9 Florida City, FL FLORIDA'S TURNPIKE Exit1
94マイル地点、ウェストパームのサービスプラザでランチを済ます。
「マイルが二桁に減った。ここまで来るともう東の海岸線に沿ってきてるの。あと一時間でマイアミを通過して、それからは忍耐のUS-1」
「忍耐の」
「そう。あたしが思うにあの区間は、セブンマイルブリッジに向けた爽快感増幅装置。フロリダ政府の意地悪で粋な計らい」
プラザの壁に掲示された地図上をルイの指が上下へなぞる。
「この赤い線はI-95だろ? 並走してんのにターンパイクを選ぶ理由は?」
「あたしが正しい選択をしてるか確かめたかったら、I-95でマイアミの大渋滞に巻き込まれてみる?」
「いいえ、ご主人様」
軽い昼食のあいだに駐車場の車は熱気の箱と化し、ハンドルは熱くて握れない。窓越しでさえ日差しは乱暴なほど強く、長袖をまくったルイの腕がちりちり痛む。
隣にいる涼やかなリゾートウェアで肌を晒す娘が正しい服装を選択しているのを、ルイは身をもって確かめさせられていた。
14ドル弱、1ドル、1ドル、1ドル――マイアミ近辺では頻繁に料金所が行く手を塞ぎ、細切れに料金を徴収していく。
エアコンとラジオがあるだけマシなくらいの最低装備しか持たないレンタカーのウィンドウは手動で、料金所をくぐる度にルイの左手は忙しく動き回らされた。
「ハンドパワー・ウィンドウ! 君の左腕、明日には太くなってる」
「I-95の渋滞を回避するためには正しい、快適な選択だな。窓を開けなくていい助手席にいるならね」
「あたしは逞しい腕、大好き」
タバコを灰皿に押し潰し、くそっと呟く態度とは逆にルイは笑っていた。
マイアミの都市部を迂回してやり過ごしたターンパイクは、壁をベージュともピンクともつかぬ色で統一された郊外の新興住宅地を見渡しながらマイル数のカウントダウンを始める。そして300マイルの果てにUS-1へ合流した。
「ガスは充分ある? この先、キー諸島を進むほどに値段が高くなっていくの。店のない地域の方が圧倒的に長いから気をつけてね。炎天下でガス欠したら干からびちゃう」
「その時は後続車へ女の武器を発動しろ」
「後続車が男性同性愛者だったら?」
「俺が行くか。……なに驚いてんだよ、俺はゲイじゃない。けどあんたの口癖は、一度試してみたら反対意見は二度と言わせない――じゃなかったっけ」
ウェンディーズ、テキサコを最後に不意に商業地帯が途切れた。がらんとした視界が開ける。空、防風林の低い潅木、その隙間から垣間見える草混じりの湿地帯、電線、以上。
道路は片側一車線ずつに絞られ、中央にはべったりと切れ目のない黄色いラインが引かれている。その意味を明示する二等辺三角形の標識が車窓を通り過ぎた――NO PASSING ZONE、追い越し禁止区域。
それでも追い越しをかけようとする車が多いのだろう。ご丁寧にも、この区域で今年何人が致命的な事故に遭ったかが大きく掲示されている。
それまでI-75とフロリダ・ターンパイクを時速85マイルで飛ばしてきたルイにとって、時速70マイルに低下しトラックで視界を阻まれる事態は苦痛そのものだ。
ルイの手の甲がハンドルを叩いた。
「忍耐のUS-1、か。ちっ、このまま延々と追い越し禁止なんて腹の立つ話――」
PATIENCE。
緑地に白でくっきりと書かれた標識が現れた。運転しながら読み取れるように、単語ごとに間隔をもって設置されている。
「PATIENCE――PAYS――ONLY――3 MINUTES――TO PASSING ZONE」
「追い越しゾーンまでたった三分。我慢、我慢」
助手席からのわざとらしくいかめしい声に、ルイは歯ぎしりした。
「やられた。フロリダ政府もあんたも、先手を取りやがって!」
「あはは! この道って最高」
サンダルをばたばた打ち鳴らして笑う娘にルイはただ降参するしかなかった。
「ご主人様の退屈しのぎになったようで、光栄にございます」
「うむ、君はいい運転手のようね」
防風と防潮と防砂を兼ねた潅木の向こうの湿地帯は、草よりも水面の面積が増加し始める。
前触れもなく助手席から伸びた手が、ルイのサングラスを強引に回収した。強烈な日差しが眩しいのかと思えば、娘はそれを後部座席に放り込んでしまった。
「わざわざ暗色フィルターかけるなんてもったいない、本当の色を楽しんで」
「空の? スモッグがないことは分かったから、そいつを返し――お」
潅木の隙間をブルーグリーンが埋めた。水平線まで達しても空の青と混じることのない、あまりに鮮やかなエメラルド。
くすんだ草色の湿地帯を抜けた直後の海は、忍耐への褒美に充分すぎた。
「君の口から感嘆詞が聞けて嬉しい」
「なにをどうしたら、海水があんな色になるんだ」
ルイは我ながら呆けた台詞だと思ったが、車窓へ向ける目も、予期せぬ感動をごまかす気力も奪われていた。
「だってフロリダだもん!」
明るい即答は答えにならない答えだ、とルイの頭のどこかは否定する。けれど耳は、ああそうだなと同意の呟きを聞いていた。