6.一日目
出立当日。良く晴れた空は青く、爽やかに吹く朝の風はこの季節、上着を着るほどではないがまだ肌寒い。昼を過ぎるころには気持ちの良い気温になることだろう。
「ルース、エイプリル、リビー、あなたたちは後ろの馬車で今後の日程の再確認、セシリア様のお荷物をお守りして。ハリエット、あなたはいつも通り私と共に護衛もかねてセシリア様の馬車に同乗します。各自、自分の担当と荷物の最終確認をして馬車に乗りなさい」
「「「「はい」」」」
侍女長であるルイザの指示に従い、各自が散っていく。セシリアも自分の荷物が間違いなく所定の馬車に積まれたことを確認し、セシリアの馬車の確認へ走…るとルイザから強い叱責が飛ぶため速足で急いだ。あくまで、表向きは優雅にしとやかに、だ。
車輪を確認し、接続部分を確認し、床下を確認し、床、座席、天井、扉の鍵などを点検していく。馬車の確認はすでに保管係、騎士団でもきっちりと行っていたが、最終確認は全てハリエットが行っている。どれほど気を付けても絶対はない。万全には万全を期さねばならない。
「うん、いいわね…」
ハリエットはメイウェザーの者として、御者として自分で馬車を動かすこともできる。馬車で一人旅をしつつ研究をするという貴族にあるまじき生き方も、人生を掛けるに値するならメイウェザーでは推奨されるのだ。そんなわけで馬車の扱いも馬の扱いもお手の物であり、馬車が扱えるということは馬車そのものの構造にも詳しいということで。その辺りも、ハリエットが重宝される要因の一つとなっている。
馬車の点検を終えると、ハリエットはすっと、両手で自分の太もも辺りを確かめた。そこには両サイドに一本ずつ、刃渡り十五センチほどの短剣が座ってもずれないようしっかりと固定されて仕込まれている。装飾の全くない、鍔も小さ目の『実用品』だ。少しゆとりのある両の袖口には刃渡り五センチほどの暗器を仕込んである。いざとなれば戦い、セシリアを守るのだ。
侍女長のルイザも武門の出身であり武術の心得がある。袖の暗器はセシリアと同じだが、スカートの中、右太ももに隠しているのはなんとムチだ。幾度かルイザの戦いを見たことがあるが、ハリエットは絶対にルイザとはやりあいたくないと思っている。
「終わったかしら?」
後ろから声を掛けられ、ハリエットはすっと振り向くと優雅に腰を折った。
「すべて問題ございません、セシリア様」
「そう、ありがとう。そろそろね」
ちらりと王宮の方を見ると、早朝にも関わらず国王陛下、王子殿下、王女殿下、王弟殿下が並んでいる。別宮にお住いの先王陛下と王太后殿下には昨日のうちにご挨拶を終えている。
その後ろに見知った緑の瞳を見つけ、ハリエットは思わず「あ」と声を上げた。ダレルも目が合ったことに気づいたようで口角を上げ、ゆっくりと瞬きをした。そのまま穏やかな微笑みに変わる。
「ハリエット、どうかした?」
「申し訳ございません。早朝にも関わらず皆さまお揃いなことに少し」
慌てて目を伏せて言うと、セシリアが笑った。
「そうね、思うところはあっても見送りには応えなくては駄目ね」
そう言うとセシリアが王宮の方を振り向いた。侍女たちも音もなくセシリアの後ろに並ぶ。
「それでは、行ってまいります」
それだけ言うとセシリアは軽くスカートを摘まみ目礼をした。後ろに控える侍女たちは皆、深く腰を折って優雅にカーテシーをした。
「気を付けて。無事の帰りを待っている」
目礼を返し穏やかな声で国王陛下が言う。報告書を毎日送れと駄々をこねた張本人とは思えない堂々たる姿だった。王子殿下、王女殿下、王弟殿下、そうして後ろの者たちが国王陛下のお言葉に合わせて腰を折った。
六歳の王女殿下がカーテシーをしつつ少しバランスを崩した。すぐに立て直したのはさすがだが、恥ずかしそうにちらりとこちらを見たお姿が非常に愛らしい。王女殿下の容姿は国王陛下の色をした幼き日のセシリアだ。ハリエットは心の中で悶絶した。
国王陛下のお言葉に薄い笑みで返すと、セシリアはふわりと羽が生えたように軽やかに振り返り馬車へと乗り込んだ。ここは本来であれば第一騎士団の護衛の騎士が手を貸すところであるが、国王陛下がご臨席のためハリエットが急いで手を差し出しエスコートした。
ついで侍女長がセシリアの隣に乗り、向かいへハリエットが乗り込む。当然、エスコートは護衛の騎士が務めた。乗り込む寸前、ハリエットはちらりと後ろを振り返った。国王陛下の後ろに控えるブルネットの髪を確認し、そうして乗り込んだ。
「ハリエットは、ずいぶん後ろが気になるようね?」
扉が閉まり、外からガチャリと鍵が掛けられる。ハリエットが内からも鍵を掛けて確認をしているとセシリアが笑いを含んだ声で言った。
「え、いえ、いや…はい?」
『いいえ』と言うのも『はい』と言うのもどちらも違う気がしてハリエットはついおかしな答えを返してしまった。「何ですかその物言いは…」とルイザも苦笑いをしている。
「はぁ、その、気になると申しますか…」
いつも元気なハリエットがもごもごと話すのを見てセシリアの口角がくっと上に上がる。ちらりとルイザと目配せをするとすっと扇を開いて口元を隠した。ハリエットは心ここに在らず、さてどう答えたものかと考えあぐねてセシリアとルイザの目配せを見逃してしまった。
「出発!!」
外から声が聞こえた。がたり、ごとり。馬車や馬が動く音が聞こえ、しばらくするとハリエットたちの馬車もゆっくりと動き出した。閉じられたカーテンからは外をうかがい知ることはできないが、ハリエットは何となく王宮の方から目を逸らすことができなかった。
その後は一度だけ小休憩をはさみ、昼過ぎにはダフォディルズ・フォードと呼ばれる地域に到着した。名前の通り黄水仙の名所なのだが、ちょうど花の季節の今、見渡す限りが美しい黄色で埋め尽くされている。
「これは見事ね…」
王宮の美しい庭園を見慣れているセシリアも感嘆の声を上げている。春の日差しに輝く小川のほとりに折り畳みのテーブルや椅子を並べていく。今日はここで昼食休憩をとるのだ。セシリアがゆっくりと黄金に輝く花畑に足を向ける。ハリエットがちらりとルイザを見ると頷かれたため、音もなくハリエットがセシリアの後ろに着いた。
「ティーナにも見せてあげたかったわ…」
ほう、とセシリアが息を吐きつつ目を細めた。
「この辺りまででしたら日帰りも可能でございます。王女殿下がもう少しお育ちになりましたら、ぜひ参りましょう…たぶん、蛙もおります」
にやりと笑ってハリエットが言うと、セシリアがころころと笑った。
「あら、蛙もいるのならば陛下とフレッドは駄目ね」
ティーナことクリスティーナ王女殿下はセシリアに似て生き物全般が好きなのだが、フレッドことフレデリック王子殿下はどうしても蛙だけが駄目だった。さすがに悲鳴を上げて逃げるようなことは無いが、何とも言えない顔ですっと目を逸らしてしまう。
「小川に近づかなければ問題ございませんでしょう。たとえ足元に居たところでこの美しい黄色に紛れては見えませんので」
ハリエットは心のメモ帳にそっとメモをした。黄金の海の中で亜麻色の髪を靡かせて微笑むセシリアの黄水仙が霞むばかりの輝く美しさと、『陛下』のお言葉が自然に出たことを。今日はほんの少しだけ良い手紙をダレルに書けそうだ。
ちらりと後方を見やると後輩侍女のリビーが手を振っていた。昼食の用意ができたらしい。
「セシリア様、そろそろ昼食の準備が整ったようでございます」
ハリエットが声を掛けると「あらそう」と少し残念そうにセシリアが振り向いた。きょろきょろと辺りを見回していたので恐らく蛙を探していたのだろう。
「少し季節が早いかと存じます。花は見ごろを少し過ぎますが…また参りましょう。今度は馬で」
にっこりとハリエットが笑うと、セシリアも破顔した。
「そうね、馬が良いわね!」
ハリエットの愛する妖精は、その容姿に似合わず割とお転婆なのだ。ハリエットならどこへでもお供できるし、お供したいと思っている。ルイザには間違いなく小言を言われるが…。「きっと素敵ね!」と言いながら戻るセシリアに、ハリエットはいつかきっと連れてきて差し上げようと心に決めた。