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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
第三章

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3-3『循環』

月が落ちる。木が密で、夜明けの光は木々の頭を照らすだけで地面には届かない。魔族領の森は鬱蒼として、漂う空気までも重く感じられる。


ルカは空を仰ぎ、息を吐いた。魔王城までの簡素な地図を火にくべて、星と遠山近山の位置を頼りに進み始めて三か月が経過していた。


斜面の傾き、枝葉の広がる向きで方角を調べ、樹皮にのこされた獣の爪痕、糞尿から生息する獣の種を察している。時には地面に耳をあてて獣の足音が遠ざかるまで辛抱強く待つこともあった。

今ルカの身は不浄な毛布の上にあるのではなく、壁で区切られた牢屋の中に在るのでもなかった。どこを見ても人の姿はなく、孤独があらわに見透かされる森の中に在った。


いくら武装しているとはいえ、ひとりで森を徘徊するのは捕食を待つようなものだ。だからルカは中空の木を蔓でつなぎあわせていかだを作り、水上で生活しながら順調に魔族領の奥地に入り込んだ。


いくつかの溪谷を抜けると、滔々と流れていた川が一閃のもとに途絶えた。向こうに立ち上る白煙が水面を隠しているのではない、大きな滝があるのだ。このまま流れに連なれば、滝口にでた瞬間空中に投げ出されるだろう。


ルカは冷静だった。縄をくくりつけた鉤爪を岸に投げると、一度目で木々の隙間を黙過した爪は戻らなくなった。足を踏ん張り、縄を手繰り寄せて、いかだごと川辺に寄る。無事にいかだを降りると、瀑布を横目に休息を取った。温厚な動物が喉を潤しにやってきたので、当然のように堅果を鼻先に投げた。

「魔王の城まで連れて行ってくれない?」そう囁くと、黒い瞳はルカの方を見たが、細い脚先で堅果は退けられてしまった。小さな笑い声が夕暮れに響く。


「ふふ…………ふ、ふっ……っ」


突然、笑みをつくった頬がにわかに手応えをなくした。ルカの体は笑いたくもないのに、いうことを聞かなくなった。動物は踵を返し、薄暗くなる川辺でひとりだ。孤独(ひとり)なのだ。


初めからこうだった訳ではない。母の死後、腹が空いたと泣く弟妹を路地裏に隠し、ひとりで森の中に入った。当然狩りの手法もわからず一先ず木の実を持ち帰ったが、美味しくもなく、茹でると蛆が浮いた。

鶏や鹿の肉は市場に並んでいたが、お金がなく、盗むという発想は生まれなかった。何度目かの挑戦で幼い獣を捕まえた時は、喜びはひとつもなかった。痙攣する体にとどめをさしてやらなくてはと、両手で握った短剣はいつまでも空中に在った。長いことその場にとどまっていると怒り狂った母獣とかち合い、腕の一本でももがれる覚悟で仕留めた。二つの躯を前に胃の中をすべて戻したが、それでもルカは泣けなかった。


捌いた肉を焼き、涎をのみこみ目を輝かせる弟妹に差し出すと、こんなに美味しいものを食べたのは初めてだと笑ってくれた。やっと食事らしいものを与えることができた喜びと、命を奪った悲しみに、自分の体が縦横に捌かれていくような感覚があって、ルカはたまらず愛しい弟妹の手をぎゅっと握りしめた。血の通う、痩せた肉の中に、悲しみなど詰めさせてはいけない。強靭な義務感だけがルカの支えだ。


「私が……幸せにしてあげるからね」


あの日捧げた言葉をつぶやく。霞む視界に気づかないように、膝の間に頭を挟んで、きゅっと目を瞑った。すると男の囁きが聴こえた。あの日の神官の声だ。


「これは神意だ、これは神意なのだ」


あの痩身の神官はしきりに人目を気にしていたが、儀式を終えると青白い顔を揉み込みながら、手のひらの中に言葉を吐いていた。言葉尻は鋭く、くぐもったざらざらの声音と相まって死の臭いがあった。

呟きの意味は彼にしかわからない。何が神意であるのか、ルカにはわからない。だがその昏い呟きはルカの耳にこびりついた。


神官は満足な説明もなしに、国を放り出される勇者の末路を知っていたのだ。全身から罪悪感がにじんでいたことにルカは早々に気づいたが、指先でつつくだけで今にも倒れてしまいそうな彼を保たねばならない気がして何も言わなかった。窪んだ眼に人間らしい醜さがあって、喜んでこんなことをしているとは到底思えなかったのだ。


「お人よしだ」——弟の声がした。


ノクスが言うならそうだね。ルカは心の中で微笑みを返した。幻聴だとわかっている。


「勇者よ、魔王の首級を獲り、この国を救う者よ」——また声。


玉座を歩いてきた老人は知己の友を抱くようにルカを抱き寄せようとした。しかし鎧に邪魔をされ、柔い肌を期待していた老人は不愉快な顔で体を離した。

赤い旗が飾られた煌びやかな広間には金細工の燭台がつり下がり、列をなす兵士たちの鎧もまた光っていた。若い女はルカひとりで、男達の視線はひとりの老人に集まっている。この国で一番偉いのは王様だと、母が言っていた。


鼻を抜けた不満を浴びていると、二の腕から肘までの鎧に覆われていない場所を撫でられる。骨の場所を確かめるように押し込まれた親指が、肘の内側を丸く一周した。

王様は朗らかな笑みを湛えながら、同じようで違う言葉をルカの耳元で囁いた。私の勇者よ、と。






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