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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第一章

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1-3『黄金の刻』

ルカはいつも軽装だった。肩当てと腕部だけ薄い鎧をつけ、城内では剣を腰に差すこともなかった。角がないというだけで魔族となんら変わりがないのだ。彼女は徐々に生活をつくりあげていった。周囲は彼女を人間ではなく、ルカとして受け入れることを選んだのだ。

ある日、城の外に出ていたルカが傷を負って戻ってきた。

山の気候は変わりやすく、晴れていたと思えば午後に急に雨が来ることも珍しくなかった。その日も朝方に雨が上がったばかりで、城壁の石からはまだ水が滴っていた。正門前は濡れた鉄の匂いと、泥の匂いが混ざって漂う。返り血に染まる一団の中からルカがでてくる。狩りに同行していた男が彼女を引き留め、大猟を祝おうと宴に誘った。丸い目をぱちぱちさせて、そのあとゆったりと細めた彼女は「かならず」と了承した。用事を片付けてくると言って賑やかな輪から離れると、物陰で倒れこむ。


俺はルカを拾い上げて人目を避けて医務室に行った。治癒者の肩越しに処置を受けるルカを眺める。俯く顔は険しい。自責の念にかられている時のルカはきゅっと唇を結ぶ癖があり、その日もそうだった。


廊下の外でまた雨が降り始めた音がした。山の雨はいつも唐突だ。その音を聞きながら俺は一言もしゃべらず、ルカも黙っていた。たまらず治癒者が大きなため息を吐いて俺たちを追い出した。

安静にと言いつけられて閉められた扉に、後悔から戻ったルカが慌てて飛びつく。「施錠されてる!?」ばか正直に宴に参加しても大丈夫か問いかける女に、俺は隣で驚き呆れていた。


「……酒など飲むな、踊りも、歌もやめろ」

「貴方がいうなら……ねえ、厨房へ手伝いにいった方がいい?」

「なんの為に」

「宴会ならきっと忙しくしているでしょう? 料理は任せてって得意がったことがあるの」

「負傷者にうろつかれても邪魔だ」

「あ、それもそうか……」


また唇がきゅっとなる。どうして負傷したかは知らないが、大方誰かを庇ったのだろう。


「……お前は狩りに参加した。ならば出された料理をたいらげることが務めだ。いま気にすべきは腹の具合の方だろう。お前は少食だ。大皿に怯えて悲鳴をあげたことがあったな」


彼女は目を見開くと、口元を手で覆った。肩を震わせてしばらく笑うと、目元を拭った。笑いながら泣いている。


「そんなこと、覚えていないで」


壁掛けの燭台が揺らめき、二人の影をひとつにしていた。


「助けてくれてありがとう。せっかく誘ってもらったから顔を出しに行くね」

「…………」

「貴方さえよければ、いっしょに」


差し出された手をみつめる。もし言うべきことがあるなら、おそらく一言だけだろう。



-



最後となった日。城の外は白く煙り、谷底すら見えなかった。


伝令が駆けこんで来た。王国軍の軍隊が森に入った。ルカが一人で出ていった、止める間もなかった、と肩で息をする門番は焦った様子で言った。ヴェルは何も言わずに城を出た。黒い室内着のまま、剣だけを掴んで出た。足元の石畳は湿って一面海のように黒く沈んでいた。城壁を飛び降り、霧の中に踏み込むと、すぐに匂いが変わった。土と草と、遠い血の気配が混ざった重い空気が俺をある場所に引き寄せる。


人馬が倒れる戦場に着いた時、ルカはもう倒れていた。

辺りは静かで俺以外に命の気配はない。駆け寄って女の上体を抱きかかえると血に混じって衣の匂いの奥にある彼女の香りが濃くなった。意識があるか、単純な問いかけにさえ反応がない。ルカの手は冷たくなっていた。泥のついた頬も、雨を吸った衣も、命のやせ衰えを報せている。腕の中で彼女の命がどんどん失われていくのがわかった。手の甲に、指の間に、触れているところから熱が抜けていく。その速さが怖ろしく、ヴェルはその手を強く握った。


「……ヴェ……ル」

「黙っていろ! 今連れ帰る」


言うべきことがあった。

今すぐ言えばまだ間に合うかもしれなかった。ルカの目はまだ開いていた。栗色の髪にはべったりと血がつき、いつもは頬のそばで溢れるような躍動をみせるのに、肌に張りついて離れない。眠りにつくような穏やかな目がヴェルを見ていた。何かを待っているようにも見えた。長い睫毛の先に、霧の湿りが光っていた。負傷をたいした苦に感じていないようでいて、ほとんど何の感覚もなかったのだろう。


ルカは目を、閉じた。


「おい……」


だらりと腕が垂れた。その震えがそのまま俺に伝わった。


「起きろ……」


ゆすっても折れた首が揺れるだけだった。


「———」


もう二度と、顔をあげて俺をみることはなく、名を呼ぶこともない。おのずと歩みが止まり、立っていられなくなった。落葉のうえに膝をつき、圧し掛かってくる現実から逃れようとした。だが時は容赦なく流れていく。

一度彼女を知ってしまった心は、ぽっかりと穴が開いたように空虚になることを怖れた。もうそこに何も埋めることもできず、一生を空しさと過ごしていくのだ。そう自覚すると、これまでの自分の存在がなんの意味もないものに感じられた。


「………………ルカ」


世界が軋む音がした。空は赤く燃え盛り、緊張がヴェルの体を包む。


突然光が溢れた。白く、白く、何もかもを塗り潰すような光が視界を覆う。霧ごと、泥ごと、川の音ごと、すべてを飲み込んでいく光だった。俺は目を閉じなかった。閉じる意味がなかった。握っていた手の感触だけが、最後まで残っていた。

飲み込まれる直前、ただ一つのことだけを思った。


言えばよかった。それだけだったのに、それだけが、できなかった。


光が、世界を満たした。



-



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