16 Key West, FL Mile Zero
五万ドル。ただし支払いはキャッシュじゃなくて労働力で。
意味するところを理解するまでに、フランの言葉は三回ほどルイの頭の中をめぐった。
「キーウェスト支店のアンティーク部門に適材が欲しかったの。年俸五万ドルプラス生活費、でも支給するのは生活費だけ」
「俺に――働けってのか? 一年間、この店で」
イエス、とキーウェストの太陽のごとき明るさで答えるフラン。ルイは言葉を継げずに口ごもった。
「心配しないで、もちろんビザサポートはする」
「いや、そうじゃなくてだな」
「言い値を払うんだったでしょ?」
「あんた、何回俺の言葉を人質に取れば気が済むんだ……」
ソファに沈んだルイと対照的に、機嫌のいいフランの鼻唄が流れだす。
「鎖は金庫にしまっとく。オープニングパーティーまでに返事をしてね。さ、出かけるから立って立って」
「出かけるって、どこに」
どっと疲労感に襲われ動けずにいる時計焼けのない腕を、細い腕が引っ張った。
「観光」
「昨日しただろ!」
「一番大事なもの忘れてた。すぐそこだから」
どうして俺が言いなりにさせられてるんだ――嘆きつつも抗う気力はなく、ルイは立ち上がった。
デュバル・ストリートを一本西へ。フランはB&Bを出た時とは大違いの軽い足取りで、ホワイトヘッド・ストリートを南下していく。その後ろを、B&Bを出た時とは別の理由で重い足取りのルイがついていく。
今朝からの感情の激しすぎる上下動にすっかり消耗し、無事に金鎖に巡り合い、しかも売ってもらえるらしいという感慨も安堵も味がしない。
白い塀の上でちょこんと他人行儀で澄ましている猫が、疲れ切ったルイの行方を見物しているようだった。
「おまえは六本指か?」
「そんなゲンナリした顔で怖がらせちゃだめでしょ。ほら、これ」
いきなりフランは道の途中で立ち止まった。これと言われてルイは近辺を見回すが、目につくのは裁判所のような煉瓦色の建物だけだ。
「これだってば」
きょろきょろするルイの両肩を背後からフランの手がつかんで、目的物の前に押し出す。
ルイは見慣れたものを、けれどそこにあるとは予想もしていなかったものを見つけて棒立ちになる。
「キーウェストに入るとUS-1はノースルーズベルト通りとか、トルーマン・アベニューとかって名前が次々に変わるから分からなくなるでしょ。でも最終的にはこのホワイトヘッド・ストリートに行き着くの」
真っ白な盾のような形をした国道の記号。中央にはきっぱりと1の数字。マイアミの南から右手にメキシコ湾、左手に大西洋を従え、洋上の橋と島々を延々とたどってきたUS-1のシンボル。
その下にはマイルを表示する鮮やかな緑の標識。ジョージアのアトランタ空港を出発してから何百枚と通過したのと同じものだが、数字はそれまでのどれとも違っていた。0だ。
道路のマイル数表示は、州の西端か南端からの距離となる。ここはフロリダの、そしてアメリカ本土としても最南端の地キーウェスト。まさにこの標識がUS-1のマイル・ゼロ地点なのだ。
「大事なのはここ」
ルイの背後から肩越しに細い腕が伸びて、マニキュアの指先がルイの視線を誘導する。国道を示す盾の形の標識の上にもう一枚、小さな板が掲示されていた。
「アトランタからキーウェストまで800マイル、ルイはマイル数をカウントダウンしてここまで来た。キーウェストは旅の終着点だと思ってて、その先をまだ考えられずにいるんじゃない? でも違うの。マイル数はここからカウントアップしていくの」
緑地に白字で小さな標識が伝えている文字は――BEGIN。
「ここは始まりの土地。あたしのオファーを受けてルイの時計を再始動させるには、ぴったりの場所だと思うけど?」
キーウェストから始まるUS-1。ルイはBEGINの文字に目を細めた。脳裏に蘇る車窓の景色が巻き戻されていく。
ブルーグリーンをバックに浮かび上がる、一部の橋梁を落とされた古い鉄橋。洋上を突き抜けるセブンマイルブリッジ。穏やかなビーチを抱えたキーラーゴ。マイアミ郊外に広がる新興住宅地の、ピンクの壁と常緑樹とのコントラスト。
そしてまだ見ぬその先。
「……こいつはどこまで続いてるのか、確かめに行くのも悪くないな」
「ハンドパワー・ウィンドウのボロいピックアップトラックで?」
からかうようなフランの声がする。
「年俸に車代も足してくれ」
「それは生活費に含まれるんじゃないの。経営者は余計な経費を払わない」
「助手席空いてるけど? アンガスビーフもつける」
「なら話は別。あの中古車なら五千ドルで充分ね。じゃあ、誓いのキスでもする?」
ルイは始まりのキスをする。
The End...No, The Beginning