6 Lake City, FL I-75 Exit427
「あたしのわがままで泊まるんだから、あたしが払う」
Exit427でインターステートを降り、ホリデイ・インにチェックインする。
「ラッキー、クーポン使える部屋がまだ残ってるって」
満面の笑みで娘がカウンターに滑らせたカードはプラチナ色だった。
「あんた、金持ちのくせに倹約家だね」
「金持ちっていうのはお金がある人じゃない。お金を増やせる人のことよ。そのためにはまず、払わなくていいコストは払わないこと。元手がなきゃお金は増やせないもん」
娘はサインだかボールペンの試し書きだか判別できないものをレシートに書き付けた。
「三階だって、あたしたちの部屋」
キャスターバッグをエスカレーターに引っ張り込みながら娘が告げた言葉に、ルイの指先はボタンを押すのを忘れる。
「あんた、資産管理より危機管理をどうにかすべきだろ。空港で見知らぬ男を運転手に拾ったり、そいつと同じ部屋に泊まったり。俺があんたをレイプして強盗して車で逃げるとか考えないのか」
ひょいと娘の両眉が上がり、初めて気付いたような表情になった。
「少なくとも強盗はないでしょ」
強盗によって両親を亡くしたルイにとって、それは絶対にするつもりのないことだ。
「……どうして分かる?」
確信的に言い切った娘から目を逸らし、ルイはようやくエレベーターに階数を指示する。
「金持ちかどうかを見分けるのは得意なんだから。販売員とかそういうことを経験すればね。君のポケットからたまに覗くゴリアテの材質が金だってことくらい、すぐに」
ゴリアテ――旧約聖書に登場する巨人。直径が六十ミリを超えるような大型の懐中時計はそう呼ばれ、ポケットにあれば布地の上から隙間から、その存在を主張する。
「君の腕は時計焼けしてないもん。腕時計しないで金の懐中時計を持ち歩いてる人が強盗するなんて、考えにくいでしょ」
思わぬ観察眼に驚いて身を引くルイは、娘に面白そうに眺め回される。
「それに時差ボケと運転疲れで、あたしを襲う元気なんて残ってなさそうだしね」
娘の宣言通りになるのがしゃくで、ならば襲うふりでもしてやろうかと考えたルイだった。が、シャワーを浴びているあいだからルイ自身が猛烈な睡魔に襲われ、翌朝に揺り起こされるまで眠りに沈んでいた。
「あたしがその高そうな懐中時計を強盗して逃げる可能性を、君も考えとくべき」
「おい……なんだそのはじけた格好は」
眠い目をこする必要もなく、ルイの眠気は一瞬にして去った。
ぴったりとしたキャミソールはバストからくびれた腰のライン、へそまでを露わにし、丈の短いパンツからは細すぎない脚がすらりと伸びて、すでにビーチサンダルが履かれている。
「ここはフロリダだもん。まだ北の方だから朝は涼しいけど、昼間は暑くなる。昨日の君みたいな長袖にジーンズなんて、この先には生息してない」
「冬でもTシャツ短パンで歩き回るアメリカ人に、服装をどうこう言われたかないね」
モーテルにはコンチネンタル・ブレックファーストがついていた。ビュッフェスタイルの中から娘はシリアルを選び、ざばざば豪快に牛乳を注いでいる。
ルイに朝食をとる習慣はなかった。テーブルのルイ側はコーヒーだけ、反対側はオレンジジュース、シリアル、ジャムたっぷりのワッフル、マフィン、丸々一個のりんごまで置いてある。
「……朝からそんなに食うと、アンガスビーフが入らなくなるぞ」
「だって君といるとしゃべりっぱなしなんだもん、すっごくお腹空くんだから」
それもそうだ、運転は運動じゃないくせに昨日はやたらと腹が減ったのはそのせいか――ルイは娘からワッフルを奪って食らいついた。
「あれなんだ? 木に引っかかってる雑巾みたいなの」
チェックアウトすると再びI-75に乗り、南へとアクセルを踏み込む。
ルイは防風林から松が減り始めたことに気付いた。そして時折、緑灰色の物体が枝から垂れ下がっていることにも。
「雑巾だなんて! あれはスパニッシュモス。モスって言っても苔じゃないけどね」
「ヤドリギ?」
「エアプランツかな。スパニッシュモスとオークは南部の象徴。あれを見ると、ああ南部だなあって思うの。スパニッシュモスが茂った、大人三人でも抱えられないような太さのライブオークの並木は壮観。時間があればプランテーションに連れてくのに――あっ牧場、牧場」
そんなにじたばたしなくても見えてる、とルイは笑いをこらえながら内心で娘をからかった。
緩やかな曲線を描く緑の牧場に、真っ白な柵が映えている。牛も馬もゆったりと草を食み、あるいは南部の象徴たるスパニッシュモスが下がった木陰で休み、あるいは朝陽を受けて静かに佇んでいる。
普段のルイなら牧場など、一瞥くれておしまい。だが防風林ばかり見せられた後では、次から次へと車窓に現れる牧場は新鮮だった。中には小さな湖をたたえた牧場もあり、ルイは唇を曲げる。
「一部の人間よりいい生活してんな」
「でも牛はテレビを見られないし、ピザも食べられない」
「コーラは世界一の飲み物だって未開人に勧めるアメリカ人的発想だな」
「じゃあ訂正。一部の人間よりいい生活してる牛もいるけど、あたしたちはそれを食べる立場にある」
ははは、とルイは声に出して笑った。
「そいつは気分のいい考え方だ」
やがて景色は畑に変わり、高層ビル用のクレーンを横倒しにしたような巨大な施設が現れる。
「おい、まさかあれがスプリンクラーか」
「そのまさか。片端が固定されてるタイプのスプリンクラーの畑を航空写真で見ると面白いの、大地がおっきな水玉模様で」
「ミステリーサークルは人間が作ってるんだって気がしてきたな」
インターステートの脇に細い水路が並走し始め、防風林が途切れては湿地帯の広がる回数が増える。
「ワニがいそうだな……。おっと今、轢死体に亀がいたぞ? スーパーマリオを車でやるのか、俺たちは」
「ワニ食べてみたい? 鶏肉みたいなもんよ、スパイシーなフライにするのがおすすめ」
「轢死体の直後で食いもんの話するか?」
果樹園が来ると景色は濃い緑になり、枝葉のあいだで太陽を照り返す黄色い果実と鮮やかなコントラストを作る。
「あのさー、グレープフルーツってうまいか? 俺の国じゃアメリカからの輸入がほとんどだけどさ、すっぱいし、皮は分厚くて食いにくいし」
「それは輸出用に早いうちに摘んじゃって、追熟させてるから。ええっ、砂糖をかける人もいるの? そんなの考えられない! 信じられない!」
首も腕も振って、娘は信じられない、を三回繰り返した。
「フロリダ・ターンパイクで通るインディアンリバーはシトラスで有名なの。サービスプラザで出張販売してるはず、一袋買う。絶対に食べてもらう。そしたらもう二度と、グレープフルーツがすっぱいなんて言わせやしないから」
「噂をすれば、フロリダ・ターンパイクの分岐がおいでなすった」
Exit328でI-75を外れる。マイル数を示す出口の数字からすれば泊まったモーテルからちょうど100マイル、一時間半のドライブだとルイは計算した。そんなに走ったっけ、とルイは自分の計算結果に首をひねる。
「インディアンリバーじゃなくても、サービスプラザがあったら寄ってね。スターバックス、スターバックス」
ふんふんと軽快な娘の鼻唄で、ラジオをつけ忘れていたことに気付いた。ルイの手はスイッチを入れようとしてコンソールに伸びる。
ふとその指が止まった。助手席で奏でられている鼻唄は、ルイの知っている曲だ。
「もったいない……か」
呟いたルイの指はラジオの代わりにクーラーのスイッチをひねる。サンシャインステート、フロリダの陽光がルイの腕を熱くし始めていた。