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【第一回・参】そして僕ができること

それぞれの気持ちと想い

朝露なのかそれとも雨の雫なのか

物干し竿を伝う水滴を緊那羅きんならが雑巾で拭き取った

「んー…」

京助を学校へ行かせるという一仕事を終えた緊那羅きんならが伸びをして空を見上げる

秋が近いせいかなんとなく空が遠い

庭を見渡せば昨日の台風が散らかしたあとが所々に見つけられた

数ヵ所にできた水溜まりには空が映っている

緊那羅きんなら

縁側に足をかけようとした緊那羅きんならを呼んだ声

「あ…」

「おはようさん」

緊那羅きんならを呼んだのは竜之助だった

「おはようございますだっちゃ」

慌てて挨拶をした緊那羅きんなら

「…あ…あの;」

まじまじと緊那羅きんならを見る竜之助が微笑んだ

「可愛いぞ緊那羅きんなら

「はっ!?; ってうわっ!!;」

驚いた緊那羅きんならが後ろに倒れそうになったのを竜之助が抱き止める

「京助をありがとな」

緊那羅きんならを立たせた竜之助が緊那羅きんならの頭を撫でた

「え…っ」

「お前は緊那羅きんならだ 操じゃない 緊那羅きんならとして京助の側にいてくれたんだろう? 緊那羅きんならとしての意思で」

ぴくっと緊那羅きんならの肩が動いた

緊那羅きんなら

「はっはいっ」

上ずった声で緊那羅きんならが返事をする

「京助が好きか」

笑顔で聞いてきた竜之助

緊那羅きんならの唇がゆっくり動いた


「主」

「おっコマイヌ」

「おはようなんだやな」

コマとイヌが竜之助の足元に駆け寄ってきた

「阿分は?」

「知らないんだやな」

歩きながら竜之助が聞くとイヌが答える

「あいつらもゼンらと一緒なんだやな?」

「そうだお前たちの先輩だ」

「先輩なんだやな?」

コマとイヌが顔を見合わせた

「お前たちが狛犬の式であるように奴らは狐の式だ」

「狐なんだやな?」

「ああ…前の【時】に関係してた屋敷のな…社にいた」

話ながらあるく竜之助

「仲良くするんだぞ」

「わかったんだやな」

「仲良くするんだなや」

コマとイヌが尻尾を振った


「緊ちゃん?」

ふわっと前髪をかき上げられたと思ったら優しい手が額に触れた

「は…ハルミママさん…」

「どうしたの? ぼーっとして…顔も少しだけ赤いし…緊ちゃんも風邪かしら?」

洗濯物の入ったかごをもった母ハルミが心配そうに緊那羅きんならの顔を覗き込む

「だっ大丈夫だっちゃ;」

慌てて笑顔を作った緊那羅きんなら

「そう…? コンちゃんも風邪ひいたし…緊ちゃんまで風邪ひいちゃったかと…」

「コンちゃん…って矜羯羅こんがら…?」

「そうなの熱もあるし…」

母ハルミが庭に降りると洗濯物を干し始めた


矜羯羅こんがらが小さく咳をするのが聞こえた

気になって襖に手をかけかけてはそれを引っ込める制多迦せいたか

襖に寄りかかるとうつ向いて膝を抱た


風邪が移るから


と部屋から出されてから制多迦せいたかはずっとこうして部屋の前にいた

頭の上にいたクロがトンッと床に降りると心配そうに制多迦にすりよる

「…クロ…」

制多迦せいたかがクロを撫でた

「…く何にもできないんだ…」

悲しそうに微笑んだ制多迦せいたか

「…んなとき矜羯羅こんがらならどうするかな…京助ならどうしてると思う?」

ふんふんと鼻を動かすクロ

「…れかのために自分ができること何かするって難しいね…やりたいことはあるのにそれをしたらきっと矜羯羅こんがら嫌がるから…」


制多迦せいたかが今したいこと

矜羯羅こんがらの側にいたい

襖を開けて顔が見たい


開けようと思えばすぐ開けられる襖を見た制多迦せいたかが膝に顔を埋めた

制多迦せいたか?」

呼ばれて制多迦せいたかが顔をあげる

「何してるんだっちゃ?」

「…んなら…」

制多迦せいたかに声をかけたのは湯気のたつカップを持った緊那羅きんならだった

「…んがら…」

「あ…うん風邪ひいたって聞いたっちゃ だからこれハルミママさんが作ってくれたっちゃ」

緊那羅きんならが襖に手をかけるとそれを開けると部屋に入る

矜羯羅こんがら

緊那羅きんならの体越しに見えた布団が動いた

「何…」

少しだけ掠れた矜羯羅こんがらの声

「ハルミママさんが作った卵酒持ってきたっちゃ」

「卵酒?」

起き上がった矜羯羅こんがらが見えた

「熱いから気をつけてっちゃ」

「…ありがとう」

ボサボサの髪

やっぱりいつもより元気がない矜羯羅こんがら

側にいきたい


でも…


制多迦せいたかが隠れるように膝を抱えてうずくまった

制多迦せいたか?」

緊那羅きんなら制多迦せいたかを呼んだ

「入らないんだっちゃ?」

緊那羅きんならに呼ばれそーっと部屋の中を覗きこんだ制多迦せいたか

「…制多迦せいたか?;」

顔半分だけを出した制多迦せいたか緊那羅きんならが首をかしげた

「何してるんだよ…」

卵酒を飲んで一息をついた矜羯羅こんがら制多迦せいたかを見る

「…いじょうぶ?」

「大丈夫だよ…コホッ」

小さく咳をした矜羯羅こんがら制多迦せいたかが身を乗り出した

緊那羅きんなら矜羯羅こんがらの背中をさするのを見た制多迦せいたかが乗り出した体を再び引っ込めるとクロを抱き上げて立ち上がった


制多迦せいたか? あれ…?」

矜羯羅こんがらの咳が止まって振り返るとそこに制多迦せいたかの姿はなかった

「どこいったんだっちゃ…って矜羯羅こんがら寝てないと駄目だっちゃっ;」

布団を剥いで起き上がろうとしている矜羯羅こんがら緊那羅きんならが止める

制多迦せいたかなら私が探すっちゃ;だから矜羯羅こんがらはおとなしく寝ててくれっちゃっ;」

「大丈夫だよ…僕は」

「人の言うことは聞けっちゃっ!!」

緊那羅きんなら矜羯羅こんがらの肩を布団に押し付けて強引に布団をかけた

「起きてきたら御飯抜きだっちゃ!!」

「…緊那羅きんなら…強くなったね…」

ビシッと指を突きつけて強く言った緊那羅きんなら矜羯羅こんがらが小さく言う

「わかったっちゃっ!?」

「…」

矜羯羅こんがらがため息をついた

「返事っ!!」

「…はい」

矜羯羅こんがらの返事を聞いた緊那羅きんならが頷き空になったカップを持って歩き出す

「後からお粥作ってくるっちゃ」

襖を開けた緊那羅きんならが笑顔で振り向き言うと襖を閉めた

遠ざかる緊那羅きんならの足音が聞こえなくなる

「……」

ゆっくり目を閉じた矜羯羅こんがらがまたゆっくり目を開けた

そしてククッと笑う


緊那羅きんならに言い負けた

【天】の宝珠持ちで一番弱いであろう緊那羅きんならに【空】では上級の自分が言い負けた

【向こう】では絶対ありえないこと

「…面白い…ね」

矜羯羅こんがらが呟く


【こっち】では【向こう】の常識は通じない


階級も力も何もかもが【無】い


対等に接してくれる


敬語なんか使わない


でも不思議と嫌ではなく逆に嬉しいと感じる


矜羯羅こんがら様】ではなく【矜羯羅こんがら】として接してくれる

それが嬉しいのかもしれない

今まで対等だったのは【制多迦せいたか】だけだった

いつも一緒にいて

いつも隣にいて

それが当たり前で…

制多迦せいたか…」

そこまで頭で考えてからふと考えが止まった

自分は【対等】だって思ってたけど制多迦せいたかはどうだったのか

今まで考えもしなかった考えが矜羯羅こんがらの頭を横切った


前なら制多迦せいたかが幸せなら自分はどうでもいいなんて思いだったのに

制多迦せいたかが自分をどう思っているかなんかどうでもよかったのに

どうして今更こんなことを考えてしまうのか

「…僕は…変わった…のかな…」

体が熱い

矜羯羅こんがらがきゅっと唇を噛んだ


クロを足の間に抱いて縁側に座る制多迦せいたか

なんだかモヤモヤして落ち着かない

自分が矜羯羅こんがらにしたかったことを緊那羅きんならがやった

ただそれだけなのになんだかモヤモヤしてあの場所にいたくなかった

「…はぁ…」

制多迦せいたかが大きくため息をつく

「あんれぇ…タカちゃんがため息とか珍しい」

聞こえた声に制多迦せいたかが顔をあげると目の前には3つの穴

よくよく見ればカンブリと書かれた埴輪の目と口だった

それが横にずれると阿修羅あしゅらの顔があった

「…しゅら…」

「よっ」

制多迦せいたかの隣に腰かけた阿修羅あしゅらにびっくりしたクロが庭に飛び降りるとタタタッと駆けていく

「なーに浮かない顔しとんきにタカちゃん。がらっちょと喧嘩でもしたんかい?」

阿修羅あしゅらに聞かれた制多迦せいたかがうつむいて首を振った

「竜のかみさんに叱られたとか?」

質問を変えて聞いた阿修羅あしゅらにまた制多迦せいたかは首を振る

「ならどうしたんきに…平和な顔がタカちゃんのチャームポイントなんになぁ…」

ポンポンと制多迦せいたかの頭を軽く叩きながら阿修羅あしゅらが苦笑いした

「…ヤモヤする…緊那羅きんなら矜羯羅こんがらの背中さすっただけなのに…僕もやりたかったなって思ったらなんか…モヤモヤ…って」

緊那羅きんならが?」

ボソボソと言った制多迦せいたかが膝を抱えた

「…ままでこんなことなかったのに…僕…」

「あ…あー…ああハイハイはっはっは」

阿修羅あしゅらが笑いながら制多迦せいたかの頭をクシャクシャと撫でた

「タカちゃんそれヤキモチやんきに」

制多迦せいたか阿修羅あしゅらをきょとんとした顔で見る


「…キモチ…?」

「そっヤキモチ。タカちゃんは緊那羅きんならにヤキモチやいたんよ」

「…くが緊那羅きんならに?」

阿修羅あしゅら制多迦せいたかの頭から手を離して頷いた

「…キモチ…でもなんでだろ」

「…そりゃ…タカちゃんががらっちょ好きだからなんちゃうんか?」

「…んがらは好きだよ?でも今までずっと好きだけどこんなモヤモヤなかった」

「…そうけぇ…」

制多迦せいたかが頷いてため息をついた

「…んがらが咳したとき僕が背中さすりたかったなって…僕にもできたのにできなかった…僕にできるとこ見つけたのにできなかった」

「タカちゃん…」

「…んならいいなって思った…」

ぽっりと言った後 制多迦せいたかがまた膝に顔をつける

そんな制多迦せいたかを見た阿修羅あしゅらが顔を歪めた


制多迦が変わってきている


強めに吹いた風が風鈴を鳴らした


今まで制多迦せいたかと対等にいたのは矜羯羅こんがらただ一人


同様に矜羯羅こんがらと対等にいたのは制多迦せいたかただ一人


だけど


向こうの階級が関係ない【こっち】では皆が対等


それ故に変わってきた


やはり今までにない【時】になるのは間違いない


「…しゅら?」

「あ? あ…アハハハハいやいやすまんきに;」

ぐるぐると考え込んでいた阿修羅あしゅら制多迦せいたかに呼ばれて頭をかきながら笑う

「つまり…タカちゃんはがらっちょが好きだから緊那羅きんならにヤキモチやいちまったんきにな」

「…うなのかな…でもどうして今までなかったのに…うー…ん…;」

抱えた足をパタパタ動かして悩む制多迦せいたか

「そりゃタカちゃん…タカちゃんが変わってきてるってことだな」

「…くが変わってきてる…?」

制多迦せいたかが顔をあげた

「だから今までなかったことが出てきたん違うかな」

「…ままでなかったこと…」


それが制多迦せいたかにとっていいことなのか


これが矜羯羅こんがらにとっていいことなのか


そして【時】にとっては…


少なかれ【時】に影響があることだけは間違いない


阿修羅あしゅらの眉間にシワがよった


「あっいたいた制多迦せいたか

緊那羅きんならの声にハッとした阿修羅あしゅら

「よっ緊那羅きんなら

「あれ? 阿修羅あしゅらきてたんだっちゃ?」

近づいてきた緊那羅きんなら阿修羅あしゅらが片手をあげる

「…んなら…矜羯羅こんがらは?」

「制多迦がいつの間にかいなくなったから探そうとしてたのを止めてきたっちゃ」

「だってさタカちゃん。いってやり」

阿修羅あしゅら制多迦せいたかの背中を叩いた

「…も近づいたら風邪うつるって矜羯羅こんがら嫌がる…から…」

小さく言った制多迦せいたかがうつ向く

「私なら近づくの嫌なら探しにいこうとか思わないっちゃ」

「オライもだな」

緊那羅きんなら阿修羅あしゅらが言う

「いってき? タカちゃん」

阿修羅あしゅらが笑いながら制多迦せいたかの頭をくしゃくしゃに撫でた

ボサボサになった髪で制多迦せいたかがうなずくと立ち上がる

不安そうな顔で緊那羅きんなら阿修羅あしゅらを見る制多迦せいたか

緊那羅きんなら阿修羅あしゅらが笑顔を返すと制多迦せいたかの顔がほころんだ

「そうそうタカちゃんはやっぱその顔がいいんきに」

へらっと笑顔を残して制多迦せいたか矜羯羅こんがらの元へと歩き出した

緊那羅きんなら

「なんだっちゃ?」

「竜…いるけ?」

「竜…だっちゃ? たしかさっき茶の間に…」

「そうけ…」

阿修羅あしゅらが立ち上がると

「邪魔すんきにー」

縁側から家に上がった



襖に手をかけようとしては引っ込める

しばらくしてからまたそれを繰り返す

緊那羅きんなら阿修羅あしゅらに後押しされて矜羯羅こんがらに会いに来たのはいいが襖を開けることができずにいる制多迦せいたか

「…ーん…;」

また襖に手を伸ばす制多迦せいたか

そしてやはりまた手を引っ込める


決して会いたくない訳じゃない


むしろ会いたい


話したい


でも


矜羯羅こんがらは風邪が移るのを嫌がってた


会ったら嫌われるんじゃないか


ぐるぐる回る考え


頭がパンクしそうで制多迦はしゃがみこんだ


今までこんなことなかった


会いたいと思ったら会って


話したいと思ったら話して


触れたいと思ったら触れていた


『そりゃタカちゃん…タカちゃんが変わってきてるってことだな』


「…くが変わってきてる…」

阿修羅あしゅらの言葉を思い出し制多迦せいたかが自分の両手を見た

わきわきと指を動かしてみる

ぎゅっと握ってみる

そして開く

「…はぁ…」

制多迦せいたか

矜羯羅こんがらの声がして制多迦せいたかがびくっと肩をあげた

「…いるんでしょ」

「…んがら…」

「どうして入ってこないのさ」

「…って…」

シャッと勢いよく襖が開いた

制多迦せいたかが驚いて顔をあげると目の前には矜羯羅こんがら

「…んがら…あの…えっと僕…」

うろたえる制多迦せいたか矜羯羅こんがらがじっと見る

「…くね…」

会いたかったはずなのにいざ会うと言葉が出てこない沈黙が続く

制多迦せいたか

呼ばれた制多迦せいたかが上目でちらっと矜羯羅こんがらを見て止まった



神社の屋根の上には人形になった阿分が背中を合わせて座っていた

「わかんねぇある…」

「我もある…」

「我らが知らねぇことたくさんあるある…」

「ありすぎある…」

阿と分が交互に言うとため息をつく

「沙汰様じゃなく乾闥婆けんだっぱあるか…」

制多迦せいたかたちは敵じゃねぇあるか…」

「わかんねぇある…」

阿分がぷぅっと頬を膨らませた

「でも制多迦せいたか我らの頭撫でてきたある…」

矜羯羅こんがらも我らを迎えに来たある…」

阿分の尻尾が風になびく

「なんだか…おいていかれた気分ある…」

「我もある…」

分が膝を抱えた

「居場所…矜羯羅こんがらはあるっていったあるが…」

「居場所がわかんねぇある…」

阿も膝を抱えた

「我らこれからどうすればいいあるか…」

「わかんねぇある…」

抱えた膝に頭を着けた阿分

それからしばらく二人とも何も話さなかった



「いやー…すげかったよねー昨日の雨風大乱舞」

ぱしゃっと水溜まりをわざと踏んだのは南

空を写していた水溜まりが茶色く濁った

「家ふっとぶんじゃねぇかと思ったぜ…」

「何? そんな凄かったんか?」

「おま…あんだけ激しかったの知らんの?」

京助が言うと坂田が聞いてそれに中島が聞き返す

「知らん」

「みつるんはおねむだったんでちゅーん」

「ああ…理解」

「なるほど理解」

南の言葉に京助と中島が頷いた

「寝てねぇッ!!」

「んなら何で知らんの」

反発した坂田に南が突っ込む

「夢の世界にちょっと急用でいってただけだ」

「…寝てたんじゃん…」

胸を張って言った坂田に京助が裏手で突っ込みを入れた

「にしても…涼しくなったよなぁ」

中島が伸びをして空を見る

「……」

そして足を止めた

「中島?」

京助が少し後ろで止まっている中島に声をかける

「なかじー?」

「おーい脛毛ー」

京助に続いて南と坂田も中島を呼んだが中島は空を見上げたまま返事をしない

「…なしたんだ?」

「さぁ…」

首をかしげて坂田が中島に近づく

「…ゆぅちゃん? どったんでちゅか?」

「うぼぁっ!?;」

「んがっ!!;」

耳元で囁くように呼んだ坂田に驚いた中島の肘が坂田の顎にヒットして坂田がしゃがみこんだ

「あ…スマン;」

「ってぇ~…;」

「…何やってんだお前ら;」

坂田に謝る中島

京助と南もやってきた

「なしたん中島」

「や…なんでもねぇ…うん」

南に聞かれた中島がどもりながら苦笑いで返す

「なんでもねぇで俺の顎は大ダメージ食らわせんな…;」

「自業自得だろみつるん」

赤くなった顎をさする坂田に京助が言った

「…なんでも…ない」

中島がまた空を見上げると京助たちが顔を見合わせて首をかしげる

「さぁって帰るべ帰るべっと」

無駄に明るく大声で言った中島が歩き出した



石段を上がりきった京助がふと神社の屋根に目を向けた

屋根の上に見えた姿は先日増えた新しい家族

京助が玄関ではなくその家族がいる神社まで足を進めた

「おいこらお前ら」

京助の声が聞こえたのかぴくんと耳を動かして屋根の下を見下ろした阿と分

「…京助」

「京助ある」

「何してんだ?」

京助が聞くと阿分が顔を見合わせそしてうつむいた

「なんだ?; 何かあったんか?」

「…なんでもねぇある」

小さく答えた阿に京助が頭をかいてため息をつく

「なんでもねぇやつがんな顔しねぇだろ;聞いてやるから降りてこい」

京助が言うと阿分がまた顔を見合わせそしてすとんと地面に降りた

「で? なしたん」

「…我らこれからどうしたらいいかわからねぇある」

「…我ら居場所どこにあるのかわからねぇある」

神社の階段に座った京助に阿分が小さく言う

「これからどうしたら…ってお前らはどうしてぇんだよ」

「我ら…あるか?」

「そー。お前らはどうしてぇんだっての」

京助が聞く

黙り込んだ阿分を見て京助がため息をついた

「そんな難しく考えんなよ;今なにしたいんだ?」

「今…あるか?」

京助の言葉にきょとんとした阿分

「そー今」

「今…」

「ちなみに俺は今腹が減ってるから何か食いてぇ」

京助が言う

「そんなでいいあるか…?」

「そんなでいいんじゃね? これからってどこまでのこれからかわかんねぇし。今だってこれからに入んじゃねぇの?」

「…そんなもんある…か?」

「そんなもんだ」

ヘッと笑った京助

「で? 今お前らは何がしたいん」

「…我…腹減ったある」

「我…くしゃみしてぇあ…っ…くしっ!!;」

阿がくしゃみをした反動で子狐の姿に戻った

その阿を京助が抱き上げる

「先のこれからなんて俺もわかんねぇし。なら今のこれからしたいことやりゃいんじゃねぇの? な? よーし一個解決!!」

京助が笑う

「んで次はあれか居場所ってか…でもその前にお前も腹減ってんなら何か食うか」

分を見て言った京助に分が頷いた

「居場所かぁ…ぶっちゃけ俺の居場所ってのもわからんのよなー…」

歩きながら京助が言う

「京助も居場所わからねぇあるか…?」

京助に抱かれている阿が京助を見上げて聞いた

「おうよ」

「居場所なくて平気あるか…?」

「居場所ねぇっていうか…なんつーか…居場所なんざ自分で作るっつーか…居たいと思ったらそこが居場所でいいんじゃねぇかなーと」

京助が分を振り返った

「だからここっていう居場所はわかんねぇけど居たい場所はわかるぞ」

「居たい…場所…」

「ねぇのか?」

分が足を止めてうつむいた

しばしの沈黙の後分の肩が小さく震え出す

「…おい?;」

「わ…我…ここにいたいある…」

うつむいたまま言った分の声も震えていた

「よかったじゃん」

「え…?」

顔上げた分に京助が

「居場所見つかったな」

ニッと笑って言うと途端分の顔が歪んで地面を蹴って京助に抱きついた

「がはっ!!;」

抱きつかれて京助が後ろに倒れる

「…せめてケモノ化してからにしてほしかったんですが;」

制服を掴んで嗚咽をあげる分の頭をポンポン叩きながら京助が空を見上げると白い雲がゆっくりと流れていった



矜羯羅こんがらの手が制多迦せいたかの袖を掴んだ

今まで見たことのない矜羯羅こんがらの顔

いつも凛としている矜羯羅こんがらの顔ではなく今にも泣き出しそうな顔で唇を噛み締めている

「…んがら?」

制多迦せいたかが名前を呼ぶと袖を掴んでいる矜羯羅こんがらの手に力が入った

「…うしたの? 辛いの? 熱…」

戸惑いながら制多迦せいたか矜羯羅こんがらの顔を覗き込んで聞くと矜羯羅こんがらが無言で制多迦せいたかの肩に頭を着ける

「…んがら…」

制多迦せいたかが空いている手を矜羯羅こんがらの頭に置いてゆっくりと撫でた

「…とんに寝よう? ね?」

矜羯羅こんがらからの返事はない


こんな矜羯羅こんがら見たことない

どうしていいかわからない

でも何故か嬉しいと似た感じがする

今まで矜羯羅こんがらがこんな風にしてきたことなんかなかった

なんだか求められている気がして制多迦せいたかの顔が綻ぶ

「…んがら…あのね」

矜羯羅こんがらの頭を撫でながら制多迦せいたかが優しく話しかける

「…くは矜羯羅こんがらが泣いてたりしても慰めるとか泣き止ませるとかはできないかもしれないけどね…一緒に泣くことはできるから…あとね一緒に笑ったり一緒に考えたり一緒にご飯食べたり…」

制多迦せいたか矜羯羅こんがらの耳元でゆっくりと話す

「…くが矜羯羅こんがらにしてあげられること…これしか思い付かなくて…だけどこれは僕がしたいことでもあるから…だからね…だから一緒にいたい…矜羯羅こんがらより強くても矜羯羅こんがらより弱くても嫌なんだ…矜羯羅こんがらと一緒がいい…」

「…っ…」

矜羯羅こんがらが息を吐いた

「…んがら…駄目…かな…」


「僕も…っ」


制多迦せいたかが聞くと矜羯羅こんがらが急に顔を上げ驚いた制多迦せいたかが目を大きくする

「僕も制多迦せいたかと一緒がいい…先をいくのも後をいくのも嫌だ…一緒がいい…っ…」

また見たことのない矜羯羅こんがら

眉を下げて必死に言う矜羯羅こんがらを見て制多迦せいたかが微笑んだ

「…ん」

ヘラッと笑った制多迦を見て矜羯羅こんがらも眉を下げたまま微笑む

「…くは矜羯羅こんがらと一緒にいるから」

「僕も制多迦せいたかと一緒にいるよ…」

制多迦せいたか矜羯羅こんがらを抱き上げると矜羯羅こんがら制多迦せいたかにすりよった

ふと制多迦せいたかが視線を感じて振り向く

「…かえり」

「…おう;」

視線の主の京助に制多迦せいたかがヘラッと笑っておかえりを言った

「…仲がよろしいですな…」

「悪い?」

制多迦せいたかに抱かれたまま矜羯羅こんがらが言う

「いや…;」

「京助こそどうしたのさそれ」

それ、と矜羯羅こんがらが聞いたのは京助の胸にしがみついている子狐姿の阿分

「…なんか離れんくなっちまった…」

「…かよしだね」

制多迦せいたかが笑いながら言った

「この場合仲良しっていっていいもんなんか;」

京助が自分の胸元を見る

見上げてきた阿分が首をかしげた


台所が近くなると何かを炒める音といい匂いがしてきた

胸元に阿分を着けたままの京助が台所の暖簾を少し上げて中を見るとこちらに背を向けて冷蔵庫を開けている緊那羅きんならがいた

テーブルの上には出来上がったおかずが並び炊飯器からは湯気が上がっている

冷蔵庫を閉めた緊那羅きんならの手には卵が5つ

「あ京助おかえりだっちゃ」

「うぃ」

振り向いた緊那羅きんならに京助が片手を上げた

「…何だっちゃそれ…」

「いや…何か離れんくなっちまってだな;」

京助の胸元を見て緊那羅きんならが聞く

「阿分…だっちゃよね?」

「そうある」

「我ら居場所見つけたある」

阿と分が顔だけを緊那羅きんならに向けた

「居場所?」

緊那羅きんならが京助を見てまた阿分を見る

「居場所って…」

「ハッハッハ離れろ;」

「嫌あるぅあああああ」

京助が阿分を引きはなそうと引っ張ると阿分が爪を立てて嫌がった

「暑ぃんだよッ;」

「…ずいぶん…懐かれたっちゃね京助;」

苦笑いした緊那羅きんなら

「で…どうしたんだっちゃ? 京助」

「腹へった」

「我も腹減りある」

「何か食いてぇある」

ほぼ同時に京助と阿分が空腹を訴える

「あと20分くらいでできるっちゃ」

「持たん。無理」

卵を割りながら言った緊那羅きんならに京助が言い切った

「20分くらい我慢…ってちょ…京助ッ!!;」

「ん?」

テーブルの上のおかずを口に入れた京助

「あ美味い」

「我も食いてぇあるー」

「我もー」

阿分が尻尾を振る

「も一個」

京助がまた手をおかずに伸ばした

「京助」

「あ?」

おかずをつまんで口に入れようとした京助が緊那羅きんならに呼ばれた

「口開けろっちゃ」

そういった緊那羅きんならが京助の口に肉団子を入れる

「ずるいあるー」

阿がそれを見て言う

「なるべく早く作るっちゃね」

笑って緊那羅きんならが卵をかき混ぜ始めた

もごもごと口を動かす京助

「…おう」

京助が肉団子を飲み込むと小さく返事をした

「あら京助」

勝手口が開いてザルいっぱいにトマトやらキュウリやらを入れた母ハルミが入ってきた

「…何それ…どうしたの? 胸毛?」

「いや…;」

母ハルミも京助の胸元を見て聞く

「我腹減りある…」

「我も腹減りある…」

「あらあら」

阿分が顔だけを母ハルミに向けた

「じゃあトマト食べる? 今畑からとってきたから少しぬるいかもしれないけど」

「食うある!!」

「食うある!!」

母ハルミがトマトを差し出すと阿分が京助の胸元から離れて床に着地する

「やっと離れた…;」

「お疲れ様だっちゃ」

ため息をついた京助に緊那羅きんならが言う

緊那羅きんなら

「何だっちゃ?」

卵で閉じた野菜を皿に移していた緊那羅きんならに京助が声をかけた

「美味かったからもう一個」

肉団子に伸ばしてきた京助の手を緊那羅きんならが箸で叩いた


夕飯の匂いが家の中に広がる

いつもならその匂いを嗅ぎ付けて一番に茶の間にやってくる矜羯羅こんがらは和室で静かな寝息をたてていた

その矜羯羅こんがらに添って寝そべった制多迦せいたかが足をパタパタと動かす

布団から出された矜羯羅こんがらの手は制多迦せいたかの手を握っていた

「…んがらの手…あったかい」

制多迦せいたか矜羯羅こんがらの手を握り返す

「…ったかいから生きてるんだよね矜羯羅こんがら…」

ヘラリ笑った制多迦せいたかが畳に頭をつけると目を閉じた


「京助、これ持っていって」

「へいへい」

「返事は一回っ! !あ、ついでにテーブル拭いてきてちょうだいね」

母ハルミがおかずの乗ったお盆の隅にふきんを乗せて京助に手渡した

「私これ持っていくっちゃね」

緊那羅きんならが炊飯ジャーを持ち上げる

「あ俺がそっち持つ」

「え?」

京助がお盆を置いて炊飯ジャーを緊那羅きんならから取った

「そっちのが軽いだろ」

「あ…うん…」

京助が炊飯ジャーを持って茶の間に向かう

その後をお盆を持った緊那羅きんならが追いかけていくのを母ハルミが微笑みながら見送った

「おっもうそんな時間か」

「手伝えよ; ってか阿修羅あしゅら来てたんか」

京助が茶の間を開けると竜之助と阿修羅あしゅらが京助を見た

「よー京助」

阿修羅が笑いながら手を上げた

「どうしたんだっちゃ? 京助」

「よっすさっきはどうもさん緊那羅きんなら

後から来た緊那羅きんならが戸口で止まっていた京助に声をかけると阿修羅あしゅら緊那羅きんならに声をかけた

「晩飯時に邪魔してすまんきにな。すぐ帰るかんに」

「なんだ食っていけばいいのに」

立ち上がった阿修羅あしゅらに竜之助が言う

「今も言ったように上がああなっちまったからな…しかも空も…何かとバタバタしとんきに」

「…そんなバタバタしてんのにと…うさんは行かなくていいのかよ」

阿修羅あしゅらが言うと京助が竜之助に聞いた

「俺か? 俺は俺ができることしてるぞ」

「まっ…あっちの…天と空のことはオライらがなんとかするしの。天より空のがやばいんきに…タカちゃんとがらっちょがいないからな」

首を鳴らした阿修羅あしゅら

「任せたぞ阿修羅あしゅら

「へいよ」

竜之助の言葉に笑って返事した阿修羅あしゅらがすうっと消えた


「…何話してたんだよ」

京助が炊飯ジャーを置くと竜之助に聞く

「まぁ色々だ」

緊那羅きんならもお盆をテーブルに置きふきんでテーブルを拭きながら竜之助を見た

「それにしても京助。背中のそれはなんだ? 今流行ってるのか?」

京助と緊那羅きんならが顔を見合わせると緊那羅きんならが苦笑いをして京助がため息をついた

「阿分だよな? それ」

京助の背中を指差した竜之助

「大正解…;」

ぼそっと言った京助の背中には阿分がしがみつきながら器用に寝ている

「ハッハッハ似合うぞ」

「うるへい;」

「はははっ;」

緊那羅きんならが京助と竜之助のやり取りをみて苦笑いをした

「あー…暑ぃ…背中が暑ぃ;」

茶の間から再び台所へ向かいながら京助がぶつぶつ言う

京助の背中にしっかりとしがみついた阿分を見る緊那羅きんなら

「本当に懐いちゃってるっちゃね」

「あー…;」

ため息をついた京助が壁に寄りかかった

緊那羅きんならが京助をじっと見る

「…なしたよ」

「えっ; あ…ううん;」

京助が聞くとわたわたと慌てて緊那羅きんならが小走りで台所に入っていく

「…変なヤツ…」

のらりくらりと京助も台所に向かった


羨ましいな と思った


京助にくっついてる阿分が


この前京助に背負われた時のことを思い出すと嬉しいような悲しいようなモヤモヤした気分になった


「緊ちゃん?」

母ハルミに呼ばれて緊那羅きんならがハッと顔をあげる

「どうしたの? そんな慌てて…」

「あ…な なんでもないっちゃ;」

苦笑いで返した緊那羅きんならが茶碗の乗ったお盆を持った

「まだ運ぶもんあるんかー」

京助の声に緊那羅きんならの肩がぴくっと動いた

「あるわよ? これとあと味噌汁の鍋と…」

「んじゃ鍋持ってくわ」

緊那羅きんならの横を通り京助がガスコンロの上の鍋を持った

「ほら行くぞ」

「あ うん…」

止まっていた緊那羅きんならに京助が声をかける

「それ置いたらみんなに声かけてね」

「わかったっちゃ」

「へいよ」

京助と緊那羅きんならが揃って返事をした

「俺悠とか呼びにいくからお前 制多迦せいたかとか頼むわ」

「あ…うん」


「…緊那羅きんならお前なしたん」

「えっ」

京助が足を止めて少し後ろにいた緊那羅きんならを振り返る

「また何か考えすぎてんちゃうか?」

「そんなこと…ないと思うっちゃ…」

だんだんと小さくなる緊那羅きんならの声

「ま…俺も今回はな…」

「…京助…」

「なんつーか…あー…」

鍋を持っていていつもみたいに頭がかけない状態の京助が何か言おうとしているのを緊那羅きんならが待つ

「…なんだ…その…」

「うん…」

緊那羅きんなら…が」

「…うん…」

「早く言うよろし」

右肩から突如した声

「じれったいあるよ」

今度は左肩から

「お前ら…;」

声の主は京助の背中から肩に移動した阿分だった

「京助意外とヘタレある」

「な…っ;」

「ビシッと決めるあるよ」

「何をだよッ!!;」

左右から言われて京助が怒鳴る

「つか離れろ;」

「嫌ある」

「我らの居場所ある」

阿分がきっぱり言い切った

「重いし暑ぃんだよっ; 一匹引き取れ緊那羅きんなら;」

「えっ;」

京助が左肩を緊那羅きんならに向けると乗っていた分と目があった

「…くるっちゃ…?」

緊那羅きんならが声をかけると分が京助を見上げる

「行きたきゃ行きゃいいし行きたくなきゃしゃぁねぇ」

京助が言うと分が今度は緊那羅きんならを見るとぴょんと緊那羅きんならの肩に飛び移った

「くすぐったいっちゃ」

緊那羅きんならの肩に移った分の尻尾が緊那羅きんならの頬を撫でる

「あー…軽くなった」

茶の間の襖の少し開いていた隙間に足を突っ込んで京助が器用に襖を開けた

「あれ? いなくなった…」

「竜…今から晩飯なのにどこ行ったんだっちゃ?」

さっきまでいたはずの竜之助の姿はなく

「主は気まぐれある」

「主はマイペースある」

阿分が言う

「まぁ…そうだろな;」

京助がヘッと口の端を上げていいながら鍋を置いた

「さてっ…と…悠はたぶん裏山あたりか…烏倶婆迦うぐばかとかも一緒だろなたぶん」

制多迦せいたか矜羯羅こんがらのところだと思うっちゃ」

「んじゃ任せる」

「わかったっちゃ」

お盆を置いた緊那羅きんならが京助と反対の方に歩いていく

その背中をしばらく見ていた京助も足を進めた


なんだろう


緊那羅きんならといるとホッとするのは変わらないのにそれとは別に気まずいようなうまく説明できないモヤッとしたものがちょくちょく出てくる

話したいと思っても何だか何を話すのか考えるようになった

それでも口に出して名前を呼びたくなる

「はぁ」

玄関の戸を開けながら京助がため息をつく

「どうしたあるか京助? 悩みでもあるあるか?」

「悩み…はあるっちゃある」

聞いてきた阿に京助が返す

「あいやーそれはそれはあるな…我でよけりゃ悩み聞くある。話すよろし」

「…お前が離れてくれねぇことだよ;」

京助が答えた


矜羯羅こんがらが寝ている和室の前で緊那羅きんならが足を止めると少しだけ戸を開ける

その隙間から中を見た

「入らねぇあるか?」

「…うん…」

開けた戸をゆっくりと閉めた緊那羅きんならに分が聞いた

「…寝てるから」

苦笑いで言った緊那羅きんならが戸に頭をつけると目を閉じる


二人並んで寝ていた制多迦せいたか矜羯羅こんがら


その二人が繋いでいた手


ずっと一緒にいたという制多迦せいたか矜羯羅こんがら


その【ずっと一緒】が少しだけ羨ましく思った


昔自分は京助と一緒にいた


でもそれは【操】として


【操】として京助と一緒にいた時間は【緊那羅きんなら】である自分にはわからない


覚えていない


京助は覚えていたとしてもそれは【緊那羅きんなら】ではなく【操】との…

緊那羅きんなら?」

「あ…ごめんだっちゃ;」

分に呼ばれて緊那羅きんならが顔をあげた

「もう少したったらまた呼びにくるっちゃ」

ちらっと戸を見た緊那羅きんならが歩き出す


京助は【緊那羅きんなら】で…私でいいといってくれたのに

まだ何の不安があるのだろう

自然と大股になった歩幅で向かったのは何故か茶の間ではなく元・開かずの間

薄暗い部屋の中に入ると窓を開けた

「気持ちいいあるな」

「うん…」

緊那羅きんならの髪を少し冷たくなった風が撫でる


「走るなっての;」

「おいちゃんお腹減った」

矜羯羅こんがら様は起きてるナリか?」

わいわいとにぎやかな声が聞こえてきた

「…京助」

緊那羅きんならが小さく呟いた声はにぎやかな声にかきけされた

「飯食いにいかねぇあるか?」

「…うん…いかなきゃ…だっちゃね…」

窓を閉めた緊那羅きんならが元・開かずの間を後にした

矜羯羅こんがらたち起こしていくっちゃ」

歩きながら緊那羅きんならが言う

「ただいまーっ」

「悠助手洗いにいこ?」

ガラガラと玄関の戸が開いた音がしたかと思ったらさっき元・開かずの間で聞いたわいわいが聞こえてきた

「あー腹へった」

わいわいの中から聞こえた京助の声に緊那羅きんならの足が止まる

緊那羅きんなら?」

「あ…ごめんだっちゃ;」

分が緊那羅きんならを見上げると緊那羅きんならが苦笑いで謝る

気のせいなのか胸が苦しい

何だか気を抜くと泣きそうな気がする


ブンブンと頭を振って緊那羅きんならが歩き出した


きっとこうなるのは自分が弱いから

強くならなきゃ


頭の中で自分に言い聞かせながら緊那羅きんならが足を止める

そして和室の襖に手をかけた



右手が暖かい

熱があるからじゃなく

ぬくもりという暖かさ

「ん…」

もぞっと体を動かした矜羯羅こんがらが目を開けた

ぼやっとしていた視界がだんだんはっきりとしてくる

「僕…寝て…」

体を起こすとぬくもりを感じている右手に目をやった

矜羯羅こんがらの手を包む同じくらいの大きさの手

その手の主である制多迦せいたかは目を閉じ寝息をたてていた

前なら制多迦せいたかが寝るということが嫌いだった

嫌いという表現でいいのかわからないが制多迦せいたかが寝れば【制多迦せいたか】がやってくる

制多迦せいたか】が寝れば制多迦せいたかが起きてそして…

矜羯羅こんがらが唇を噛んだ

できるならこの寝顔を守りたい

寝顔だけじゃなく制多迦せいたか制多迦せいたかの隣でこれからずっと

【ずっと】なんかあるわけないけど

たとえ終わりが来たとしてもそれまで【ずっと】制多迦せいたかの隣で…


矜羯羅こんがら? 起きてるっちゃ?」

少しだけ開けられた襖から緊那羅きんならの声がした

「起きてるよ…制多迦せいたかは寝てるけど。何?」

「あ…晩飯だっちゃ」

「そう…ありがとう」

「じゃ…あ…」

緊那羅きんならが襖を閉めようとすると肩から分が飛び降りて制多迦せいたかの体を飛び越え矜羯羅こんがらの布団に乗る

「…何?」

「ありがとある…昨日いい匂いしたある。あったかかったある」

「別に…」

尻尾を振りながら言った分を矜羯羅こんがらが撫でた

「早くくるよろし」

制多迦せいたかが起きたら…ね」

「先いってるっちゃ」

布団から飛び降りた分がまた緊那羅きんならの肩に飛び乗ると緊那羅きんならが襖を閉めた

「…よだれ」

黙って制多迦せいたかの寝顔を見ていた矜羯羅こんがら制多迦せいたかの口の端しから垂れてきたよだれを見て呟く

矜羯羅こんがらが微笑みながら制多迦せいたかの頭を撫でた


騒がしい晩飯時間が終わると茶の間の人口密度が一気に減った

後片付けに台所に向かったのは母ハルミと緊那羅きんなら烏倶婆迦うぐばか

慧喜えきと悠助は風呂に向かい、コマとイヌは散歩に出掛けた

「病人のくせに食欲はかわらんのな;」

「悪い?」

京助が麦茶を飲み干した矜羯羅こんがらに言う

「まぁ食わないよりはいいだろう」

そこに竜之助が加わった

「いい顔してるぞ矜羯羅こんがら

「…そう…」

竜之助が笑顔で矜羯羅こんがらに言う

「気分いいだろう」

「…さぁね…ただ今は背中が重い」

「そりゃな;」

テーブルに肘をついた京助が矜羯羅こんがらの背中にもたれ掛かって爆睡している制多迦せいたかを見て口の端をあげた

いつもならここで矜羯羅こんがら制多迦せいたかに対して引き剥がすとかいきなり立ち上がるとか何かしろリアクションを起こしているはず

「起こさないのか?」

「別に…起こす理由ないし重いけどあったかいし」

「そうか」

「何さ…」

「いや?」

竜之助と矜羯羅こんがらの会話に突っ込めないでいる京助が立ち上がった

「どっかいくのか?」

「あー…」

やる気なく返事した京助が茶の間から出る


暗くなった廊下を自室へと歩く京助がふと気配を感じて縁側のある和室を覗き込んだ

「これでいいナリ」

「ありがとうございますナリ様」

夕暮れが夜に変わりつつある庭にいたのは慧光えこうとヒマ子

「ナリ様がお手入れしてくださってからお肌の調子がとてもいいんですの」

「お肌って…」

「あら京様」

「京助」

ヒマ子の言葉に京助が思わず突っ込むとヒマ子と慧光えこうが振り返った

「何してんだ?」

「あ…ヒマ子さんに肥料あげてたナリ」

慧光えこうが手についていた土を払う

「お前草とか花とかの世話うまいのな」

「や…ただ好きなだけナリ」

京助に言われて照れたような慧光えこうが庭を見渡す

台風でぐちゃぐちゃだった庭は綺麗に片付いていた

「私こっちじゃこういうことくらいしかできないナリ。だから…」

「できること…なぁ…」

「京様?」

京助が呟く

チリンと風鈴が鳴った


誰かのために自分ができること

自分は誰かのために何かできているのか

そもそも誰のために何をしたいんだろう

誰かって…誰…


そう考えてふっと頭に浮かんだのは緊那羅きんならの姿

緊那羅きんなら?;」

その名前を口に出した京助

「何故に緊那羅きんなら?;」

緊那羅きんなら…がどうしたナリ?」

「京様?」

ぶつぶつ言う京助に慧光えこうとヒマ子が聞く

「…わけわからん;」

「私もわけわからんナリ」

「私もですわ」

うーんと考え込んだ京助に慧光えこうとヒマ子が言う

「…風呂行くか」

「いってらっしゃいナリ」

「いってらっしゃいませ」

踵を返した京助を慧光(えこう9とヒマ子が手を振って見送る

「…どうしたナリか京助…」

「秋が近くなっておセンチになっていらっしゃるのでしょうか…あああん…何て繊細な京様…っ!!」

ヒマ子が体をくねらせる

「…繊細…ナリか…?」

慧光えこうが暗い家の奥を見て呟いた



頭からシャワーをかぶった京助が手で顔についた湯をぬぐいとる

少し鼻に入ったのかフンッと鼻から息を出した

湯船からはほんのり檜の匂いがしている

昨日父竜之助と一緒に入った時のことを思い出した


緊那羅きんならが好きか』


「…好きっつか…」

濡れた前髪から水滴がポタッと落ちる

「…好き…っつか…」

ボソボソと呟いているうちになんだか胸の中にモヤモヤが広がって痒くなってきた

「っだぁぁぁぁあっ!!;」

もしパカッと胸を開けられたらがむしゃらにかきむしった後ウナコーワとかキンカンとかぶっかけてやりたいくらいの痒さに京助が思わず声をあげる

しばらくしてバタバタと廊下を走る音が近づいてきたかと思うと


ガラッ!!


「京助!?」

ふきんを手にした緊那羅きんならが勢いよく戸を開けた

湯船に入ろうとしていた京助が片足を湯船に突っ込んだ状態で固まる

浴室にこもっていた湯気が脱衣場に流れて視界が晴れてきた

「…きゃあ…」

京助が小さく言ってまるで女子のように胸を両手で隠した

「ごっ…ごめんだっちゃっ!!;」

緊那羅きんならが開けた時と同じくらいに勢いよく戸を閉めるとまたバタバタと廊下を駆けていく


顔が熱い

心臓がドキドキしている


緊那羅きんならが足を止めた

深呼吸をして呼吸を整えるとゆっくり歩きだす

落ち着いてきてふと気づいた

京助は男で

自分も男で

なのにどうしてこんなに照れたり恥ずかしくなったんだろう…

前に一緒に温泉に入ったし

着替えだって見ていたのに

まだドキドキしている心臓に手を当てる

「私…変だっちゃ…」

シャツをぎゅっと掴んだ緊那羅きんならが呟いた


湯船に浸かった京助が天井を見上げる

いつ落ちてくるかわからない水滴がいくつも天井についていた

「また…俺の声聞こえたから来たんだろな…」

手に持っていたふきんはおそらく食器を拭いていたものだろう

「…なんだかな…」

ずるずると湯の中に沈んだ京助がブクブクと湯の中で息を吐く

竜之助に言われた


緊那羅きんならが自分の居場所になっている】ということ


そして自分が阿分に言った【いたいと思った所が自分の居場所】だということが同時に浮かぶ


「…緊那羅きんなら…」

小さく声に出した名前

途端にまたあの痒さに襲われて湯船の中に潜った


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