1 Atlanta, GA Airport
まだ青く固いブロッコリーを隙間なく際限なく敷き詰め、片隅に腐食しかけた銀のライターを幾つか差し込んだら一丁上がり。
ジョージア州アトランタ、ハーツフィールド・ジャクソン国際空港へと高度を下げていくジェット機。眼下の景色は退屈だった。一面の平坦な森の中、蜃気楼のごとく場違いに浮かび上がるビル群。
南部の首都がこの程度かと一瞥したきり、ルイはシェードでブロッコリーとライターを締め出した。
代わりに頭を占めるのは一文――It's here. 死んだ両親がやり残した、とあるアンティークの捜索と買い付け。その一品の有無を問うて過去、ネット上で紙上で、何百通のメールを出したことだろう。何百通のSorryを返されたことだろう。
だが、It's here――十文字にも満たない素っ気ない返事は、ここにある、とこの上なく単純明快に伝えている。その言葉はトリガーだった。ルイをして空港へ車を飛ばさせ、キャンセル待ちをさせ、機上の人間とさせた。
返信を寄越した宝飾時計専門店へ、買いたいという申し出はしていない。ただでさえ値が張るシロモノ、懐中時計用の金無垢の鎖。是が非でも入手したいことを知られたら、とんでもない値段を吹っかけられるに決まっている。
一刻も早くたどり着き、何気ない風を装い適正な値段で取引する。上限五万ドル。それ以上はどこを探したって搾り出せない、ルイの貯金全て。
着陸は一回跳ねた。直行便は会社更生法下にあるこの会社だけ。座席は狭い、フライト・アテンダントは無愛想、機内上映用イヤフォンは有料と来れば、パイロットの質とて推して知るべし。帰国の便は乗り継ぎがあってもいい、別の航空会社にしようと決意する。
帰る金が残ってりゃな、と付け足しながら。
「コンコース間の移動に、もう一度荷物をチェックインって何だよ……土地余りまくりやがって、くそ」
こっちは急いでんのに――モノレールの床を蹴る。
ハーツフィールド・ジャクソン国際空港の面積は世界一。全米のどこへでも四時間以内で飛べるという利便性から、乗り継ぎ地として世界屈指の多忙を極める空港である。
そうした誇るべき事実の割には古臭い閉鎖的デザイン、滑らかでない床、暗い照明。そもそも航空技術の最先端の象徴たる空港、そのアトリウムに恐竜の骨格があるのが解せない――ルイの苛立ちを緩和する材料は何もなかった。
入国審査の列は英語をろくろく話せない日本人のせいで、散歩中の牛の方がよほど早い。終える頃には、現地の米国東部時間に合わせてやったティソの懐中時計は午後五時半を知らせていた。
件の宝飾時計専門店の所在はレノックス・スクエア・モール。この高級ショッピングモールは南東部最大級。全米でも有名な高級住宅地バックヘッドに隣接し、その住人も買い物に訪れる。
ハーツフィールド・ジャクソン国際空港からは車でなら四十分程度。地下鉄MARTAでならダウンタウンを経て、それでもやっぱり四十分程度。
出発前に大急ぎで取得してきた国際免許を噛みながら、ルイは地下鉄かタクシーかレンタカーかと思案する。
「行ったところで、閉店時間になっちまってたら意味ないよな」
メールに添えてあった電話番号は控えてある。かけてみると訛りのないきれいな英語が応対し、安堵しながら耳の緊張を解く。入国審査官の南部訛りを聞き取るのが一苦労だったルイは、これじゃ列を詰まらす日本人と変わらないと苦笑を漏らした。
『当店は六時に閉店致します』
女性の涼やかな宣言にルイの舌打ちが鳴る。間に合わない。電話ブースの味気ないステンレスのベンチを、拳が一つ殴った。
買い付けに訪れた店で銃撃された両親の、目と鼻の先で強盗にさらわれていった金鎖。ルイにはすれ違いの運命が、血を分けた息子にも受け継がれているように思えた。
「そちらでは懐中時計の鎖を扱ってますよね?」
ほんの確認のつもりだった一言が、ルイのその後を大きく揺さぶることになる。
『いいえ、残念ながら』
電話越しの店員の答えと、It's hereというメールの答え――矛盾する二つがルイの中を駆け巡って、唇から呆けた返事を押し出す。
「あると聞いている……」
『失礼ですが、Aurore et Crepusculeのルイ様では? 時計鎖飾り(フォブ)にアレキランドライトとトパーズ、そしてロシア貴族の家紋をあしらったアンティークのアルバート鎖についてお問い合わせ下さった方ですね』
何たる失態、とルイは歯噛みした。素性も買い付けに来たことも、相手に悟られてしまった。格段に返信率が高いという理由から、祖母が経営するアンティークショップの名を出してメールしていたのを今更ながら後悔する。
ルイが自分を呪ってブースの壁をガンガン蹴ると、裏側にいたラテンアメリカ系の男が受話器を握ったまま迷惑そうな顔を覗かせた。
こうなりゃいきなり商談だ、と腹をくくってルイは身分を認めた。
「あるんなら現物を確認したい。そちらに着くのは閉店時間を過ぎると思うが、出来れば――」
『申し訳ございません』
留守番メッセージを思わせる感情のこもらない軽い謝罪が、するりと割り込んでくる。
『お探しの品はございますが、非売品です』
「ふ……」
フザけんな、と叫びそうになるのをルイはかろうじてこらえた。
ここにある、返信はそう告げていた。存在するというだけの意味だなんて悪い冗談だ。それは俺の両親が、両親の死後は俺が探し続けてきた、世界にたった一本しかない鎖なのに――ルイは見えない電話の相手を睨みつける。
ルイには鎖を持たずに待ち続けているティソの懐中時計が、ポケットの中で息を詰めているように思えた。
かつては栄華を極めたロシア貴族が所有していた、美術館に展示されても遜色ない懐中時計。それがアンティークに興味のない一青年の、古着のワークパンツのポケットで我慢しているのはひとえに、対となるべき金鎖をルイが探してやれるからだ。
『申し遅れました、わたしはアトランタ支店長のFran。あの鎖は三日後に開店するフロリダ・キーウェスト支店に展示する予定で、すでに輸送途上にあります』
獲物を目前で取り逃がす。そんなサイクル、遺産には真っ平だとルイは内心毒づいた。
ここで流れを翻さなきゃならない――ルイが平静を取り戻そうとするあいだ、受話器の向こうからは客らしき遠いざわめきが聞こえていた。
「分かった、キーウェストで見せてもらう」
『もう一度繰り返しますが。お売りする、とは申しておりません』
「買うとも言ってない」
くすりと笑い声がした。鼻先でなく喉の奥で笑うような衝動的な笑いは、ルイにとって幸先のいい知らせだ。
『ではAurore et Crepusculeのルイ様、オープニングパーティーにご招待致しましょう。三日後の正午、キーウェストにてお待ちしております』