第五章 鬼塚黛兎
どこかで犬の遠吠えが聞こえる。
それ以外は静かで、津季の瞳から流れる涙の音さえも聞こえそうな程だった。
「…俺は、柚綺を一番大切に想っていた。お前、言ったよな?柚綺が自分から俺を奪ったって。だったらお前は俺から柚綺を奪ったコトになんだよ?もう、二度と話せない、触れられない、遠いところに柚綺を閉じ込めたんだぞ…?それなのに、お前はこのコトの重要さに気づかねぇのかよ!?」
「…気づかないわよ…。…他人のコトなんて…。私はただ黛兎が好きなだけなのに…。どうして私だけいつも、上手くいかないの…?もう、イヤ…。」
その言葉で、黛兎はまた柚綺を思い出した。
『津季先輩も、ただ一途に黛兎先輩を想っていた…。それが歪んでしまっていただけだったんです…。』
さすが柚綺…。
ちゃんと津季のコトもわかってたんだな…。
と、その時。
不意に津季が、黛兎が気になっていた右ポケットに手を入れた。
スゥ…
音もなく取り出されたのは……折りたたみ式のナイフ…―。
黛兎の嫌な予感が当たっていた。
津季は、黛兎に震える手でナイフを向けた。
「あなたが…私のものにならないのなら…私はあなたを…殺す…。」
黛兎の心臓は大きく高鳴っていたけれど、覚悟はできていた。
「…殺したいのなら殺せよ…。…俺には死ぬ覚悟ぐれぇできてんだよ。ただ、お前にこれ以上罪を重ねさせたくはねぇ。…もうこれはお前の判断だ。…好きにしろよ…。」
津季は大きく見開いた瞳から涙をボロボロ流しながら言った。
「ど、どうせ…口だけ…なんでしょ…?わかってるよ…、…あなたに…死ぬ勇気なんて…ないわ…。…抵抗するに…決まってる…。」
津季の手がさらに震え、刃先まで小刻みに揺れている。
「…俺は本気だぜ…?」
黛兎は薄い笑みを浮かべて津季を見る。
「そ、そんなはず…ないわぁぁぁぁっっ!!!!!!!!!」
パニック状態に陥った津季がナイフを両手で握って、黛兎の方へ走り出した。
ナイフはしっかり黛兎の心臓を狙っている。
「……。」
―ズッ……ブシャァッ
ナイフは黛兎の心臓をひとつきし、紅に輝く鮮血を味わった。
黛兎はピクリとも動かずに、たたずんでいるだけだった。
「ひゃぁっ…」
津季は慌てて黛兎からナイフを抜いた。
「…お前は…その道を…選んだのか…。」
津季は腰が抜けて動けなくなっていた。
「ど、どうして…避けなかったの…っっ!!?」
「だから…言っただろ…?死ぬ覚悟ぐれぇできてるって…。」
黛兎の身体がグラリと傾き、膝をついてそのまま地面に倒れ込んだ。
傷口と口から血が溢れ、黛兎の体力をどんどん奪っていった。
「…い、いやぁぁぁぁっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
津季は地面が裂けるような悲鳴を上げて、公園を後にした。
黛兎は津季の後ろ姿に力を振り絞って声をかけた。「津季なら…また新しい人生を…やり直せる…はずだ…。お前は…俺が…惚れたコトがある…女だから…。」
その言葉はきっと津季に届いたはず…。
黛兎は重い身体を動かして空を見た。
いつの間にか雲が晴れていて、綺麗な星たちがそれぞれ美しく輝いていた。『先輩。』
頭の上の方で、聞き覚えのある、懐かしい声がした。
「…柚…綺…?」
そこには、透明に輝く柚綺の姿があった。
『先輩、一緒に行きましょう…。』
気がつくと、もうすでに黛兎の意識は身体から離れ、星空に近くなっていた。
「ホントに、柚綺なのか…?」
「何言ってるんですか。当たり前じゃないですか。」そう言う柚綺の瞳は涙で潤んでいた。
「何泣いてんだよ。」
「だって…やっと…先輩に会えた…から…。」
黛兎は優しく柚綺を抱きしめ、頭を撫でた。
「…先輩…っっ、寂しかったです…。」
「泣くなよ…。もう俺は柚綺から離れたりしない。今度こそお前を守り抜くから…。だから柚綺も、…ずっと俺のそばにいてほしい…。」
大粒の涙を黛兎の腕の中で流す柚綺をさらにつよく抱きしめる。
「…先輩の迷惑でなければ私はずっと先輩のそばにいます…。」
「迷惑なわけあるかよ。」
黛兎はそっと柚綺を自分から離して見つめた。
「…キスして…イイ…?」
「…はい…。」
2人は、邪魔のない、静かなキスを交わした。
今までのように、様々な感情が入り組んだ状態ではなく、真っ直ぐに互いのコトだけを考えて…。
2人はたくさんの星が煌めく方へゆっくりと飛び立った。
時間が止まっているかのように静かな世界の中で今、2人は地上の存在から、星空の存在となる。
「…ねぇ、先輩。」
「ん…何?」
不意に柚綺が口を開いた。「先輩とずっといれるのはすごく幸せですけど、…家族が悲しんでいるのを見るのは辛いです…。」
柚綺はうつむいた。
「そうだよな…。でも大丈夫だって。だって俺らはこれから寂しく暮らすわけじゃないだろ?確かにもう家族や友達とは一緒にはいれないけど、一人じゃないし、一番大好きな人がそばにいてくれるんだから。家族のコトを忘れなければ、きっと家族にも伝わるよ。こっちで元気に暮らしてるから心配すんなって思ってるコト。」
「…そうですねっ。」
柚綺はいつもの笑顔を見せた。
何にも囚われていない、明るい前向きな笑顔。
しっかりとつながれた2人の手。
柚綺と黛兎、それぞれの人生は幕を閉じてしまったけれど、2人の人生は今始まったばかりなのである。
あの日のすぐ後に、黛兎は発見された。
―まだ犯人は発見されていない。
柚綺の親友の里河実榎は、柚綺の両親にお願いをしに行った。どうか、柚綺と黛兎の葬儀を一緒にしてほしいと…。
さすがにそこまでしてお願いされては断れない、それで柚綺が少しでも幸せになれるなら、ということで、2人は同じ日に同じ場所で火葬をされるコトになった。
葬式も、告別式も全て2人一緒に行われた。
火葬場には、―津季の姿があった。
棺の中で静かに眠っている柚綺と黛兎を見たとき、津季の瞳から涙が溢れた。―この2人の生命は私が奪ってしまった…。
津季はそのまま火葬場を後にした。
向かった先は…警察署。
「私、人を2人殺しました…。」
それに対応したのは、里河平作警部…実榎の父だった。間もなく津季に逮捕状が出され、取調室に連れられていった。
「私は、同じ高校の部活の先輩と後輩を殺しました…。私、初めは気が狂ってて、自分が犯した罪が悪いと思わなかったんです。でも、2人の棺の中の顔を見たら…私…」
平作は、泣き出す津季を厳しい瞳で見つめたが、優しい口調で言った。
「お前が犯した罪は、許されるものではない。だがな、自分の罪を認めて正直に申し出たことは、お前の中では大きな進歩だと思う。これから詳しく取り調べていくから、正直に供述してくれ。」
「…はい…。」
次の日の朝、この事は新聞でもニュースでも、大きく取り上げられた。
[男子高校生殺人事件、犯人は女子高生]
◯日の深夜、××公園で鬼塚黛兎さんの遺体が発見された事件で、同じ高校に通う女子高生が警察署に出頭し、逮捕された。動機は恋愛感情のもつれで、女子高生はこの事件の数日前にも、同じ高校に通う1年生を車道に突き飛ばし、死亡させていたという。
本人は、「犯行当時は気が狂っていて、本当の自分ではないみたいだった。本当に2人には悪いことをしてしまった。いくら反省しても足りないと思うし、自分の勝手な感情のせいで尊い命を奪ってしまったことを本人たちにはもちろん、家族の方々や友人にも謝罪したいと思う」と供述している。
黛兎が津季にかけたあの言葉の影響は大きかったのかもしれない。
《第五章・終》




