15 Key West, FL Duval St.
あたしの父は宝飾時計専門店をアメリカ東部に展開してるの。あたしはアトランタ支店長で、今日オープンするキーウェスト支店長も兼任することになってる。
B&Bからデュバル・ストリートに向かう途上で、フランは話しだした。
朝とはいえすでに日差しは強い。住民用と観光客用と交互に定められた路肩のパーキング、その脇には自転車用のレーンが設置してある。
ルイはフランから顔を背け、バイクレーンのアスファルトで揺れる日差しを睨んでいた。
「あの鎖を手に入れたのは半年前。相手が見せた鑑定書も経歴も怪しいとは思った。調べたら盗品だって判明したけど……通報しなかったの。欲しくなっちゃったから。だからあたしの私物として買った」
緑と茶の中間色をしたゲッコーが、ちょろちょろとせわしない動きで歩道を通り過ぎる。
「でもね、素晴らしいものを独り占めするのはもったいないことだと思う。だから販売ルートには乗せられないけど、あれを非売品として展示することにしたの。美術品としてアンティークとして歴史の証人として、高い価値があるから」
小さく古い図書館前では、開館待ちをする老人が階段に座ってのんびり文庫本を眺めている。
「ルイからメールが来たのはあたしが、開店準備のためにアトランタとキーウェストを往復してる頃だった。真っ青になった。この人はあたしの持ち物が、キーウェスト支店の展示の目玉にしようとしてる鎖が盗品だと知っていて、父の会社をゆすろうとしてるんじゃないかって」
ルイはそこでようやく、フランがこんな大掛かりな芝居を打った理由を悟った。
「だから俺をおびきだして――どこまで知ってるのか、金が目的なのか、探ろうと考えたわけか」
「そう。ルイがどの飛行機に乗るか調べたり、それに合わせてレンタカー店員を買収したり、空室の残ってるホテルを探して予約したり……お金も手間もたっぷりかかったんだから」
ああそうそう、と不意にフランの声は明るく跳ねた。
「返信メールに書いておいた電話番号は店じゃなくて、あたしの携帯。アトランタ空港でルイが電話をかけてきた時、あたしすぐ近くにいたの。電話ブースを蹴ってる君を見ながら笑わないようにするのは一苦労だった」
機嫌の悪い獣そのものな低さでルイは呻いた。
「だけどすぐに、あたしの杞憂だったって分かった。自分が買った鎖がロシア貴族のものだったのも、どんな時計に繋ぐためにあつらえられたかも知ってた。ルイのポケットの懐中時計がそうだって気付いて、純粋に鎖が欲しくて買いに来たんだなって」
だって数万ドルの値打ちがある時計を鎖もなしに無造作に持ち歩いてるなんて、お金に執着して恐喝するような人間のすることじゃないでしょとフランは笑う。
ようやくルイは顔を背けるのをやめ、肩の力を抜いた。
「だったら、そう分かった時点で素性を言えよ」
デュバル・ストリートに出る。多くの店がまだ開店していない時間、昼間の混雑が嘘のように静かだった。
「そしたら」
がらんとした通りに反響するのを恐れるように、フランの声は小さくなった。
「そしたら君は、ビジネスの相手としてしかあたしを見なくなる」
「正しいね」
ルイの口調に棘が混じると、フランの瞳は不安そうに揺れた。
「あんたの事情は分かったよ。だけど俺を騙した言い訳にはならないね」
「ごめんなさい」
「あんたの嘘を見抜けずにキーウェストへ焦る俺を眺めるのは、いい退屈しのぎだったんだろ?」
「違う! あたしは本当に、ルイにドライブを楽しんでもらいたかったから」
ルイの手が中空を払って、フランに言葉を飲み込ませた。
「もうこの話はおしまいだ」
それ以上話せばさらにフランを攻撃する言葉をぶつけるだろうことを、ルイは感じていた。最初は探りを入れていたにしろ、フランが好意でフロリダを楽しませようとしてくれていたのは理解していた。
なのに怒りはそれを曇らせてしまう。ルイは自分で怒りの進行を止めたかった。
「ごめんなさい。ルイのプライドを傷つけた」
「プライド?」
そんなもんだと思ってるのか――なじろうとするのを押さえ込む。プライドでなければ何なのか、明らかにしてはいけないとルイの奥底が警告を鳴らす。
用が済めば二度と会うことのない女。
三時間後のオープニングパーティーを待つ宝飾時計専門店の前に立ち、ルイは自分にそう言い聞かせた。
まだ新しい塗装の匂いが残っている。
開店前の店には誰もいない。フランは慣れた様子で鍵を開け、照明をつけて、店の一角にある立派な革張りのソファへルイを座らせた。
ベルベットのトレイに載せてフランが奥から運んできた金鎖を前に、ルイは長いこと黙っていた。
金無垢のアルバート鎖。フォブには製作当時のロシアで珍重されたアレキサンドライトとトパーズ、所有者だった貴族の家紋。
ルイの両親が探し続け、ついに買い付けに訪れた店で強奪に遭い、正規の市場から姿を消していたまさにその鎖だった。隅々まできれいに手入れされ、柔らかく澄んだ金色を放っている。
フランは許可したものの、ルイは触れることをためらった。トレイの縁に指先をかけるのが精一杯。
「……俺より先に、手に取って欲しかった人間がいたんだ……」
視線を鎖に釘付けにされたまま、ルイは小さく呟いた。
何があったか正確には知らずとも、フランはルイに事情があることを察したのだろう。そっと横に座り、ルイの肩を遠慮がちに撫でる。
「この鎖を前にして命を奪われた夫婦がいたんだ」
「そうなの……」
「俺の時間はずっと止まってた」
フランの腕にゆっくり抱きしめられても、ルイは振りほどこうとしなかった。
「言い値を払うから売ってくれ」
「まだビジネスの話はしないで。……ルイ、話してくれて嬉しいの」
ルイは自分の胸にある細い手首を見下ろす。もう赤い指の跡は残っていなかったが、そこをさすってやる。
「さっきは悪かった。遊ばれたと思ったんじゃないんだ。裏切られた気がして、ついカッとなった」
「ルイの信用を裏切ったの。ごめんなさい」
信用ね、とルイは内心で違和感を繰り返す。
「――いくらだ?」
途端にフランは呆れた顔で腕をほどいた。
「せっかち。ビジネスの席でそんなにガツガツしたら、足元見られて丸裸にされる」
「あんたにはもう丸裸にされてるけど? ベッドで」
ぎゅう、とペディキュアの足先がルイの足を踏む。
「なによ。あたしがつい名前呼んじゃった時に正体に気付いたくせに、ルイだってあの後も素知らぬ顔でしてたじゃない」
「良かったんだよ」
足を避難させながらルイが素直に笑うと、フランは意表を突かれたような顔をした。
「……いい時間潰しだった?」
「あんたの受け答えはひねくれたね。で、売るのか売らないのかそろそろ返事が欲しいんだけど」
思案する茶色の瞳がルイを、テーブルの上の金鎖を、そしてまたルイを見つめた。
「五万ドル」
「またしても丸裸だ」
「ただし支払いはキャッシュじゃなくて労働力で」