12 Key West, FL Old Town
数え切れない橋と島を繋いでひたすら真っ直ぐに伸びていたはUS-1は、キーウェストの入り口でようやくT字路になる。
「右折して、オールドタウンに向かって」
「オールドタウン?」
「島の東側の、空港や大型商業施設のあるこのへんは比較的新しく開発された地域なの。キーウェスト最大の魅力、カリブ諸国やスペイン情緒いっぱいの観光地区はオールドタウンって呼ばれる西側」
キーウェストはそれまでの島々とは比較にならない繁栄ぶりだった。右手にハーバーや基地、左手にデパートやグローサリーを眺めながら路面の荒い狭い道を進み、車はオールドタウンへ入っていく。
US-1のマイル表示が一桁になった。ルイの、両親の背中を追う旅はこのマイル・ゼロの地で終わるはずだった――明日、正午に金鎖を買い取ることができれば。
娘の目的地、オールドタウンのどこかで運転席を明け渡せば運転手としての旅も、娘との関係も完全終了する。
安堵の中で存在をちらつかせる煮え切らない何かを、ルイは心から締め出そうと努めた。
「次の信号、ウィンザー・レーンを右折して。ピンクの家があったら停めてね、そのB&Bに荷物預けて観光に行くから。君、どこから回りたい?」
安全ならば、赤信号でも右折していい。アメリカの交通ルールに従って周囲を確認していたルイだが、その途中で固まった。
「……はっ?」
思わず振り返った助手席ではオールドタウンの地図が広げられている。
「やっぱりヘミングウェイ・ハウスかな。ヘミングウェイは好き? あたしは『老人と海』が一番――」
「観光なんぞしない、俺はビジ……遊びで来てんじゃない。あんたとの契約はキーウェストまでの運転だけだ、これ以上は付き合えない!」
勘弁してくれと冷たく突き放すも、娘はひょいと肩をすくめただけだった。
「だって君のビジネスは明日の正午、それまでどうせ暇でしょ。部屋取ってあるんだし、ゆっくりすればいい。ところで信号、青だけど」
クラクションを鳴らされて舌打ちするルイは、対面通行と信じたくないような細い道を右折した。
「アトランタの空港でレンタカー借り損ねたの、覚えてないの? この時期に空き部屋のあるホテルを見つけられるかな。キーウェストはゲイにフレンドリーな町、そういうホテルかどうかを見分ける方法なんて君は知らないでしょ?」
先刻から道路に面したホテルやB&Bの看板にNO VACANCY――満室の表示ばかりを見せられていた。言い返せない。
「あった、そこの家。運転お疲れ様、冷たいものおごる」
観念したルイが車を降りると、太陽は頭上高くで勝ち誇ったように輝いていた。
「冷たいもんって何かと思えば……」
デュバル・ストリートはオールドタウンの目抜き通りだ。レストラン、カフェ、バー、ホテル、土産物屋、シーアトラクションの案内所などが端から端までぎっしりと並ぶ。
徒歩でも充分回れるオールドタウンだが、車社会の住人は徒歩より楽な乗り物のレンタルを選ぶ。手軽な自転車、自転車が苦手ならスクーター、スクーターが苦手ならゴルフカート。
牽引車にバイクを載せて持ち込む者も多く、アメリカンスタイルの野太い排気音を響かせる。
それらが騒がしく行き交うデュバル・ストリートを娘は迷わず南下して、キリンのロゴが掲げられた店にルイを引っ張りこんだ。
BLONDE GIRAFFE――店内のショーケースに詰まっていたのはキーライムパイ。
「キーウェストって言ったらキーライムパイでしょ! この店のは賞とってるんだから」
店先のベンチで豪快にぱくつきながら娘が言う。アメリカンサイズの一切れの大きさにうんざり食べ始めたルイだったが、ライムの爽やかな酸味と甘味、口当たりのいいメレンゲに気付けば完食していた。
「腹ごなしにサザンモストポイントまで歩こ」
「サザン――なんだって?」
娘は問答無用でさらに南下を始めた。
「アメリカ本土最南端の碑。ここからはマイアミよりキューバの方が近いの。防水加工をした車で海を渡ってきた密入国者もいるくらい」
「嘘だ」
「本当だってば、彼は二回も同じ方法で密入国しようとしたの」
「蛇口をひねればコーラが出てくる都市計画がにわかに相対的現実性を帯びてきたな」
だからそれも本当なんだってば、と明るく笑う声が青い空に抜けていった。
デュバル・ストリートの一本裏、ホワイトヘッド・ストリートに入ると灯台がそびえていた。それを左に見ながら北上すれば右手に、煉瓦の塀に囲まれたヘミングウェイの家が現れる。
「キーウェストの狭さからすりゃ、だだっ広い敷地だな。なんかこう、文豪ってのは質素に暮らしてるイメージがあるけどな」
「ハウスツアーに参加して、中見てみたい?」
別に、とルイは通過しかけて、ふと立ち止まった。
「あんたは?」
「あたしはそれより、ヘミングウェイの飼い猫の子孫って言われてる六本指の猫を探したい」
「マジ? そんなんいるのか。探せ」
六本指の猫を探しながら北上を続けていたルイの目に、黄色いピックアップトラックが映った。キーウェストの白い砂埃にまみれ、フェンダーには錆が浮いている。
「こういうボロなトラックを運転してみたいもんだな」
ルイのサンダルの先がタイヤを軽く蹴る。娘も興味深そうに首を伸ばして車内を覗いた。
「エアコンなしで、全開の窓に肘を引っ掛けて?」
「当然、窓はハンドパワーだ」
黄色いピックアップの運転席から見るセブンマイルブリッジ。想像してみたとき、助手席が空席でないことに気付いてルイは慌ててそれを振り払った。
陽は傾き始めてもしつこく肌を焼いている。
明日の朝まであと半日。半日後にB&Bを出たらもう二度と会うつもりのない女。早く時間が過ぎてしまえばいい。昼には金鎖と自由を手に入れて、女の隣からもキーウェストからもこの国からも出て行く――ルイはそのプランを胸に刻む。
「そろそろマロリースクエアがいい時間ね。夕陽を見るの」
娘がルイの袖を引っ張っている。ルイはわざとゆっくり歩いて抗った。
「夕陽? そんなもん、地球上のどこにいたって毎日見れるだろ」
「キーウェストではサンセットもビッグイベントなの。この広いアメリカで、特にこの東部で海に落ちる夕陽が見られる場所がどれだけ限られてるか、分かる? 夕陽のためだけに人々が集う場所なんてそうそうある?」
それでもルイには、日没が特別なイベントとは思えなかった。乗り気でないルイを察して、娘はぐっと顔を寄せてくる。
「でもあたしが見て欲しいのは本当はサンセットじゃない。普段は見逃してる自然の雄大さを再確認して人々が言葉を失くす一瞬の、敬意と謙虚に満ちた表情の美しさなの」
多分俺はその表情とやらと今すでに向き合ってる、とルイは思った。