9.三日目
翌朝、ハリエットが食堂でセシリアの食事を受け取り部屋へ運ぶと、すでにセシリアの準備は終わっていた。午後の視察が楽しみで早く目が覚めたらしい。微笑ましく食事を見守っていると、ノックが響いた。
「失礼いたします。今朝がた到着いたしましたお手紙をお持ちしました」
荷物の確認をしていたルイザがドアを開け、騎士から手紙を受け取る。「ご苦労様です」とドアを閉めると一通一通宛名と差出人を確かめた。
「セシリア様、こちら陛下からのお手紙です。こちらの三通は報告書のようですので私の方で一度確認いたします。それと…ハリエット」
「はい!」
思わす大きな声が出て、ハリエットは視線を彷徨わせた。またルイザに叱られるかと思ったがルイザは特に何も言わず、一通の分厚い封筒を渡してくれた。
「あなた宛てです。確認なさい」
「ありがとうございます」
頭を下げ両手で受け取りちらりと見ると封蝋の色は緑。差出人はダレル.S。ダレルからの一日目の手紙への返事だった。この厚さと内容は気になるが、内容によってはこの場で読むのは危険なため、ハリエットはそのままドレスの隠しポケットへ手紙をしまった。
「あら、読まないの?」
セシリアが食事の続きを楽しみながら言った。国王陛下からの手紙はすぐに読まないつもりらしく、サイドテーブルに避けられていた。
「緊急の内容ではございませんので、また今夜にでもゆっくり読もうと思います」
ハリエットが微笑むと、セシリアは「そう」とだけ言って食事を続けた。
その日の移動は街道がしっかりと整備されていたこともあり大変スムーズなものになった。これまでの道もきれいに舗装はされていたのだが、どうしても雨などで浸食されてできた凹凸が残ってしまっていた。今後、騎士団の報告を以て修復が入ることになるらしい。
昼前にはひとつ目の目的地であるレオミンスターに到着した。ここから馬車は二手に分かれる。先に本日の宿泊地に向かう荷物などの馬車の一団と、視察に向かう馬車の一団である。
今回ルイザは荷物の整理などで先に宿泊地に向かうこととなり、代わりにハリエットとエイプリルがセシリアと視察に向かうことになった。
「あとは任せますよ」
「承りました」
先輩侍女であるエイプリルがルイザから引き継ぎを受けている。その間に、ハリエットは荷物の積み替えと人員の再確認を行い、セシリアにつく護衛騎士との打ち合わせを行った。
予約で貸し切りにした郷土料理を提供するレストランで昼食をとり、時間を合わせて視察先へ向かう。セシリアは特にデザートが気に入ったようで、目尻を下げてゆっくりと味わっていた。
レオミンスターは陶磁器の町だ。この地を治めるフォード伯爵家の五代前の当主夫人が茶器の収集を趣味としており、実に愛妻家であった当時の伯爵が、ならば妻のために最高の茶器を!と各地から職人を呼び寄せ優遇したことにより見事に発展した。
レオミンスターの陶磁器は特徴が無いことが特徴であり、通り一遍ではつまらないだろうと工房それぞれの個性を尊重している。作り出された陶磁器のうち、フォード伯爵家が認めたデザインにのみ『レオミンスター』の紋章を使うことを許しているのだ。
その一握りの『レオミンスター』のうち、王家へ献上されたものが『ロイヤル・レオミンスター』と呼ばれるラインであり、王妃殿下ご愛用のティーセットもそのひとつだ。
そうして現在、セシリアの目の前には新たなる『ロイヤル・レオミンスター』となるティーセットが並べられている。
「まぁ、まぁ、まぁ!」
強く握れば割れてしまいそうに薄い白磁には大変細かい筆致で幾重にも花弁の重なる大輪のラナンキュラスが描き出されている。縁や取っ手には金で蔦模様の縁取りがされ大変美しいが、これだけであればセシリアがこれほど目を輝かせることも無かっただろう。
この新しい磁器の最大の特徴はカップの取っ手の部分にある。付け根に、まるでしがみつくようにセシリアの瞳と同じ若草色の小さな蛙が付いているのだ。中々に精巧な。
「なんて素敵なの…!」
セシリアがカップを手に取り近づけたり遠ざけたり、裏を返したりして満面の笑みで眺めている。セシリアの蛙好きは、実は割と有名なのだ。
「洗う方には注意していただかないといけませんね」
「そうね、蛙が剥がれたりしては大変だわ」
セシリアは蛙が逃げ出すことを心配しているが、ハリエットは洗い場のメイドたちを心配した。かなり精巧な蛙のためうっかり水につけておいたら本当に蛙がいると驚いて割ってしまいそうだ。かなり厳しく周知しておいた方がよさそうだとエイプリルと視線を合わせて頷いた。
この磁器の名前はロイヤル・レオミンスター・ラナンキュラス。そのままの名称だが、実は裏の意味がある。ラナンキュラスは古語で『小さな蛙』。ラナンキュラスの葉が蛙の足に似ていることから花の名前が付いている。つまりこの茶器は、『王室御用達・小さな蛙セット』と名付けられたわけだ。
その日の手紙は当然、蛙色となった。
――――
親愛なるダレル
今日はよく整備された街道に腰が痛くなることも無く順調にレオミンスターの町へ入りました。
お食事は郷土料理を出すレストランでいただきましたが、セシリア様はデザートをいたく気に入ったご様子でした。酸味の強い青林檎を甘く煮て、その上にぽろぽろの小さな粒のクッキーのようなものをかけて焼いたお菓子でしたが、とても素朴で優しい味がしました。レシピをいただきましたのでぜひ王宮で再現できればと思います。
レオミンスターの工房では新しい茶器が献上されました。なんと、とても良くできた小さな蛙がついているのです!
カップの取っ手だけかと思っていたのですが、よく見るとポットの蓋やティーソーサーのふちの裏側など、こっそりと何匹も潜んでいました。きっとこの茶器はセシリア様のお気に入りになりますがご用意できるのは慣れるまでは私だけになりそうです。
明日はレオミンスター寺院の慰問の後、夜はフォード伯爵のお屋敷で歓迎の晩餐が開かれる予定です。滞在はそのままフォード伯爵家となります。
またお便りいたします。
愛をこめて ハリエット
――――
ここまで書ききり、はたとハリエットはとても大切なことを忘れていたことに気づいた。そういえば朝に受け取ったダレルからの手紙をすっかり忘れていたのだ。蛙色だった頭がもう少し濃い緑に傾いた。
急いでポケットを探り封を開けると、手紙は一枚だけで手のひらに乗る大きさの、緑のリボンで結ばれた赤い小箱が入っていた。
「箱?」
ずいぶんと薄い箱をひっくり返し更に振ってみると、からからと小さな音がする気がする。リボンをほどき開けてみると中には薄紙。更にその薄紙を開いてみると、ハリエットの小指の爪ほどの大きさの赤い小さな粒がたくさん詰まっていた。今更ながら蓋を見ると美しく装飾されたラベルには『ストロベリー』と書いてあった。
ハリエットはいそいそと、たった一枚の手紙を開いた。
――――
親愛なるハリエット
手紙をありがとう。様子が分かって本当に良かった。
前子爵と夫人とは僕も会ったことがあるけれど、とても素敵なおふたりだったのを覚えている。最近は領地から出られないと聞いていたけどお元気そうで何よりだ。
ダフォディルズ・フォードは馬車でも十分に日帰りで行ける場所だし、陛下も妃殿下が望むなら蛙程度は我慢できると仰せだったよ。王女殿下はもう少し先になりそうだけど、いつか必ず行けるように手配する。
また様子が聞けると嬉しい。
愛をこめて ダレル
P.S.
君が僕を思い出してくれたように、僕も君を思い出したので君の髪と同じ色の飴を同封します。疲れた時に食べて欲しい。
――――
「…………」
ちらり、とハリエットは小さな箱を見た。そこに詰まっているのは艶々と輝くストロベリーレッドの小さな粒。ハリエットの髪と同じ見事な真っ赤。
「うん、ほら。とても恋人らしくみえて良い一文だわ」
熱くなった顔を手紙でパタパタと仰ぎながらハリエットは小さな赤い粒をひとつ口に放り込んだ。口の中に苺の良い香りとすっきりとした酸味のある甘さが広がっていく。すっきりとしているのに妙に甘い。朝、あの場で手紙を開かなくて本当に良かったと思う。
「これは、ちゃんとお礼を書かなくては駄目よね…」
手紙を書き直さねばならないほどの内容で無かったのは良かったが、受け取った以上は礼をすべきだろう。とはいえ昨日の手紙にはバタースコッチの礼を書いた。連続で飴の礼というのも…悩ましい。
ハリエットは報告書は苦手ではない。メイウェザーは自分の興味の対象に対する論文や研究成果を書き溜めることに喜びを感じる者が多く、ハリエットもまたそのひとりだ。セシリアについてならいくらでも書き続けられるだろう。
だがこれは報告書であって報告書ではない。表向きは恋文なのだ。長すぎても駄目、短すぎても駄目、硬すぎてはもちろん駄目だ。
結婚どころか恋愛すら興味を持たず脇目もふらずセシリアを追い掛けてきたハリエットにとって、恋文というのは実に難解だった。いっそ返信が駄目出しであってくれれば返事の書きようもあったものを。
「ぐ…時間が足りない…」
今日はセシリアの隣室に控えるため、先に夕食などを済ませてくるようにと休憩をもらったのだ。今のうちにと手紙をしたためようと思ったのだがもう残り時間がない。
「仕方ない!」
ハリエットはつけペンにインクを付けると書き足した。
――――
P.S.
赤い苺の飴、とても甘酸っぱく良い香りで、幸せな気持ちになりました。
思い出してくださってありがとうございます。
――――
何か違う。何かが違う気はする。だが、時計の針は止められても時間が過ぎるのは止められない。ハリエットは急いで封筒に入れて封をすると、封蝋が乾ききるのももどかしく大急ぎで騎士を探して手紙を託した。
「あら、早かったわね」
ハリエットはあまりの焦りに休憩時間を十五分ほど間違えていたらしく、のんびりとルースからフットマッサージを受けていたセシリアに笑われた。
十五分もあればもう少しましに書けたのに…そう思うもすでに手渡してしまった手紙は戻らない。
「セシリア様のお側にあるのが私の喜びですから」
手紙はさておき全く嘘のない理由を述べ、ハリエットはセシリアのナイトティーの準備を始めた。