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きみが死なない、その朝まで  作者: 夜行(やこう)
序章

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0-1『赤い空』

空が、赤い。


燃えているのではない。夕暮れでもない。この色をヴェルは知っていた。何千回と見てきた色だった。世界が終わる前の空は、いつもこうなる。

世界が終わるその時々のことを覚えているかといえば、ほとんどの記憶は曖昧で何から何まで濁っていた。透明な水の中に穢れを一滴落としたように、清純さもいつも壊されてしまう。


眼前に広がる残酷なまでに美しい赤の中にも、背後にせまる強靭な闇が感じられた。おそらくあれは自分の死が集大成されたもので、当然のことのように死でもって俺を迎えに来ているのだろうと、ヴェルはこれまでの経験にもとづいてそのような仮定とも空想ともつかないものに辿り着いていた。

今回もまた正解を見いだすことはできなかった。心は時をくりかえすほどに、関心を失っていく。これから死ぬとわかっていてもこわくはなかった。だが、見るたびに同じ色をしている空にどうしても悲しみが育つ。


城壁最上部の通路に風が来ている。

結いあげた銀髪がほどけそうになるが直す気にもなれなかった。抜けだした数本が風に持っていかれ、視界の端を横切る。


風下に将軍が立っていた。

短く整えられた白髪、整った口ひげ、視線の揺れはなく呼吸も乱れていない。こちらが幾度剣を打ち下ろしても、肩で構えた重剣で応戦される。思いのままに斬りあい、血剣の裏で足で瓦礫を蹴立てても、易々とさばききり、胸壁という舞台から排除されてしまう。剣戟以外の不測の事態すら吞み込んでしまえる男の顔には、これまで多くの讃嘆を受けてきた貫禄と余裕が刻まれていた。


すでに城内は猛火に焦がされている。四方にあがる火の手を背景に二人は距離を取った。銀の鎧が赤い空を照り返している。磨かれた鎧面に、ヴェルの黒い姿が歪んで映り込んでいた。

耳の上から直角に伸びたらせん状の角が、鎧の中では湾曲している。固く戒めたこの身は運命の前では口をさしはさむ機会すら与えてもらえず、ただ翻弄されるだけだ。皮肉に感じ、ヴェルは美しい形の唇をゆがめた。


それを余裕とはき違えて、将軍は身を遠ざけないまま視線で地面を撫でた。ヴェルはその一瞬の隙をつかなかった。将軍の口元に笑みが乗った。笑い声はない、だが侮蔑が口角で爆ぜていた。その行為はこれ以上ないほどにヴェルを失望させた。


ヴェルの背後に、ルカが倒れていた。

小柄な体は石畳に沈み、かろうじて肘で地面をつき、立ち上がろうとして立ち上がれない。剣を握っていた手は血にまみれ、乱れた髪が顔に貼りついて、表情をうかがい知ることはできない。

細い肩が、呼吸のたびに大きく揺れている。今すぐに治療しなければ、彼女はここで死ぬだろう。今すぐにここから連れ出さねばならない。だが、胸壁に通じる階段を駆け下りて、城門まで走って、城内に立てこもる同胞を見捨てたとして、彼女はここに戻ってきてしまうだろう。


何度も同じ体勢を見てきた。この石畳の上、別の日、別の時、何度も傷つく彼女をみた。これから何が起こるか理解していた。それでも彼女をみると、胸の奥に何かが刺さっているような強烈な感情が渦巻く。深奥に刺さったまま抜けない何かが、主張し始めている。


地上で最後の門扉が開いた。居住区に流れていく怒涛の声は豪快な嘲りに聴こえた。気づいたときにはヴェルは踏み出していた。

駆けだしてきた将軍の剣はルカに狙いを定めていた。身体が先に動いた。考えたのではない。肉が裂ける音がして、腕に熱さが走った。

重剣の反動をいなし、再び構えた銀の鎧が勇ましく鳴った。


「魔王が勇者をかばうか!」


端正な顔に、醜い感情が押し出される。


「面白い!」


石畳の上でルカが呻いた。血と唾液を飲み込んで、ようやく吐き出されたすがりつくような声が、こんなにも騒々しい世界ではっきりと聴こえた。将軍の鎧が風を切る音も、自分の呼吸も、何もかもが遠い。ルカの声だけがそばにある。


「私のことはいい。逃げて!」


振り返らなかった。将軍の目だけを見ていた。剣先の角度を、重心の位置を、踏み込む足を見ていた。数百年分の記憶が、この男の動き方を教えている。避けられる。だが、そうしない。


「お願い。逃げて!」


笑った。

何もおかしくはなかった。ただそうなった。ルカの目にはヴェルの背中だけがある。いいしれぬ念が湧きおこって、ルカの喉元を震わせていた。何かを言わなくてはと強く思う。だけど彼女の明瞭なはずの頭は真っ白になっていた。


「構うな」


ヴェルはそう声に出した瞬間、自分でも驚いた。言うつもりではなかった。何千回も、喉の奥で止めてきた言葉に似た何かが、今だけ形を変えて出てきた。


「お前の為ならいいんだ」


もう一度、今度は確かに告げると、背後でルカの気配が変わった。

息を詰めたような、何かが凍りついたような。時が止まる感覚があった。

振り返る必要はなかった。

小さな顔に似合わない、強い目がほころんで涙の膜を張る。何千回も見てきた顔が浮かんでいる。


「……私の?」


掠れたままの声が返った。問いが混じっていた。怖がっているような、それでも聞かずにはいられないような絞り出した声だ。

ヴェルは答えなかった。

剣を構え直した。体が重い。どこかで骨が軋んでいる。風がまた来て、ほつれた黒髪を頬に貼りつかせた。利き手は動かない。

剣を放る。将軍が踏み込んでくる音を聴くや否や、世界が、白く染まった。





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