11 Marathon, FL US-1 Seven Mile Bridge
「コーヒーはいいの?」
ビュッフェスタイルの朝食の席で、ルイの手にあるオレンジジュースに娘はきょとんとした。
大きく取られた窓の向こうには白い砂。早くも色とりどりのパラソルや水着で彩られている。ブルーグリーンの海は目に痛いほど輝いていた。
「この殺人的太陽光線下で、どう眠くなれと?」
「歓迎すべき皮肉ね」
にっこり笑って、娘はクリームチーズたっぷりのベーグルにかじりつく。
娘が早朝に起き出し、波打ち際を散歩していたのをルイは知っていた。砂に刻まれる一人きりの足跡が波に消されていくのを窓から見下ろして、ひどく冷たい仕打ちをしているような気になった。
「いよいよ今日はセブンマイルブリッジを渡るわけだけど、気分はどう?」
「そいつを渡ったらキーウェストまで何分だ?」
「君は旅行のパートナーには不向き。ビーチフロントのホテルに泊まっておきながらビーチに一歩も出ないで、先に進むことばかりなんて」
女と一つの部屋に泊まっておきながら、手も触れないなんて――ルイはそう言われているように思えた。さっさとキーウェストに入って、微妙さの入り込んできたこの関係を切ってしまいたいと願いだす。
「……俺はビジネスで来てるから」
「ああもう」
ルイの硬い口調を吹き飛ばすつもりなのか、娘はベーグルを持ったままの腕を広げ、ぶんぶんと髪を揺らした。
「ビジネスなんて単語、聞きたくない。今日これからその単語を口にしたら、運転手を解雇して車から放り出してやるから」
「おい――」
「サンスクリーンは支給しない。殺人的炎天下でヒッチハイクしたくなければ、言う通りにしてね」
だんだんと娘のペースに巻き込まれている――主導権を握られるのを好まないルイは、憂えるべき事態を認めて極小のため息をついた。
「君の雨男疑惑は取り下げてあげる。見て、あのグリーン」
ささやかなモーテル、洋上を走っている錯覚を起こさせる橋。豪華な別荘地、惜しげない果てないブルーグリーン。砂糖のごとき白砂をたたえた無人島、真っ直ぐ伸びゆくUS-1。
交互に立ち現れる島と海の多彩さ、圧倒的な開放感。いつしかルイはアクセルを緩めていたことに気付いた。時速70マイルと追い越し禁止区間を苦痛に思っていたルイが、タバコを吸うのも忘れて車窓を追っている。
「そりゃミシガンからだって来るよな」
独り言のつもりが、助手席の住人にしっかり聞こえていたらしい。嬉しそうに身を乗り出してくる気配がした。
「そろそろあたしの主張を認めてくれる? キーウェストに車で行かないなんて、魅力の三分の一を放棄してるって」
「ミシガンのヤツに教えてやれ、空路で来てレンタカーすりゃいい話だと」
「ひねくれた答えだけど、この道の素晴らしさを肯定したってことにしとく。あ、マラソン。この先がセブンマイルブリッジでーす」
じゃーんと効果音つきで、自分のものでもないのに誇らしげに興奮して腕を広げる娘に、ルイは苦笑を抑えられない。
「楽しそうだな、あんた」
「君だって楽しんでるはず。セブンマイルブリッジって聞いてアクセル踏んだもん」
「…………」
「黙秘権を認めまーす」
ルイは言い訳を探すのを諦めた。そして車はセブンマイルブリッジへ。
「右側のはなんだ? 鉄道?」
「昔のね。今は崩壊してるし、一部の橋梁を落としてあるから通行不可。だけど昔ここを鉄道で通った人は、本当に波の上を走り抜けてる気分になれただろうな」
そうだなという相槌をルイはどうにか飲み込んだ。娘と気の合うところを見せれば要らぬ期待を抱かせる。
「あんたは人の気持ちを想像すんのが得意みたいだな。ミシガン人とか」
「アンティーク好きはみんなそうなんじゃないの? どんな人の手を経て、どう大切にされて自分の手までたどり着いたか知ったり想像したりすれば、愛着も増すってもんでしょ」
その価値を知らない者に、正当な対価を受け取る資格はないんだ。
ルイは持論を思い返し、ポケットの上から懐中時計の存在を確かめる。その懐中時計と対であるべき金鎖が、キーウェストではどんな懐中時計に繋がれて展示される予定なのか。
価値にそぐわない展示をされていたら、たっぷり皮肉をくれてやろう――そう決めるルイの目の前で、細い指がひらひらと舞った。
引き戻されて助手席を見やれば、怒ったような顔が待ち構えていた。
「アメリカ屈指のドライブルートでビジネスのことなんて考えちゃだめ」
「……いつまで続くんだ、このとんでもない橋」
「だから、7マイル。またひねくれた答えだけど、この道の素晴らしさをまた肯定したってことにしとく」