24.恋文と、その顛末について
ダレルの家、ストークス侯爵家は子沢山で、兄が二人、姉が一人、弟が一人、妹が二人の何と七人兄弟姉妹。それゆえダレルひとりが結婚しなかったところで侯爵家が揺らぐようなことも無く、ダレルはこれまで結婚どころか女性にも特に興味が持てなかったため、生涯独身のまま王の侍従としてお仕えすると公言していた。
ストークス家の人たちはそもそも家族に対する愛情が強くそれがゆえの子沢山でもあるのだが、ダレルが結婚しないと言い切ったことをとても悲しんでいた。使用人たちも漏れなく『ストークス家』に染まっているので、あの手この手でダレルの結婚を後押ししようと虎視眈々と狙っていたのだ。
そこに現れたのがハリエットだった。女性のじの字も出したことのないダレルが突然妙齢の女性を家に連れ込み、それだけでも驚きだったのにふたりだけで話がしたいと応接室に籠ってしまった。
聞けば相手は伯爵令嬢。王妃殿下の侍女で勤続年数もそれなり。王妃殿下の信頼も厚く公務があれば常に連れ歩くほどだという。見目も良い。性格も悪くなさそうだ。王妃殿下の視察の間にも何通も手紙のやり取りをしているらしい。手紙に対するダレルの反応も悪くないと聞く。
タウンハウスの執事から連絡を受けたストークス家の面々は、飛んで火にいる夏の虫とばかりにハリエットの囲い込みに走った。
調べれば浮いた話もなく、それどころか王妃殿下に忠誠を誓い生涯を捧げるつもりであるという。少々年嵩ではあるがそもそもダレルももう三十六歳だ。それに比べればハリエットは六歳も若いではないか!
しかもたった十日の公務の間にあれだけの手紙のやり取りをしていたのである。当然周りもそれとなく気にかけていたし、国王執務室でもダレルの変化は驚きを持って迎えられた。ハリエットの同僚たちも手紙を見せられる前からハリエットの変化に気づいていた。
王宮内でも視察団でも、忠義者のふたりが恋に落ちたのでは!?となり周囲に確かめたところ、視察の前日に王妃宮の前で名残惜しそうに共に過ごす二人が目撃されていた。
けれども、真面目なふたりは生涯独身を宣言している。決して表立って前に進むことは無いだろう。これは協力してやらねばならぬと国王陛下と王妃殿下の間に手紙が―――しかも早馬を使ったやり取りが復活したのがつい四日前の話だ。
ストークス侯爵家は王家からの打診を待っていましたとばかりに嬉々として快諾し、メイウェザー伯爵家は良く言えば本人の意思を尊重する家のためハリエット本人が良いのなら、とこちらも快諾。
そうして、視察から戻った翌日の今日、早速見合いの場が整えられたということらしい。つまり、ほぼ王命。王妃殿下の後押し付き。
「はぁ…それはまた…」
何とも言いようがなくハリエットは天を仰ぎ、大きなため息とともに肩を下げて思い切り脱力した。ポーリーンとアンソニーの王命による結婚には、セシリアも権力の乱用だと、ポール卿の気持ちを無視している横暴だと、あれほどまでに怒っていたではないか。一体全体なぜハリエット達にはそうならなかったのか…。
「その、何だかごめん…」
長年国王陛下に仕え、陛下の突飛な一挙一動に右往左往する周囲を見ながら生きてきたダレルはきっと言えなかったのだろう。本当は国王陛下に頼まれて王妃殿下の様子をハリエットに送ってもらっていたのだと。
万が一王妃殿下や関係者にばれても問題が起こらないように恋文風に仕立てていたのだと。
「いっそセシリア様に告げ口しようかしら…?」
ハリエットはぼそりと呟いた。そもそも、国王陛下はハリエットとダレルが恋仲では無いことを知っているはずだ。国王陛下自身が偽装をダレルに命じたのだから。なのになぜこうなる。なぜ止めない。
止めれば理由を話さねばならないし、話せば当然セシリアに更に怒られるからだろう。分かっているならそもそも初めからやらねば良いものを。
「ハリエット、それは待って!」
悲痛な声でダレルが言った。
「万が一妃殿下が陛下を見捨てたら、国が滅びる…」
ダレルが目を伏せ、悲痛な顔で首を横に振った。それはそうだろう。国王陛下は臆病…いや、慎重なこともあり王弟殿下ほど無茶をしないように見えるが、その行動は王弟殿下と方向性が違うだけで過ぎるほどに無茶苦茶だ。
本来であれば様々なことが国が傾く事態に成りかねないのだが、国王陛下の世界の中心がセシリアであり、セシリアが非凡であるがゆえにそれが功を奏して国が良く回っている。
セシリアの居ないこの国…それは間違いなく終わるだろうとハリエットも思う。ハリエットの生涯の主人は実質この国の影の王なのだ。セシリアがお花畑なお姫様ではなく分別のある聡明な賢妃で本当に良かったと思う。セシリアをお育てになったティンバーレイク公爵家には国中で頭が上がらないというものだ。地位的にもそうそう上がらないのだが。
「私も国の滅びは望むところでありません…」
ハリエットは深いため息を吐いた。まさかこの年になってセシリアとの平穏な毎日が脅かされる日が来るとは思ってもみなかった。
それでも忠義者であるハリエットにはあのセシリアの嬉しそうな顔を曇らせるのもまた難しい。セシリアは、部屋を出るときに『私の喜びよ』と言った。つまりは、そういうことなのだろう。
ハリエットとてダレルを憎からず思っている。もしもハリエットがハリエットでさえ無ければ今すぐここでダレルに満面の笑みで末永くよろしくと言って押し切ったことだろう。だが、ハリエットはハリエットなのだ。ハリエット・メイウェザーなのだ。
「ダレル」
背中を丸め申し訳なさそうな顔で俯くダレルに、ハリエットは静かに笑った。
「私は、メイウェザーなのです」
パッと顔を上げると、ダレルが目を見開いた。
「私が見つけた『人生を賭けるに値するもの』はセシリア様です。どこに居ても、何をしていても、私の一番はセシリア様なのです」
ハリエットはダレルに好意を持っている。それはもう否定のしようが無いことだ。今もこうして話をしながらなのもチクチクと胸が痛むのだから。
そうして、己惚れるのならダレルも少なからずハリエットに好意を持ってくれているだろう。だが、それがそのまま結婚という話にはならない。
ハリエットの一番はどうやってもセシリアだ。ダレルに好意を持っていようとも、いざというとき選ぶのはセシリアだ。そして、ダレルもそうであるべきだ。いざという時選ぶのは国王陛下でなくてはいけない。
ハリエットと同じくらい生真面目なダレルはそんな自分にきっといつか悩む日が来るはずだ。
「ハリエット…」
唇を引き結び、ダレルが真剣な目で真っ直ぐにハリエットを見ている。ハリエットはその目を見つめ返し、淡く笑った。
ハリエットはもう三十歳。容姿が飛びぬけて優れているわけでも家柄が特別良いわけでもない。ありがたくも王妃殿下の侍女としてお心遣いをいただいてはいるが、それだけだ。被れる猫の数は多いが、本来のハリエットは愛される性格をしているとも思っていない。
ダレルは国王陛下の侍従。目立たず騒がず…つまり、常に安定してお側に控えている最側近のひとりだ。
本人は今もストークス侯爵令息を名乗っているが、今後も侍従として仕えるのに不自由がないようにとストークス侯爵家の持つ伯爵位をひとつ継いでいる。知っている者は知っていることだ。
とても細やかな気づかいができることも、実はまめなことも、穏やかに見えて意外と情熱的なことも、ハリエットはこの十数日の間に知った。この人はハリエットにはもったいない。そう、ハリエットは思っている。
ハリエットはダレルを一番に思えない。けれど、ダレル・ストークスは必ず一番になれる人だ。相手がハリエット・メイウェザーでさえなければ。
「私があなたを一番に愛することはありません。……ですからダレル。嫌なら今、言ってください。私が何とかして見せますから」
ハリエットが苦く微笑み「ね?」と首をかしげると、ダレルの緑の瞳が大きく見開かれた。
長くなりましたが、次で最後です。




