第一話 始まり
「もう一度……。
神様が巡り合わせてくれる。
きっと、またすぐに会える。
だから――信じていて。」
部屋の中は静まり返っていた。
時計の秒針が刻む「カチ、カチ」という音だけが、静かな空間に響いている。
フウはフード付きのパーカーを羽織ると、ゆっくりと玄関のドアを開けた。
差し込んできた朝の陽射しに思わず目を細める。
眩しいはずなのに、不思議と嫌な気はしなかった。
むしろ胸の奥から、少しだけ力が湧いてくるような気がした。
「……散歩でも行くか。」
「このまま家にいたら、退屈で死んじゃいそうだ。」
目的なんてない。
ただ、何かが変わるきっかけを探したかった。
そんな曖昧な気持ちのまま、フウは街へ歩き出した。
しばらく歩いていると、一軒の楽器店が目に入る。
店先には何本ものギターが飾られていた。
少しだけ足を止めて眺めてみる。
けれど、中へ入る勇気はなかった。
車のクラクション。
すれ違う人たちの話し声。
街中の騒音だけが耳に残る。
「せっかく出てきたのに……。」
「結局、何も変わらないじゃないか。」
小さくため息をついたフウは、そのまま家へ戻ることにした。
だが――。
いつもの帰り道ではなく、少し遠回りをしてみようと思った。
それが、すべての始まりになるとも知らずに。
歩き続けると、公園のほうから賑やかな歓声が聞こえてきた。
大勢の人が、一つの場所を囲むように集まっている。
「……何だろう?」
気になったフウは、人混みの中へゆっくりと入っていく。
その瞬間。
耳に飛び込んできたのは、大きな声だった。
「それでは次の曲です!」
「俺たちのオリジナル曲――『Parallel』!」
歩みを止めることなく、人混みをかき分けながら前へ進む。
「すみません……。」
「失礼します……。」
何とか最前列までたどり着いた、その瞬間――
ドンッ!
腹の底まで響くようなドラムの一撃が、公園を包んでいた静けさを一瞬で打ち砕いた。
続いて鳴り響くのは、リードギターのイントロ。
決して派手な速弾きでも、難しいテクニックでもない。
それなのに。
たった数小節のメロディーが、不思議なくらい胸の奥へ入り込んでくる。
(……なんだ、この音。)
思わず息をのむ。
やがてボーカルの歌声が重なった。
力強く、それでいてどこか真っ直ぐな声。
一音一音が観客の心を揺らし、公園中へ響き渡っていく。
その後ろでは、ベースが静かにバンド全体を支えていた。
派手ではない。
目立つわけでもない。
けれど――多くの人が気づかないようなその低い音を、フウは確かに感じ取っていた。
力強く、それでいてどこか温かい響き。
その音があるからこそ、ギターも歌も、より一層輝いて聴こえた。
フウは気づけば、瞬きすることすら忘れていた。
目の前で鳴り響く音楽に、心を奪われていたのだ。
曲が終わる。
一拍の静寂。
そして次の瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が公園を包み込んだ。
それでもフウだけは、その場から動けなかった。
胸の奥に、まだ何かが残っている。
言葉では説明できない熱。
今まで感じたことのない高揚感。
思わず、小さくつぶやく。
「……かっこいい。」
その一言には、憧れも、驚きも、すべてが詰まっていた。
拍手はまだ鳴り止まない。
それでもフウの耳には、さっきのギターの音だけが何度も何度も蘇っていた。
あのメロディー。
あの表情。
そして、ステージの中央で誰よりも楽しそうにギターを弾いていた青年の姿。
(……あんなふうに弾けたら、どんな気持ちなんだろう。)
気づけば、口元が少しだけ緩んでいた。
「さっきのギター……本当にかっこよかったな。」
胸の奥から、自然と言葉がこぼれる。
「いつか……。」
「いつか、俺もあのステージに立ってみたい。」
その瞬間だった。
もう一人の自分が、心のどこかで小さく笑う。
「……本当に、お前なんかにできるのか?」
フウの足が止まる。
さっきまで燃え上がっていた熱が、一瞬だけ揺らいだ。
「……。」
確かに憧れはある。
だけど、自分は何かを最後まで続けられたことなんて、一度もない。
勉強も。
趣味も。
何を始めても、途中で諦めてしまった。
(やっぱり……無理なのかな。)
そんな考えが頭をよぎる。
しかし、そのとき。
「あっ……。」
公園の出口へ向かう人混みの中に、さっきまでステージに立っていたリードギタリストの姿を見つけた。
フウは反射的に駆け寄る。
「あ、あの!」
青年が振り返る。
「さっきのライブ、本当にかっこよかったです!」
「もしよかったら……一緒に写真、撮ってもらえませんか?」
青年は少し驚いたように目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「もちろん。」
「そんなに気に入ってくれたのか?」
「はい!」
フウは迷わずうなずく。
その返事があまりにも真っ直ぐだったからか、青年は少しだけ照れくさそうに笑った。
「そうか。」
「……じゃあ、一つだけ聞いてもいいか?」
「君も、ギターをやってみたいと思った?」
フウは一瞬だけ言葉に詰まった。
それでも、小さくうなずく。
「……はい。」
「やってみたいです。」
「でも……。」
少しだけ視線を落とし、苦笑いを浮かべる。
「自分に向いてるのか分からなくて。」
「それに、俺……飽きっぽい性格なんです。」
「何を始めても、長く続いたことがなくて……。」
青年はその言葉を聞くと、少し懐かしそうに笑った。
「……そうか。」
風が静かに吹き抜ける。
ライブが終わった公園は、さっきまでの熱気が嘘だったかのように落ち着きを取り戻していた。
青年はギターケースを肩に掛け直しながら、ゆっくりと口を開く。
「実はさ。」
「昔の俺も、まったく同じことを言ってた。」
「『どうせ自分には無理だ』って。」
フウは思わず顔を上げる。
青年は空を見上げ、小さく笑った。
「何度もやめようと思ったよ。」
「ギターをケースにしまって、『もう終わりでいい』って思った日もあった。」
少しだけ間を置いてから、彼は続ける。
「でも、不思議なんだ。」
「そのたびに、またギターを手に取ってた。」
「理由なんて、今でも分からない。」
青年はフウのほうへ視線を向ける。
穏やかな笑顔だった。
「だからさ。」
「考えすぎなくていい。」
「まずは一本、ギターを手に取ってみろ。」
「毎日少しずつ弾いてみればいい。」
「その意味は――」
彼は優しく笑う。
「続けていれば、そのうち分かる。」
その一言は、大きな声だったわけでもない。
特別な言葉だったわけでもない。
なのに。
胸の奥で消えかけていた小さな炎が、もう一度静かに灯った。
フウはしばらく何も言えなかった。
胸の奥で、小さな何かがゆっくりと動き始めている。
それが何なのか、自分でもまだ分からない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
――もう一度、やってみたい。
青年は軽く手を振り、歩き出す。
「あ、それと!」
フウは慌てて呼び止めた。
「最後に、一つだけ聞いてもいいですか?」
青年は足を止め、振り返る。
「……お兄さんの名前、教えてもらえますか?」
青年は少しだけ笑って答えた。
「NieZ。」
たった一言。
けれど、その名前は不思議なくらい自然にフウの心へ刻まれた。
「ありがとうございました!」
深く頭を下げる。
青年は背中を向けたまま片手を軽く上げ、人混みの中へと消えていった。
フウはその姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。
そして、小さく息を吸う。
「……よし。」
「今回は、やってみよう。」
「失敗したっていい。」
「俺は、本物のリードギタリストになる。」
決意を胸に抱いたまま、フウは駆け出した。
向かった先は、さっき通り過ぎた楽器店だった。
勢いよく店の扉を開く。
店内には、色とりどりのギターが静かに並んでいる。
店員が優しく声をかけてきた。
「何かお探しですか?」
フウは少し照れくさそうに笑いながら、店内をゆっくり見て回る。
一本。
また一本。
視線を巡らせていると――
ある一本のギターの前で、足が止まった。
(……これだ。)
理由は分からない。
けれど、そのギターを見た瞬間、自然と笑みがこぼれていた。
それはまるで、ずっと前から自分を待っていてくれたかのようだった。
◇ ◇ ◇
家へ帰ると、フウは待ちきれない様子でケースを開ける。
新品のギターを肩へ掛け、鏡の前へ立った。
そこに映っていたのは、まだ何も弾けない少年。
それでも。
今までの自分より、少しだけ誇らしく見えた。
「……かっこいいじゃん。」
思わず笑みがこぼれる。
ピックを手に取り、弦へ触れようとした、そのとき。
ふと手が止まった。
「…………。」
そして、静かにつぶやく。
「――最初は、何から始めればいいんだ?」
その小さな疑問こそが。
フウという少年の、本当の物語の始まりだった。
あとがき
まずは、私の初めての作品を読んでくださり、本当にありがとうございます。
日本語は母国語ではないため、表現が少し不自然なところもあるかもしれません。それでも、『Hibike! Rock!』を応援していただけたら、とても嬉しいです。
皆さんの応援が、次のエピソードを書く大きな励みになります。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。




