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Mile Zero  作者: シトラチネ
続編
21/22

21 Laundry

 店を飛び出したルイは、モーテルを経由してコインランドリーにいた。

 ダラスから遅れて届いた荷物には手をつけない、封印したまま持ち帰ると決めた。一度荷物を解いてしまえば角砂糖が溶けるように決意も崩れていきそうで、ルイはモーテルの部屋の隅へとそれを押し込んだ。

 そうなると残された着替えは砂まみれの長袖シャツとジーンズのみ。洗濯室はモーテル内にも併設されていたが、屋内にいれば鬱屈した気分がさらに腐りそうで、外のコインランドリーへと向かったのだった。

 築年数だけ厚塗りされた白いコンクリートの建物、大きな窓にはまっているのはガラスでなく鉄格子。キーウェストは本土の白人の高級リゾートだが、労働は中南米からの貧困移民層が支えている。彼らにとっては古びた巨大な業務用洗濯機さえ強奪の対象となるのだろう。

 洗濯機のクオーター投入口はいい加減ガタが来ているらしく、先の一枚がつかえて後が入らない。苛立つルイが硬貨を送るハンドルを力任せにひねればひねるほど、頑なな拒否に遭った。

 だが不意に横から割り込んだ節くれ立った指が、小さな動作であっけなく硬貨を機械内部へ落とし込んでみせた。年季の入った褐色の肌をした老婆がにやりと笑えば、欠けた前歯が覗いた。

「……すげーな、ばあちゃん」

「何年、ここで店やってると思ってんだい」

 主のとりなしで機嫌を直した洗濯機がようやく動き始め、ルイは改めて店内を見回す。二十台以上もある機械類はフル稼働に見えるのに、待っている客は他に誰もいない。

 窓際の簡素なベンチは毒々しいオレンジ色の樹脂で、腰を下ろせば抗議するようにきしんだ。足を投げ出すと、ルイは光の明暗の境に体を伸ばした格好になった。

 鉄格子しか遮るものがない分、裏道に面した大きな窓からはあらゆるものがふんだんに入ってくる。強烈な照り返し、アスファルトを渡って温められた海風、犬を散歩させる住民のゆったりした歩調。

 裸電球が点いていなくても、洗濯物を畳む老婆の手元は困っていないようだった。注入される水の音、モーターの音、ドラムの中で洗濯物が位置を変える音。騒がしいのにそれらの単調な繰り返しが、ルイには懐かしい静けさのように思えた。

 洗濯待ちという最高に持て余すはずの時間は、老婆がのんびりと、しかし確実に重ねていく洗濯物の山を眺めるだけで飽きなかった。時の流れが凪の穏やかさであるキーウェストの風土を作っているのは、白人でなくこうしたコンクなのだろうとルイは思う。

 束ねた白髪のほつれも気にせず、輪郭を歪曲させる重そうな眼鏡がずり落ちるのも構わず、老婆は淡々と作業を続けている。痩せてはいても曲がっていない背筋が、生涯現役を貫く強い意志を主張しているようだった。

「おまえさんはあたしの六番目の息子に似てるよ」

 ブザーの鳴った乾燥機からバスケットへ衣類を移しながら、老婆は不意に言った。背中を向けられていたルイは一瞬、独り言かと思いかけた。

「この金歯はその子が車を売って作ってくれたのさ。親孝行な、いい子だろう」

 関節が固まってきちんと伸びそうにない指がイーッと唇を引っ張り、奥歯の金を見せびらかす。薄暗い店内だからこそ金は格別に光って見えた。

 返答を待たずに老婆は再び背を向けた。とっさのことで反応に困ったルイだったが、返事を期待されないとそれはそれで落ち着かないものがある。

 どうしてくれようかと思案するうちに、店の前で白いバンが停まった。ボディに赤くペイントされたコインランドリーの店名とドロップオフ・サービスの値段は剥げかけている。

 ドロップオフ・サービスとは、依頼された洗濯物を文字通り玄関先に『落として』おくことだ。決して安くはないが、キーウェストの別荘に長期滞在する白人達にとっては、手軽で便利なものらしい。

 運転席から降りてきた若いアジア人は、老婆が指示する大量の洗濯物を荷台へ運び入れ、また出かけていった。

「あれは八番目の息子だよ」

「……肌の色と年齢がおかしいだろ」

「おまえさんの国じゃ、親子ってのはそんなもんかい。さびしい話だねえ」

 今度は話題に食いついてやったが、あっけなく切り返されて不首尾に終わった。悔しがりながらルイはふと、車を手放して金歯を工面してやったという何番目かの息子も、実の息子じゃないのではと疑いだす。

「洗濯を店で待つよそ者なんてのは」

 口を開こうとして先手を取られる。

「たいていはワケありなのさ。そうでなけりゃ酒場に行くか、入墨を彫るか、とにかくそのベンチは悩みを背負った男の指定席さ」

 ビジネスだと言ってもこの老婆には通用しないだろう。アンティークショップなら、ルイは客の気分も需要も推し量れる。それを忘れて老婆のテリトリーに踏み込んでいた迂闊さを呪いつつも、妙に納得していた。

 ガラスのはまっていない窓は、盗む気のない者にとっては、なんの境界線にもなり得ないのだと。



 ルイには見ず知らずの人間と話す趣味はない。個人的な話題ならなおさらだ。

 老婆とて聞き出そうとしているわけではなさそうだ。言いたいことだけ言ったら仕事に戻っている。洗濯が終われば乾燥機に移し、乾燥が終われば畳んで山にする。そうした繰り返しは、アンティークショップの店先で商品を磨く祖母の姿を想起させた。

「……うまく行くと思えない。簡単に男を信用して、あいつ絶対いつか痛い目に遭うんだ。それくらいなら俺が泣かせる方がまだ我慢できる。そんなんだよ、俺とあの女は」

 聞いているのかいないのか。老婆は相槌さえ打たずに手を動かし続けているが、ルイはどっちでも良かった。

「時計と女がセットになってたら、女と別れた時に時計の針も止まっちまう。別々にしときたいのにあいつは俺自身より俺の歯車回すのがうまくて、腹が立つんだ。自分の歯車にはろくでもないボストン男を噛ませたくせにさ」

 浮いた錆をペンキで塗り込めてきたような無骨な鉄格子を、ルイの拳が軽く殴る。

「ただ、あいつとしてるとさ……サンセット・セレブレーションを思い出すんだよ。どこで見たって夕陽は夕陽なのと一緒でさ、セックスもどの女とだって結局やるコトは同じだろ」

 老婆の唇がにやりとしたから、聞こえてはいるようだ。

「だけどフランは俺に言ったんだ。見るべきは夕陽じゃなくて、夕陽に対する敬意と謙虚に満ちた神聖な表情だってね。フランとヤってる時、あいつそういう顔したんだ」

「そうさ、それがセレブレーションってもんだろう」

 当たり前のことを馬鹿みたいに言いだす子だね、と呆れているのが一目瞭然だった。行っちまいなとでも言いたげに、痩せた腕が大きくぞんざいに振られる。ルイはつい笑った。老婆の作業を一瞬でも中断させたのが、何故か無性に嬉しかった。

「次にその娘と寝る時に、瞳を覗いてごらんよ。その娘と同じ顔した男がいるだろうさ」



 乗り合いを嫌う自分、見知らぬ他人との会話を疎ましく思う自分。それがいつの間にやら生まれも育ちも肌の色も違う老婆の関心を引いて、小さな満足を得ている。

 あいつのせいだ、とルイは苦笑した。

 好きなものを好きと胸張る生き方は、自分を保つために隔壁が要るルイの調子を狂わせる。侵食され個を問われている気分になる。壁の内側にいるフランと不似合いな男を、両親の遺志を達成した後の空洞を埋めるのに足掻く姿を、これ以上覗かれたくはなかった。

 だがあの瞳に映っているのはそう悪くない男なのかもしれない。ボロいピックアップトラックでUS-1のマイルをカウントアップして見に行きたいのは、彼女の隣で笑っていられる男かもしれない――ルイはマネークリップから十ドル札を抜き、モーテルの名と部屋番号を書き付けた。

「悪い、ばあちゃん。用事ができたんで、俺の洗濯物はドロップオフしてくれ」

「ばあちゃんと呼ぶんじゃないよ、おまえは九番目の息子だ。やれやれ、やっと野球ができる人数が揃ったね」

 重そうな眼鏡を額に押し上げて額面を睨む老婆には、近いうちにまともな老眼鏡を買ってやる羽目になるだろう。そのためには少々あこぎな副業を再開しなけりゃな、と思うとルイの血は騒ぎだした。

「キューバ系の監督だったら戦績は期待すんなよ。スペイン語以上に社会主義と仲良くする気はない」

「馬鹿な子だね、監督はあたしだよ。何しろあたしが洗ってやれるのは、洗濯物だけじゃないんでね。さあ、さっさとお行きよ。女の忠誠心が堅いのは、誓ってる間だけなんだからね」

「誓い返さなきゃ破棄されるモノが忠誠って呼べるんならな。……なるほど、俺はあんたの息子らしい。おかげで口の悪い遺伝子が暴れ始めた」

 やり込められっ放しだった皮肉屋は、優秀な生徒のご機嫌伺いに、照りつける太陽の下へ踏み出した。


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