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Mile Zero  作者: シトラチネ
本編
13/22

13 Key West, FL Mallory Square

 デュバル・ストリートに戻ると、娘の言うサンセット・セレブレーションを目指して、観光客たちの流れは北の海岸へと向かっていた。その潮流に乗りながら、娘の指先が一軒のざわめくバーを指す。

挿絵(By みてみん)

「スロッピー・ジョーのバー。ヘミングウェイが通ってたって有名なの。モヒートを飲んでいかなくちゃ」

「モヒートって?」

「キューバのカクテル。ホワイトラム、ライム、フレッシュミントの葉、シュガーシロップ、ソーダかな。ヘミングウェイの気分になっちゃおう」

 ルイの返事も待たず、娘の体は観光客でごった返す店内にするりと入り込んだ。

 出てきたグラスには透明な液体と氷、その中を泳ぐ刻んだ大量のミントの葉が涼感を誘う。口をつければ暑さは爽快に吹き飛ばされていった。

「こいつはいいな。暑い時のアルコールはビールと相場が決まってるかと思ってたが……」

 新鮮な驚きを呟くルイのグラスはあっという間に飲み干される。

「モヒートを美味しく飲みたいがために暑い午後を過ごす気になってくるでしょ。アイテム一つが生活を一転させたりするものよ」

 満足気に頷く娘の言葉は、ルイに父の懐中時計の存在を連想させた。

「さてと、サンセットクルーズもいいけど。君は船員の指導のもとに帆船の帆を上げるイベントに喜んで参加するタイプじゃなさそう」

「二日間の人間観察の成果があってよかったな」

 見ず知らずの観光客と一丸となってロープをたぐる自分など、ルイは想像しただけで辟易した。

挿絵(By みてみん)

「大道芸人のショーにも興味なし?」

「そんな上目遣いで窺うくらいなら、素直に見たいって言ったらどうなんだ」

「付き合ってくれるつもりがあるなら、Shall we go? って素直に言ったらどうなの」



 ギターの弾き語り、フルートを伴奏に歌う犬、パントマイム、ファイアートーチのジャグリング。マロリースクエアではサンセット・セレブレーションを待つ観光客を楽しませる大道芸がそこここで披露されている。

 広場に面した土産物屋やキューバンレストランからカリブの陽気な音楽が流れる中、観光客の輪からは大道芸に捧げられる歓声と拍手が上がる。

挿絵(By みてみん)

 決して狭くはない広場が人に埋め尽くされているのを、ルイは呆れて眺め渡した。

「この中にははるばるミシガンから来ておいて、たかが夕陽を見たがる物好きがいるんだな」

「はるばる海外から来ておいて、そのたかが夕陽を見に来た君はなんなの」

「俺は夕陽を見に来たんじゃない」

 広場の東側、木製の桟橋には深緑のパラソルとテーブルを並べたバーがある。幸運にも空席を見つけたルイは覚えたばかりのモヒートを注文する。ルイの注文を聞いて娘は嬉しそうにした。

「ねえ、こっちに座ったら? 君は夕陽に背を向けてる」

「ここで見るべきは夕陽じゃなくて、夕陽を称賛する顔なんだろ? それならこっち向きが正解だ」

 頬杖で顎を固定して正面に陣取るルイを、娘はそれ以上咎めなかった。

 徐々に周囲の空気が暖色に染まりだすと、観光客たちのざわめきが小さくなっていく。夕陽は人々の声のボリュームを絞る働きを持っているらしかった。大道芸人たちも気をきかせて彼らのショーを中断する。

 ルイの向かいに座る娘もいつしか静かになった。

 タバコに火をつけてから、ルイは周囲を見渡す。かつてはスペイン領。マイアミよりも、アメリカが国交を持たないキューバに近い。国際空港を持つ観光地だけあって、人々の肌の色も話す言葉も種々多様。

 けれど海に落ちゆく夕陽――そのシンプル極まりない、人間の紛争の歴史からも人種からもかけ離れた情景に人は一様に打たれる。キーウェストまで来てというよりは、キーウェストだからこそサンセット・セレブレーションという文化には価値があるのだ。

 自分の肩を通り越して背後を一心に見つめる娘の瞳にそう気付いて、ルイは夕陽を振り返る。

 価値を知らない者に、その正当な対価を受け取る資格はないんだ。

 持論からすれば、俺には夕陽を眺める資格ができた――ルイは体をひねっておくのが面倒になって、娘の隣に移動する。

 アクアマリンからルビー色へのグラデーションに浮かぶ雲は下から照らされて光り、キーウェストの海と白砂を天に映したようだった。空と海のあいだを、遠くの帆船やヨットのシルエットがゆっくり滑っていく。

挿絵(By みてみん)

「ねえ、タバコを消して」

 隣から小声がする。ルイはタバコを唇の端にに挟んだまま娘に顔を向ける。白い肌は低い空と同じに温かく染まって、茶色の瞳がとろりとした夕陽の色を含んでいる。

「そっちが風上なんだから、煙たくないだろ?」

「そうじゃなくて。……できないでしょ」

 何を、とルイが問い返す前に娘が乗り出してきて、答えは唇で教えられた。ルイは答えを与えられている唇からタバコを外して、手探りで灰皿に押し潰した。

「……火傷すんだろ」

 キスされたままルイは、娘の髪が焦げたりしなかったか指先で確かめて呟く。

「タバコじゃない方になら、したい」

 タバコもモヒートも放棄したルイの手が娘の背中に回った。


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