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18.八日目/九日目

「ねぇ、ハリエットは書かないの?」


 就寝時間も近くなり、届いた手紙を読みつつ返事を綴るセシリアにナイトティーを淹れていると、後ろから声を掛けられた。リビーとエイプリルは既に下がっており、ルースも先ほどフットマッサージを終えて片づけに下がっていった。部屋に残るのはハリエットとセシリア、そしてルイザの三人だった。


「え、何か仰いましたか?」


 これ以上粗相のないようにといつも以上に集中していたハリエットは慌ててセシリアを振り向くと「あつっ」と手を引いた。熱湯の入ったポットの胴の部分に直接触れてしまったようで、拍子にかちゃんっと横に置いたカップを鳴らしてしまった。


「あー…申し訳ありません…」


 ぐっと眉根を寄せて俯くと、セシリアが気づかわしげにハリエットを呼んだ。


「ねぇ、ハリエット。私ね、あなたのことが大好きよ。あなたが私の幸せをいつも願い守ろうとしてくれるように、私もあなたに幸せになって欲しいの。あなたが私の幸せを喜んでくれるように、私もあなたが幸せだと嬉しいの。それはきっと、私だけじゃないわ」


 ハリエットが顔を上げると、ルイザも眉を下げ心配そうにて頷いている。セシリアもいつになく真剣な顔でハリエットを見ていた。


「……私はとても幸せですよ。私は自分の人生を掛けても良いと思えるものを見つけられた幸運なメイウェザーです。ましてやその方に好きだと言っていただける。お側に置いていただける―――幸せで無いわけがありません」


 ハリエットはカップにふたつお茶を注ぐと、セシリアとルイザの前にそっと置いた。やわらかなカモミールの甘さの奥でリンデンフラワーの爽やかな香りがほんのりとくゆる。


 メイウェザーは旅をする者が多い。それは、『人生を掛けても良い』と思えるものが簡単に見つかるわけでは無いからだ。有名な研究者となった者でも、研究することで自分の唯一を見つけ出そうと足掻いた結果そうなっただけという者も多い。そうして、見つけられずに生涯を終える者もまた、多い。

 そんな中で、ハリエットはたった七歳にしてセシリアを見つけた。自分の人生を丸ごと掛けてもいいと思える対象であり、それを丸ごと受け止めてくれる人。セシリアがハリエットを受け入れなければ、ハリエットのこの『思い』は間違いなくハリエットを破滅へと導いたはずだ。セシリアを道連れにして。


「そうじゃないの、私があなたを受け入れるのは、当たり前なの。だから私は、あなたにはそれ以上を、求めて欲しいのよ」


 セシリアが首を横に振りつつ、ひとこと、ひとこと、訴えるように言った。ハリエットの幸せを祈る言葉はどこまでも優しい。

 ハリエットは自分のカップにもお茶を注ぎ、立ち上る香りを楽しみながら少しだけ口に含んだ。お砂糖も何も入れていないのにほのかに甘いお茶は、セシリアの優しい言葉と混ざり合ってハリエットの沈んでいた心をゆっくりと浮上させていく。


「セシリア様」


 ため息をひとつ。そうしてセシリアの名を呼ぶと、あれほど揺れていたのが嘘のようにハリエットの心は凪いだ。

 どこまでいっても、やはりハリエットはメイウェザーなのだ。時に嵐が来るとしても、時に自分が揺らいでも、結局またここへ戻ってくる。戻ってきてしまうのだ、嬉しいことに。


「セシリア様の喜びが私の喜びです。セシリア様がセシリア様であることが私の幸せです。セシリア様が嬉しいなら、私はそれが嬉しいのです。それが、私です」


 ハリエットは心から笑った。そんなハリエットを見て「まったく、困った子ね…」とセシリアが頬に手を当てて苦笑いをしているが、それすらもハリエットは嬉しいのだ。

 誰かがメイウェザーの血は呪いだと言ったがそれもまた真実だろう。呪いと祝福は裏と表。違いなぞ、見方ひとつなのだから。


「分かったわ、これ以上は何も言わない。私の喜びがあなたの喜び、それで良いわね?」

「はい!」


 ハリエットがいつも通り笑うと、セシリアはルイザと目を見合わせて諦めたように笑い「もう休みなさい、私もお茶を飲んだら休むわ」とため息を吐いた。もうハリエットは、手紙を書かずともしっかりと眠れる気がした。




 やはりハリエットは間違いなくメイウェザーで、部屋に戻りベッドに入り、目が覚めたらしっかりと朝が来ていた。昨夜のセシリアとの会話はハリエットをハリエットに戻してくれたようで、ずいぶんと頭がすっきりしている。心の片隅にある緑色は、昨日よりもずっと優しいものになっていた。


 今日のハリエットの仕事はまずセシリアのモーニングティーを用意することからだ。身支度をして荷物の確認をするとハリエットはお茶用の湯を取りに行き、いそいそとセシリアの部屋へ向かった。


「おはようございます、ハリエットです」


 ドアの前で声を掛けるとすぐに「入って」と声がした。セシリアはもう起きているようだ。ドアを開けるとすでにハリエット以外の侍女四人が揃っていた。


「おはようございます!」


 ハリエットが笑うと、皆が口々に「おはよう」と笑ってくれた。


「おはよう、ハリエット。ゆっくり眠れたようね?」

「はい、少し寝過ぎました」


 まさか自分が一番遅いとは思っていなかったハリエットが「申し訳ありません」と肩を竦めると、ルイザが呆れたようにため息を吐いた。


「どこかの誰かが心配で早く起きてしまった子たちが居たのよ」


 エイプリルとルースがハリエットを見て悪戯が見つかった子供のように笑った。「まったく、困った子たちばかりだわ」とルイザはブツブツ言っているが、口角は上がっているしその目が酷く優しい。「先輩、元気になりましたね!」とリビーがにこにこと笑っている。


「はい、心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「罰としてみんなにお茶を淹れてちょうだい、ハリエット」

「それは罰になっておりません、セシリア様」


 今日も皆で騒がしくも楽しくセシリアの準備を進めていると、ノックの音が響いた。


「おはようございます。連絡係が到着いたしましたのでお手紙をお持ちしました」


 この十日足らずで聞きなれた口上が聞こえる。


「あら、今日はずいぶんと早いのね?」


 まだ朝食の時間にもなっていないが、今日は朝食後にすぐに移動の準備を始めるため連絡係も急いだのかもしれない。ルイザがちらりとセシリアを見ると、セシリアはすっと一通の手紙をルイザに渡して頷いた。


「ご苦労様です。ついでで申し訳ないのですが、こちらをお願いしても?」


 ルイザがドアを開け封筒の束を受け取り、代わりに一通の封筒を差し出した。その封蝋を見た騎士が一瞬目を見開くと「確かに承りました」と一礼して足早に去って行った。


「ハリエット、手紙よ」


 ドアを閉めるとルイザが手早く封筒を確認し、一通の手紙をハリエットに手渡した。封蝋は緑だった。


「ありがとうございます」


 ハリエットは微笑んで手紙を受け取った。少しだけ胸がきゅっとなったが、昨日のような焦燥感はない。「読んできていいのよ?」と言うセシリアに「いえ、今ここで」とハリエットは迷わず封を開けた。



――――――――


親愛なるハリエット


 手紙をありがとう。ずいぶんと雨が降ったようだね。君の手紙を持ってきた連絡係もずいぶんと苦労をしたようだった。彼らには申し訳なく思うが、君たちがそんな雨の中を進まなくて済んで本当に良かったと心から思ったよ。


 王妃殿下はウェリングバローで少しは羽を伸ばすことができただろうか?陛下はずっと落ち着きなく過ごしてはいらっしゃるけれど、それでもそちらに行くとは一度も仰らなかったよ。ただ、公務はあるけれど少しでも王妃殿下が喜んでくれればそれでいい、とだけ。少しは王妃殿下に見直してもらえるだろうか?


 実を言うと、あまり甘いものには詳しくないんだ。だから色々な人に聞いたり調べたり…君が気に入ってくれたなら嬉しい。


 僕が今これを書いている時には視察も残すところあと三日だ。残りの旅程も無事に過ぎることを祈っているよ。


また様子を聞けると嬉しい。


愛をこめて ダレル


P.S.

 もう僕が送った黒猫は届いているよね?実はベンジャミンにやり過ぎだと呆れられた。迷惑だっただろうか?君が気に入ってくれていると嬉しい。


――――――――



 今はもう、見慣れて懐かしいとさえ思えてしまう文字をハリエットはゆっくり目で追った。もう苦しさはない。けれど、やはり寂しさはある。目を上げると、セシリアが黙ってハリエットを見つめていた。周囲を見回すと、皆が手を止めてじっとハリエットを見つめていた。ハリエットは、思わず噴出した。


「皆でなんて顔をなさっているのです!」


 セシリアの前ではしたないとは分かっていても、お腹の底から笑いがこみあげてくる。なんてハリエットは幸せなのだろう。たった一通の手紙のために、こんなにもまっすぐに自分を心配してくれる人たちがいるのだなんて。


「陛下を、褒めて差し上げてくださいませ」


 笑い過ぎて目尻にたまった涙を指で拭いながらハリエットが手紙を差し出すと、セシリアがじっとハリエットを見ながら受け取った。そうして、ハリエットの笑みに陰りが無いことを見て「良かった…」とほっと息を吐くと、手紙に目を通した。


「うーん、そうね。陛下は褒めてあげるけど…ダレルは、意外ね?」


 そう言ってルイザに手紙を渡すと、ルース、エイプリル、リビーもルイザの後ろに回って手紙を読んだ。


「自覚が無いのですか…?」

「無自覚であれは少しまずいのでは?」

「まぁちょっと、重めかしら…?」

「え!素なんですか!?」


 手紙をじっと見つめながら口々に感想を言う四人があまりにも面白くてハリエットはまた笑いそうになったが、なんとかぐっと飲み込んだ。


「誰にもお見せしないとはお約束しませんでしたが、やはりお手紙を人に見せるのはルール違反な気もしますので、どうかご内密に」


 ハリエットが唇に人差し指を当てて「しーっ」と言うと、セシリアも侍女たちも皆同じように唇に人差し指を当てて「しーっ」と言った。そうして、皆で破顔した。


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