「誰にも言うなよ」と言われましても、そのお声、ただいま全国放送中です
「おい、ベルナ!」
扉が、壊れそうな音を立てて開いた。
立っていたのは、クラウス・ヴァイスベルク伯爵令息。
私——ベルナデット・ローゼンダルトの、婚約者だ。
いつも通り、部屋に入る前からもう怒っている。
何があったのかは大体予想がついているけど。
「いつまで待たせる気だ。俺が来たら、玄関まで出迎えるのが筋だろうが」
「申し訳ございません。作業の途中で、お越しに気づかず——」
そう言い終わる前に、頬が鳴った。
——パチンッ!
咄嗟に頬を抑える。
頬が熱く、耳の奥が、きいんと痛む。
「口答えするな。ローゼンダルト男爵家の娘ごときが」
出迎えが遅れたのは、ほんのわずかな時間だ。
それに、事前に来るという連絡すらもなかった。
それでも責められるのだから、こういう理不尽さにはもう慣れっこだ。
ヴァイスベルク伯爵家の嫡男、クラウス。
王立学院を首席で卒業し、剣の腕は同年代の誰より立つ。
誰にでも穏やかに微笑み、道端の老人にさえ手を貸す。
社交界では「完璧な貴公子」と呼ばれ、来月には誇り高き王国騎士団への入団も決まっている。
つまり、国中が、彼を信頼しているのだ。
——ただし、それは私の前以外での話だ。
「まったく。地味で、陰気で、ガラクタいじりしか能のない女を押しつけられて、俺がどれだけ迷惑しているかわかっているのか」
作業机の上の作りかけの魔導具を、彼は乱暴に押しやった。
がしゃん、と小さな部品が床に散る。
「いいか。お前は黙って、俺の言うことを聞いていればいいんだ。そもそも婚約者というのはな——」
お説教が始まった。
こうなると、長い。
(……今日までに作るべき魔道具があったのに)
その時、作業机の端で、一輪挿しの花瓶の底がふっと淡く光った。
(ああ。もう、そんな時刻なの)
私は床に膝をつき、作業机の下へ手を伸ばした。
裏板に取りつけた、小さなつまみを探る。
「おい、何をごそごそしている。人が話している最中だぞ」
「申し訳ございません。少しだけ、止めなければならないものが——」
「ガラクタなんぞ後にしろ! 俺の話より大事なものがあるのか?」
にべもなく言われて、私は手を引っ込めた。
「……いいえ。かしこまりました」
止めるなと言われたのだから、仕方がない。
私は散らばった部品だけを拾い集めて、ゆっくりと立ち上がった。
「で、どこまで話した。ああ、そうだ。婚約者ってのはな、黙って夫を立てるもんなんだよ」
「……そのことですが、クラウス様は、来月から騎士団にお入りになるのですよね?」
「ああ、それがどうした、バカ女」
「騎士とは、弱き者を守る方だと存じております。婚約者に手を上げるような方が、騎士にふさわしいとは思えませんが」
「ははっ、弱き者を守るだと? 笑わせてくれるよ、全く。騎士というのはな……」
彼はそれから聞かれてもいないことまで、たっぷりと語った。
私はときどき、短く問いを挟むだけで満足してくれた。
——騎士団長様はお元気ですか?
——そういえば、今日は、公爵家のお茶会ではありませんでしたか?
——領地の水路工事は順調ですか?
——国から補助金が出たと伺いましたが?
どの問いにも、彼は予想通りの答えを返してくれた。
面白いくらいに、すらすらと。
「このことは誰にも言うなよ? でも、まあ——」
「……」
「どうせ、お前の言うことなんて誰も信じないだろうがな」
そう信じているからこそ、クラウスは私の前でだけ、何ひとつ隠さないのだろう。
叩かれた日々も。
ドレスの下に痣ができた日も。
クラウスは最後に必ず、そう言って笑った。
私が何を訴えたところで、皆が信じるのは彼の方だ。
彼はそれを、誰よりもよく知っていた。
「ああ、そうだ。ついでに言っておく」
クラウスは髪をかき上げ、私を見下ろした。
「お前との婚約は今月いっぱいで破棄する。拒否権はない。理由は、お前の不貞ということにしておいてやろう。俺がそう言えば、誰もがそれを信じる。なあ、面白いだろ?」
そして、楽しそうに続けた。
「——これが揺るぎない信頼ってもんだ」
私は口元が緩んだのを隠すように、うつむいた。
「ええ。存じておりますとも、クラウス様」
ただ、彼は未だに気づいていない。
作業机の端にある、小さな一輪挿しの花瓶に。
◇
一方、その頃。
王都の北にある王国騎士団の本部では、ささやかなお祝いムードに包まれていた。
「いやぁ、しかし、あの男がこの騎士団に入れば、この国はこれから安泰ですな」
白髪まじりの副団長が、団長室で目を細める。
「そうだな」
騎士団長ランス・グラヴオードは、書類から目を離さずに頷いた。
古参騎士の引退が相次ぎ、騎士団は世代交代の時期を迎えていた。
二十四歳という若さで団長に任じられたランスにとって、次代を担う新人は喉から手が出るほど欲しかった。
そして、面接で会ったクラウスは、まさにその器に見えた。
礼儀正しく、謙虚で、剣の腕も申し分ない。
「私もそろそろ先が長くありません。ランス様の右腕となる人材が、ようやく——」
ばん、と扉が叩き開けられた。
「騎士団長!」
副団長の話を遮り、駆け込んできたのは、若い騎士だった。
肩で息をし、顔は真っ青だ。
「何事だ」
「そ、外で……とにかく、今すぐこちらへ!」
説明する余裕もないらしい。
案内されたのは、本部の門を出てすぐの通りだった。
そこに一本、真新しい石の柱が立っている。
先端には、ラッパの花のような形の魔導具。
王家の許可で数週間前に建てられた、国の告知塔だ。
災害や戦の知らせを、国中に一度に届けるためのものだと聞いている。
その告知塔から、声が垂れ流れていた。
『ああ、それがどうした、バカ女』
聞き覚えのある声だった。
たしか、あの面接で、穏やかに微笑んでいたあの男の声。
だが、聞こえてきた声には穏やかさの欠片もない。
『——団長? ああ、あの平民上がりの若造か。少し頭を下げてやったら、すっかり俺を気に入りやがった。剣が振れるだけのヘタレだよ。三年もあれば追い落としてやる』
『では、団長様の下で励まれるおつもりはないのですか』
『誰があんな奴の下で。危ない辺境の任務は平民の騎士に押しつけて、手柄は全部俺のものにする。騎士団なんて、伯爵家の私兵にしちまえばいいんだよ』
通りには、人がいつの間にか集まっていた。
——なんなんだこれは!
——これは、やはりクラウス殿の声だろう?
——あの若造は、何様のつもりだ!
部下たちがざわめき、副団長が顔を険しくした。
それを横目に、ランスは黙って柱を見上げていた。
(この柱を建てに来たのは、たしか一人の若い女だった)
工具箱を抱えて、たった一人で。
手伝いを申し出たが、丁寧に断られた。
袖口からのぞく手首に、古い痣があったのを覚えている。
『これからお世話になる方々にそのような言葉はお控えするべきかと』
『——黙れ、ベルナ。誰が口を開いていいと言った』
柱の向こうで、パチン、と鈍い音がした。
女が小さく息を漏らす声。
ランスは、静かに副団長へと振り向く。
「馬を出すぞ」
◇
同時刻、王都の西、公爵家の庭園にて。
花々に囲まれた中庭では、貴婦人たちのお茶会が開かれていた。
主賓は、お忍びでいらした王妃陛下だ。
「クラウス様、今日はいらっしゃらないのですね」
公爵令嬢マルグリットが、ため息まじりに紅茶をかき混ぜる。
彼女がクラウスに熱を上げていることは、社交界では周知の事実となりつつあった。
「クラウス殿なら、体調を崩されたそうよ。先ほど、公爵夫人のもとへ知らせが届いたとか」
王妃陛下は紅茶を一口含み、いたずらっぽく目を細める。
「けれど、マルグリット。婚約者のいる殿方を狙おうだなんて、考えないことよ?」
「め、滅相もございませんわ、王妃陛下! ……しかし、お加減が悪いのでしたら、仕方がありませんわね」
庭園の塀のすぐ近くににも、告知塔が立っていた。
先月、ある若い者によって建てられたばかりだった。
『そういえば、今日は、公爵家のお茶会ではありませんでしたか?』
『ああ。体調が悪いと言っておいた』
カップが、テーブルの上で音を鳴らした。
マルグリットには聞き覚えのある殿方の声だった。
『……せっかくのお誘いでしたのに。マルグリット様も、楽しみにしていらしたでしょう』
『だからだよ。ああいう女は、少し焦らしたほうが食いつきがいい。次に会ったとき一言褒めてやれば、すぐ尻尾を振る』
『食いつき……まるで、マルグリット様を釣ろうとなさっているみたいでは』
『釣ってんだよ。公爵家の娘だぞ? お前と別れたら、次はあいつだ。金づるとしては悪くないだろ』
マルグリットの顔がさっと強張った。
貴婦人たちも一斉に手を止めた。
その代わり、神経を耳に集中させる。
『ですが、今日は王妃陛下もお見えになるのでは?』
『バカか? あの化粧の濃いババァが一番面倒なんだよ。だから休んだんだ。あいつがいる茶会は、退屈でかなわん』
——ぱきっ。
公爵夫人の手の中で、ティーカップの取っ手が折れた音だった。
対照的に、王妃陛下は、にこりと微笑んだ。
そのお顔を見た侍女長が、そっと一歩下がった。
まるで次に来る要求がわかったように。
「……馬車のご用意を」
◇
さらに同じ頃。
王城の宰相執務室には、ヴァイスベルク伯爵その方がいた。
「ご子息の騎士団入りの件、まことにめでたい」
「恐れ入ります、閣下。愚息ながら、国のお役に立てればと」
宰相が頷き、一枚の書類を手に取る。
「ところで、ヴァイスベルク領の水路工事の報告書だが、経過はいかがかね。補助金を出したはずだが」
「順調だと、愚息からは——」
使用人が空気を入れ替えようと、窓を開け放つ。
その途端、王城前の広場の告知塔から、とある声が流れ込んできた。
『補助金? 半分は賭場の借金に消えたさ。水路なんて、どれだけ経っても完成しねえよ。工事に失敗したとでも言っておけば、誰も疑わない。親父も年を食って、俺の報告書なんて読みもしないしな』
伯爵の顔がさっと、青ざめた。
『……ですが、次の大雨が来たら、領民の方々が』
『何人か流されるかもな。どうせ平民だ、いくらでも湧いてくる。国庫の金だって誰の金でもないだろ。少し減ったくらいで、あの呑気な国王が気づくものか』
宰相の手から、ご自慢の羽根ペンが落ちた。
広場の民衆のざわめきが、窓越しに聞こえてくる。
それが怒号に変わるのに、そう時間はかからなかった。
「……伯爵。ご子息は今、どちらに」
「婚約者の……いえ、ローゼンダルト男爵家、のところに……」
そういえば、と宰相は目を閉じた。
ローゼンダルト男爵家。
国中に声を届ける塔を作りたいと、たった一人で王城へ企画書を持ち込んできた、若い魔導具師の家名だ。
宰相はゆっくりと目を開く。
「近衛を呼べ」
◇
クラウスは、およそ一時間ほど喋り続けていた。
騎士団のこと。
社交界のこと。
領地のこと、お金のこと、国王陛下のこと。
話せば話すほど、気分が良くなるらしい性格は昔から変わっていなかった。
「——だいたい、お前みたいな女はな……」
——コンコン。
扉が叩かれた。
「ク、クラウス様!」
飛び込んできたのは、彼の従者だ。
焦り具合からするに、急用らしい。
「玄関先に騎士団長様がお見えです!」
「……団長殿だと? こんな時間になんの用だ、まったく」
クラウスは舌打ちをして、それから一瞬で表情を作り変えた。
まるで見事なものだ。
今の今まで婚約者を説教していたとは思えないほど、彼は穏やかな貴公子の顔をしていた。
階段を上がってきたランス団長を、彼は両手を広げて迎えた。
「団長殿! こんな遅くにどうなさいましたか。わざわざ私の元を訪ねてくださるとは光栄です」
「——入団の件は白紙だ」
「……はい?」
笑顔のまま、クラウスが硬直する。
「それは何かの手違いでは? 入団試験では、あれほど評価してくださったではありませんか!」
「ああ。だから俺も、ヘタレなりに考えたつもりだ」
団長は、淡々と続けた。
「平民上がりの若造の下で働くのは、さぞ不本意だろうと思ってな」
クラウスの頬が、ぴくりと引きつった。
それは、ほんの少し前に、彼がこの部屋で口にした言葉だった。
「な……ぜ、それを……?」
彼の視線が、私に向く。
けれど私は、この一時間、一歩もこの部屋を出ていない。
——コンコン。
考えを巡らせる間もなく、また扉が鳴った。
「クラウス様っ、今度は公爵家の馬車が! それに、王家の紋章の馬車も!」
クラウスの表情が、ぱっと明るくなった。
救いの手が来たとでも思ったのだろう。
上がってきたのは、目を真っ赤にしたマルグリットだった。
「マルグリット嬢、わざわざお見舞いに来てくださったのですか?」
彼はわざとらしく肩を落とし、力なく微笑んだ。
流石、仮病のふりは忘れていないらしい。
「お茶会を欠席して、申し訳ありませんでした。まだ本調子ではないのですが……あなたの顔を見たら、すっかり良くなりましたよ」
それから彼は声を落とし、助けを求めるような眼差しを向けた。
「実は今、団長殿に、私が言ってもいない悪口を言ったと責められまして。きっと誰かが、私を妬んで嘘を吹き込んだのでしょう」
「まあ、お可哀想に。言ってもいないことで責められるだなんて」
マルグリットは、赤くなった目のまま、聖母のように微笑んだ。
「実は、わたくしもひどい噂を耳にしましたの。クラウス様が、わたくしのことを『少し焦らして一言褒めれば、すぐ尻尾を振る女』だとおっしゃったとか」
「そ、そんな、まさか……」
「ええ、わたくしも信じておりませんわよ、まさかクラウス様がそんなことを言うだなんてありえませんもの」
「よ、よかった……! さすがはマルグリット嬢。本当に聡明で、素敵な方でありますね!」
クラウスはマルグリットを前に、たちまちいつもの愛想のよい笑みを取り戻した。
「まあ、褒めていただけるなんて。とても嬉しいですわ」
マルグリットは、うっとりと頬に手を添えた。
「お茶会を休まれて、お会いするなり一言褒めていただいて。……噂のとおり、尻尾を振ってしまいそう」
その一言にクラウスの笑みが、ぴたりと止まった。
「婚約者様と別れたら、次はわたくしの番。公爵家の金づるとしては悪くない——でしたかしら」
「マ、マルグリット嬢……?」
「クラウス、状況が読めていないようですので、忠告申し上げますが——」
そこで彼女は、すっと笑みを消した。
「二度と、その口でわたくしの名を呼ばないでくださいませ」
クラウスが、言葉を失う。
マルグリットは静かに一歩、脇へ退いた。
「それに、あなたにお話があるのは、わたくしだけではございませんの」
その後ろで、衣擦れの音がした。
侍女たちが左右に下がり、道を開ける。
ゆったりとした足取りで現れたのは、王妃陛下ご本人だった。
クラウスが、弾かれたように膝をつく。
「お、王妃陛下……! このような夜分に、自らお運びくださるとは。次のお茶会も、心より楽しみにしております」
「まあ? 退屈で仕方ないのではなくて?」
王妃陛下は、優雅に微笑まれた。
ただ目の奥底だけは、少しも笑っていなかった。
クラウスは、それが何かしらの皮肉だと気づいたようだった。
「面倒で化粧の濃い年増顔など、見たくもないでしょうから、ここは簡潔に済ませますわ」
陛下の声から、すっと温度が消えた。
「あなたのような方を招く家は、この国にもうひとつもございません。——社交界から、消えなさい」
「なぜですか、王妃陛下! なぜ、そのようなことを……」
そう言いかけて、クラウスは口が閉じた。
王妃がなぜそう仰ったのかは、彼自身が一番よく知っているはずだ。
——コンコン。
最後に現れたのは、宰相閣下と近衛騎士たちだった。
その後ろに、ヴァイスベルク伯爵の姿もあった。
「父上! ちょうどよかった、皆様が何か誤解をなさっていて……父上からも、どうか説明を」
「黙れ、貴様——私を父などと呼ぶでない!」
伯爵は、愚息の振る舞いに言葉もないといった声を漏らした。
愚息本人は、それを聞いて、その場に立ち尽くしていた。
「クラウス・ヴァイスベルク。治水補助金横領、および国王陛下への不敬の疑いで拘束する」
背後にいた宰相閣下の宣告とともに、近衛騎士が両腕を取る。
引きずり起こされながら、クラウスは私に向かって叫んだ。
「お前……お前、何をした!」
「何もしておりませんけど」
私は作業机の端から、一輪挿しの花瓶を持ち上げた。
底に刻んだ魔法陣が、淡く光っている。
「国王陛下のご依頼で、国中に声を届ける告知塔を作っておりました。これは、その集音器です」
「集音器だと……?」
「本日はちょうどその試験放送の日でしたの。決まった時刻になると、ひとりでに動き出す仕掛けになっておりまして」
クラウスの目が、作業机の下へ向いた。
「ま、まさか……あの時の……」
「ええ。この部屋の声は、一時間ほど前から国中に流れております」
クラウスは、目を見開き、それから、真っ赤になって叫んだ。
「だ、騙したな! 最初から俺を嵌めるつもりだったんだろう!」
「まあ、人聞きの悪い」
私は小首をかしげた。
「私、あの時ちゃんと止めようといたしました。ですがクラウス様が、『ガラクタなんぞ後にしろ』とおっしゃいましたので」
「なっ……」
「お言いつけどおり、後にいたしましたけど?」
クラウスは、それに何ひとつ言い返せなかった。
代わりに、慌てて周囲へ向き直る。
「み、皆さん、誤解です! 私はこの女に嵌められたのです! 私を信じてください!」
答える者は、誰ひとりいない。
だから私は、彼に一歩ずつ近づいていくことにした。
何百回も聞かされた言葉を、そのまま返して差し上げるために。
「クラウス様」
にっこりと、微笑むのをやめた。
「——あなたの言うことなんて、もう誰も信じませんわ」
◇
その後、クラウスは伯爵家から廃嫡された。
補助金横領、国王陛下への不敬。
そして、婚約者への度重なる暴行。
すべての罪が重ねられ、言い渡されたのは貴族籍の剥奪と、終身の労役。
加えて、王都の広場での鞭打ち百回。
彼が「いくらでも湧いてくる」と嗤った民衆が見守る前で、刑は毎週執行されている。
労役場所は、ヴァイスベルク領。
彼が「完成しねえよ」と言った水路を、今度は自分の手で掘ることになったそうだ。
婚約は、もちろん彼の有責で破棄された。
ヴァイスベルク伯爵は深く頭を下げ、男爵家が困らないだけの慰謝料を払ってくださった。
告知塔は正式に国のものとなり、私は王宮付きの魔導具師に任じられた。
あの日の放送は「告知塔の有用性を国中に示した試験放送」として、記録に残されている。
(……少し、いたたまれないけど)
「また、一人で運んでいるのか」
新しい告知塔を建てに来た現場で、低い声がした。
振り返ると、ランス団長が私の工具箱を取り上げていた。
「だ、団長様。お仕事は?」
「今日は非番だ」
彼は先日も非番で、その前の週も非番だった。
騎士団は、そんなに暇なのだろうか。
「——あの日」
柱の根元に工具箱を置いて、団長がぽつりと言った。
「この塔を建てに来たとき、手首に痣があるのが見えた。気づいていながら、何も聞かなかった。……すまない」
「団長様が謝ることでは」
「騎士として、見過ごすべきではなかった」
彼は、少しだけ言いよどんだ。
視線を工具箱に落としたまま、言葉を選ぶように。
「だから、これからは何かあれば頼ってくれ。ローゼンダルト嬢の言葉なら、俺は必ず信じる」
思いがけない言葉に、彼を見つめることしかできなかった。
——お前の言うことなんて、誰も信じない。
ずっとそう言われ続けてきた。
それが正しいと思って疑わなかった。
だからこそ、信じると言ってもらえたことが、たまらなく嬉しかった。
私は少し顔を伏せ、団長に向き直った。
「……では、さっそく一つ、頼ってもよろしいですか?」
「なんだ」
「次の塔を建てるときも、手伝っていただけますか」
団長は目を瞬かせて、それから、少しだけ笑った。
「ああ。ちょうど、その日も非番だ」
「まだ日取りをお伝えしておりませんが」
気まずそうに頬をかく団長につられて、私も小さく笑ってしまった。
頭上の告知塔が、春の光を弾いてきらりと光る。
次にこの塔から国中に流れる知らせは、もしかすると。
——婚約の報せになるのかもしれない。
(了)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
楽しんでいただけましたら、ページ下部の ★★★★★ から評価をいただけると、とても励みになります。
ブックマーク登録・感想・誤字報告も大歓迎です。




