25.恋文と、その顛末について(終)
最終話です。長くなりました…。
※ 改行を修正しました。
さやさやと、春の風に若葉が揺れる。柔らかく吹く風はハリエットの赤い後れ毛をふわりと揺らし、そして池の向こうへと抜けていく。ふたりはしばらくの間、ただただお互いを静かに見つめていた。
「あ…」
ダレルの口から声が漏れた。ただ真っ直ぐにハリエットを見つめるダレルに、ハリエットは淡く微笑んだままゆっくりと瞬き、小さく頷いた。大丈夫だよと、思いを込めて。
ハリエットはそもそも独身宣言をしている。お付き合いはするが結婚は望まないのだと、言えばセシリアは分かってくれるだろう。ほんの少しちくりと痛むハリエットの胸など気づかなかったことにすればいい。
「ハリエット、僕は…」
何かを探すように視線を泳がせ、ダレルがぎゅっと眉根を寄せる。その口元が小さく動き「先に言っておいて下されば色々用意ができたのに…!」と呟いたが、そよそよと揺れる木々が邪魔してハリエットには聞こえなかった。
「ねぇハリエット。もしも僕が、それでも良いと言ったら…君はどうする?」
「え?」
「僕がもし、どんな君でも君であるなら構わないと言ったら?」
まっすぐにハリエットを見つめるダレルの強い視線に、今度はハリエットが目を見開く番だった。「えっと…?」と目を泳がせると、ハリエットは困ったように言った。
「私は、今年で三十になりました」
「僕は三十六だよ。もうすぐ三十七になる」
こんなおじさんでは嫌?と苦笑するダレルにハリエットは「とんでもない!」とぶんぶんと首を横に振った。そんなこと、気にしたことも無かったのだ。
「王妃殿下の侍女ですけど、猫を被っていないと王宮を歩けません」
「猫かぶりの君も自然体の君もどちらも可愛いよ」
「大きな傷跡があるんです」
「名誉の負傷だ。君の勲章だろう?」
「デニッシュも大きな口で齧ります」
「美味しく食べるのが一番だよ」
「暗器を仕込んで歩いています」
「夫婦喧嘩の時は出さないで欲しいかなぁ」
「馬車より馬が好きです」
「ストークス家には良い軍馬の牧場があるよ」
「子供が産めるか分かりません」
「君が健康ならどちらでも構わない」
「ああいえばこういう!」
「そうだね、あとは何かな?」
どんどんと苦虫を噛んだような顔になっていくハリエットとは対照的に、ダレルはどんどん良い笑顔になっていく。楽しくて仕方がないという顔で笑うダレルに、ハリエットはため息を吐くと最後の条件を出した。
「……条件があります」
「うん、なんだろう?」
ダレルが真剣な面持ちで背筋を正し、じっとハリエットを見た。ハリエットも真面目な顔でじっとダレルを見つめる。
「陛下からの謝罪の『お気持ち』を要求します」
「……謝罪?」
ダレルはぱちくりと緑の目を瞬かせるときょとん、と首を傾げた。
「はい、謝罪です。直接ではなくお手紙でもいいですし、別の形でも構いません。…私からすれば陛下の命令で動いていたのに突然手痛いしっぺ返しをされたようなものなので…。ダレルとの…その、は、嫌じゃないですけど…このままでは、ちょっと納得がいきません」
あくまでも、ハリエットが欲しいのは『お気持ち』だ。国王陛下に頭を下げさせる気など当然だが毛頭ない。
こうなっては致し方ないが、あれほどセシリアに叱られたにも関わらずまたもしでかしている国王陛下には、今一度ご自身のなさったことを考えていただきたい。その一助として、「反省しないと王妃殿下に告げ口するぞ」とハリエットは恐れ多くも一国の王を脅すことにしたのだ。ただひとり、ハリエットの唯一であるセシリアのために。
ハリエットの意図するところは分かっているのだろう。ダレルは「分かったよ」と苦笑し頷いた。
そうして、「あとは?」と優しく目を細めるダレルにハリエットは目を閉じため息を吐くと、静かに首を横に振った。
「そう」と笑い、おもむろにジャケットの内ポケットに手を突っ込むと、ダレルは小さな紙を取り出した。そうしてハリエットの元に来ると足元に跪き、その小さな紙を開きハリエットに差し出して言った。
「ハリエット・メイウェザー嬢、僕と、結婚してください」
ごめんね、あまりに急で何も用意できなくて…。そう言いながら眉を下げるダレルの手の中にあったのは小さな紙に大切に挟まれた四つ葉のクローバーだった。
それはハリエットがレオミンスター寺院でミミと共に見つけ、苦労性のダレルの『幸運』を願って手紙に同封したものだ。ずっと、持っていてくれたのだろうか。
四つ葉のクローバーには、『幸運』以外にも実はもうひとつ花言葉がある。あまり有名なものでは無いし、幸運を祈るために贈られることが多いのでハリエットも気にしていなかったのだが…。
「ハリエット。君の一番は妃殿下でいい。僕と同じだけの思いを返さなくていい。それでも僕は、君を望むよ」
ダレルはハリエットの手にそっと四つ葉のクローバーを乗せた。
四つ葉のクローバーのもうひとつの花言葉は、『私のものになって』。
この日、ダレル・ストークス侯爵令息とハリエット・メイウェザー伯爵令嬢の婚約が、とても静かに決まった。
後日、ハリエットのもとに国王の名で高価な布や宝石、希少な本等が届いた。手紙もカードもなく、添えられていたのは国王の色である蜂蜜色の細いリボンを結んだピンクのカーネーション。花言葉は『謝罪』と、そして『感謝』。
ハリエットは、ダレルとの約束通り国王陛下からの謝罪を確かに受け取った。
国王陛下の名で王妃殿下への贈り物ではない女性物が購入されたことで「あの陛下が浮気!?」と王宮内が騒然となったが、ハリエットが完璧な猫かぶりの笑顔で「陛下よりご自身の侍従と結婚してくれてありがとうとピンクのカーネーションと共に頂戴しました」と話したことにより誤解は解け、長く自らを支えてくれる侍従への深い信頼の証だったかと大変好意的に受け取られた。
ちなみに、それを聞いた王妃殿下がならば自分も!とダレルに希少な本といくつかの品を送った。その本に挟まれていたのは美しい青のネモフィラの押し花を漉き込んだ栞。ネモフィラの花言葉は『成功』。そして、『あなたを許す』。
ダレルからそれを見せられた時、セシリア様は国王陛下の思惑もハリエットたちの嘘も何もかも分かった上でこの婚約を押し勧めたのね…とハリエットは遠い目になった。
余談だが、ハリエットがプロポーズと共にダレルから受け取った四つ葉のクローバーはダレルの希望で返却された。その代わりにと、四つ葉のクローバーを象ったブローチとクラバットピンが用意された。
形は同じ四つ葉のクローバーだが、ハリエットのブローチは四枚の葉のうち三枚が緑で一枚が透き通る赤だ。そしてダレルのクラバットピンはその逆、三枚が赤で一枚が緑だった。
それを見たハリエットの同僚たちは皆、何とも言えない顔をして「重い…」「怖い…」と口々に言ってはすっと目を逸らした。最も若い侍女だけが「やっぱりストークス様はロマンチストでしたね!」と楽しそうに笑った。
そうしてセシリアも「ダレルは爽やかで温和な好漢かと思っていたけれど…違うわね。間違いなくあの人の側近だわ…」と遠い目になっていた。
ちなみに、この小さな重いブローチは何だかんだで週に一度は必ずハリエットの胸元を飾っていたし、赤と緑の瞳の黒猫はいつも懐中時計と共に揺れていた。
そしてもうひとつ。ハリエットとダレルには混じりけのない美しい赤のおさげ髪に煌めく緑の瞳のそばかすの可愛い娘ができるのだが、それはまた、もう少し後のお話。
10話、4万字程度、3日間で終わるはずが、まさかの25話、9万字、1週間となりました。
長くお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




