11.五日目/六日目
五日目となる朝はあいにくの曇り空ではあったが雨の様子はない。念のため雨に備えるためにハリエットは早くから荷物や馬車の確認に外へ出ていた。
「おはようございます、ハリエット様」
御者台に上り屋根の部分を確認していると後ろから声を掛けられた。振り向くと、今日も笑顔のジャックとケネスが立っていた。
「おはようございます、ジャック様、ケネス様。おふたりも馬車の点検ですか?」
ハリエットが御者台から降りようと馬車の壁に手を掛けると、すかさずジャックが手を出してくれた。感謝をして手を借りると、反対側からケネスが手を貸してくれた。至れり尽くせりである。「ありがとうございます」とハリエットが微笑むとケネスも微笑んで頷いた。
「雨は降らないと思いますが念のため、積み荷の幌と馬の確認をしていました。ハリエット様も朝から精が出ますね」
ジャックが御者台を指さしてにっと笑った。淑女としてあるまじき体勢になることもあるので早朝に点検をと思ったのだが…しっかり見られていたようでハリエットは苦笑した。
「そういえば、おふたりも昨日は寺院にご一緒されましたよね?子供たちのお相手もとてもお上手で…。ですのに今まではご一緒されたことが無かったように思えるのですが?」
そう、ふたりは昨日、救護院で子供たちから四つ葉のクローバーを受け取って相好を崩していた騎士たちのひとりだった。今までも第一騎士団が他の救護院の視察に随行することもあったが遠巻きに見ているばかりで子供たちと遊んでくれるような騎士はほとんどいなかったのだ。セシリアも「今回の騎士は素晴らしいわね」と驚いていた。
「あー…」
ジャックとケネスがちらりと視線を合わせると、何とも言えない顔で笑った。
「第一にも色々いると言いますか…王妃殿下の随行となると非常にこう…家柄が良かったり羽振りが良かったりする者を元副団長が選んでいまして…」
言葉を選ぶように話すジャックに、ケネスが続けた。
「自分たちは家柄や立場の都合で王宮内の警備につくことが多かったのですが、諸事情で副団長はじめとする一部が入れ替わりまして少々人手が足りなくなりました。その結果、我々のようないわゆる第一からは少し外れたものがご一緒できる運びとなりました」
ジャックの隣であまり話さない人かと思っていたが、はきはきと話すケネスの声は良く通り実に小気味が良い。
「ああ、諸事情」
「はい、諸事情」
ポーリーンと第二騎士団に嫌がらせを繰り返した件で第一騎士団の人事がかなり動いたことは知っている。まさかこのような形で実感することになるとは思いもしなかったが。
「昨日の騎士の皆様にはセシリア様が大変感銘を受けておられました。ぜひ今後も慰問の際には皆様にお願いしたいとの仰せでした。帰城後にはおそらくお心づけがあると思います。特におふたりには私もお世話になったとお伝えしておりましたので…」
ハリエットが改めて「ありがとうございます」と言うと、ふたりはまたも顔を見合わせ、破顔した。
「ありがとうございます、ハリエット様。私たちからすればご一緒できるだけでも光栄なんです」
照れくさそうにジャックが言う。少し軽薄そうかと思っていたが、あの態度は意外と照れ隠しなのかもしれない。
「ありがとうございます、残りの期間もしっかりと務めさせていただきます」
微笑み、ケネスが右の手を左の肩に当てて軽く頭を下げた。ジャックも慌ててそれに倣った。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
ハリエットもにこりと笑って軽くカーテシーをする。そうして三人で顔を合わせて笑い、「ではまた」と手を振って別れた。
そこからは怒涛の一日だった。ひたすらに移動し、人と会い、また移動し、声をかけ、そうしてまた移動することを繰り返した。
昨年、この街道沿いで豪雨に伴う水害でいくつかの村が氾濫した川に流された。当時もセシリアは慰問に来たのだがあまりに状態が酷く、避難所にいる民に声をかけ救援物資を手づから配るくらいしかできなかったことをずっと気にしていたのだ。
今回の慰問でこの街道を選んだのはその後の様子を直接自分の目で確かめたいと言ったセシリアの希望だ。遠回りになるためかなりの強行軍にはなったが、昨年声を掛けた者たちが完全とは言わずとも暮らしを取り戻し、笑顔でいてくれるのを見て、セシリアは心からほっとしたように見えた。
「良かったですね、セシリア様」
さすがにぐったりとしたセシリアに馬車の中で声を掛けると、疲れたように、けれど満足そうにセシリアが笑った。
「ええ、本当に。一安心だわ」
にこにこと笑っていると、ルイザが思い出したように手荷物を漁り「忘れないうちに渡しておくわね」と紙の束から一通の、今回も少し厚みのある封筒をハリエットに渡した。緑の封蝋に思わずハリエットの口角が上がる。「今読んでも良いのよ」と笑うセシリアに「酔うといけないので止めておきます」と微笑みハリエットは封筒をそっと隠しポケットにしまった。
宿についたのはすでに日も完全に暮れた後だった。誰もが疲れ切り、今日は各自、できる限り休むようにとのお達しがあった。ハリエットも早めに下がるように言われ、くたくただったので何かあれば呼んでくれるよう伝えて今日はセシリアの隣室へ下がった。
「手紙…読まないと…」
夕食を部屋でとり、何とか湯を借りるところまでは耐えたのだが、ここまでの疲労もありすでに瞼が落ちそうである。手紙を出せない旨は前回の手紙に書いた。書くのは一日お休みでも良いがまた何か入っているようなので読まなくては………。
ぱちり、とハリエットの目が覚めた。はっとしてサイドテーブルに置いた懐中時計を見るとすでに朝の六時を回っている。
「しまった、読めなかった!」
読めなかったどころか急いで支度をしなくてはセシリアの起床に間に合わなくなってしまう。大慌てで飛び起きると、ハリエットは準備を始めた。ちらりと窓の外を見ると今日はどんよりとした曇り。雨になりそうだが馬車の確認をしている時間はさすがになさそうなので、セシリアが朝食を食べている間に時間を貰おうとハリエットはいったん手紙を諦めポケットに詰めた。
少々髪は乱れているがセシリアの起床時間には何とか間に合い、お湯入りのたらいを持ったリビーと共にセシリアを起こす。そうしていつも通りルイザとルース、エイプリルがモーニングティーと共に入って来た。
「雨になりそうですので、セシリア様のご準備の間に馬車の確認へ行ってまります」
「分かったわ。無理はしないようにね、あなたも疲れているのだから」
お茶を飲みながらルイザの持ってきた手紙を確認しつつセシリアが心配そうに言う。昨日の強行軍は誰もが堪えたのだ。ルイザ達も静かに頷いていた。
手紙を確認していたセシリアが「あら」と言ってハリエットを呼び止めた。
「ハリエット、あなた昨日の手紙は読めたの?」
「いえ、疲れて眠ってしまったもので、実はまだ…」
思わずポケットを押さえるとセシリアが呆れたように言った。
「新しいものが来ているわよ。馬車の確認ついでに二通とも先に読んでいらっしゃい。夜には時間がとれるはずだから、お返事もちゃんと書くのよ」
「はい…ありがとうございます…」
なぜかセシリアは必ず返事が必要だと確信しているらしい。ハリエットは微笑んで手紙を受け取ったつもりだが、顔が引きつってしまったようだ。「顔と髪が乱れていますよ」とルイザにしっかり釘を刺されてしまった。「戻りましたら直します」と謝り、ハリエットはそそくさと逃げるように馬車へ向かった。
朝もすでに遅いため、多くの騎士や随行の者たちが馬車の準備を始めていた。きょろきょろと少し探してみたが今日はジャックとケネスは近くに居ないようだ。少し残念に思いながらもハリエットは馬車の確認を始めた。
一通り異常や破損が無いことを確認し、ハリエットはそのまま馬車の中で手紙の確認をすることにした。
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親愛なるハリエット
手紙をありがとう。レオミンスターは楽しめたかな?きっと良い時間を過ごせたと信じている。
王妃殿下にとっては工房も楽しみだろうが次の訪問先の方がきっと気になるだろうね。君が付いているから僕は心配はしていないが、陛下がとても心配されていた。どうか王妃殿下をよろしく頼むとの仰せだったよ。
腰の調子はどうだろうか?馬車の長距離移動は男でも辛い。どうか無理せず過ごせるように祈っている。
また様子が聞けると嬉しい。
愛をこめて ダレル
P.S.
女性に贈ることが正しいのか分からないけれど、打ち身や筋肉痛に良く効くと評判の軟膏を同封します。どうかお大事に。
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ころりと封筒から出てきたのは手のひらの三分の一ほどの大きさの丸い缶だ。開けるとスーッとするような、何とも言えない香りの軟膏が入っていた。さすがにこれを塗って馬車という密室にセシリアといるのは厳しそうなので、いったんポケットにそっとしまった。そして二通目に取り掛かる。
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親愛なるハリエット
手紙をありがとう。
そのデザートはもしかしてアップルクランブルだろうか?僕も実はとても好きだよ。我が家では温かいカスタードを掛けて食べるんだが、良かったらいつか食べに来て欲しい。
その新しい茶器はとても危険だね。きっと素晴らしい茶器なのだと思うけれど、陛下がうっかり投げてしまって王妃殿下のご機嫌を損ねる様が容易に浮かんでしまったよ。ぜひ陛下との茶会には出さないでいてくれるととても嬉しい…。
そろそろ移動が増える時期だと思う。手紙は欲しいけれど、無理はしないで欲しい。一日くらい抜けても大丈夫だからしっかり休むことを考えて。
また様子が聞けると嬉しい。
愛をこめて ダレル
P.S.
赤い飴、僕も自分に買ったんだ。今も食べながら書いている。はしたなくても良いと思うよ。今日の飴は誰を思い出してくれるかな。噛んで食べる飴なのだけど見た目があまり…中々無い色だから難しいな。
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恐る恐るハリエットが封筒を除くと、今回も小さな箱が入っている。箱の色は黒だ。しかもリボンは赤。
「…………これは駄目でしょう」
ハリエットが天を仰いだ。あまりにも象徴的な色に軽い頭痛を覚える。やり過ぎは良くないと思うのだ。主に受け取るハリエットの精神衛生上。
ため息を吐きつつ小箱を開けると、紙に包まれた飴が三粒入っている。ひとつを開けてみると、中に入っていたのは案の定少し茶色を感じる黒だった。確かに中々個性的な色ではあるが、ハリエットは迷わず口に入れて、噛んだ。
「あれ、美味しい」
がりがりと硬い感触ではなく、しゃりしゃりと崩れていく。口いっぱいに胡麻の風味と甘さが広がった。こんな菓子があるとは…ダレルは意外と甘いものが好きなのだろうか。
しゃりしゃりと口に残る飴を噛んでいると、ハリエットを呼ぶ声がした。見ると、宿の入り口でエイプリルが手を振っていた。ちらりと懐中時計を見ると一時間が経過している。手紙に三十分もかけてしまったらしい。ハリエットは大慌てで馬車から飛び出ると玄関へと走った。窓から見ていたらしいルイザに、あとからこってりと絞られた。
予定の10話を越えました…。
10話の予定でしたので本日完結予定でしたが悔しくも明日に持ち越しとなります。
申し訳ありません。