毛穴
小学生の頃の私は、自分で言うのもあれだが、自分の顔がそこそこ可愛いと思っていた。
男子にも女子にも多分モテていたし、そのことを疑ったこともなかった。
鏡を見るのは、身だしなみを整えるための確認作業でしかなかった。そこに映る顔は、普通よりちょっと顔整いの可愛くて明るく賢い女の子だった。
それが中学に入ると、顔から油が出るようになり始めた。
ニキビができ、毛穴の黒ずみが一気に目立ち始めた。
私は、モテから転落した。
男子には「汚い」と言われた。
女子には「顔、ちゃんと洗ってるの?」と言われた。
どちらも忘れられない。
前者は露骨で、後者は善意の仮面を被っていた。
どちらも、私を「汚い側」に振り分けるには十分だった。
鏡で顔を直視するのが怖くなった。
それまで何気なく見ていた鏡は、自分の欠点を探し出すための道具に変わった。
明るい洗面所では顔を近づけすぎないようにし、視線は自然と鼻の周辺を避けるようになった。
中学の頃から、ニキビ用の洗顔や化粧水を使い始めた。
毛穴の黒ずみを隠すために、ファンデーションも塗るようになった。
けれど毛穴のコンディションは、努力に反してどんどん悪化していった。
何をしても、隠し切ることはできなかった。
帰宅後、毛穴パックで角栓を取り除き、取り切れなかった角栓は無理矢理押し出した。
鏡の中の私の鼻は、真っ赤なお鼻のトナカイさん状態だった。
ヒリヒリとした痛みが残っても、やめられなかった。
翌日、赤みが引いていない鼻で学校に行く。
会話相手の視線が一瞬だけ鼻に落ちる。
相手が自分の鼻を無意識にこすり、自分のつるつるした鼻を確認するような仕草をする。
「あなたのように肌が汚くなったらどうしよう」
そう言われているような気がして、私は傷ついた。
42歳になった今も、その感覚は消えていない。
私と直接会話をする相手が、私の鼻の毛穴に目線をやり、自分の鼻をキュキュッと擦る瞬間がある。
そのたびに、胸の奥がギュッと縮む。
インスタグラムを開けば、毛穴を綺麗にするクレンジングや美容施術の広告が次々に流れてくる。
「毛穴レス」「汚れをごっそり」「人生変わる」
まるで、毛穴が目立つ人間は「汚い」存在であるかのように思わされる。
私は思う。
毛穴が目立つかどうかは、ほとんど遺伝だ。
そうでなければ説明がつかない。
なぜ、美容施術に何十万、何百万円とかけている芸能人やインフルエンサーの中に、いまだに毛穴が目立つ人がいるのか。
それが答えだ。
アトピー肌に対しては、「病気だから仕方ない」「かわいそう」と同情される。
シミや、皺に対しては、「老化だからしょうがない」と許される。
けれど毛穴の目立ちは、「努力不足」「不潔」「自己管理ができていない」と厳しい目線で見られる。
その線引きはあまりにも残酷だ。
私は、油性肌という体質を持って生まれただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
理屈では分かっている。
それでも、私は今日も拡大鏡と先の鋭く細いピンセットを手に取り、毛穴の角栓を抜き取ることに、静かに集中するのである。




