3.三日前
「それで、今回は何でしょう?」
ダレルが落ち着いたところでハリエットは声をかけた。まずは先に進めなければいけない。実はハリエットにはあまり時間が残されていないのだ。
「まずは詳しいことを教えてくださいませ」
ハリエットが微笑むと、ダレルが膝に両腕をついて肩を丸め、組んだ手に額を当てて言った。
「第二騎士団所属のポール卿と、王弟付き秘書官のアンソニーの婚姻の件なのですが…」
そもそもの発端は、王宮主催の夜会で当時オブライエン侯爵令息だった現在のスタンリー子爵、アンソニーが深く酔った某令息に襲われかけたところを警備にあたっていた騎士ポーリーンに助けられたことだった。
救い出されたアンソニーがポーリーンに一目惚れし、アンソニーのたっての希望でほぼ権力に物を言わせた形で婚約を結んだ。
結果として、アンソニーを婿にと望んでいた一部の令嬢と家族(それと一部の令息)が暴走。ポーリーンと所属する第二騎士団及び第三隊に嫌がらせを繰り返し、ポーリーンとアンソニーの婚約は解消、ポーリーンも騎士を辞し剣を置く…ところだったはずが、気が付けばポーリーンとアンソニーの婚姻が成立していた。しかも王命で。
「夜会の警備責任者は第一騎士団の元副団長だったと聞き及んでおりますが」
現在その元副団長は北の辺境伯領にいる。何でも、アンソニーの事件に関わったのとは別の令息からとある令嬢をモノにしたいから…というとんでもない理由で休憩室周辺の警備を手薄にするよう頼まれ、金品で買収されていたのだ。
幸い、アンソニーの事件が先に起こったことで令嬢の貞操は守られた。
「違う!俺が頼まれたのはオブライエン侯爵令息じゃなくてフローラ嬢のことだ!俺は悪くない!!」
などと元副団長が愚かにも証言したために発覚した。騎士が金品で買収されるなどもってのほかだが、元々大変評判の悪い男であったため誰も庇うものは居らず、一兵卒として辺境でやり直すこととなった。
侯爵位を継いでいたが一族の満場一致で爵位をはく奪、夫人とは離婚の上、元副団長を除籍することで侯爵家への処罰は免れている。現在は元夫人が侯爵家の養子となり侯爵代理として立ち、御年十五歳の令息が成人次第、令息に爵位が移るらしい。
またこの件では「あのような男をことが起こる前に排除できなかった自分の力不足だ」と責任を感じた第一騎士団団長が辞職を願い出たが、そちらは王族並びに臣民総出で止めたため現在は保留でいったん決着を見ている。当然、ポーリーンの辞職願も取り下げられた。
「はい。元副団長と加害者の令息、並びに元副団長に不正を依頼した令息も全員すでに処罰が決定し、一部執行されています。そちらの方は滞りなく進んでいるのですが…」
はぁ…とダレルがため息を吐いた。なんとも哀愁漂う視線で明後日の方向を向いている。
「妃殿下のお怒りは、解けそうにありませんよね…」
疑問の体をした断言だった。
「そうですね、しばらくは、無理だと思います」
「まぁ、当然ですね…」
アンソニーと国王陛下の間でどのようなやり取りがあったのかは分からない。だが、ポーリーンの意思を無視する形で結ばれた王命での婚姻に、普段は冷静で穏やかな王妃殿下が激怒した。
婚約の解消を保留にして話し合いの場を持つならいい。それだって、きっちりと第二騎士団とポーリーンへの補償を行った上で、全てとは言わないが一部の元凶となった王弟殿下が謝罪し、ポーリーンの理解を得たうえでアンソニーが頭を下げて頼むべきことだ。
アンソニーや王弟殿下が何を言おうとも、一国の王として国王陛下は王命での婚姻など絶対に認めてはならなかった。それなのに、だ。
「王弟殿下のポール卿に対するあれはやり方がまずかったとはいえギリギリ許容範囲ではあったと思います。やり方はよろしくありませんでしたがポール卿とアンソニーさんのお二人を思ってのことでしたので」
――――やり方は非常にまずかったですが。ハリエットは大切なことなので三回言った。ダレルは項垂れながらハリエットの言葉にこくり、こくりと頷いている。
「ですが、陛下がなさったのは被害者であるポール卿を更に苦しめる、考えられないほどの悪手です。アンソニーさん以外誰も得をしないどころか完全に王家とすればマイナスです」
今回の王命での婚姻はあまりにも横暴だと各所からすでに多くの声が上がっている。特にポーリーンを知る者たちからの抗議の声は大きく、同じく被害者である第二騎士団の士気が更に下がっている。
当のポーリーンは沈黙を保ってはいるが、王都内にすでに用意されているスタンリー子爵の屋敷へは入らず、今も騎士団の寮で変わらず過ごしている。ポーリーン本人がこの婚姻を喜んでいない証と言えるだろう。
「ポール卿の意思を完全に無視したことに対してもお怒りですが、王として、王族としてあまりにも浅慮であることに大変お怒りです。しかも御璽を押した理由が妃殿下への贈り物の手配とあっては、もう………。しばらくは、無理でしょうね…」
「ですよね…」と地面にめり込んでしまうのではないかと思うほど深く項垂れたダレルを見ながら、ハリエットもまた遠い目をした。通常ならばひとしきり説教をした後は普段通りといかないまでも会話はするし食事も共にする。だが、今回は王命での婚姻からすでに五日が経過した今でも、王妃殿下は完全に国王陛下をいないものとして扱っているのだ。
妃殿下は臣民をとても大切にしている。国が、王家が存在できるのは臣と民があってこそ。苦しめるのではなく、踏みにじるのではなく、慈しみ、育み、共に歩むことをこそ最上としている。その大切な臣下をこれ以上ないほど踏みにじり、その理由が自分への贈り物のためなど…公平で慈愛深い王妃殿下には、二重、三重の意味で許せるはずがないのだ。
「恋は盲目と言いますが、アンソニーさんも珍しく度を越しましたね」
ハリエットは紅茶をまたひと口含むと言った。アンソニー・スタンリー子爵はその小柄で愛らしい見た目に反して非常にやり手だ。ポーリーンと第二騎士団への嫌がらせもかなり潰して回っていたようだが、騎士団内部のこととなると難しく、協力者を頼ったがその協力者の数人が実は嫌がらせの実行犯として参加していた。最近、姿を見ていない。
「今回もベンジャミンがかなり抑えていましたが…さすがに陛下をああいう形で引っ張り出すとは思っていなかったようです。久々に魂が抜けていましたね」
ダレルが申し訳なさそうに目を閉じ、思い出すように言った。ベンジャミン・フェネリーは官吏の名門、フェネリー伯爵家の出でありながら官吏ではなく王弟殿下の従者となることを選んだ珍しい人物だ。ひょろりと背の高い赤褐色の短髪の男性で、いつも柔和な笑顔を湛えている。王妃殿下に言わせると、王弟殿下の側近で一番の曲者はアンソニーではなくベンジャミンらしい。
「ベンジャミンさんの表情が無になるのを私、初めて見たかもしれません…」
昨日、王妃殿下が茶会という名の説教に王弟殿下を招いたのだが、国王陛下が王命での婚姻を押し進めた理由がアンソニーの実家であるオブライアン侯爵家の領地が所有する鉱山で先日新しく発掘された、光によって色の変わる宝石を王妃殿下のために優先的に用意させることであったことを王妃殿下の口から聞き、瞬時にベンジャミンの顔から表情が抜け落ちた。
「面目次第もございません。王弟執務室に勤める者のひとりとして、そのような条件を出したにせよ出されて飲んだにせよ、再度厳しく教育いたしますことをお約束申し上げます」
そう言って深々と頭を下げたベンジャミンに、王妃殿下はすぐさま椅子を用意させて同じ卓に座らせ、ハリエットに茶を淹れさせた。そうして「王の教育を間違えた私のせいでもあるの。思い詰めないでちょうだい」と皿に手ずからマカロンをのせてそっと勧めていた。
ベンジャミンは「いえ、さすがに少し悪戯が過ぎたようですから」と柔和に微笑み、丁寧に礼を言ってマカロンを受け取っていた。王弟殿下も手ずからクッキーを取り、顔色をうかがいながらそっとベンジャミンの皿に乗せていた。
ハリエットの中でベンジャミンの印象が無害な人から怖い人に変わった瞬間だった。
「そうですね、ベンジャミンはポール卿のファンですからね…。王弟殿下のようにポール卿とアンソニーのため、ならまだ我慢したかもしれませんが…我が主のこととはいえ大変申し訳ないことをしました…」
はああああ…、と、二人同時にため息を吐いた。普段なら国王陛下を庇い、王弟殿下をフォローする者たちが誰よりも怒り心頭なのである。たまには痛い目を見なさいと言わんばかりに火消しに回らず表向きは傍観の姿勢を貫いているのだ。それも相まって、今回の王命への非難は留まるところを知らない。
実際には大事になりそうなところには手を回しているようだったが、アンソニーもポーリーンの説得にかかり切りな今、国王陛下を庇う声はさっぱり足りていない。
「やはり、陛下の臣民からの支持が落ちていますか?」
「いえ、そちらの方は王弟殿下が…いえ、我々も宮中も動いていますのでそこまで大事には至らないと思います。妃殿下の視察も控えていますので、そちらを華々しく喧伝することで意識を逸らすこともある程度は可能でしょう」
現在、国王陛下の妹姫が各地へ慰問に巡っている。少し時期をずらし、王妃殿下もまた別の地域を視察で巡ることになっているのだ。旅先で事の顛末を聞いたであろう王妹殿下は何を思っているのだろうか。
「では問題は?」
ハリエットが問うと、ダレルはまたも大きなため息を吐いて天を仰いだ。