21.十日目
きぃぃ…っと車輪のきしむ音がして少しの揺れと共に馬車が止まる。ふぅ、とセシリアの小さなため息が聞こえた。
「セシリア様」
ルイザが問うと、セシリアは「大丈夫よ」と笑った。
「かなり、怒ってしまったでしょう?どんな顔をして降りようかしらと悩んでしまって」
扉を開ければ恐らくそこには出迎えが居るだろう。いつも通りなら間違いなく国王陛下は居る。確実に。
手紙は再開したとはいえ、さて怒ればよいのか、笑えばよいのか、はたまた褒めればいいのか…。「うーん」と声を上げるセシリアは顔の作り方を考えあぐねているようだった。
「どんなセシリア様でも、セシリア様であるだけで陛下は何でも良さそうですよね」
ハリエットが笑うと、ルイザが「ハリエット」と笑いながら窘めた。「それもそうね」とセシリアが肩を竦めたところで外からノックが響いた。
「王妃殿下、到着いたしました」
「開けてちょうだい」
「はっ」
セシリアが迷わず答えると、外の鍵が開く音がする。ハリエットも内側の鍵を開けてこんっと扉を叩くとがちゃりと外から扉が開いた。ハリエットが出て、ルイザが出る。そうしてハリエットが手を出すと、セシリアがその手を取って降りてきた。
出迎えの前にセシリアが立つ。その少し後ろにハリエットとルイザが。侍女たちの馬車から降りてきたルース、エイプリル、リビーもすっと後ろに並んだ。
出迎えに並ぶのは出かけた時と同じ顔ぶれ。国王陛下、王子殿下、王女殿下、王弟殿下。そこに疲れた顔の宰相閣下が加わり、後ろにはそれぞれの側近たちが並んでいる。
「よく、戻ってくれた」
国王陛下が穏やかに微笑み頷いた。それに合わせて皆が深く腰を折る。王女殿下は今日は揺れずにカーテシーを保ち、顔を上げると見ましたか!?と言わんばかりに紫の瞳を輝かせた。
「ただ今戻りました」
セシリアがそんな王女殿下にふふふと小さく笑うと、居並ぶ出迎えにスカートを少しだけ持ちあげ軽く膝を折った。それに合わせてハリエットたちも深く優雅に膝を折る。後ろからではセシリアの表情はうかがえないが、きっと微笑んでいるとハリエットは確信している。
すっと、国王陛下が動いた。こつこつと靴音を響かせてセシリアの前に来るとその手を取り、静かに言った。
「おかえり、セシリア」
ひどく優しいその声と表情に、動向を緊張して見ていたハリエットは思わず息を飲んだ。ルイザも小さく目を瞠っている。この十日、どれほど不安だったことだろう。もっと焦燥や安堵が見えるかと思ったのに、国王陛下の瞳に映るのはただただ深い慈愛といたわりだった。セシリアの肩が小さく揺れた。
「ただいま、ウィル…」
セシリアはそのまま前のめりになり、国王陛下の胸にぽすりと、頭を寄せた。左手でそっとセシリアの頭を撫でると、国王陛下は泣きそうな顔で「うん」と言った。
きっともう大丈夫。ハリエットも一緒になって泣きそうな笑顔になった。こっそりと。
国王陛下がセシリアの肩を抱きそっと出迎えの方へ導くと、待ちかねたように王子殿下と王女殿下が「お母さま!!」とセシリアに飛びついた。
「フレッド!ティーナ!」
セシリアもかがんでふたりを受け止めぎゅっと抱きしめる。「良い子にしていたかしら?」そう微笑むセシリアに、王子殿下と王女殿下が競うようにどれほど良い子にしていたのかを語っている。決して王族らしくはないそんな三人を、国王陛下をはじめ誰もがとても優しい目で見守っていた。
ふと視線を感じて目を向けると、ハリエットを見つめる緑の瞳と目が合った。
「ダレル…」
ぎゅっと、ハリエットの胸が締め付けられた。たったの十三日だ。共闘を誓い合った日からたった十三日。その間、顔を合わせることも無くほんの数通の手紙をやり取りしただけだった。それなのに、ダレルに対するハリエットの心はあの時とはあまりにも違ってしまった。
ハリエットの役目は終わっている。目的も十分に達した。国王陛下は最後まで耐えきったし、セシリアは国王陛下を許し受け入れた。それなのに、良かったと、満足だと思えないのはどうしてか。その答えをハリエットはもう分かっていたけれど、決して名前を付けることはしないだろう。
幸せそうな国王一家の声が前庭に響く。馬車の前にいるハリエットからはその向こうに居るダレルたちの声は聞こえない。それでもハリエットは、微笑むダレルの唇が『おかえり』と動くのがはっきりと見えた。
『ただいま、ダレル』
ハリエットも唇を動かした。ふっと笑みが深まったので、きっとダレルにも分かったのだろう。
「ルイザ、あとは指示通りに」
王子殿下と王女殿下と手をしっかりとつなぎ、国王殿下に肩を抱かれたセシリアが後ろを振り返りルイザに声をかけた。この後、ハリエットたちは荷物の片付けや確認を行いセシリアには王宮に残っていた侍女たちが付く。
「承知いたしました」
ルイザが頷きカーテシーをすると、セシリアが「みんなお疲れ様、しっかり休んでちょうだい」と微笑み頷いた。ハリエットたちも「はい」とその場でカーテシーをして、連れ立って王宮へ戻っていくセシリアたちを見送った。ダレルもそれに続こうとしてふと立ち止まりハリエットを振り返った。
『また』
そう唇を動かして少し寂しそうに微笑むダレルに、ハリエットは『また』と返すことができず、ただ微笑みを返した。
そこからがまた大変だった。セシリアは王宮に残っていた侍女たちに旅装を解かれ着替えると国王陛下たちとのお茶へと向かった。そのままご家族で夕食も一緒に過ごすらしい。
ハリエットたちは運ばれてきた荷物を確認し、仕分け、片づけ、手入れが必要なものは全て担当のものたちに託した。特に仔馬につられて裾を泥まみれにしたセシリアの若草色のドレスには、洗濯メイドが「ひっ」と小さく悲鳴を上げていた。
土産物を確認してこちらも直接渡すものと届けさせるものとに分けていく。更に挨拶状が必要なものは代筆するものとセシリアが直接書くものに分けていく。
ある程度片が付いた頃にはすっかりと日も暮れており、後は翌日以降に持ち越しとなった。
「全員、よく頑張りました。明日から二日間はお休みとなります。しっかりと体を休めるように。それ以降は先日渡した勤務表通りとなりますから今一度確認しておくように。ハリエットは明日、十時に一度セシリア様の元へ顔を出してちょうだい。以上よ」
ひと息に言い切ると、ルイザが珍しくふぅ、とため息を吐き「さすがに疲れたわね」と苦笑した。「腰が痛いです…」とエイプリルが嘆き、「セルフマッサージで何とかなる程度かしら…」とルースも眉を下げて自分の肩をさすっている。リビーだけが「お腹が空きましたー!」と元気に笑っている。若さとは実に素晴らしい。
「悪いわね、ハリエット。お休みなのに出てきてもらって」
口々に「お疲れ様でした」と言い合い皆が退出する中、ルイザがハリエットに声をかけた。
「いえ、私は寝ればたいてい治りますし、セシリア様の側に居れば疲れも取れますので!」
ハリエットがきゅっとこぶしを握って見せるとルイザが「まったくもう」と呆れたように笑った。
「それでも今日はしっかりと休みなさいね。大したことではないから、明日は化粧も服装もそれなりで良いわ。ゆっくり休んで、元気な顔をセシリア様に見せてちょうだい」
「分かりました!食べて、寝る。まずはそれからですよね」
昨夜セシリアから言われたことをハリエットが笑顔で繰り返すと、ルイザが笑って頷いた。
「上出来よ。さぁ、もう行きなさい」
「はい、お先に失礼いたします!」
ふわりとカーテシーをすると、ハリエットはそのまま食堂へ優雅に急いだ。もしかしたらお腹を空かせたリビーと合流できるかもしれない。
食べて、寝る。後のことは全て明日考えることにした。




