15.七日目
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親愛なるハリエット
手紙をありがとう。今回の旅程の後半はかなり詰まった予定だと聞いている。無事に着いていると良いのだけれど。
王妃殿下はレオミンスター寺院で良い時間を過ごされたようで何よりだ。陛下は…本当によく我慢していると思う。できればセシリア様からお手紙をいただけると嬉しいけれど、難しいだろうね。
そうだ、とても不思議なことがあったよ。ポケットに入れていたはずの苺飴の缶が突然落ちたんだ。拾って顔を上げたら窓の外に陛下が見えた。厩舎に向かっているようだったから急いで後を追ったら馬を見ながら立ち尽くしていた。今頃王妃殿下は大公殿下の元へ向かっているのだなと呟いていて、私を見て苦笑いなさった。大丈夫だと、笑ってくださったよ。
ポケットに手も入れていないし、穴も開いていなかった。なぜ苺飴が落ちたのかは分からないけれど、気づくことができて本当に良かった。
旅程もあと半分を切ったね。どうか気を付けて。無事に帰って来てくれることを祈っている。
また様子を聞けると嬉しい。
愛をこめて ダレル
P.S.
四つ葉のクローバーをありがとう。君の赤い髪に緑の瞳の女の子。きっととても可愛いだろうね。僕も会ってみたいな。僕からも、君に幸運が訪れるように贈ります。
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どこから突っ込めばよいのか、ハリエットは分からなかった。陛下に突っ込むべきか、苺飴に突っ込むべきか、それとも別の部分か。
ぼんやりと手紙を眺めているとエイプリルとリビーが早々にお湯とお菓子を持って帰って来た。
「あ、もう読んでるんですね!」
リビーが目をキラキラとさせてお茶菓子をテーブルに並べ始めた。エイプリルも嬉々としてルースが準備した茶器にお湯を入れて温めている。
「そうなのよ、でも難しい顔をして固まってしまったから内容を聞いてもいいのか分からないのよ」
頬に手を当ててセシリアがわざとらしく「ふぅ」とため息を吐いた。ルイザは黙ったまま仕分けた手紙をいくつか開けて確認している。唇がふるふると震えていることをハリエットは見逃さなかった。
「いえ…大したことでは…ない…?と思います…」
疑問形になってしまうのはハリエットが大したことだと思っているからか。陛下はこちらに来なかったし無事に手紙は届いたのだから大したことがないとも言える。
「あらハリエット。どんなお手紙だったの?」
セシリアがにこにこと笑ってすっと手を出した。「ここで読んでいるのだから良いのでしょう?」と言わんばかりのセシリアの楽しそうな笑顔にハリエットは眩暈がした。意地など張らずこそこそすれば良かったと思うも後の祭りだ。
「いえ、やはり大したことかもしれないです…」
「まぁ大変!!急いでお返事をして対応しなくてはね!?」
今度は両の頬に手を当ててセシリアがふるふると首を横に振った。悲壮な顔を作ったつもりだろうが口角がしっかり上がっている。国王陛下と王弟殿下の無茶っぷりで隠れているが、実はセシリアも面白いことが大好きなのだ。セシリア基準の。
ふと、ハリエットは思った。これはいっそチャンスなのではなかろうか。この手紙には『無理かもしれないが陛下に手紙を書いてほしい』と書いてある。これを見せるのは色々な意味で恥ずかしいが、ハリエットから手紙を書くように促すよりはずっと効果があるような気がした。
「どうでしょう…大したことかどうかセシリア様がご判断くだされば…」
そう蚊の泣くような声で呟くと、ハリエットは覚悟を決めてセシリアに手紙を渡した。「あら、本当にいいの?」と言いながらも嬉々として手紙を受け取り、セシリアは手紙をゆっくりと読んだ。そうして、それをルイザに手渡した。
「そうね、大したことだし、大したことではないわね」
エイプリルが淹れてくれたお茶をひと口飲むと、セシリアはふぅ、と息を吐いて目を閉じた。
「ハリエット、あなた、今日は手紙は書くの?」
「はい、夜にまた書く予定にはしておりますが…」
皆にテーブルについてお茶を共にするように指示すると、セシリアはルイザに「レターセットを」と言った。ルイザは微笑みを浮かべて「はい」と答え、すっとクローゼットへ入っていった。皆が席につき紅茶がいきわたったことを確認すると、セシリアが話し始めた。
「私ね、あの人は我慢できずに三日と待たずに追いかけてくると思っていたのよ。まぁ…そんなことをしたら口を利かない期間が延びるだけだったのだけどね」
ふふふと笑い、セシリアはまたハリエットの手紙を手に取った。
「七日、あの人は耐えたわ。手紙はずっと届いていたけれど、私の返事が無くてもあの人はこちらに来ずに耐えきった。だからね、せめて『今から帰る』くらいは知らせてあげようと思うわ」
ふふふ、と笑う王妃殿下の表情はとても優しい。きっと今日こそは陛下の面影を思い出しているはずだ。
「今回の旅程、私は絶対にあの人は許さないと思ったの」
レオミンスター寺院とウェリングバロー。どちらもセシリアにとっては大切な場所であり、同時に国王陛下にとっては不安を思い起こさせる場所だ。もしかしたらセシリアは二度と帰ってこないかもしれない、そう、思ってしまいかねないほどの。
「なのにあの人は許した。たとえ短期間だとしても、よ。以前のあの人なら絶対に許そうとはしなかった…」
セシリアは目を閉じた。微笑んでいるのに、なぜかハリエットにはセシリアが今にも泣いてしまいそうに見えた。大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐くとセシリアは目を開け、目元を染めて微笑んだ。
「不思議ね、とても懐かしくて慕わしい場所をめぐっているのに。どうしてかしら、もうそろそろ帰りたいわ」
ふふふ、と笑うセシリアを、誰もが優しい微笑みで見つめていた。リビーにいたっては「セシリア様…」と頬を染めて涙を浮かべている。若いというのは微笑ましいなと、ハリエットは思った。
「さて!」
セシリアが唐突にぱちんっと手を叩くと、先ほどまでの愛らしい笑顔はどこへやったのか、にやりとなんとも悪そうな顔で笑った。
「ねぇ、ハリエット。その封筒に、赤い髪に緑の目の女の子と一緒に摘んだクローバーのお礼が入っているのではなくて?」
うふふふふ、と楽しそうに笑うセシリアに「あら、そうでしたね」とルイザが笑顔で便乗する。「え、プレゼントですか!?」とリビーがまた瞳をきらめかせた。
「え、何か入って…ましたっけ…?」
かさりと少し重量のある封筒を開けると、残念ながら小さな紙の袋が入っていた。今回は箱や缶では無かったので見逃したようだ。封筒も湿っていたため多少重くても気にしていなかったのだ。油断した。
「あー、入っていました…」
ハリエットが目を泳がせながら小さな紙袋を出すと、五人の目が更に輝いた。
「あらあら、何かしら?」
今すぐ開けろとセシリアの目が言っていた。色々犠牲にはしたがセシリアに手紙を書いてもらうという最大の難関をあっさりと突破するための礎となったのだ。ハリエットは諦めて紙袋を手の上でそっとひっくり返した。
ころん、と出てきたのは小さな黒い猫のチャーム。その目は赤と、緑だった。
「うわぁ、可愛いですね!」
固まった六人の中で最初に声を上げたのはリビーだった。ダレルをあまり覚えていないのか、その毛色と目には触れなかった。
「これはまた…なかなかですね?」
「そうね、なかなかだわ」
「これを手紙が来てすぐに用意したの…?」
その色に気づいた三人は何とも言えない表情をしている。口元だけはにやついているが。
「あら当然よ。手を握り合うような仲なのよ?それくらいしてくれないと困るわ」
「握り合うってなんですか!?」
「あら、抱擁する仲だったかしら?」
「なぜそうなるのです!?」
ハリエットが真っ赤になり涙目で訴えると、セシリアがこともなげに言った。
「あら、だって赤い苺飴が落ちたのでしょう?あなたが『祝福』したから」
「そんな偶然で判断しないでください!手なんて握った覚えは………あれ?」
握った覚えなんかない!そう言おうと思ったが、思い返せば一度だけ手を握ったことがあった。あの日、恋文を送って欲しいと頼まれた日、ふたりが共闘を誓い合ったあの日にがっちりと握手をした記憶があった。
「ほら、やっぱりあるんじゃないの」
セシリアがころころと大変楽しそうに笑った。
「違います!手を握り合ったのではなく握手をしたのです!!」
「握手でこの猫ですか…?」
「緑と赤の目の…?」
「ですから!それは何が何だか…!」
外の嵐は相変わらず治まるところを知らなかったが、大公殿下から遅い昼食の誘いがあるまでセシリアの部屋は大変華やかな笑いと声で溢れていた。