5 Valdosta, GA I-75 Exit2
「アトランタから帰国するなら、レノックス・スクエア・モールのカリフォルニア・ピザ・キッチンを試して。ピザは絶対イタリアンクラストであるべきだ、なんて言わなくなるって保証する」
夕飯に立ち寄ったメーコンから二時間。チーズを練りこんだピザ生地についてルイが一言こき下ろしただけで、アメリカ風ピザ擁護派の彼女の熱弁が奮われ続けていた。
「アトランタ経由の便にキャンセルが出ればね。で、ハンバーガー、ピザと来て次はなんだ? 国民食で俺を毒すのが、アメリカ国民の義務かなんかだったっけ」
「そう、次はコーラでーす。アトランタに本社があるの。これは語ると長いから覚悟しといて――あ、バルドスタ。I-75でジョージア州内最後の町ってとこね。ここを過ぎたらすぐにフロリダ」
ヘッドライトが照らした緑の標識が表示するマイル数は、ルイの気付かぬうちに二桁まで減っていた。十の位はすでに一。
「つまりね、アメリカのピザは欧風カレーと一緒。流れ着いた先で独自の発展を遂げてる。発祥の地と違うものになったとしても、それが文化なら否定なんてできないはず。ガラパゴス諸島のフィンチを責める人なんている? ピザ生地にチーズが入ったっていいの」
「まだ続いてたのか、ピザ論議」
「じゃあ、そろそろコーラに参りましょうか?」
「伺いましょうか、ご主人様?」
実際のところ、ルイはピザにもコーラにも興味があるわけではなかった。ただ、あたしを退屈させないこと――そう要求してきた他力本願な娘が、ルイに眠気を寄せ付けず、旅程の長さを忘れさせる。それがおかしくて、そのままにさせておきたかった。
おかしいんじゃない、微笑ましいってやつだな、とルイ自身も微笑みながら思った。
「コカコーラ本社のあるアトランタではね、家庭で蛇口をひねればコーラが出るようにするっていう計画があったの」
「アメリカンジョークは分からない」
「本当なんだから! いずれターンパイクで通過するけど、オーランドのディズニーワールドでは実施されてる。各店舗で水道みたいにコーラが出てくるように、地下にパイプラインが敷かれてるの。もし家がそんなことになったらあたし、コーラでシャワー浴びちゃうな」
すぐに、車窓をビジターセンターの案内板が通過していった。そして州のマークと共にWelcome to Sunshine State Florida、と歓迎を表す標識がヘッドライトに浮かび上がった。
州境の接近に合わせ、助手席からカウントダウンが始まる。
「……3、2、1……バーイジョージア、ハーイ、フロリダ! 住民税のない素敵な州、あたし老後は引っ越してくるつもり」
「引っ越す理由が住民税とは、コーラでシャワー浴びたい女にしちゃ現実的なこと言うね」
「だからあれは現実にあった計画だってば。君にはフロリダに入ったって感慨はないの?」
両手まで挙げてフロリダ入りを喜んでいた娘としては、ルイの静かな反応がお気に召さないようだった。ぱたんと力なく腕を落とし、唇を尖らせている。
「せっかくゼロになったマイル数が467に激増したら、むしろ滅入るね。南北方向に走るインターステートのマイル数が州の南端からのカウントなら、要するにこいつはキーウェストまでのマイル数だろ」
「残念でした。I-75の終点はキーウェストじゃなくてマイアミ。このマイル数はマイアミでゼロになる。そこからは国道1号(US-1)をさらに100マイル以上走るの。それも――片側一車線ずつしかない、追い越し禁止区域がたっくさんのね。そのうえ」
思わず呻いたルイに、娘は面白がって追い打ちをかける。
「絶滅が心配されてるキーディアって鹿の生息地域では、制限速度は時速45マイル。US-1はインターステートと同じペースで飛ばせるとは思わないこと」
「絶滅ったって鹿が飛び出してきたら、あんたのおすすめ通り轢くしかないんだろ」
「おすすめなんて人聞きの悪い。……時速45マイルならよけられるんじゃない?」
ルイは片腕を大きく広げて、大げさに嘆きの仕草をしてみせた。
「75マイルでは轢いて、45マイルではよけろ? 俺のボスは無茶ばかり要求する。アンガスビーフを仕留めて来いって命令されないうちに、キーウェストまでたどり着かないとな」
「そういえば……」
呟いてから、助手席は長いこと静かだった。ペディキュアの足先が時折動き、彼女の思考の小さな区切りを教えていた。
会話のないままラジオから流れるカントリーが三曲目になる。ラジオがついていたことさえ忘れていたルイは、これがアトランタ出発以来最長の沈黙かと判断した。
見ず知らずの他人との会話を嫌がって長距離バスをためらっていたはずの自分が、数時間もぶっ通しでしゃべっている――疲労感も伴わずに。
それをルイは、互いの顔を見なくてすむ運転席と助手席だからとした。初対面の相手であることを意識せずに済む。
「次のレストエリアに寄ってくれる?」
不意の彼女のリクエストが、ルイを思考の海から引き揚げる。
「仰せのままに、ご主人様」
レストエリアは芝生と林の敷地内にピクニックエリア、トイレ、自販機を設置した休憩所だ。
ルイが眠気予防にコーヒーを買っているあいだ、彼女は歩道脇に設置された箱から小冊子を取り出していた。
「新聞?」
「ううん、クーポン」
ぱらぱらとめくられた小冊子には地図や、目立つフォントで値段を明示されたクーポンがぎっしりと印刷されている。
「インターステート沿いにあるモーテルに泊まるなら必需品。定価なんてとんでもない、これがあれば宿泊費は三分の二くらいになるの。この先の、いくつか選択肢のありそうな都市は――レイクシティかな」
コーヒーをベンチに置き、タバコに火をつけようとしていたルイの手が止まった。
「泊まる気? フォートなんとかのヒルトンまで行けって命令は?」
「それはやめた。だってもったいないと思う」
きっぱりとした断言だった。
「アンガスビーフで思い出したんだけど……この先はね、牧場地帯なの。馬も牛も。それから見渡す限りのシトラスの果樹園。大農場のすっごい大きなスプリンクラーも」
指折り数えながら幸せそうな光が茶色い瞳をよぎることに、ルイは気付いた。
「そういうの見えない夜のあいだに通過しちゃうのは……キーウェストに飛行機で行くのは魅力の三分の一を放棄するようなもんよって言ったあたしが、そういうの見えないフロリダのドライブをさせるのは、自分で納得がいかないの」
続いて、彼女は自信なさげに付け足した。
「君が見たいかどうかは、別として」
「あのね」
改めてタバコに火がつけられ、ルイの唇は煙を一つ吐く。
「俺、観光じゃなくてビジネスで来てんだよね。三日後の正午には確実にキーウェストに着かないとヤバいことになるんだよ」
「余裕でたどり着けるはず。……ねえ、見せてあげたいの、単純に。君はあれこれ馬鹿にするけど、アメリカはいいとこなんだから」
真摯な瞳に見上げられ、ルイは思わず目を逸らす。ルイにとって視線を合わせるのは、心を覗かれるのと同義だった。覗くつもりもなかった。
「三日後にキーウェストに着けるなら、この旅はあんた次第。俺は運転手だからね」
イエスでもノーでもない曖昧な返事を彼女がどう受け止めたか。タバコとコーヒーの紙コップを手に、彼女を背にして車へと歩き出したルイに確認する術はなかった。