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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第三章

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3-6『循環』

「何を怒っている」


ルカの口上に男は何一つ動かされない。それどころかルカの行動を妄動とみているようだった。魔王は重ねて訊いた。


「お前は俺を殺しにきたはずだ。そうすることで王国が正常になると思っている。だから来たのだ」

ルカは渇いた口で叫び返した。

「わかっているなら、どうして抵抗しない!」

「無抵抗だから躊躇っているのか? それとも俺が魔族であるからか」


男の目がすぼまって、さらに深い闇が広がった。ルカは身を竦ませる。踏み込んではならない場所に踏み入ったと感じた。まとまった考えもないまま弾みで言い返してしまう。


「人間も魔族も関係ない……静止している者に手は出さない!」


それは本心だったが、詭弁であることはルカ自身が一番わかっていた。すかさず白刃をすくい上げるも空を切った。ただ物を言って欲しくなかったのだ。


「俺は魔王だ」


魔王の声色には感情の輝きというものが何一つない。ルカを見定め、静かで厳かな宣言をしていた。魔族領の広大な景色と城下にともる灯を背に立つ姿は異様に黒く、だというのに生き様は潔白であった。


「勇者よ、成すべきことを成せ」


―――魔王の首級を獲れ


あの日以来片隅に残り続けていた声はかき消された。心が冷えて、指一つ動かない。ルカは何も返すことができなかった。

あまりの言葉の鋭さに自分の首が打ち払われたと錯覚して、思わず首に触れる。緊張が指先を震わせていた。


ルカは眼前の男を怖ろしいと感じ始めていた。野生動物が瞬時に相手の力量を判別するのと同じように、この男とやりあうべきではないと本能が悟っていた。

この旅の最中にルカはずっと「魔王」について考えていた。雪に覆われた稜線を歩きながら白雲の向こうの山をみすえ、半ば雲に包まれても「魔王」という言葉を嚙みしめていた。


一歩、一歩踏みしめるごとに殺人へ近づいていく、そうした事実への恐怖はいつも不意に駆け上がってきた。人を殺すことと獣を殺すことは、同じ殺すという行為であることには変わりない。ルカはこれまでの生涯を振り返る。短く貧相な思い出を肉体ごと濾したとして残るのは家族への愛情だけだ。勇者として見い出せるものなど何もなく、すべては弟や妹の為に在った。


二人の為なら魔王を打ち取れる、そう思うことで恐怖を払ってきた。だがそうした逃避は「魔王」という言葉の中に誰の顔も浮かんでいなかったから叶っていたのだ。眼前の男は目があり、口があり、魔族といえど人間と変わるところなどない。瞳の奥に確固たる意志があり、なおかつ他者を理解する分別も持ち合わせている。


「……どうして、命を捨てる」


問いかけるルカの声は儚かった。内奥の露呈は一種の敗北宣言であることも理解しつつ、それでも問いかけずにいられなかった。魔王もまた真摯に言葉を返した。


「捨て鉢になりたいわけじゃない…………」

「国の、ためだというのか……?」


魔王は口元をかすかに上げただけで答えなかった。肯定にも否定にも取れた仕草だった。ルカは間合いを切った。


(自分の為ではなく、誰かのために死を怖れないというなら……それは……)


ルカの目に、漆黒の王に被さる形でもう一人の王が現れた。

見られている。そう意識した瞬間老王はルカの両腕を掴んでいた。


―――魔王が存在する限り、民は安息を知ることはない。なぜかわかるか?

―――何故ならこの世の不幸はすべて、魔王が存在することによって存在しているからだ。魔王がいなくなれば、世界は救われる。若い勇者よ、何も負い目を感じることはない。これは道徳的要請なのだ


ねっとりとした老人の声を破るように、別の声が響いた。


『切りたくない、やりたくないと、そう思うからやらなきゃならなくなる。先にやらなきゃ、相手はお前を切り殺そうとやってくるんだぞ………腹を決めろ、ルカ』


魔王は目を細めた。ルカの表情が変わったのだ。ルカは無意識に呼吸を止め、腹をへこませた。縄で肺をきつく縛りあげるようにして息を詰めて、全身を内側から膨らませるように節という節に力を込める。これは彼女が仕事前にしていた圧迫だった。






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