10.四日目
レオミンスター寺院の歴史は大変古い。この地が陶磁器で有名になる前、フォード伯爵家がこの地を治める更に前から存在している。そもそもレオミンスターという地名がこの寺院からとられたものだ。
「ようこそお越しくださいました」
凪いだ微笑みをたたえ出迎えてくれたのはレオミンスター寺院の長を務める神官長だった。かなりのご高齢なのだが、背筋はしっかりと伸び、淡いグレーの瞳は柔らかな光をたたえ、清廉な空気を纏うまさしく聖者と言う風体の女性だ。
この国の国教は一柱の女神を主神とする一神教だ。一神教ではあるが他宗教にも大変寛容であり、信ずるものが違えど全て受け入れる度量がある。女神の最も尊ぶものが『慈愛』であり、過去に神託を受けたとされる者たちの女神からのお言葉をまとめた経典には『違いをこそ愛せ』という一文が記されている。
「ご無沙汰をしております、神官長」
セシリアが微笑み手を伸ばすと、神官長がそっとその手を包み込んだ。
「十年ぶりでございましょうか?まぁまぁ、御立派になられて…」
「気が付けば二児の母となっておりましたわ」
おどけて笑うセシリアに、「おやおや」と神官長が目尻に沢山の皴を寄せて笑った。約十年前、セシリアが二十二歳の頃、セシリアは一時期ごの寺院に身を寄せていたことがあった。今回の訪問は慰問と銘打ってはいるが、実はセシリアからすれば懐かしい方にお会いする数少ない機会でもあったのだ。
まずは女神に祈りを捧げると、そのまま穏やかに寄り添いながらセシリアと神官長が裏の建物へと歩いていく。寺院の横の小道を抜けると、きゃー!!という叫び声が聞こえた。
「こらあああ!みんな、今日は王妃殿下がいらっしゃるからちゃんと並びなさいって言ってるでしょー!!!」
ぷりぷりと怒りながら年長の少女がきゃーきゃーと逃げ回る子供たちを追い掛けている。他にも数人の神官がわたわたと子供たちを追い掛けているが、多勢に無勢、子供たちはするりと逃げてはけらけらと楽しそうな声を上げている。
「相変わらず、ここは素敵ね」
セシリアが救護院の庭を眺め目尻を下げて懐かしそうに笑う。長い時間では無かったが、セシリアもあの神官たちと同じように子供たちを追い掛けていたのだ。ハリエットも。
ハリエットがちらりとセシリアと神官長を見ると、ふたりともにこりと笑って頷いたのでハリエットもにやりと笑って子供たちの方へ向かった。そうして。
「はあああい、みんな、せいれええええつ!!!!」
ハリエットのあまりの大声に瞬時にしんとなりその場の誰もが固まった。しばらくしてハッと気づいたように年長の少女と神官たちが子供たちを集め出した。満足げにひとつ頷くとハリエットはすっとセシリアの元へ戻る。
「相変わらずお見事ね」
「本当に、変わっていなくて嬉しいわ」
くすくすと笑いながらセシリアと神官長がハリエットを褒めた。初めて見たルイザはあまりのことに叱ることも忘れて呆然とし、他の三人も目を丸くしてハリエットを見ていた。十年前、セシリアと共にこの寺院へ来たのはハリエットひとりだったのだ。
すっかりと綺麗に並んだ子供たちに神官長が合図をすると、子供たちが一斉に「ようこそお越しくださいました!」と声を揃えた。セシリアが「今日はよろしくね」と微笑むと、子供たちは「本物のお姫様だわ」と目を輝かせてセシリアを見つめていた。
その後は自由時間となり、子供たちはまた銘々に駆けていく。最初は見慣れぬ大人に緊張していた子供たちも、侍女や騎士が遊んでくれると気が付くと、たちまち大人たちを巻き込んでの大騒ぎとなった。
「王妃殿下、ハリエット」
呼ばれて振り向くと、神官長の隣に先ほど子供たちを追い掛けていた年長の少女がいた。少女はなぜ自分がここにいるのか分からないといった風でお行儀よく立ちながらも目を泳がせている。神官長が少女を見て目を細めると、セシリアの目を見て言った。
「ラーラよ」
「!!!」
名を聞いた瞬間、セシリアの若草色の目が見開かれた。
「ラーラ…本当に…?なんて…なんて大きくなって…っ」
震える声で名を呼ぶと、セシリアがラーラに手を伸ばした。そっとその頬に触れ「ラーラ…」とまた呟く。セシリアの顔は泣き笑いになっていた。
「はい、あの、はい!ラーラです!!」
美しい王妃殿下が涙を浮かべて自分の名を呼んでいる事態に頭が追い付いていないのだろう。ラーラも目をまん丸にして頬を染めて硬直している。
あの頃、ラーラは一歳になったばかりの小さな、そして弱々しい赤子だった。明日の朝息をしていなかったらどうしようと、セシリアとふたり、ハリエットは朝まで交代で側についていたものだった。ハリエットの目にも薄い膜が張る。
ハンカチをお渡ししなくては…そう思って隠しポケットに手をやったところ、ハリエットのスカートがぐいっと引っ張られた。何事かと思って引っ張られた方を見ると、ドレスのスカートに埋もれるように小さな赤い頭が見えた。
「…どうしたの?」
ハリエットのスカートを握りしめる小さな少女に声を掛けると、ぱっと少女が顔を上げた。期待できらきら光る緑の瞳がハリエットの心を射抜いた。
「おねえちゃん!ミミよ!!」
「ミミちゃん?」
五、六歳くらいの小さな少女におねえちゃんと呼ばれたことに喜びを感じながらハリエットはかがんで目を合わせ、スカートを握りしめていた手をそっと包んだ。すると、ミミが嬉しそうに破顔した。
「こっちよ!!」
「へ?」
そばかすがいっぱいの元気で愛らしい顔に満面の笑みを浮かべ、赤いおさげを揺らしミミがハリエットの手をぐいぐいと引っ張っている。
「え、えっと、あ、待って!」
慌ててセシリアを振り返ると、目元を拭いながら「行ってきなさい」と笑顔で頷いてくれる。ハリエットは頷き返すと「待って、もう少しゆっくり!」と言いながらミミに着いて行った。
「ここよ!!」
ミミが連れてきてくれたのはハリエットにとっても懐かしい場所。救護院の庭に生える林檎の木の向こう、小さな一角が詰め草の草原になっている。救護院で飼育している卵用の鶏の餌なのだが、子供たちにとっては花冠を作ったりして遊ぶ格好の遊び場だった。
「四つ葉のクローバー、おねえちゃんもさがそう!!」
「四つ葉のクローバーを?」
「うん!見つけるとしあわせになれるの!あのね、ミミね、ここでひとつ見つけたのよ!おねえちゃん、ミミと同じかみの毛だから、ミミがいっしょにさがしてあげる!」
ミミがにこにこと笑いながら自分の赤いおさげを両方掴んで見せる。赤に近い濃い朱色や茶色の髪の者は多いが、ハリエットやミミのように混じりけを感じないほどの赤い髪はとても珍しい。ハリエットも、実は自分の血縁以外でこの髪色に出会うのは初めてだった。
「そっか、赤い髪仲間だね!」
「うん!!」
にこにこと笑いながら「ミミがみつけてあげる!」とおさげを掴んだ両のこぶしを天高く上げると、がばりとその場に蹲って四つ葉のクローバーを探し始めた。少し遠くでその様子を見ていた子供たちが「僕も探す!!」「わたしも~!!」と走って来た。とたんに小さな草原は子供たちでいっぱいになった。
…なんて幸せな光景なのだろう、ハリエットはなぜだかとても泣きたくなった。
結局、ハリエットが見つけたのはひとつだった。子供たちはいくつか見つけたようだが、嬉しそうにルイザ達侍女や護衛の騎士の元へ走っていくと「あげる!!」と全て手渡していた。差し出された誰もが目尻を下げて「ありがとう」と受け取っていた。
そうして、年長の男の子は自分が見つけたクローバーをラーラに渡し何かを耳打ちした。ラーラは目を瞠り少年の手を取ってセシリアの元へ行くと、セシリアに四葉のクローバーを手渡した。ハリエットの位置からではどんな会話があったのかは分からないが、顔を歪めたセシリアがふたりを一気に抱きしめたのだけは、見えた。
「おねえちゃん」
スカートが引かれる感じに下を向くと、またミミがハリエットのスカートを引っ張っていた。「なあに?」とハリエットがかがむと、手に持っていた四つ葉のクローバーを「あげる」とハリエットに差し出した。
「でもこれは、ミミちゃんが見つけたものでしょう?お姉ちゃんもひとつ見つけたからいいのよ?
ハリエットが自分が見つけた四つ葉のクローバーをミミに見せると、ミミは首を横に振りにかっと笑った。
「これもあげる!!ミミとおそろいのおねえちゃんが、いっぱい、いっぱい、しあわせになれますように!」
「―――っ!!」
たまらずハリエットがぎゅっと抱きしめると、ミミがへへへと笑った。
「おねえちゃん、またきてね?」
「…来るわ」
「きっとよ?」
「ええ。きっと…きっとよ」
必ず来る。ハリエットはそう心に決めて、ミミを更にぎゅっと抱きしめた。ミミも小さな体できゅっと抱きしめ返してくれた。
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親愛なるダレル
予定通りにレオミンスター寺院へ行ってきました。レオミンスター寺院がセシリア様にとってどんな場所なのか…ダレルだったらご存知だと思います。とても、とても懐かしそうなお顔で見て回っておりました。お世話になった神官長様たちにも再会でき、こっそりと目元を拭われるお姿が印象的でした。
救護院で保護されている子供たちは大切に守られ、少々やんちゃが過ぎる子もおりますが良く笑う良い子たちです。侍女も、騎士様たちも、みんな幸せのおすそ分けを貰って笑顔で過ごすことができました。
どこの救護院も子供たちがここのように健やかでのびのびと過ごせる場所であるようにと、セシリア様は王都に戻り次第調査に取り掛かるとのことでした。
晩餐会にはルイザ様が同行したので詳細は分かりませんが、終始穏やかにお過ごしだったようです。
明日からはまた移動となります。次の目的地であるウェリングバローまでは農耕地帯の視察、昨年の水害で被害を受けた村々の慰問など短時間で多くをこなさねばならないため、お手紙を書く時間が取れないかもしれません。ごめんなさい。
またお便りいたします。
愛をこめて ハリエット
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ハリエットとしては恋文風の、一般的には日記風の手紙を今日もしたためると息を吐いてぐっと伸びをした。ふと、視界の端に緑色が映る。
ハリエットはじっと四つ葉のクローバーを見つめた。四つ葉のクローバー、幸運のお守り。ハリエットはクローバーを見ながらその向こうに、ぴょこぴょこと跳ねる赤いおさげと、きらきら光る緑の瞳を思い出した。ハリエットの口元に笑みが浮かぶ。
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P.S.
私と同じ赤毛の女の子がおり、とても仲良くしてくれました。五歳だそうです。緑の瞳に鼻に散ったそばかすがとても可愛らしくて…自分に娘がいたらこんな子なのかしら?ととても微笑ましく思いました。彼女と摘んだ四つ葉のクローバーを贈ります。
いつも忙しいあなたに幸運が訪れますように。
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ハリエットは封筒に手紙を入れ、自分が摘んだ方のクローバーを崩さないように紙に包むとそれもそっとも封筒に入れる。そうしていつも通り封蝋を押し、四通目の手紙を騎士に託したのだった。
予定では10話程度で終わるはずでしたが…まだまだ続きます…。




