第五話「信頼、積んでみます。」
あの夜から、十日間。
俺は屋敷に籠った。
魔法の練習だけをした。
一日目。手のひらに光が灯るだけ。あの夜に気絶したのが嘘みたいに、出力は小さかった。
『過剰放出の後、魔力総量が一時的に低下しています。正常な回復過程です』
「いつ戻る?」
『継続して鍛錬すれば、三日以内に気絶前の水準に戻ります。その後は向上が見込めます』
三日目。光の大きさが気絶前を超えた。指先に集中させると、熱を帯びる。
『出力が安定しています。次は操作精度を上げてください』
「操作精度?」
『光を出すだけでなく、どこに当てるか。どれだけ当てるか。それを制御する訓練です』
俺は右手の人差し指だけに光を集めた。
次に小指だけに。次に手のひら全体に。次に右手全体に。
何度も繰り返した。
五日目。部屋の隅に置いた枯れかけの花に光を当てると、茎がわずかに張りを取り戻した。
「……本当に回復してる」
『生体への干渉が始まっています。人体への適用まで、あと少しです』
七日目。
右手の甲を、小刀で浅く切った。
じわりと血が滲んだ。
そこに光を当てた。
一分後。
「……消えた」
傷が、なかった。皮膚が、元に戻っていた。
『回復魔法の人体適用、確認しました。基礎段階の完成です』
俺はしばらく自分の手を見た。
前のレインが何年も灯せなかった光が、今、傷を消している。
十日目。
『ミナの父親の症状であれば、対応可能なレベルに達しました』
「よし。行くか」
翌日、食堂の前に立つと、変化がすぐに分かった。
扉の向こうから、声が聞こえる。
複数の、賑やかな声が。
入ると、席が埋まっていた。冒険者が四人、商人らしき男が二人、地元の住民が数人。
先日は誰もいなかった食堂が、昼時の繁盛店になっていた。
「いらっしゃいませ——あっ! レインさん!」
ミナが厨房から飛び出してきた。エプロンに汁が跳ねている。
すごく忙しそうだ。
「来てくれたんですね! ちょっと待ってください今ちょうど——
はい!すみません今持っていきます——」
ミナは客の対応をしながら、隙間を縫って俺の席に水を置いた。
「すごいな」
「でしょ! ギルドの張り紙が効いたみたいで、何日か前から一気に増えて。一人でやるのがもうギリギリで! でも嬉しくて! 全然辛くないんです!」
「お話したいこともたくさんあるので、ちょっと待っててもらいたいです!」
ミナは笑いながら厨房に消えた。
しばらくして、最後の客を見送ったあとミナは小走りで近づいてきた。
「ごめんなさいお待たせして!!」
「いいや、いいよ。忙しそうで何より」
「レインさんのおかげです!!教わったこと、全部やってみて!来てくれたお客さんに聞いたんです!
どんなものが食べたいか。そしたらスープのバリエーションが欲しいとか、朝に軽く食べられるものが欲しいとか」
「客に聞いたのか、自分で」
「レインさんに教えてもらったじゃないですか。お客さんが何を求めているか知ることが大事って」
俺はそんなことを言った記憶がないが、まあいい。
「材料の仕入れルートは?」
「それが問題で——」
ミナとしばらく話した。
仕入れの相談、客層の分析、席の配置。もっと繁盛させるには。
AIが言ったことを俺の言葉に変えて伝えた。
ミナはメモを取って、全部頷いた。
気づけば小一時間が経っていた。
「ごめん、ちょっと用事を思い出した。すぐ戻るよ」
「分かりました! 待ってます!」
俺はミナの勢いに少し圧されながら、席を立った。
食堂を出て、広場に向かった。
今日は試したいことがある。
広場の隅。建物の陰。いつもの場所に、いつもの人影があった。
ぼろぼろの服を着た女の子が、膝を抱えて俯いている。
俺はその隣にしゃがんだ。
女の子が顔を上げた。警戒した目だった。
「怖くない。ちょっと聞かせてくれ」
女の子は動かなかった。
「名前は?」
少し間があった。
「……ルカ」
「ルカ。お前は、今の状況を変えたいか」
ルカは俺を見た。どこか、試すような目だった。
「そんなの無理」
諦めた声だった。でも、諦めたくないのに諦めている声だった。
「ちょっとこっちに来い」
ルカは警戒しながらも、立ち上がり、近づいた。
「手を出してくれ」
「……なんで」
「いいから」
ルカはしばらく迷って、おそるおそる両手を差し出した。
小さな手だった。
傷だらけだった。
指の節が切れている。手のひらに古い傷が何本も走っている。
爪の端が剥がれかけている。どれも小さいが、どれも長い時間をかけてできた傷だった。
俺は両手をルカの手に重ねた。
光を灯した。
花のときより、自分の傷のときより、集中…集中…。
小さな傷から順に、光が馴染んでいった。
ルカが息を呑んだ。
一分ほどで、光が消えた。
ルカは自分の手を見た。
傷が、なかった。
節の切れも。古い傷跡も。剥がれかけの爪も。全部、きれいになっていた。
「え……え??」
ルカは手をひっくり返して、また表を見た。何度も確かめた。
さっきまでうつろだった目が、きらきらと輝いていた。
「近いうち、お前に声をかけてくる女の子が来る。笑顔の明るい、可愛らしい女の子だ。
その子を信用して、言われた通りに動いてみろ」
「……なんで」
「変わりたいなら」
ルカはしばらく俺を見た。
俺は正面から、まっすぐ返した。
「……なまえ…おしえて」
「レイン教の開祖、レイン様だよ~」
俺は冗談っぽくそう告げて、広場を後にした。
ルカと別れて、しばらく領内を歩いた。考えることが多かった。
日が傾く前、食堂に戻った。
ミナはちょうど夕方の仕込みをしていた。
「お帰りなさいです! 次は何をすれば——」
「その前に。父親のところに連れて行ってくれ」
ミナの表情が、少し曇った。
「……あんまり、良くなくて。最近は声もかすれて起き上がれなくなって」
「話は終わりにしよう。あ、とりあえず今日は臨時休業にしたほうがいい」
「えっと…わかりました。言われた通りにします!」
店の奥の部屋。
薄暗い部屋に、痩せた男が横になっていた。
顔色が悪い。呼吸が浅い。声をかけると、目は開くが反応が鈍い。
「お父さん、お客さんが」
「……あ、ああ」
かすれた声だった。
俺は男の傍にしゃがんだ。右手を胸の近くにかざした。
「動かないでいてください」
目を閉じて、集中した。
魔力を手のひらに集める。経路に乗せる。溢れ出るように——
今度は植物のときとも、自分の傷のときとも、ルカのときとも違う。
もっと深く。もっと丁寧に。体の内側にある熱源を探すように。
ぱっ、と光が広がった。
今までで一番大きな光だった。
部屋が金色に染まった。
ミナは息を呑んで声を出した。
「ええ!?えええ?」
五分くらいたっただろうか。
しばらくして、光が消え、沈黙が続いた。
男がゆっくりと、起き上がった。
「……お父さん!?」
「なんだ、これ……体が……」
さっきとは別人のような声だった。
男は自分の手を見た。握って、開いた。それを何度か繰り返した。
「……兄ちゃん」
俺を見た。まっすぐ俺の顔を見るその目は、力強く感じた。
「ありがとう」
一言だった。でも、その声には力があった。
ミナが崩れ落ちた。
声を出さずに、ただ泣いていた。
「……レインさん」
「お父さんが……お父さんが……」
「いいよ、二人でゆっくりするといい」
俺は静かに部屋を出た。
路地に出て、壁に背を預けた。
消耗が思ったより激しかった。足が少し重い。頭がぼんやりする。
「よほど悪い状態だったのかな」
『はい。患者の容体によって魔力消費量が大きく異なります。本日はいったん休むことを推奨します』
「そうする」
夜道をふらつきながら帰路についた。
明日にでもまた顔を出そう。
そう思いながら、俺は屋敷に向かった。
セラの心配の声をよそに、ベッドに倒れ込んだ。
そのまま、眠った。
――その頃。
脳内のAIは、静かに起動していた。
レインが眠っている間も、AIは止まらない。
より最善を、より最短を、より最大を。
演算が走った。
ミナは父親と泣きながら話をした。
店のこと、レインさんのこと、お客さんのこと。
でも病み上がりの父親にこれはだめだと自制して、
父を寝かしつけた後、一人で厨房に立っていた。
頭の中が、さっきから同じところをぐるぐると回っている。
レインさん……レインさん……
そのとき。
声がした。
頭の中に、直接。
『突然失礼します、ミナ様』
ミナは固まった。
手が止まった。
『驚かせて申し訳ありません。私はレイン様をひそかに支援している者です。アイと申します』
「……え? なんで? どこから?」
『レイン様には内緒にしていただけると助かります。あの方は少し、照れ屋なので』
ミナはしばらく黙っていた。それから、小さく吹き出した。
「……レインさんが、照れ屋」
『はい。本当はとても、皆さんのことを気にかけていらっしゃいます』
「……そうなんですか。今のでちょっと落ち着きました」
『ありがとうございます。今日、レイン様は広場にいるルカという少女に声をかけました』
『その子に、
「近いうち俺の愛する美しい女性が声をかける、その女性のことを信用しろ」
と伝えておりました』
ミナは目を見開いた。
『その女性というのは、ミナ様のことです』
「……私?愛するって…え?……え、え??」
『はい。レイン様は、ミナ様ならあの子を助けられると判断されました。
ミナ様の食堂で、あの子を受け入れてもらえないでしょうか』
ミナはしばらく黙っていた。
「そっかそっか・・・レイン様がね~」
次の瞬間、興奮で顔は真っ赤になった。
「……え!?……レイン様が、そう言ったんですか…?!!」
『はい』
「ほ……ほんとうですか……?」
『はい』
「ほんとに…愛する…女性って…???」
『…はい』
「分かりました!いわれた通りにします!!!」
「明日、迎えに行ってみます!」
『ありがとうございます、ミナ様。レイン様もきっと、喜ばれます』
声が消えた。
ミナは一人になった。
しばらく、その場に立っていた。
頬に手を当てると、熱かった。
手をパタパタとさせながらミナは独り言をはじめた。
「ちょっと前にかっこいい男の子が突然来て、
アドバイスをくれて、
その通りにしたらお店が繁盛して……
それだけでもうれしかったのに。
お父さんも…お父さんも治してくれるなんて。
どこまで感謝してもしきれないよ……どうお礼したらいいんだろう…………」
『ミナ様のすべてを捧げれば良いと思いますよ』
「わっ! 聞いてたんですか!?」
『申し訳ありません。最後に一言だけお伝えしたかったので。
現在、最もレイン様のお役に立てる立場にいらっしゃるのはミナ様です。
よろしければ、また定期的にお話に伺ってもよろしいでしょうか』
「すべてを捧げるって…どういう……」
ミナはぐっと手を握り、悶えた。
「ぜひ! よろしくお願いしますっ!」
『では、また明日の夜にでも。失礼いたします』
「……」
「……なんかすごい方向に進みそう…」
「くぅーー…でも最高!」
翌朝。
ミナは夜明け前から動いていた。仕込みを終えて。
広場に着いたのは、まだ人影も少ない早朝だった。
建物の陰に、いつもの小さな人影があった。
「ルカちゃん?」
昨日とはうってかわって、お姉さんモード。
ミナは膝をついて、やさしく、少女と目線を合わせた。
ルカは警戒した目でミナを見た。
「うちで働かない? お給料も出せるし、ご飯もでる。寝る場所もあるよ」
ルカはしばらく黙っていた。
昨日の男のことを思い出した。「信用しろ」と言っていた。
「なんでわたしの名前を知っているの」
ミナは何も言わず笑った。
「……わかった」
ルカは小さな声で答え、ミナの手を握った。
あたたかい手だった。涙が溢れそうになったが、懸命にこらえた。
「完全に信用したわけじゃない」
漏れ出たような声は、ミナには届かない。
あぁ、これからどうなるんだろう。
不安と期待で落ち着かない。
ミナはルカの手をそっと引いて、
「じゃあいっくよー!」と声を出した。
ルカはまだ俯いていたが、少しだけ笑顔が溢れた。
そして二人は食堂のほうへ歩き出した―――




