腕まくりすると、これからやるぞ、という気分になる。思考の切り替えは物凄く苦手だが、何かしらする必要に迫られるとそちらに集中しようという意識が湧くものだ。

 人間としての姿を取り戻したのは随分久しぶりであったから、夢か現か確かめるようにして岩場に手を置く。慎重な手つきで触れたが、苔むしたり粉ふいた岩の表面は湿っていて、滑る感覚に乱暴に擦った。爪に一部入り、一旦手を止めて掃除する。改めて崖を見上げるが、周囲は霧としんとした空気で、それだけでも心が弱ってきそうだ。何はともあれ、こんな崖下では何もできない。自然と舌打ちし、彼女は大きくため息を吐いて再び岩場に手をかけた。

 偏平足気味の足だが、感覚の鋭い裸足で、指で岩の凸凹を掴むようにして這い上がる。獣の体では意識できなかったが、胸部程の高さだと這い上がる際に物凄い力が必要で、いちいち呼吸を止めて、全力で体を引き上げた。体幹部の筋力の低下が著しいのは日頃の運動不足か、最近の栄養失調か。

「正直っ、今更っ、人型に戻ってもっ、って、感じっ」

 苛立たしげに声を出して登ると、思いの外力が出る。独り言の多い性格は変わってない。文明的な生活が送れないにせよ、獣の姿の方が生きる分には便利で、人に戻り、しかもシーナの村のような辺境の、貧しい村しかなさそうなこの地域で、現代人、それも年増女を受け入れる奇特な場所があるとは思えなかった。この世界に来た当初、まだ人型だった際は、ぎりぎりまで性別を偽り、真に喰うに困ったら体を売れないかと打算していたのだが、獣に慣れた今、本性が人だったとはいえ、獣として生きていく方がすんなりと納得できる。

「何で…」

 元に戻ったのだろうか。人一人が寝そべれる程に大きな岩の上まで登って一息つくと、すぐにそれが頭をもたげた。これまで泣こうが喚こうが、一向に戻る気配がなかったというのに。実は現実では自身は瀕死の呈で、此処は瀕死の自分が見ている夢ではないかと、変な希望が湧く。けれど、そうして希望を持ったとしても、今の服は繊維の荒い麻で、太股や掌に感じる岩の感触も本物。それに…

 ―――――――――尊き方

 不意に、別れてきた男の声が頭を過ぎり、彼女は頭を掻き毟った。あれが、幻であるはずもない。これ以上もなく優しい、只人の声に、断罪されるかのような心持ちになるのは、保身のために彼を見捨てたとはっきり理解しているからだ。だが、行けと言った彼の気持ちをここで投げ捨てるというのは、きっと人としての矜持を捨ててしまう事になる。

「……随分、頭に血が昇っていた、な」

 生きていけるかもと前向きになったのは、あの獣の姿ならば外敵も少なく、適度に生活していけると考えたからだ。まさか元に戻るだなんて、もはや想像もしていなかった。霧深いこのあたりに降りたのは、砂漠よりは森が近い方が良いと踏んだからで、人に戻ると知っていたら、閉鎖的で仕事も金も食料もなさそうな場所より、より乱雑で大きな町が良いに決まっている。獣の姿ならば力もあったが、人の自身は何ら特別な力も知識も、紛れ込むための常識も足りない。

「生きていけるかも、とは思ったけれど、どう考えても詰んでる気がする…」

 竜の身でいるのも困るが、人の身だともっと困る。先ほどまで感じなかった寒さと空腹で、此処で止まれば苦しんで死ぬだろうと簡単に想像できた。幸いにも近くに人の住む村はあるのはわかっているので、交渉次第で食べ物は手に入れよう。そこまで行ければ、気力で何とかする。最悪、盗む。

 気力を上げては落とし、落としては奮い立たせ。崖の半分を登った処でうっかり下を振り返って彼女は後悔した。見た目、あまり登った感じがしないのでがっかりしたのと、傾斜がある場所から振り返って見ると、視界が変に歪むのだ。ここに来て視力が変わったと思うが、近眼、片目が乱視に慣れていた脳は一瞬くらりとする。さっと顔を岩場に戻して閉眼し、めまいが収まるのを待つ。閉じた黒い視界で、彼女は手足の感覚を確かめた。ともすれば、このまま虎へと変化できるのではないかと考えたのだ。しばらく不安定な体勢で眼を閉じ、んぅと唸っても見たが、体に力が入っただけで何もなかった。眼を開けて、次の場へと這い上がる。

「そんなに都合良い訳はないか」

 獣に戻りたいだとか、随分と染まった考えをしているものだ。上まではまだ距離があり、次第に岩場も狭く細かくなっている処から考えても、次には落下覚悟で登りきるしかないのがわかった。別の道があればそれに越した事はないが、霧めいた周囲でわかるかどうか。

「………落ちたら、死ぬ」

 まず間違いない。急に寒くなった気がして、彼女は二の腕をさする。すっかり冷たくなり、掌の熱で体が震え、寒いなとまた思う。寒くて、とても心細い。両手で体を抱き締めて深呼吸した後、顔を上げて足場を探った。片足分程の道幅が左右にあるのを見つけたが、捕まる場所もない細道を行けるはずもなく、再び崖下へ降りるにも危険なこの場で、再度、「詰んでる」と自嘲が漏れた。瞬間、バランスを取ろうと足先をずらしていたそれが外れ、がくっと重力がかかる。咄嗟に爪を立てるように手に力を込めた処、あっさりと爪が割れた。その痛みとはかくや、反射的に手を離してしまう。

 ―――死んだわ。

 背中に風を感じたわけでなく、岩肌を滑るようにして腹を、胸を削り、突起していたらしい石に顎をぶつけて火花が散った後、彼女はそう確信して失神した。









 妙な霧の中を進軍する一団にあり、二の上帝は再びこっそりと輿の奥から外を窺った。一団の行動に合わせて揺れ、流れる霧の様子を眺める。

 この霧に一つだけ心当たりがあるといえば、件の報告にあった三の大陸、その上帝だ。麗しの幻影と称される三の上帝は、噂によると千年以上の時を生きているらしい。表立って現れる事ない上帝であり、かの意思が動いた気配はこの数百年はないため、半分伝説と化した上帝であった。しかしながら次代の気配がない以上、三の大陸の上帝もまた、千年の時を越えて生きているのだと二の大陸の上帝として理解している。今まで一切の動きを見せなかった三の大陸が二の大陸で気配を追えるというのは、随分と奇妙である。会ったこともない、千歳を超える爺が何を思って行動しているかわからないが、二の上帝は勘に触ってしまった。自身の大陸であればいいモノを、わざわざ他所の大陸で悪さをするとなれば、こちらも拳骨で殴り返しても文句は言えまい。二の上帝の能力で考えると、三の上帝には勝てはしないだろうが、負けだけは絶対にしないと言える。諦めて帰るまで、徹底抗戦してやろうと彼女は奥歯を噛んだ。

「村です」

 先頭を行く精鋭の一人が告げ、輿が止まる。簡易台座に輿を下ろされ、二の上帝は地に立った。前方に村を仕切る、古びた柵の残骸がある。廃村というだけあって、元は踏み固められていただろう入口も、雑草が覆っている。膝丈もあるそれが折れた跡がないので、三の大陸の民を見たといってもここを通ってはいないだろう。目敏く観察しながら、扇を手にした二の上帝は、風に”異形”の気配を感じて眉根を顰めた。どうやら廃村周囲の風が動かず、”異形”の気配がたまっているようである。さらりと腰紐を解くと、二の上帝が動くまでもなく纏っていた透けるように薄い服が落ちる。全裸になった二の上帝に、精鋭達は動揺した。見事な女体を晒すと意味でなく、かの上帝が変化すると、それほどの事態であると理解したからだ。

 ―――――――カロロロロロ…

 美しい顔から、そんなギチギチと虫に似た声が漏れる。足を廃村に進める上帝に、武官が声をかけた。

「一度、策を練られては」

 もう人の声が出ないのか、口元だけ扇で隠した彼女は、愚問と視線だけ向けて睨む。あっさりと了解した彼は一度礼をして下がると得物を抜き、「整!」と精鋭達に指示した。動揺しているものの、よく訓練された彼らは上官の声に剣を抜き、槍を抜き、すたすたと先を行く上帝の後ろに並ぶ。

「これより討伐に入る。気を引き締めろっ」

 武官の怒声とほぼ同時に、二の上帝は霧にまぎれた。遠目から位置を確認していた武官らは、霧の幕の向こうに、金属を打ち合わせるような声を上げた二の上帝、その巨大なムカデの姿を見、一斉に突撃する。

 ――――――カカカカカカ…

 一方、藪を歩む蛇の動作で周囲を確認する二の上帝は、甲殻を合わせる自身の体を一瞥して苛立たし気に鋭い顎を噛み鳴らす。二の上帝として矜持も誇りもあるが、こちとら妙齢の行き遅れ。なぜ一の上帝の様ではないのかと、獣の方がまだ可愛げがあると、自身の姿を考察する、どこかそんな余裕がある。二の上帝は堅牢なる甲虫。姿は不気味な事この上ないが、全身を覆う甲殻は城砦よりも強固で、大変な巨体。ここが廃村でなければ、一度住民を集めて姿に慣れさせないと、心臓の弱い者は危険である。崩れた住居の残骸を、虫独特の短く多い脚で掴み、道など関係なく移動する二の上帝だが、不意に視線を感じて頭を起こした。虫の複眼で距離が掴みにくいも、残骸のある方角、その一つに武官でない動く影を捉えたのだ。ゆらりと揺れた影は人影にも見えるが、それが”異形”の気配を纏っているのもわかる。ドーム状に広がる視界に、意識すればそういった影にも満たない弱い”異形”の気配。それが廃村いっぱいにあるので、ここまで濃い気配となっているのだろう。もっと風通しを良くしてやれば、討伐までも自然と消える類である。変化まで行ったのはやり過ぎかと二の上帝が考えた直後、また視界に意外な物を捉えて彼女はびくりとした。

 霧があるものの、廃村は周囲を丸く崖に囲まれており、淀むようにして霧と”異形”の気配が満ちているのがわかる。二の上帝は南側の入り口から素直に入り、巨体で廃村内部を破壊しないよう、体を崖に沿わせる形で移動してきたのだが、やっと廃村中央まで視界が届くようになれば、薄い気配しかないそこに巨大な”異形”の繭を発見。黒い卵のようなそれに、二の上帝は固まった。こんな形態は見た事がないし、先代の書物にもない。”異形”としての気配は薄いが、それが擬態でここから何かしら化け物が生まれてくるのではと嫌な予感が、二の上帝を悩ませる。

「どうなされます」

 一体いつのまに来ていたやら、薄い”異形”は精鋭達が戦闘するまでもなく散らしている中、武官がムカデの足元から見上げていた。動揺を知られたわけではないが、変わらず無表情な武官に、二の上帝は威嚇するように顎を打ちならすも、彼は子供の悪戯を見たかの如く、軽く笑みを見せた。本来なら舌打ちでもしたかっただろう二の上帝が再び黒い卵を見れば、他の精鋭達も追いついたのか、ざわついて周囲を取り囲む。

 ――――――ギチギギギ…

 対処に困っているのは精鋭達よりも二の上帝で、この不気味な物体が何かわからず、また薄い”異形”の気配もするために手を出すべきか、刺激するべきでないか、考える。ここらは二の大陸との境で、本来なら一の上帝が対処せねばならぬ土地。隣のよしみで二の上帝もよくよくお邪魔させてもらってはいるが、砂漠化の進むこの地域で人が住んでいる場所もほとんどなく、一の小僧に報告だけ寄越して処置を任せて良い気もする。二の上帝は、どちらかというと守備の力で、一の上帝は破壊の力だからだ。うっかり帰ろうかとの気配を見せる二の上帝に、武官は無表情のまま感じ取ったか、手を挙げて合図し、精鋭達を下がらせる。刺激するな、との上官らの指示に、精鋭達が刃先を地面に向けた折り、二の上帝の眼は上方に動く影を捉えた。

 ――――――ギギギギャ…ッ

 それが何かをはっきり理解する前に彼女は巨体を翻し、玉子の周囲、己が部下達の上に覆いかぶさる。直後、ドスっと大地に突き刺さり、銀の雨が降って来た。


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