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Mile Zero  作者: シトラチネ
本編
7/22

7 Kissimmee, FL FLORIDA'S TURNPIKE Exit244

 整備された三車線の有料道路を車は快適に飛ばす。

 オーランド周辺はディズニーワールドを目指す車で交通量が増えたものの、ようやくそれをやり過ごしてゆったりと車間を取り始めたところだった。空が低く灰色に降りてきて、たちまちフロントガラスに大粒の雨を叩きつけ始める。

「うわあ、君は嵐を呼ぶ男? あたしこんな場所で雨にあったことなんかないのに」

「雨ってレベルを超えてんな、スコールだな。マジで見えないぞ」

 それまでのんびりと片手運転していたルイだったが、タバコを揉み消し、シートに座り直して前方を注視する。まるで奥深い滝に突っ込んでしまったかのように視界は白く制限され、前を行く無灯火の車が急に速度を落とせば追突しかねなかった。

「ワイパー動かさない方が視界がいいってどういうことだよ……。路肩に停める、このままじゃ事故る」

 ハザードを出して、ルイは車を路肩に寄せた。走行音が小さくなると、車のボディを打つ雨音の激しさは鼓膜を痺れさせそうなくらいだった。すぐ脇を、徐行とは呼べない速度で車が追い抜いて行く。

「こんな雨でも無灯火で突っ走れるアメリカ人の目って、一体どうなってんだ。夜だって路側灯ないのにガンガンあおってきたし」

「君は都会暮らしなんじゃない? あたしならこのくらいの雨、運転するけど。そうアンラッキーな顔しないの、アンラッキーは過去になれば笑い話のタネなんだから」

「過去になりゃね。今は思いっきり最中」

 ルイはハンドルにもたれて、雨に埋もれそうな道路標識に目をすがめた。

kissimmeeキシミー、244マイル。マイアミの南でUS-1に合流するまで、あと三時間――昼にマイアミでアンガスビーフ食えるんじゃないか?」

「その前に、インディアンリバーのグレープフルーツ」

「はいはい。で、US-1は速度落ちるったって100マイル強だったろ? 今夜中にはキーウェスト入りだな」

 着いたらまずは例の宝飾時計専門店の下見だ。デュバル・ストリートだと言っていたな、地図を買わなきゃ――ルイは止みそうにない豪雨を睨みながらすべきことの順序を考える。

「だめ。今日はキーラーゴに泊まるの。シェラトン予約しちゃってあるもん」



「はあっ?」

 あんぐりと口を開けるルイそっちのけで、娘は嬉々として語りだす。

「キーラーゴはキー諸島の東端、マイアミから一時間くらい。キーウェストへの通り道で、ダイビングで有名なとこ。君はダイビングライセンス持ってる?」

「ダイビングするつもりはない。泊まる必要はない。ビジネスで来てんだよ、そんなとこで悠長に遊んでられない」

「二日後にキーウェストに着けるなら、この旅はあたし次第って言ったじゃない」

 娘には譲るつもりがないらしかった。拗ねたように唇を尖らせている。

「そんなこと言ったか? いつどこでどのように」

「昨日レイクシティに泊まる前に、クーポン取ったレストエリアで。君はブラックコーヒーを買って、タバコを吸ってた。ごまかされないんだから」

 記憶力の正確さが恨めしく、言い逃れの言葉を拡大解釈されたのが面倒くさく、ルイは苦虫を噛み潰す。

「文書に残してないものは無効だなんて言いだしやしないよね、君はアメリカ人じゃないんだから」

 たたみかけられて返す言葉を挟めない。

「第一今日中に着こうとしたら、夜にセブンマイルブリッジを渡ることになっちゃう。そんなの、キーウェストの魅力の」

「三分の一を放棄してるようなもん――だろ? だけど俺はそもそもキーウェストの魅力とやらを感じたくて来たわけじゃないんだよね」

「そんなこと言わないで。そりゃ運転手にするつもりだったけど、ほんとに、ほんとにあの橋をドライブするのはアメリカ人にとっても貴重な経験なんだから。旅行者ならそれ以上だと思って、あたしは空港で君を」

 だんだん上ずってくる声に、ルイは車の外の豪雨より助手席の雨を心配する必要性を察知した。

「分かった分かった。泊まるって」

「渋々なだめられたくなんかない。君は今朝の景色を楽しんでくれたでしょ。だからあたしはまたちゃんと君を説得できる、はず。言っとくけど、涙を武器にするつもり、なんかない、んだから」

「泣きそうになりながらじゃ、それこそ説得力ないんだけど」

 ルイは実際、女という生物の涙に武力も価値も見出す気はなかった。涙さえ落とせば許してもらえる、どうにか乗り切れると踏んで涙を使うような女には虫酸が走ると思っていた。

 けれどむしろ恥か汚点のように涙になる前の涙さえ払いのけようと必死な助手席の娘には、本当にその気はなさそうだった。

「武器になりえるって知ってんなら利用してみりゃいいじゃん。それで騙される馬鹿な男もいるだろ」

「君は馬鹿じゃない」

「確かに俺は涙に心動かされたりしないけどね――泣くほどの熱心さに裏打ちされてのことだって酌んで騙されてやるなら、そういう馬鹿なら馬鹿の程度は軽い」

 目頭を押さえていた娘の指先が緩む。眉根が怪訝そうに寄って、濡れた瞳がルイを見上げる。ルイはその視線に捕まる前に、小降りになってきた窓の外へと目線を逸らした。

「まあ安直に言えば俺は、あんたの機嫌を取ろうと試みてるわけ」

「……皮肉屋のご機嫌取りは分かんない」

「ご主人様に分かりやすくご機嫌取りするには、どうしたら?」

 昼を飛び越して夕方になったかと錯覚させるほどだった曇天は、降り始めと同様の急速さで明るさを取り戻す。

「んーとね」

 どうしてくれようかと企むような口調がルイの視線を連れ帰る。陽の射し込んだ助手席から、娘は前方を眺め渡していた。

 何を見ているのか追えば、雨に洗われて光る緑の道路標識――Exit244、kissimmeeキシミー

「Kiss me.(キスをして)」

「仰せのままに、ご主人様」

 運転席のシートベルトが外されると同時に、雨は上がった。


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