【第一回】夢風鈴
「ん…ぅ」
京助が閉じていた瞼をゆっくり開ける
少し痛いようなそんな感覚で更に瞼を開ければ見慣れた部屋
網戸から朝の匂いを含んだ風が入ってきて鼻に届いた
寝るときはかけていたであろうタオルケットは体の下に巻き込まれている
「…何時…」
ボリボリと脇腹を掻きながら時計を見ると短針は四と五の中間を指していた
「…よじはん…とか;」
口の端をへっとあげて呟くと膝をついて立ち上がる
延びをすると電気の紐に手が触れた
なんとなく窓に近づいて網戸を開けると朝日で照らされた景色がまだショボショボする目に映り京助が目を細める
そして無意識に深呼吸をした
漁師町である正月町だけあって磯船のエンジン音やウミネコの鳴き声が微かに聞こえる
たまにそれに車の走行音が混ざる
ぐちゃぐちゃの布団を踏んで京助は部屋を出た
キシキシ鳴る廊下を歩き縁側のある和室まで来ると足を止めた
まだ皆寝ているのか静かな家の中
軒下に釣り下がっている風鈴は鳴りそうで鳴らない
自分の部屋にいたときより聞こえるようになったウミネコの鳴き声と磯船のエンジン音
「……」
京助が和室に足を踏み入れ縁側から庭を見る
悠助のお気に入りのジョウロ
トグロを巻いたホース
洗濯物のかかっていない物干し竿
朝露に濡れた朝顔
その隣には数本のひまわり
「夢…だった…とか…か?」
どっちが現実
どっちが夢幻
そしてどっちを自分が望むのが
伸縮する鳥類
最強で最凶の笑顔
大食い魔人
ヘラリ眠気
悠助の嫁
おちゃらけた天才
お面小僧
泣き虫
わがままお姫様
悪友の変身付き人
双子の変化犬
夏の妖怪…妖精
自分のちょっとかわった父親
そして
急に【そいつ】の名前が呼びたくなって庭に降りた
出しっぱなしにしていたサンダルは朝露で濡れている
まだいるわけないと頭でわかっているのに体が足が向かうのは境内
案の定人の気配のない境内には高く聳える御神木
近づくと葉っぱの青臭さが鼻につく
見上げれば朝日を受けた葉がキラキラ光っていた
いい表せない気分
締め付けられるような
悲しいではない
切ないとかじゃない
でも
嬉しいとかそういうものでもない
【夢幻】だったのかもしれない
むしろ【夢幻】だったのか?
あまりにも【現実】に溶け込んでいたから【夢幻】でも【現実】だったのかもしれない
でもそれは所詮【夢幻】
目を開ければ解ける魔法
いつかは終わるから楽しくてそして悲しい
『ああ そうか やっぱり 夢だったからこんな気持ちになってんのか…』
心と頭では望んでいてもそれとは違う【現実】だから
ザワザワと風が御神木の葉を揺らしハラハラと葉が落ちた
葉の隙間から見える薄青色の空
京助の寝癖頭を風が撫でるとその風が葉についた朝露を下へ落とした
ピチョン
朝露の滴が京助の頬に落ち流れる
まるで涙みたいに
「…冷て…」
呟いてもそれを拭おうとはせずに京助がうつ向く
全てが【夢幻】だったなら
全てが【夢幻】だったなら?
全てが【夢幻】だったなら…
「俺は…」
そこで止まった京助の言葉
うつ向いたまま動かない京助
その京助を下から見上げる見知らぬ誰か×2
「…どちら様…;」
4つの瞳が京助をじーっとみあげそして
「あいやー泣いてるあるよ こいつ泣いてるある」
「あいやー目から汁たれてるある」
「汁じゃねぇある涙ある」
「ちょっとしたお茶目あるわかれあるよ」
「あ あのー…;」
目下で繰り広げられている漫才の様な会話
「君たち…何;」
京助が申し訳なさそうに訪ねると2人が立ち上がり
「こいつは阿」
「こいつは分」
「いや自分のことは自分で紹介してください;」
お互いを指さしてそれぞれ紹介しあった
「って…あの…それ…って」
立ち上がった2人についてるちょっとかわったものを京助が指差す
「あいやーおめー尻尾知らねぇあるか」
「あいやーおめー狐見たことねぇあるか」
「いやそうじゃなく;」
ヤレヤレと首を振る阿分についていたのは白と黒の尻尾が4本ずつ
そしてぴんっと上を向いた獣の耳
「我ら主探してるある」
「我らずっと主探してるある」
「…なんか…どっかで似たようなこと見たような聞いたような…;」
京助が阿分から顔をそらした
「…これは夢…なんか?」
「歯くいしばるよろし」
バチィーン!!!!
「いってぇぇッ!!!!;」
右頬を押さえた京助が叫んだ
その声に驚いた雀カラスが一斉に飛び上がる
「夢じゃねぇあるな」
「良かったあるな」
「よくねぇッ!!;」
爽やかな笑顔で言った阿分に京助が怒鳴った
バチィーン!!!!
「いってぇってんだろッ!!;やめんかッ!!;」
「男がんなちぃせぇことで大声だすなある」
今度は左頬を押さえて京助が再び怒鳴る
「京助!」
「なん…」
名前を呼ばれてそのままの勢いで返事をした京助が止まった
足音がしなかったのは裸足だったからだと思う
結んでいなく乱れた髪はきっと起きたばっかりだから
「緊那羅…」
言いたかった口にしたかった名前の相手
「誰だっちゃ」
裸足の緊那羅が歩み寄ってきて阿分を睨んだ
「…あいやー…」
緊那羅に睨まれた阿分が顔を見合わせるとため息をついた
「また自己紹介しねぇと駄目あるか」
「面倒くせぇあるな」
「こっちが阿でこっちが分」
文句を言った阿分にかわって京助が指を指しつつ2人を紹介する
「阿分…?」
「だとさ」
緊那羅が京助に聞き返した
「てか…京助…ほっぺ赤くなってないっちゃ?」
「あー…;」
「我らが叩いたからあるな」
「威張るな;」
京助に聞いた緊那羅に阿が胸を張って言う
「叩いた…って…」
「夢かわからないいったから叩いたあるよ」
「ちぃせえことで喚いたから気合いいれたあるよ」
ふんぞり返って言う阿分
「…本当だっちゃ?」
「あー…まぁ;」
京助が右頬を撫でながら答えた
「でもほら大丈夫だからさ」
頬は痛いがなんでかほっとしている
「早く…冷やさないと駄目だっちゃね…」
「大丈夫だっての;それよかお前裸足じゃん;」
京助が緊那羅の足元を見て言う
「あ…;」
「お前こそ足痛ぇんじゃねぇのか?」
「や…私は別に…それより京助の方が;」
「俺は大丈夫だってんだろ;…ほらよ」
京助が履いていたサンダルを脱いだ
「水虫はないから安心しろ」
「え…でも京助が…」
「いいから」
「私が裸足できたから私が裸足で戻るっちゃ」
「いいっていってんだろ」
「京助が履いてくれっちゃ」
「お前が履けって」
京助と緊那羅のいつ終わるのかわからないサンダルの譲り合いを黙って見ている阿分
「イチャイチャは他でやってほしいあるな」
「イチャイチャは2人の時にやってほしいあるな」
「なっ!?;」
わざと聞こえるようにいった阿分に京助と緊那羅が声を揃えた
「イチャイチャしてねぇッ!;」
「イチャイチャしてないっちゃッ!!;」
「息ぴったりあるな」
京助と緊那羅がハモって怒鳴ると分が突っ込む
「…何をしているのだ…;」
「朝から元気だね…」
聞き覚えのある別の声に更に突っ込まれて京助と緊那羅が揃って振り返った
いつのまにかそこにいたのはいつもの面々
「まったく…何事なのだ?」
呆れたように迦楼羅が聞く
「あー!!!!」
途端阿分が迦楼羅を指差して声をあげた
その声に一同が驚き止まる
「な…んだ?;」
迦楼羅が後ずさった
「迦楼羅様ある!!」
「間違いねぇある!!ちぃせぇあるがそのクッソ目付きの悪い顔は迦楼羅様ある!!」
「ぶっ」
迦楼羅を指差しながら言った阿分の言葉に矜羯羅が吹き出した
「なっ…;」
「何鳥類…お前知り合いか?」
京助が聞く
「阿!!」
分が何かに気づくとバッと瞬時に構えた
「あいつ…」
「お前…矜羯羅!!」
分に続き構えた阿が矜羯羅を睨んだ
「何 矜羯羅…お前も知り合いか」
「……さぁ 制多迦知ってる?」
そう言った矜羯羅がちらっと斜め後ろのやや下を見るとおそらく引きずられてきたのだろう制多迦が矜羯羅を見上げた
「…っと…知らない;」
ボサボサの髪で申し訳なさそうにヘラリと笑う制多迦
「だそうだが」
「……」
京助が阿分に言うと阿分の尻尾と耳がしゅんとなった
「仕方ねぇある…あれから随分経ってる…」
「忘れてておかしくねぇある…」
「迦楼羅様は鳥あるから頭も鳥あるよ」
「ちょっと待てお前ら今然り気無くワシを馬鹿にしなかったか?」
地面にののじを書きながら凹む阿分に迦楼羅が突っ込む
「本当にわからないんだっちゃ?」
緊那羅が迦楼羅たちに聞いた
「…知らないよ」
矜羯羅が答えた
「乾闥婆は?」
「乾闥婆?」
京助が乾闥婆の名前をあげる
「鳥類が覚えていなくても乾闥婆は覚えてんじゃね? もしかしたら」
「そうかもしれないっちゃ」
緊那羅も頷く
「けんだっぱ…って誰ある?」
阿が聞いた
「迦楼羅と一緒にいる人だっちゃあなたたちのこともしかしたら覚えているかもっていう…」
「我 乾闥婆って名前知らねぇある」
「我もある」
「…まぁ会ってみ? もしかしたらってこともあるかもだしさ」
京助の言葉に阿分が顔を見合わせると揃って頷いた
「んじゃとにかく家行こうぜ? 腹減ったし」
「…そうだね」
「うむ」
迦楼羅と矜羯羅が家に向かって歩き出す
立ち上がった制多迦が服についていた土やらを払って頷くとヘラリと笑い阿分の頭を撫でてから矜羯羅の後を追った
「…制多迦に撫でられたある…」
「…今の本当に制多迦あるか…?」
ぽかんとしている阿分
「俺らも行くぞ」
「あうん」
「緊那羅」
裸足で戻ろうとした緊那羅に京助が声をかけた
「ほらよ」
「えっ…」
しゃがんで背中を向けた京助
「おぶされ」
「いいっちゃ私…」
「早くしろ」
「でも;」
「は や く し ろ」
強く言われて緊那羅が躊躇いながら京助の肩に手を置いた
「よっ」
京助が立ち上がる
「ほら行くぞ」
阿分に声をかけて京助が歩き出す
「…京助…」
「んだよ」
「ごめんだっちゃ」
緊那羅が謝った
「…俺の声聞いて駆けつけてくれたんだろ…裸足で」
返事のかわりに京助の肩にある緊那羅の手に少し力が入る
「…ありがとな」
呟くように言った京助
どうしてだろう嬉しいはずなのに苦しくて言葉が出てこない
寝癖頭が何故かもの凄く愛しくて
家までの数メートルの間だけ
緊那羅が京助の後頭部に頭を付けた
「…なした」
「ううん…」
「…風呂場まで連れてってやっから足洗えよ?」
「…うん」
然り気無く距離を延ばしたことに京助自身も気づいていない
「やっぱりイチャイチャしてるあるな」
後ろからそんな2人を見ていた阿分が呟いた
「大丈夫? 乾闥婆」
烏倶婆迦が乾闥婆に聞く
「大丈夫ですよ」
迦楼羅たちと共に京助の元に行こうとした乾闥婆だったが迦楼羅に止められ縁側から境内の方を見ていた
「…ねぇ乾闥婆」
「なんですか?」
「おいちゃん乾闥婆の笑顔見たい」
きょとんとした乾闥婆
「僕の…笑顔ですか?」
烏倶婆迦が頷く
「おいちゃん乾闥婆の本当の笑顔見たい」
「本当の…?」
「乾闥婆の笑顔…笑顔だけどなんだか足りない」
乾闥婆の羽衣をつかんだ烏倶婆迦
「…僕の本当の笑顔…」
「おいちゃん…乾闥婆が好きだ」
「…ありがとうございます…」
微笑んだ乾闥婆に烏倶婆迦が抱きついた
チリンと風鈴が鳴る
烏倶婆迦の帽子に額を付けた乾闥婆が目を閉じた
「僕は…僕は…笑っていいのでしょうか…こんな僕でも…」
「おいちゃん乾闥婆が本当に笑ってくれるなら嬉しいだから乾闥婆…もういいと思うよ 迦楼羅もきっと」
「迦楼羅…」
乾闥婆が軒下から空を見上げた
「呼んだか」
和室の入り口から入ってきた迦楼羅が声をかけてきた
「おかえり」
「…うむ」
乾闥婆に抱きついたまま言った烏倶婆迦をちらっと見た迦楼羅
「随分と乾闥婆に懐いてるね烏倶婆迦」
「おいちゃん乾闥婆が好きです」
「なっ;」
矜羯羅が言うと烏倶婆迦がきっぱりと言い切ってそれを聞いた迦楼羅が言葉を詰まらせた
「…るら変な顔」
「や…やかましいわたわけッ!!;」
プッと吹き出した制多迦に迦楼羅が怒鳴る
ザザザザザザ!!
地面をなにかが走る音が近づいてきたかと思うと上ったばかりの朝日の中に二つの影
それが縁側の乾闥婆と烏倶婆迦目掛けて降ってきた
「乾闥婆!!」
すかさず迦楼羅が駆け出し右手を前に出す
「沙汰さまぁああああ!!」
二つの声が合わさり呼ばれた名前に迦楼羅と乾闥婆の目がほぼ同時に見開かれた
スココン
矜羯羅が飛ばした玉が二つの影にヒットするとその影が庭に落ちた
「い…いたいある」
「や…やっぱり矜羯羅は敵ある」
二つの影の正体は阿分
矜羯羅の玉が当たったらしい額を押さえて庭にうずくまっている
「お前ら…今なんと言った…?」
迦楼羅が庭を見下ろし阿分に聞いた
乾闥婆が烏倶婆迦の服を握ったまま阿分を見る
「沙汰様ある」
「そこにいるの沙汰様ある」
阿分も乾闥婆を見て言った
「何故お前らが…」
迦楼羅が間にに立ち阿分をにらむ
「…乾闥婆?」
烏倶婆迦が乾闥婆を呼ぶ声を聞いた迦楼羅が振り返ると乾闥婆が俯いていた
「おいちゃん…お前たち嫌いだ」
烏倶婆迦がお面の顔で阿分の方を見る
何とも言えない空気が漂った
「あーコンちゃんタカちゃんおはよー」
「おはようございます制多迦様、矜羯羅様」
その空気を壊したのは明るい悠助の声
「あっかるらん!! けんちゃんうぐちゃんもおはよー」
「…はよう悠助」
ひょこっと和室に顔を出した悠助の頭を制多迦が撫でた
「主!!」
「えっ?」
「あるじぃぃぃぃー!!!!」
悠助の姿を見るなり阿分が声をあげ悠助に飛びかかってきた
スココーン
「危ないよ」
制多迦が悠助を抱き上げると矜羯羅がまた玉を2人に当てた
「い…いたいある;」
「ま…またやられたある;」
さっきと同じような場所に当たったらしく阿分がまたうずくまる
「だぁれ?」
「なんですかこいつら」
制多迦から悠助を奪い取った慧喜が阿分を睨んだ
「…っと知らない」
「こいつらは僕らを知ってるらしいけど僕らは知らないしね」
制多迦と矜羯羅が答える
「悠助を見て主って…」
「あるじ?」
悠助が慧喜を見上げた
「…まさかと思うが…」
「そのまさかだったりしてね」
迦楼羅と矜羯羅が悠助を見る
「主まで我らを忘れたあるか…」
分が呟くように言った
「沙汰様や迦楼羅様だけじゃなく主まで我らを忘れてしまったあるか」
阿も呟くように言った
「ごめんなさい…僕…」
悠助が2人に謝る
「おいちゃんの計算によると人間違いだとおもう」
乾闥婆を抱き締めたまま烏倶婆迦が言った
「俺もそう思う」
まだ寝癖頭のままの京助が和室に入ると阿分の側にしゃがむ
その京助を阿分がじっと見る
「…お前…」
「んだよ」
「主と同じ感じがするある…」
「懐かしい…ある」
阿分がぐすっと鼻を啜った
「とりあえず…朝飯食うか?」
京助が阿分に聞く
ぐぅ
「……」
和室に響いた腹の虫の声に一同が視線を向けたのは迦楼羅
「なっ…; し…仕方なかろうっ!!;」
「どこまでもお約束すぎるやっちゃなお前…;」
怒鳴った迦楼羅に京助が呆れて言う
「僕もお腹へったー」
「今 緊那羅が母さんの手伝いしにいったからすぐできんじゃね?」
京助が立ち上がった
「僕も手伝ってこよーっと」
「俺もっ」
パタパタと駆け出した悠助の後を慧喜が追いかける
「僕らもいこうか」
「…うだね」
矜羯羅の言葉に制多迦が頷いた
「さって…来るもこないもいいけど俺もいくか」
伸びをした京助がちらっと阿分を見たあと和室を出ていった
「乾闥婆…」
烏倶婆迦が乾闥婆に声をかけるとふっと影が落ちた
見上げるとそこには迦楼羅
「…乾闥婆」
迦楼羅の声にぴくっと乾闥婆が動いた
「か…るら…」
ゆっくりと上げられた乾闥婆の顔は不安そうで今にも泣き出しそうで
「…大丈夫か…」
そんな乾闥婆の髪を迦楼羅が撫でた
「…はい…」
乾闥婆が頷く
「…そうか…」
迦楼羅が乾闥婆の頭から手を離すと
「…すまない…な」
小さく謝った
チリンと小さく風鈴が鳴った
「あれ? 阿分」
コマイヌを抱えて茶の間にやってきた竜之助もとい竜が阿分を見て言うとそれまで朝飯を食べていた面々が一斉に竜之助を見た
「あ るじ…」
「どうした?」
うるうると目に涙をためた阿分が肩を振るわせ
「あるじぃぃぃぃー!!!!」
竜之助に向かって駆け出した
「…やっぱりか;」
京助が漬け物をかじる
「あるじー!!あるじー!!」
「よくここがわかったなーお前たち」
竜之助の腰に抱きついて泣きじゃくる阿分
「探したあるーすっげぇ探したあるよー」
「ずっと探してたあるよー」
「はっはっは何だお前たちその話し方」
笑いながら竜之助が阿分の頭を撫でた
ぷす
「…ハルミ痛い」
お盆に追加のおかずやらを載せてきた母ハルミが箸を竜之助の頬に刺した
「その子達…どうしたのかしら? 竜之助?」
「こいつらは俺の式」
「ゼンらと一緒だやな?」
「やっぱりね…」
母ハルミに答えた竜之助の腕にいたゼンが竜之助に聞くと竜之助が頷き矜羯羅が味噌汁を啜る
「なんだ?矜羯羅見たことあるだろう?」
「…知らないよ」
「迦楼羅」
「知らん」
矜羯羅と迦楼羅に続けて否定された
「おかしいなぁ…乾闥婆…」
「…すいませんが」
「おいちゃんも知らないよ」
竜之助が迦楼羅の隣にいた乾闥婆に聞くとその隣にいた烏倶婆迦も(うぐばか)一緒に答えた
「主…あいつは沙汰様じゃねぇあるか?」
「主…あいつは乾闥婆っていうあるか?」
再び阿分が口にした沙汰という名に乾闥婆が俯く
「あいつは乾闥婆だ…あ、そうか阿分お前たちちょっと元にもどれ」
「わかったある主」
何かを思い出した竜之助に言われた阿分がクルッと宙返りした
「あ」
阿分がいたところには子犬くらいの大きさの狐のような白と黒の獣
それぞれに白2本黒2本の計4本の尻尾があった
「これならわからないか?」
竜之助が改めて聞くと迦楼羅と矜羯羅、制多迦たちが獣を指差し頷いた
「あなたたち…は…」
「乾闥婆も知ってるの? 前の【時】にいなかったのに」
烏倶婆迦が乾闥婆に聞くと京助が乾闥婆を見た
「え…乾闥婆…お前前の【時】にいなかった…って…でも前の【時】の事…」
「とにかく!!」
乾闥婆に聞いていた京助の言葉が母ハルミによって切られる
「朝ご飯食べちゃって!!竜之助も座る!! …阿分ちゃんたちは何か好きな食べ物あるかしら?」
母ハルミが阿分に優しく聞いた
「豆腐ある」
阿分が揃って答える
「はいはい」
母ハルミが笑って茶の間から出ていった
「…つまりは…」
茶の間中の視線が竜之助に集まった
「はっはっは」
「はっはっはじゃないでしょ」
笑った竜之助の頬を母ハルミが引っ張る
「前の【時】の時に阿分を出して…回収するの忘れてた…と」
矜羯羅がちらっと阿分を見て言った
「そうある」
「我らそれからずっと主探してたあるよ」
ちんまい狐の姿のまま阿分が頷く
「はっはっは」
竜之助が笑い母ハルミが今度は無言で頬を引っ張った
「それから…ってことは前の【時】から…?」
「まぁざっと千ン百年くらいになっしょ」
「阿修羅」
いつの間にか茶の間の戸口に立っていた阿修羅がよっと手を上げた
「阿修羅様!!」
「阿修羅様ある!!」
阿修羅の姿を見るなり阿分が駆け出し阿修羅の肩に登った
「久しゅー阿分」
阿修羅の顔にすりよる阿分
「ったくアンタって人はいっつもやったらやりっぱなし出したら出しっぱなし…変わってないわね」
母ハルミが呆れる
「はっはっは」
竜之助がコマイヌを撫でて笑った
「…なんか…竜って想像してたのと違うっちゃ」
ぼそっと緊那羅が言う
「違う…?」
「強い…っていうか要とか聞いてたからもっとこう…偉そうとか…近づきにくいとかいうのかなって…」
「…まぁ確かに強そうって感じはしねぇよな」
京助が緊那羅に同意した
「強そうって言うよりは母さんに尻に敷かれてるし…ユルいし」
鼻をほじりながら京助が竜之助を見る
「京助の…お父さん…なんだっちゃね」
「あー…まぁ…そうなんだろな」
緊那羅も竜之助を見た
「…竜…」
自分の中にも【竜】の力がある
その印が色の違う前髪
その前髪を緊那羅が触った
チリン チリン
小さく小刻みに鳴る風鈴の下 乾闥婆が雲ひとつない青空を見ている
「沙汰…ごめんなさい…ごめんなさい沙汰…」
小さく謝る乾闥婆の青く大きな瞳には空が写っていた
「私は…ごめんなさい…沙汰…」
乾闥婆の頬を涙が伝う
「乾闥婆」
背中に声をかけられ乾闥婆がぴくっと肩を動かした
「迦楼羅…」
「隣いいか」
「…はい」
振り返らず答えた乾闥婆の隣に迦楼羅が腰を下ろした
「…懐かしい名を聞いたな…」
「…そうですね…」
「沙汰…」
「…いい子でした…」
「ああ…」
静かな会話
静かな風が2人の髪を揺らす
「乾闥婆…」
「迦楼羅…私は…私はっ…」
乾闥婆の肩が震える
「私はあなたの…っ…」
ガサッ
明らかに何かが垣根の草を鳴らした
ハッとして迦楼羅と乾闥婆が顔を向けるとそこには爽やかに微笑む柴田と坂田、南と中島の首から上がこちらを見ていた
「おかまいなく」
「おかまうわッ!!!;」
ハッハと笑いながら4人が言うと迦楼羅が怒鳴った
麦茶に入れられた氷がカランと音をたててコップの底に落ちていく
「密度たっけぇ…;」
八畳の茶の間に対して明らかに定員オーバーな人数
「二酸化炭素濃度高いねぇ; 暑い暑い」
南がシャツの首元をバフバフさせながら言った
「もう少し広い場所に移動するとかしねぇのかよ;」
「俺もそう思うんだけど…誰も動かねぇし;」
坂田が言うと京助が麦茶を飲み干して言う
「てか何でみんなここにいるのかわからん」
そういいながら京助が何気に制多迦を見るとヘラリと笑いながら首をかしげた
「やっぱあれか…? 何かこう…重大発表とかあるかんじ?」
中島が言う
「重大発表ねぇ…; 重大かはわからんが…ペットが増えました?」
「ペット?」
氷を口に入れた京助が指差した方を三馬鹿が見た
制多迦があぐらをかいた足の上にはコマとイヌ
その尻尾に埋まって見えたのは阿分
「…狐?」
「ちっせぇ…」
「めごい…」
南がほわ~んと幸せそうに顔を緩ませた
「ムツゴロウ王国でも作る気か?」
「作る気ねぇし;」
京助がガリガリと氷をかじる
「暑いよ」
「そりゃこんだけ人数いるんだもんのー; 仕方ないっしょ」
不機嫌っぽく言った矜羯羅に阿修羅が苦笑いで返す
「どこいくんだ?」
「便所」
「晩御飯までには帰ってきてね」
立ち上がった京助に坂田が聞いて南が茶化す
「体中の水分をオションで出せというか」
言いながら京助が襖に手を伸ばすと襖が開いた
「なんだまだみんなここにいたのか暑くないかこんだけ密集して」
開けたのは竜之助
京助が竜之助を見上げる
「なんだ京助? どうした?」
「便所」
「ちゃんと流してこいよ?」
「わかっちょるわ;」
竜之助を避けて京助が廊下に出た
「…さて…」
竜之助が茶の間を見渡した
「何でこんな集まってるんだ?」
竜之助が茶の間にいた一同に聞く
「何で…って…」
南がちらっと柴田を見る
「さぁ…俺たちは来たばっかりですからね」
柴田が今度はちらっと制多迦を見た
制多迦はへらっと笑い首をかしげる
「え…じゃあなんだお前たち意味なくこんな暑っくるしいとこにいたわけか?」
「や…何か話とかあるんじゃないかとか…思っちゃってた…りして…;」
「話?」
坂田が躊躇いがちに竜之助に言うと
「ないぞ?」
「ないんかい;」
竜之助がさらっと言い切り阿修羅がため息をついた
「麦茶のおかわり…って…竜?」
「お緊那羅」
麦茶のピッチャーを持った緊那羅が竜之助に声をかけると竜之助が笑いながら道を作る
「入らないんだっちゃ?」
「入ろうとしたんだけど暑っくるしいから」
茶の間に入ると緊那羅がピッチャーをテーブルに置いた
「…あれ?」
「京助なら便所」
「えっ;あ…うん」
聞こうとしていたことの答えを先に中島に言われたらしい緊那羅が苦笑いをする
すっと矜羯羅が立ち上がった
「…んがら?」
制多迦が声をかける
「…ここにいても暑いだけだから」
少し汗ばんだ額にくっついていた前髪をかき上げながら矜羯羅が茶の間を出ていった
「どこいっても暑いと思うんだけどなぁ;夏だし」
「まぁこの部屋よりは涼しいだろ;」
「俺らも避難する?」
三馬鹿が避難相談をしはじめた
涼しさを求めてなのかそれともただ足が向いたのか矜羯羅が足を止めたのは縁側がある和室の前
開けっぱなしの襖
部屋の中に入ると軒下で揺れた風鈴が鳴った
磯の匂いを微かながら含んだ風
それを矜羯羅が深呼吸して吸い込む
ゆっくりと矜羯羅の長いまつげが伏せられた
「…座ったらどうですか」
「いたの」
柱を挟んでかけられた声は乾闥婆のものだった
「いたら駄目ですか」
「相変わらず可愛げないよね」
「それはどうも」
柱越しに淡々と続く会話
「…大丈夫なの?」
「…何がですか…」
淡々とした会話のあとに矜羯羅が聞くと少し間を開けて乾闥婆が聞き返した
「…大丈夫ですよ僕は…」
矜羯羅の返事を待たずに乾闥婆が答える
「そうは見えないけど」
いつの間にか庭に降りていた矜羯羅がしゃがんで乾闥婆の顔を下から覗きこんで言った
「…痛いよ」
「驚かせないでください」
ぐぐぐっと乾闥婆が矜羯羅の頭を押し付けた
「僕は大丈夫です」
ふっと押し付けていた力が緩くなって矜羯羅が頭をあげると廊下に向かう乾闥婆の背中
「…」
ゆっくり立ち上がった矜羯羅が空を見上げ眉を下げた
「後悔…って…本当に後からくるんだ…」
「…んがらみっけ」
独特の話し方
「…にか見えるの? 空」
「重いよ」
矜羯羅の頭に制多迦がクロを乗せて空を見上げる
「…い天気だねー…」
「制多迦」
「…に?」
「…何でもない」
矜羯羅の頭の上のクロがふんふんと鼻を動かす
チリンと小さく鳴った風鈴
「あっ矜羯羅様! 制多迦様っ」
慧喜の声に2人が振り返るとそこにはずるずるとビニールプールを引きずってきた慧喜と慧光、そして悠助と烏倶婆迦がいた
「コンちゃんとタカちゃんも遊ぼー?」
「遊ぶ?」
「涼しくなりますよ」
悠助が矜羯羅に抱きついて笑う
「水入れるナリよ」
ホースをもった慧光が蛇口のところにいる烏倶婆迦に合図するとキュッと烏倶婆迦が蛇口を回した
ホースの中に水が流れまるてホースが生きているかのように動きだす
しばらくしてホースから流れ出てきた水がビニールプールに入った
「ほらほらコンちゃんっ」
悠助が矜羯羅の手を引っ張ってビニールプールの近くに来た
「入ってください矜羯羅様」
「制多迦様ーこっち来てくださいナリー!!」
慧喜と慧光が2人をビニールプールに招く
呼ばれた制多迦が庭に降りて矜羯羅の隣に来ると矜羯羅の頭に乗っていたクロがぴょんと制多迦の頭に飛び移った
「入ってください矜羯羅様、制多迦様」
烏倶婆迦が2人を見上げる
悠助にも慧光にも慧喜にも同じように見上げられて制多迦と矜羯羅が顔を見合わせると制多迦がへらっと笑った
「
んじゃま京助の部屋いくか」
避難先が決まった三馬鹿が立ち上がる
「ラムちゃんもドゥ?」
南が緊那羅に声をかけた
「おーいってこい」
竜之助がクシャクシャッと緊那羅の頭を撫でる
「若いものは若いもの同士年寄りは年寄り同士」
ハッハと笑う竜之助
「年寄りていやぁかるらんどしたんかの」
「乾闥婆の側にいるんじゃないか?」
「僕がどうかしましたか?」
戸口にいた三馬鹿の向こうから乾闥婆の声がした
「迦楼羅は?」
柴田が聞く
「…散歩に行きました」
「散歩?」
「いい天気だからと」
三馬鹿が避けると乾闥婆が茶の間に入る
乾闥婆の顔を見た緊那羅が立ち上がると
「乾闥婆ちょっと来てくれっちゃ」
「えっ…」
乾闥婆の手を掴み茶の間を出ていった
「おーい緊那羅ー?;」
中島が緊那羅の後ろ姿に呼び掛けたが緊那羅は振り返らないままいってしまった
「もてもてやんきに乾闥婆」
阿修羅が笑う
「…俺らもいくか?」
「んだな」
坂田が歩き出すと中島と南もそれに続いた
茶の間の隅で団子になって寝ているコマイヌと阿分
そして阿修羅と竜之助と柴田
「一気に密度減ったな」
柴田が笑う
「…じゃ…始めるか」
「やっぱ話あるんかい」
あぐらをかきなおした竜之助に阿修羅が突っ込んだ
緊那羅の部屋で緊那羅を待つ乾闥婆
「はい」
やってきた緊那羅が差し出したのは濡れたタオル
「目…赤いっちゃ」
「…ありがとうございます…」
タオルを受け取った乾闥婆が静かに目にタオルを当てた
「乾闥婆…」
「なんですか?」
「私は何も知らないからあれこれいえないっちゃけど…あの…ね…」
きゅっと緊那羅が両手を握りしめ乾闥婆を見た
「たまには…甘えていいと思うっちゃ…迦楼羅に」
ぴくっと乾闥婆の肩が動く
「なんだか私には乾闥婆と京助が重なるんだっちゃ…甘えたくてもどう甘えたらいいのかわからないみたいに…迦楼羅だって…」
「僕に…迦楼羅に甘える資格なんかありません…僕は迦楼羅の罪なんです」
乾闥婆がタオルで目を押さえたまま言う
「そのワシが甘えろといっているのだ」
網戸になっていた窓から声がしたとおもったら吹き込んできた風
そして網戸を開けて入ってきたのは迦楼羅
「緊那羅」
「…うん…その前に靴…」
土足で畳に降りた迦楼羅が靴を脱ぎ緊那羅がそれを受けとると部屋から出ていった
「…今だけでもいい…甘えてくれないか」
「……嫌です」
「乾闥婆」
「…いや…です…」
「乾闥婆」
「…っ…」
優しい声で名前を呼ばれ二回目は返事ができなかった
「他の者には…甘えて欲しくないのだ…弱い所も見せて欲しくないのだ…」
迦楼羅が乾闥婆の頭に手を置く
「乾闥婆…名前を…呼んでくれ」
「…っ…か…るら…」
絞り出したような声で乾闥婆が迦楼羅の名前を呼ぶと大きな手で包まれた
大きくなった迦楼羅が乾闥婆を包んで抱き締める
小さな乾闥婆の体
「かるら…」
小さな乾闥婆の声
「ああ…」
迦楼羅が返事をすると乾闥婆が迦楼羅の服をつかんだ
手を洗ってズボンで手を拭った京助が顔を上げると鏡に映った自分を見る
頬を引っ張ってみる
髪の毛にさわってみる
変な顔をしてみる
鏡の中でも同じことになっている
「…俺なんだな…」
ぼそっと言った京助
朝に考えていたことをまた思い出していた
もしこれが【夢幻】だったとしたら?
【夢幻】だったとしたらどうする?
【夢幻】だったらいつかは【現実】に帰らないといけない
だったら…
「うっしっ!!」
京助が気合いをいれて鼻息を出した
いつかは【現実】に帰らないといけないならそれまで悔いのないよう【夢幻】の中でやればいいだけのこと
だってそれは【現実】だった時でも悔いはしないから
「あらあら涼しそうね」
洗濯物をかごに入れてやってきた母ハルミが笑いながら庭に降りた
水の入ったビニールプールに少し狭そうに入っているのは制多迦と矜羯羅
「ハルミママー」
「おいちゃん手伝うよハルミママ」
たたたっと烏倶婆迦が母ハルミに駆け寄った
「慧光ちゃんホースもってるついでに庭にも水まきしてくれないかしら?」
「はいナリ」
だいぶ高く上がった太陽がじりじりと照らす地面に水がまかれる
キラキラと光をうけた水が地面に落ちるとその部分だけ色が濃くなった
迦楼羅の靴をもって玄関に向かっていた緊那羅が庭から聞こえてくる楽しげな声につられるように縁側の和室に行き先を変えた
「緊那羅?」
「あ…京助…」
ばったりと和室の前で京助と会った
「何持ってん」
「迦楼羅の靴だっちゃ」
「鳥類…また窓から入ってきたんか;」
京助が言うと緊那羅が苦笑いを向けた
「なんかずいぶんキャッキャしてんな」
「うんだからちょっと見にきたんだっちゃ」
話ながら和室に入ると洗濯物を干している母ハルミの姿が見えた
「私ちょっとハルミママさん手伝ってくるっちゃ」
「うぃよ」
京助に迦楼羅の靴を手渡した緊那羅が庭に降りると左の方を見て暫し止まる
何かを見たのだろうと思った京助が縁側に出た
「…何してんだお前ら;」
「…や…入れっていわれたから」
2人してビニールプールに入っていた制多迦と矜羯羅を見て京助が聞く
「実にシュールな光景だぞお前ら…;」
「京助ー遊ぼー」
悠助が縁側に駆け寄り京助を見上げた
「遊ぼーっても…ナァ;」
「海でもいけばいいじゃない? 坂田君たちも来てるんでしょ?」
パンッと洗濯物のシワを伸ばしながら母ハルミが言う
「そしてお昼は海で食べましょ? あとから母さんたちもいくから」
【お昼は海で食べましょ】という母ハルミの言葉に矜羯羅が反応して京助を見た
「海ー!!」
「海いくの? 悠助」
万歳した悠助にくっついて慧喜が聞く
「んじゃ俺らは先行ってりゃいいのな」
「父さんたちにも声かけておいて頂戴ね」
母ハルミにいわれた京助
「…ああ」
少し間をあけて返事をした
まだ慣れていない【父さん】
呼ぶときもやっぱり躊躇ってしまう
恥ずかしいとかそういうのではないのだが
嫌いとかそういうのでもなく
人見知りは全然ないと思う
緊那羅や矜羯羅たちとはこんなことはなかったし
茶の間の前まで来た京助が息をはいて襖を開けた
「お? 京助」
「やぁ京助君若たちなら君の部屋にいってるみたいだよ」
開いた襖
立っていた京助に竜之助と柴田がほぼ同時に言う
その声に反応してなのか偶然なのかコマがあくびをした
「昼は海で食うって母さんが」
「ほーいいねぇ」
阿修羅が笑う
「俺ら先いってるから」
「ああわかった」
やっぱりまだ何となくやりずらい
うまく言葉が繋がらなくて無意識に京助がうつむいた
「京助」
「…なんだよ」
「毛は生えたか」
竜之助が笑顔で聞くと京助が固まる
「若はまだだと思うんだ」
「毛は生えてなんぼやんきに」
「で? どうなんだ京助」
再び聞いてきた竜之助に京助が口をぱくぱくさせ
「知るかッ!!!!;」
怒鳴って襖を閉めた
ダンダンと強く廊下を踏みながら歩く京助
その音が遠ざかっていく
「…相変わらず流すのがうまいのお前」
阿修羅がククッと笑って竜之助を見た
「流す? 俺はただ本当に毛が生えたかどうか知りたかっただけだが」
「京助君はたぶんもう生えてるんじゃないかなと」
「…なんでそう思うん;」
柴田が笑顔で言うと阿修羅が突っ込んだ
「今度一緒にに風呂でも入ってみるかな」
竜之助が天井を見上げた
あんなに小さくて
あんなに泣き虫だったのに
「…七年…か…」
呟いた竜之助
「大きくなったよ京助君も若も」
柴田が言う
「どんどん成長していつかは親になって…か」
「親ねぇ…」
「年寄りくさい会話だな」
しんみりと言った竜之助と阿修羅に柴田が突っ込む
「親といえば清浄…お前は? こっちにいるなら結婚とかしていいと思うが」
「俺は若がいるからな…お前が京助君たちを守りたかったように俺は若の幸せを守りたくてな」
嬉しそうに柴田が言った
「七年前…お前が帝羅の攻撃から京助を助けてくれたんだろう?」
「…だがそのかわり…緊那羅…いや操が な…まさかあそこで操が京助に駆け寄っていくなんて…帝羅の攻撃に飛び込んでいくなんてな…」
七年前
京助に向かって放たれた帝羅(てら
の攻撃
柴田こと清浄は帝羅の攻撃から京助を守ろうと瞬時に京助に向けて保護の術をかけた
それで完全ではないにしろダメージは和らぐ
少しの安堵感の次の瞬間
清浄の術がかかった京助を抱き締めた細い体が京助ごと吹き飛ばされた
狭い背中に直撃した帝羅の攻撃
その光景を思い出した柴田が苦い顔をする
「…京助君がいなくなったら若が悲しむからな」
ぐいっと柴田が麦茶を飲み干した
ドスドスという足音がだんだんと近づいてくる
「何か来たみたい」
京助の机の椅子に座っていた南が言った
「床抜けるんじゃね?」
中島が戸口を見るとすぐ襖が開いた
「よ」
坂田が片手を上げると京助も片手を上げる
「なんか海いくことになったんだけど」
「海?」
「何でまた」
京助が言うと坂田と南が聞き返す
「母さんが昼は海で食うとか言い出して」
「ほほーういいねぇ」
「海なら多少涼しいしねぇ」
坂田と南が立ち上がった
「でも海パン持ってきてねぇし」
中島も立ち上がる
「取りに帰るの面倒くせぇしこれでよくね?」
ぞろぞろと廊下を歩く三馬鹿と京助を追いかけるように聞こえた足音
「京助」
「おっラムちゃん」
緊那羅が小走りでやってくると京助に並ぶ
「…なんだか落ち着く光景」
並んだ京助と緊那羅の背中を見て中島がボソッと言うと南が頷いた
「私はあとからいくっちゃ」
「あー…んなら先に行くのは俺らと庭にいた奴ら…鳥類と乾闥婆はどうすんだべ」
「私が声かけてみるっちゃ」
「んなら頼むわ」
緊那羅が笑顔を残してまた駆けていく
「お前らもう夫婦れ」
坂田が京助の脇腹に手刀をぶちかました
「無駄にイチャイチャしやがって」
「なにがじゃッ!!;」
脇腹を押さえた京助が怒鳴る
「別にいつも通りだろ; イチャイチャしてねぇし」
玄関でサンダルを履くと戸を開けた
「遅いよ」
「はやくはやくー!!」
待っていた悠助たちが急かす
「よーし!!行くか」
坂田が駆け出してそれに南と京助、中島の順で続いた
チリンと風鈴が鳴る
静かになった家の中
仏壇に手を合わせる緊那羅が顔を上げた
「…操…」
綺麗に畳まれたタオルを手に取った
自分が知らない昔の自分
ただわかるのは【京助】が大切だという共通の想い
「緊ちゃーん?」
「あはーいっ」
母ハルミに呼ばれて緊那羅がタオルを仏壇に戻す
「…」
タオルから手を離した緊那羅がポケットから取り出したのは使い捨てのカメラ
レンズを真っ直ぐ見た緊那羅がシャッターのボタンを押した
「緊ちゃーん? いくわよー?」
「はーいっ」
カメラをポケットにしまった緊那羅が小走りで部屋から出ていく
チリンとまた風鈴が鳴った
蚊取線香の匂い
電気はつけていない
自分の部屋に向かおうとしてどうしてかここに来てしまった
小さい頃は怖くて覗くのも嫌だった和室の隣の仏間
別に霊感があるとかじゃないのだけれど
今思うとどうしてあんなに怖かったのかすらわからない
綺麗に畳まれたタオルを手に取る
「京助…?」
いきなり名前を呼ばれて不覚ながらビビったらしい京助がタオルを落とした
「何してるんだっちゃ?」
「別に」
落としたタオルを元の場所に戻した京助が戸口に向かう
「お前こそどうしたよ」
「あ…風呂…」
「帰ってきて入ったからいい」
緊那羅の横を通った時香ったのは柚子の匂い
何でか少しドキッとした気がした
「…なんだよ;」
「えっ; あ…や;」
緊那羅の手が京助のシャツをつかんでいた
あわてて手を放した緊那羅
京助から数歩離れてうつむく
気まずいというかぎこちないというか
どうしたらいいのかわからない
どちらも動くことなく数分
「…髪乾かせよ」
京助が言った
「…うん」
そこでまた途切れた会話
続く沈黙
うつむく緊那羅の頭に京助が手をおいた
「おやす」
緊那羅の頭から離れた京助の手
「おっ おやすみだっちゃ」
あわてて振り返った緊那羅が見たのはひらひらと手を振りながら歩いていく京助の後ろ姿
それが見えなくなると緊那羅も歩きだす
途中仏間を覗き込んで少し止まってまた足を進めた
なんとも言えない気持ちで胸が満ちている
泣きたいような嬉しいような
「…強くならなきゃ…」
緊那羅自分に言い聞かせるように呟いた
チリンチリーン
二回風鈴が鳴った