竜と草原の少女3
辺境の守人へ鷹が放たれ、数日おいて返答が帰ってくる。特に異形について目立った変化はなく、砂漠の旅路の途中で襲ってくるソレは、いつも通り監視し、討伐しているとの事だった。そんな面白味のない報告を聞き、二の上帝は扇子を畳む。出てきたのは、一言。
「何じゃ、それは…」
呆れたというよりは、期待外れといった意味合いが強い呟きに、いつもの武官はさっぱり言い切った。
「上帝の指示は、滞りなく」
「まぁ、それは良いのだが…」
平和であるなら、それが一番。二の上帝は釈然としないながらも同意を示す。視線の先は、適当に折り畳んで隅に置いた一の上帝の書状がある。わざわざ書状を渡してくる一の彼の真意を把握したい気持ちもあり、”異形”、それも伝説の竜の姿を取るソレに相対してみたい気持ちもあり、それが全く信憑性のない、単なる気の迷いかもしれない、そんな底抜けの失望もあり。複雑そうな表情をした二の上帝が言わんとする事を理解し、武官が一つだけ訂正した。
「その他、”異形”に関しては特に問題ありません」
「ほぅ」
二の上帝の返答が、僅かに高くなった。武官の、先を示すような発言に扇子を軽く開き、バシッと閉じる。ただ一言「申してみよ」と言えば、武官はやや低めに声を出した。
「一の大陸の境に、砂漠化の進む土地を離れ、今は廃墟となった村がございます。そこに三の大陸の民の姿を見かけたと、二月ほど前に報告があったのを思い出しました」
”異形”以外の人同士の争いに関しては、武官を含めた国の上部が管理している。声は低めたものの、世間話程度のニュアンスを含ませて話す武官に、二の上帝は信頼と、そういった報告が上がってこない実情を思い、猛々しく笑った。
第三の大陸は二の大陸と違い、大変寒い土地であるという。また、雪深い大地の民は大陸の奥、三の上帝が守護する土地に在り、滅多にそこから出ないとの噂だ。実際、二の大陸を往来する人間は、一と二の大陸の民が多く、他は行商する商人たちで、こちらはルーツがどこかわからない混血民が多い。稀に見かける三の大陸の民は、大柄で無口、狩猟民族らしき狩人の佇まいと、日の差さない土地の為か肌も髪さえも色の薄い人種であった。
「その後は、どうした?」
「は。数日のうちには姿を消したとの事で、内一人に接触を取った者が居りましたが、普通の手形を持った旅人であったとの事です。しかしながら、砂漠化の進む一の大陸との境、三の大陸の民が欲っする獣はおりますまい」
「ふむ。まぁ、奴らも出入りを禁止しているわけではないからな。どこをうろついていようとも、手形があれば問題ない。………が、妾も多少興味が湧いた。このところ、宮からも出ておらん。供をせい」
カウチから二の上帝が立ちあがると、彼女の女性らしい装束を取り着替え、戦装束を持つ女官が群がって来る。それをレース一枚隔てた場で、頭を垂れて待つ武官に動揺はなく、ざっと幕を取りはらわれた先、雄々しい似の上帝が顕れたことで立ちあがった。
水源はこの小さな池程度であるのに、一向に霧が晴れない。近くは砂漠であったはずだが、この気候は一体どういうことか。何かおかしいと思いながらそれでも、何の弊害か体がだるく、起き上がれない。精々、空腹時に適当に池に顔を寄せて水を飲み、幸運にもまぎれた小魚を嚥下する状態である。この世界に来る以前もこういう状態になる事が度々あった。月経前後、である。こういう時は変に感情が高ぶるか、体温が極端に低く寒さに振るえるか、憂鬱に体が支配されて何をする気も起きないのどれかを、数日、はたまた日のうちの幾分かを繰り返し繰り返ししていくのだ。傍にいる誰かも苦労するだろうが、何より本人が自身もどうにもならない感情や体調に振り回され、余計に疲労、憂鬱になる。動きたくない。というより、死にたい。こういった体質でない女もいるのに、自身がこうだと女を止めてしまいたくなる。この体質のお陰で、仕事での評価は散々、家族からも根性無しと呼ばれ、自己嫌悪でますます動きたくなくなるのだ。
こういう時は何を考えても駄目、変に動くと翌日には倒れる。それも十二分に知っているため、例え体が苔生そうが、彼女は首程度しか動かなかった。空腹もピークの胃液で痛むのを越えれば、後には水だけでも腹は膨れる。怠惰、という言葉が素敵に思える時間だが、流石に数日この状態であれば、次の食糧に困ると考え始めた。それでも霧の向こうに野生動物のような獲物の気配はないし、シーナにも数日はここに居ると伝えたので、あまり離れるのも良くはない。折角、話し相手を得たのだから、彼女も余裕があるうちはそれなりにシーナをもてなしたかった。
と、そこで反省すれば、何故体調の悪い間、何も出来やしない間も、人を思いやるのかという単純な自身の性に呆れるばかり。人の事より、まず自分だろう。何事も体が資本なのだから。ぐるぐると考え事をしながら、のっそりと起き上がった彼女は、軽く準備するように長い首を振った。体が人と違うので、変に首が凝る、凝る。背伸びしようと二本足で立ち上がれば、前方の岩場に寄りかかるようにバランスを崩した。ごん、と顎を打ち、流石に目が覚める。痛む顎もさすれないのだが、まぁ、平和だ。
不意に岩場から離れ、長い首で周囲を見渡せば、これまた不可思議な事に、この高さでも霧が蔓延している。何か幽霊とか、そういった類が出そうな雰囲気だなと嫌そうに唸れば、本当に遠くから甲冑が擦れる金属音がして、彼女はびくりとした。幻聴であれば良いがと再度耳を澄ますが、現実のものに間違いない。この砂漠と草原の境に、軍隊のような甲冑の集団が現れるというのもおかしな事だ。めぼしいものがないのは、彼女も暇を散策に費やしたので知っている。どこかと戦争すると考えるには、素人の彼女でも数が少ないと思った。参考にしているイメージはハリウッドなので、間違っているかもしれないが。
その他、考えられる事といえば、自分、である。降り立った際は砂漠側であったから、見渡した周囲に人影がないと安心していたが、草原に入った処、またはどこかに狩人が隠れて見ていたのかもしれない。
それとも、まさか――――――。
盲目、色白の少女の姿が浮かび、嫌悪に彼女は苦い顔をした。こんな辺鄙な場所まで水を汲みに来るぐらいである。何か困った事があった際、とりわけ危機が迫った際に、代わりに”竜”という異形の存在を話す事もあるだろう。そちらの方が余程危機的で、排除しようと虐待者が優先的に動くに違いないだろうから。だが、”竜”というのは御伽話の存在だ。はっとして彼女は顔を上げた。話をしたとしても、少女の法螺話として逆に逆鱗に触れないか?
ともかくも、物騒な集団がやって来た理由もわからん、正体もわからんでは動きようがない。それに、嫌な想像をした今、先日知り合った少女が本当に虐待されていないか、そちらの方が心配になった。こっそりで良いから見に行ってみようか。丁度体調を日常に慣らさないといけないと考えていた事もあり、彼女は散策の為に動き出した。
動けば巨体な分、霧が流れを作るように動く。確か、少女を乗せて歩いたのはこの方角だったとそろりそろりと歩み出すが、途中、疲労と腰の痛みに二本足で歩くのが苦痛になって虎の時のように四本脚で歩むことにした。まるでオオトカゲだが、人にさえ遭わなければ問題ない、はずだ。体の構造上、大股で行かなければならない点を除いて、随分と腰が楽であった。時として、女は女である事を捨てねば、苦しくて死ぬのである。
羞恥を心中の言い訳でごまかして、辿りついた一本の枯れ木の前。相変わらず霧は晴れない。そうして後ろの岩場の隙間も、どうやっても彼女の巨体では進めそうになかった。獲物を探すついでに、他の回り道を探そうか。岩場の隙間に鼻先を寄せて風の動きを感じようにも、こちらに向かって風が吹いているのがわかる程度で、内部がうねっているのか、真っ直ぐなのかも判別がつかない。まぁ、この岩場が出入り口なら、この岩場をずーっと周回すれば、案外何処かから出入り出来るのではないか。
体力の続く限り行ってみようかとのんびり考え、さらに彼女は四足で進んだ。視界が低いと虎の時を思い出すが、体の横幅が大きくなっていて、よく低木にぶつかる。後ろ足で低木を折ってしまい、長い首でゆっくり振り返って彼女は憂鬱な表情になった。よもや虎の時が良かったと思わされるとは考えてもいなかったが、竜よりも身軽でしなやかで、そちらの方が便利が良い。次第に人よりも獣や化け物の体に慣れていく自分に戦慄しながら、彼女は二本足で立ちあがった。
すんっと風が、鼻先を掠める。心持ち霧が薄れてきたと感じた頃に、風が運んできた匂いを思い出して彼女は変な顔をした。
何というか、気持ち悪い。下水の臭い、とまではいかないが、カビの生えたジャムとか、虫の死骸が垂れる数年前のクモの巣の残骸とか、そういった気持ち悪いものを見た時の気分にさせられる、臭い。あの冒険者風の男が腕を怪我した原因である、黒いぐにぐにしたものと結びつく。
シーナの家は、この岩場の隙間を通って行く場所で、ここからはさほど遠くないと言っていた。そうして、数日此処に居ると約束したのに、彼女は以降姿を見せぬ。ただ、家の仕事が忙しいのだろう程度に考えていたが、もしかして。
――――――――――――――――――――シーナ?
どきんと、心臓が動いた。心配性だと自覚していたが、今もきっとそんな状態なのだ。家にいた頃は帰りの遅い妹や、不貞腐れて家出した弟を探して、彼女らの事を良く知らないから見当違いの場所を探していたが、きっとこの心境もそれに違いない。だから、少女の姿を一目見たくて仕方がなくなるのだ。
行こう、と思った瞬間、岩場の隙間から突風が吹いた。狭い口から吐き出された風に体が自然と後ろに行くが、口を閉じて前に体を向けると、風が味方してきたのがわかった。越えられると感じ、被膜を一度叩くと嘘のように体が浮いて、岩場の天辺に立っていた。
はたして、その眼下は何があったか。人であれば苦難するだろう崖に囲まれた村の影があるが、そこに人が住んでいるとは、一瞬、彼女は思えなかった。随分とボロボロの外柵に、破れた布が引っ掛かっているような店の看板。戸が外れかけ、錆びた音がする家屋。一体何の冗談だろうかといった、人の気配のない村だ。
竜の身であることも忘れて降り立ってみようかと考える程、廃墟と化した場所が、シーナの言う家なのかと彼女は戦慄した。これでは、盲目のシーナどころか、普通の人が生活するのも無理があるだろう。閉じ込められているのかと崖伝いに見渡すが、南側には草原へと続く道があり、そこにも村の存在を示す古い門が開け放たれていた。シーナだけ残して、他の村人は移り住んだのだろうか。数日でここまで成るはずがない。
疎まれて、とっくに見捨てられているのに、盲目的に信じて日常を続けようとする。そういう、ことなのだろうか。
ぽたり、と涙が浮かんで落ちた。
もしそうだとするならば、シーナが異形でも誰かに会いたいと思ったのも理解できる。疎まれて、呆れられて、それでも信じようと自分を誤魔化すのは、嫌というほど、わかるのだ。恐らく自分が極端に悪い、という程の事もないはずなのに、相手にしてみれば嫌悪に映る、適度な憂さ晴らしとも気付かれない悪意。悪意とも思っていないので、加害者側は気付かないのは知っているし、それを指摘したところで絶対に理解しないだろうことも、知っている。そうしてその悪意を向けられる人間にも、何かしらアルのだろうとも、ある意味理解している。文句が言いやすいとか、黙って受け入れるとか、そういう忍耐強いのか、自身の疲労に気付きにくい人間とか、馬鹿真面目な性格だとか、言葉では言い表せない、独特の何か。
表情が悪い、言葉が、態度が、仕舞いには良くも分からない因縁をつけてでも言われるソレ。決して間違った事を言っているわけではないのに、上手く言葉が伝わらない、ジェスチャーが通じない、そんな変な壁を感じるコミュニケーション。それは、お互い様のはずだが、何故か言われる側は一方的だ。
”普通”の人は、小さな悪意に気付かなかったり、すぐに忘れたりして出来るのかもしれない。それを一つずつ拾って、丁寧に理解しようとする人間程、彼らは悪意を向けたがる、とは自論だ。優しいだけでは、相手から害を受けるだけであるから、自身が強くならなければならない。
虐めを受けたからとウジウジしている人を見るのが嫌なのは、自分を救うのは自分だと思っているからだろう。現に私は耐えた。そして、何故か異界に来てからも耐えている。
―――――――――――――――――――――貴女は耐えている人間なの? シーナ。
堪らなくなって、涙が零れた。あんなに小さいのに、”盲目”だからと誤魔化しているのか。
誰も寄り添ってくれない、例え近くの家族だろうとも理解してくれないというのも堪らないものだが、本当に人が居ない状況は、彼女にはなかった。例え悩みを相談する人間が居なくても、発狂するほどの怒りを泣きながら身の内に封印しようとするのも、どこかしら人の気配のある町の一角でやってきた。どこかに、近くにいなくとも、広い世界のどこかに自分を求めてくれる人がいるのではないかと、小さな小さな希望を持てたし、憎むべき相手も大凡であるが、知ることが出来た。後悔しているのは、幼い頃に欠けたものを成人してから気がついた事と、そのタイミングでは絶対に取り戻せないという事だけだ。
もしかして、と彼女は思った。ここに、異界に来たのは彼女と会う為だったのではないかと。冷静な自分が、『不幸に酔うな』と告げる。それもわかってはいるのだが、感情が”シーナ”という少女に向いた今、止められるとも思ってはいない。そうして”気高い自分”を信じていないと、何故自分が悪意を向けられるのか、わからなくなるではないか。たった一人でも、体を張って味方してくれる人がいるだけで、心は救われるのだ。事なかれ主義の我が種族には、とうとう現れる事はなかったけれど。
『頑張っているなら、味方したいの。同じだから』
それは、やっと同士を見つける事が出来たという、自分のエゴだろうとしても。




