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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第一章

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1-1『黄金の刻』

無理だ、私はもうすでにお前を手放せない。

何千回分の記憶が積み重なっても、お前の笑い声だけは他と溶け合うことはない。夕暮れの回廊だった。山に囲まれた城では日の落ちが早く、石畳の上に橙の光が長く伸びたかと思うとすぐに翳る。宵闇が這いよるまでの短い時間だけ、冷たい石壁は金色に染まった。

沈みゆく太陽を美しいと形容する気にはなれなかった。金色に染まる世界を誰かのために徹底的に覚えてやる気もなかった。書きとどめておきたい事柄もないのだ。俺の目はねっとりとした闇を好み、光の前では少し霞んでしまう。だから太陽の最後の光が城を包むことさえ、にがにがしく思える。


この日は前の夜に降った雨が石の隙間に残っていて、空気は冷えていて、呼吸一つ成し遂げるだけで白くなった。居住区からの喚声が聴こえた。狩りにでかける一団があらかじめ決めてあった掛け声を叫んだのだ。そこには魔族が本来の残虐性を取り戻そうとする渇望が見て取れる。夜は俺たちの時間だ。


当然俺にも他者の生命を断つ力がある以上、携えた剣に添えた手が、澄み渡る鋼の奥に染み込んだ血の匂いを感じていた。もし魔王が誰も殺さなくなれば、尊厳をもぎとられた屍と化して、同胞たちは手を打って笑うだろう。だいいち、いまこうして回廊を歩いて何をするわけでもなく、やる事から逃げていることも妙だ。あれもこれも仕事が残っている。こんな姿をさらせば、笑いもなく、失望を説かれることになるだろう。


ルカが何かを言った。何を言ったのかはもう思い出せない。他愛ない、見分けられもしないことについてだ。ただ俺が黙っていると、ルカはそれを怒りだと勘違いして、少し慌てた声でもう一度同じことを繰り返した。栗色の髪が揺れた。意志の強い目が困ったようにこちらを見上げている。

それがおかしくて、俺は笑った。

自分が笑ったことに、自分で少し驚く。


ルカは唖然としていた。彼女が使うような、柔らかい言葉で言えば、ぽかんとしていた。俺が無を反芻しているうちに、ルカは笑った。彼女の笑みはしばらく止まらなかった。静かになっても、どちらも何かを言おうとしなかった。俺たちのあいだには、何か不可思議な気配、いや、香りのようなものが漂っていた。俺と彼女の不揃いな外見や種族にかかわらず、物言わぬ雄弁な光がそこに在った。


石畳の向こうで谷底の川がかすかに音を立てていた。断崖の上に建つこの城では、静かな夜に川の音だけが届く。遠く、低く、絶えることなく。ルカはその音を聴いているのか、回廊の際に立って山々を眺めている。胸元に添えられた指先は傷だらけだ。それは彼女が刻んできた苦悩の証だが、いまはそれすらも太陽の残り火が呑み込む。


彼女のいた場所、静けさを、覚えている。何かに心を動かされて、俺は彼女のそばに立っていた。言葉はない、居るだけでもう十分だった。



隣にいることが当たり前になるまでは、時間を要した。

魔王城の朝は霧が深い。山の稜線が白く煙り、城内の町に住む者たちが動き始める頃にはまだ視界が利かない。狩りから戻る大人を出迎える子どもたちの声が霧の中から浮かび上がってきて、獲物を乗せる荷車の車輪が続く。城の内側にはひとつの暮らしがあった。食物や動物を育て、炊煙が立ち、誰かが諭し、誰かが褒め、誰かが笑う。


俺は魔族を束ねる者としてずっとその中心にいたが、その中にいると感じたことは一度もなかった。ルカが来てからも俺は変わらず、輪の外で同族を眺めていた。


人間は我々魔族の領域を脅かし、嫌悪すべき種族だ。ルカは人間で、俺たちを滅ぼすべく王国より遣わされた勇者だ。

きわめて危険な存在であることは、その肩書きを知れば誰しも察するところであり、単独とはいえ魔王の居城に踏み込まれたとなれば、それは魔族に対する人間の宣戦布告となる。だが、彼女は魔族の子供たちと遊び、畑を耕し、石の裏側や樹陰の虫を見つけてはしゃいだ。その姿は自然で、昔から連れ立っていると錯覚するほどだった。城の中で育った子供たちは角のない彼女に憐憫を覚え、人間を知らないため、すぐに心を開けたようだった。帯剣せず、無防備な姿を平気でさらし、勇者の使命など終わりかけている感じだった。


信じられぬ速さで、みなの心に動揺が走っていくのをみた。

人間は憎いが、ルカのいる場所は絶えず光り輝いているから、ともかく異常を感じ、万一のことがないとも限らないと警戒しながら、かろうじて距離を取っている者が多かった。


俺の食事の時も、城壁の上に立つ時も、ルカは何も言わずにやってきて、隣に並んだ。

あるとき人間に襲われ、命からがら逃げてきた男がやっとの思いで城壁までたどり着いた。男にしてみれば何日もかけて飛んできたのに、目の前に人間がいたのだ。恐怖と焦燥にかたまった。だが、彼女は追い詰められた男の眼差しに頷くと、すばやく伝令の身代わりを買って出た。暑熱にあぶられる城壁を飛び降りて、仕事中の女や動物の群れを避け、軽々と壁まで飛び越えて、飯を頬張っていた男たちの横を「みんなを集めて!」と言いながら駆け抜け、ついに俺の元までたどり着いた。


彼女は大人しい静かな女ではなかった。執拗に雨脚を爆ぜる豪雨のように、怒涛に内側を侵し、流れ込んでくるのだ。






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