20 Fran's Folly
「彼はレオ。以前アトランタ支店で一緒に働いてたの。今はボストン支店でアンティーク部門を任されてる。前々からキーウェスト支店開店に向けて、商品ラインナップの助言を頼んであったの」
翌朝、開店前の店に到着早々フランに紹介されたのは三十を目前にしたくらいの、ソツない笑顔を張り付けた背の高い白人だった。ルイは自身の視界でしか見えないポストイットを相手の額に貼り付ける。書いてあるのは、『覚える必要のない人間』という文字。
「よろしく。まあとにかく僕のファイルを見てくれ。気に入ってもらえると思うよ」
第三者の前であの話は切り出しにくい。早く追っ払うべし、とレオの存在を煙たがるルイはレオ本体以上におざなりにファイルを眺めたが、すぐに眉を寄せた。
「あんた、こんなんが売れると思ってんのか? ボストンでの売れ残りを体よくさばきに来たとしか思えないね」
いきなりの発言に、レオの笑顔が凍りつく。宝石の散りばめられたアンティーク時計の写真を、ルイの指先がぱちんと弾いた。
「ここはキーウェストだ、光りもんなら太陽も海もある。求められるのは素朴さだろ? 正確性や流行も要らない。日没が何時何分何秒か、マロリースクエアで触れ回りたいなら別だけどな。そんなの、バーで飲みながら海を眺めて待ってりゃいいお土地柄さ。ボストンと一緒にすんな」
「いや……だが、アンティークには常に時代も場所も超越した人気を誇る商品が」
「アンソニアの柱時計、ティアドロップか……ガラスがオリジナルじゃないな。ニスの状態も悪いね、それでこの値段じゃ売れ残って当たり前だろ。人気商品だからこそ客の目も肥えてる、あんたはキーウェスト支店を赤字にするアドバイスをしに来たのかな」
痛烈な嫌味にレオは怒りで頬を染め、ルイの手からファイルをひったくった。そして険悪なやり取りを唖然として眺めていたフランに向き直る。
「フラン、君はアトランタで一緒に働いた僕よりも、この失敬な男の言うことを聞く気なのかい」
「でも……ルイはアンティークにとても詳しいの。キーウェスト支店では彼がアンティークの責任者になるんだから、最終決定は彼に任せるつもり」
「フラン。僕は君の推薦で昇進してボストンへ行った。ボストンでの成果を君に還元しようとしてるんだよ? 忙しくて連絡を取れなかったのは悪いと思ってるけど……」
ルイはレオの左の薬指に指輪がはまっているのを、その左手に頬を触れられ瞬時に硬くなったフランの横顔を見る。そして悟る――フランとレオのあいだにあった、上司と部下以上の関係。
「不動産学でこういう言葉がある。ロケーション、ロケーション、ロケーション。出店に際して大事なのは品揃えよりまず立地なの」
話しながらショーケースを巡回するように歩きだし、フランは自然さを装ってレオの左手から逃れたようだった。さらりと上質なパンツスーツの裾が揺れる。
「マクドナルドが成功をおさめてるのは不動産マーケティングに優れているから、つまりロケーションの優位性を熟知しているから。マクドナルドに追随して出店すれば間違いがないとまで言われてる」
「ここらにマクドナルドは見当たらないけどな?」
腕組みをしたルイが不機嫌にこぼす。
「ねえレオ、あなたがボストンで仕事でも――私生活でも成功してるのは分かってる。ファイルはもちろん参考にさせてもらう。けれどキーウェスト支店はロケーションに劣る分、品揃えはボストンよりシビアになる。決定はルイに任せる」
レオは唇を曲げ、肩をすくめた。
「この無礼な男の言う通りにして赤字の責任を負うのは君だよ、フラン」
レオが出て行くと、ルイはファイルをゴミ箱に放り込んだ。
「あいつはあんたのとんでもない場所にほくろがあるのを知ってるってわけだ」
「去年。でも、もう終わったこと。彼もあたしもそれぞれの店で多忙だったの」
「違うね。あいつはあんたを利用したんだよ、世間知らずなお嬢さん。アトランタ支店長に取り入ってボストンに栄転するために」
きれいな形に塗られた唇が半開きになる。フランはぽかんとして、それから苦笑した。
「彼はそんな人じゃない」
「ならどうしてボストンから連絡してこなかったんだよ。どうして結婚指輪してんだよ。どうしてこんなクズみたいな商品を押し付けようとしてんだよ。騙された以外の説明をどうこじつけるのか、ご教授願いたいね」
「ルイがそんなに怒らなくてもいいのに」
それもそうだ。金勘定が済んだらもう会うこともない女のことでイラつくなんて、エネルギーの無駄だ。やるべきことを片付けろ――ルイの手は小切手を挟んだマネークリップへと伸びて、ふと固まる。
ルイとて同じと気付いた。金鎖を手に入れるために利用して、約束を破ってフランから立ち去ろうとしている。
小切手による決済を敢行されてもフランは、ルイはあたしを騙すような人じゃなかったと誰かに笑って言うのだろうか。ルイが腹を立てている『フランの愚行』を繰り返すのだろうかと考えて、ルイの拳はぎゅっと握られた。
「ルイ?」
「なあ、俺なんかやめとけよ」
ついに五万ドルの小切手を娘の鼻先へ突きつける。
「鎖の代金だ。俺がここで働くことはない、そんなの非現実的なんだよ。『フラグラーの愚行』は実現した、だが結局ハリケーンで崩壊して鉄橋はオブジェと化した。わざわざ同じ轍を踏むのは、あんたの嫌がる無駄なコストってやつだよ――俺たちにはオブジェさえ残らない」
フランの瞳は、反射的に受け取った小切手を読み取れずにいる。壊れたバーコードリーダーのように表面の数字とアルファベットを繰り返しなぞるだけ。
「人を疑うことも切り捨てることも覚えろ、いい経営者は人的コストも浪費しない。俺に支払う意思が残ってるうちに、こいつを持って銀行に急ぐんだな」
「昨日の日付……」
「だから俺は決済しに来ただけなんだよ。鎖の代金も、あんたとの関係も」
事態を信じられずにまごつく娘にルイは苛立ってきた。金持ちでおおらかなフランを騙そうとする男は、この先いくらでも現れるだろう。
「二週間前の俺は好き放題ヤって、値切った挙句に鎖を持ち逃げして、あんたに何万ドルもの損害を負わすことだって出来たんだ」
「でも君は戻ってきた。だって……それなら遅配されたダラスからの荷物は? 小切手を渡すためだけに大荷物はいらないでしょ。あんな、一年間働くつもりの人でなきゃ不要な量」
最高に指摘されたくなかった点をピンポイントで爆撃され、ルイは呻いた。その手ごたえがフランを元気付けてしまったらしく、ブラウンの瞳が瞬き一つで生気を取り戻す。
「ねえ、鎖でルイを縛りつけるつもりはないの。店で働くのが嫌ならオファーは取り消す、好きなことして好きなだけキーウェストにいればいい」
モヒートを飲んで、本を読んで、散歩をして、ビーチで寝そべって、懐が寂しくなったら働けばいいの。そうそう、コンクに聞いたらモヒートはEl Meson de Pepeが最高なんだって、マロリースクエアにあるキューバレストラン。そこのシュリンプったらガーリックがとっても効いてて――。
そんなことをアンガスビーフ並みの熱心さで説くフランに、ルイは心底呆れる。答えをはぐらかすでもない、逃避するでもない、無理に慰留するでもない。ただ純粋にルイの誠意を信じ、キーウェストへの賛辞でもって招待しているようだった。
「週末にはキューバ音楽のライブがあるの、今度一緒に」
「週末ライブはもう先約がある。帰国便の機内アナウンスだ」
叩き切る口調でルイは言葉を遮った。
「レオでも誘えよ。あいつは妻子持ちでも、支店長の誘いなら断らないタイプだぜ」
まただ、と怒りの蒸気でかすむ脳裏でルイは思う。
なんて苛立たしい女。なんて腹の立つ女。フランの無邪気さがアレルギーを引き起こすように、ルイは自分を保てなくなる。傷つけると知っていて突き放したくなる。
どうせあんただって離れていくんだろ。数発の銃弾が止めた俺の歯車。ようやく回りだしたそいつがまた喪失に錆付くくらいなら、一時の夢と割り切らせてくれ。キーウェストを日常でなく、楽園のままにしといてくれ。
歯車を動かしたあんただけが恐らく、錆付かせる力を持ってるんだから――ルイは口に出さないまま叫んだ。