第五章
零が目を閉じかけた、その瞬間。
視界が黒く染まった。
宙に浮く感覚。
温かい…
死とは、こういうものか――
そう思った。
だが、次の瞬間、軽い衝撃が体を揺らす。
零は目を開いた。
黒いジャケットの男が、自分を抱きかかえていた。
一瞬…
息が詰まった…
瓦礫の上を、大きく跳ぶ。
一度、二度。
気づけば、妖魔から数十メートル離れていた。
男が零を見下ろす。
呆れたように言った。
「なんて無謀なことをするんだ……」
ふと視線が、零の耳元に向く。
星型のイヤリングが揺れていた。
男は小さく息を吐く。
「星が泣いてるぞ」
「え…」
思わずイヤリングに触れてしまう。
「ここにいろ」
男が立ち上がると、左腕から血が垂れていた。
「その手…」
「ああ…ミスった。ギリ躱せたはずだったんだがな…」
男はジャケットのポケットからハンカチを取り出し、零に握らせる。
「顔を拭け。砂埃と涙でグチャグチャだ…」
「あの…」
周囲では、銃声や妖魔が街を破壊する音がしている。
男は、それ以上は話さず、妖魔に向かっていく。
我に返った零がインカムに叫ぶ。
「男が一人、妖魔に向かっている!民間人だ!発砲する際は、注意しろ!」
妖魔が飛び跳ねながら、男に向かってくる。
男も走る。
妖魔に向かって瓦礫の上を一直線に。
男は振り降ろされる爪を瞬きもせず躱し、右手でパンチを放つ。
その瞬間、右手が光った。
妖魔の胴体が破裂し、紫色の液体が男にかかる。
男は笑みを浮かべる。
「アイツか…噂の黒いジャケットの男っていうのは…」
イヤホンから、特異隊員の呟きが聞こえる。
男は別の妖魔の腕を取り、そのまま引き千切る。
男の腕からは、血が垂れている。
それにも構わず、蹴りを繰り出す。
妖魔は吹き飛びながら腹部を破裂させ、頭部が建物に衝突し、瓦礫の上に転がる。
開いたままの妖魔の口内は、赤かった。
若い自衛隊員の一人が、残った妖魔に銃を撃ちながら、前進する。
「立花、前に出過ぎだ!引き返せ!」
イヤホンから、自衛隊指揮官の声が響く。
「俺だって…妖魔の一匹くらい…仕留めてやる!」
立花の叫び声がイヤホンから響く。
「止めろ!」
「無茶するな!」
仲間の警告を無視して、立花は前進していく。
妖魔が自衛隊員に飛びかかる。
男も振り向くが、間に合わない……
空間が切断され、妖魔の胴体が、二つに別れ落下した。
零は、霞む視界に、自衛隊員の無事を確認する。
「すまない、東雲隊長」
イヤホンから自衛隊指揮官の感謝が聞こえた。
後…一体…
零の体力は限界だったが、その目は男を追って、離さなかった。
その視界の片隅で、瓦礫が持ち上がり、何かが現れた。
茶色地に赤い斑点だった身体は、黒く焼け爛れ片足が無いにも関わらず、四つん這いで、零に近づき始める。
零はライフルを撃とうとするが上手く持ち上げられない。
妖魔が爪を振り上げる。
視界の奥で、男が振り向く。
遠過ぎるよ…バカ…
妖魔の頭が変な角度に傾き、落ちる…
その瞬間、妖魔の頭の一部が爆発し、火を吹いた。
これは…
「隊長…やりましたよ…。ノルマ…達成…です…」
イヤホンに、宮岡の震える声がした。
零が振り返ると、救急車の傍に宮岡が倒れていた。
「宮岡!」
応答はない。
医療班が宮岡を救急車に乗せるのが見えた。
宮岡は病院に行かず、救急車の外で妖魔戦を見ていたのだろう…
そして、私の危機に…
無理して…異能を…
零の目には、涙が浮かんでいた。
異能隊の援軍は、その後、すぐに到着したが、全て終わった後だった。
零も担架で運ばれて行く。
薄れる意識の中で、男の温かさに包まれているような気がしていた。




