冥き世界でポンコツと。
『ロングパス通過、ジェームズ・ホルンへ向かいます』
「ああ、そう……」
ミノムシの報告に、リズベットはうんざりしたような不機嫌顔。
隣のポンコツを睨み付ける。
「あなたロングパスに入る度、わたしを起こす気じゃないでしょうね」
「だって綺麗ですし――うぅっ」
「見飽きたって言ってるの」
頬を引っ張ると、リズベットは嘆息した。
今からロングパスを通るみたいです! などと先日と同じように叩き起こされ、結局目が冴え一緒に見せられることになった。
見飽きるほど見た景色に感動などは欠片もない。
「まぁいい。とりあえずわたしはスリープポッドに入るから」
「え? 何でですか?」
「あの戦いで燃料も相当使ったからね。ここからジェームズ・ホルンには二千時間も掛かるの。元々立地が悪いのよ、ここは」
ラットホールへの進入路はどこも大抵、強固な防衛ステーションが存在していたそうで、当時はハイウェイも整備されていたという。
ただ、マシンウォーにてそれが壊された結果、宙域によってはジェームズ・ホルンのようにラットホールへのロングパスが遠い場所こともそれなりにある。
遠いというのは文字通り、星と星の距離くらいには遠い。場所によっては秒速何十万mで飛ぼうと半年掛かる距離もあり得る。
無論そんな場所を使うことはないし、このジェームズ・ホルンへの出口を使うこともほとんどないのだが、今回ばかりは仕方なかった。
「二千時間もあるっていうことは、その分沢山遊べ――」
「……あのね、ラットホール抜けるまで散々付き合ってあげたでしょ」
リズベットは額を押さえた。
戦いが終わってからというもの、散々である。怪我の治療に医療ポッドは入ったものの、流石にラットホールでスリープポッドで長々と眠る訳にも行かない。仕方ないと中断していたゲームの続きをやり、それから起きてから眠るまで延々とポンコツに付き合わされる毎日であった。
後二千時間もポンコツに付き合うよりは寝ている方がずっと有意義である。
「一人用のゲームも山ほどあるんだから、それでもやってなさい。映画もドラマも観たやつばっかりだし……遊び相手が欲しいならポンコツ仲間のミノムシもいるでしょ。二人で遊んでればいいじゃない。わたしを付き合わさないで」
「でも――」
「でもじゃない。到着の百時間前になったら付き合ってあげる。どうしても嫌ならあなたも医療ポッドで大人しく寝ることね」
不満そうなポンコツに言って立ち上がると、ミノムシ、と声を掛ける。
「ポンコツを甘やかしたのはあなたなんだから、あなたが面倒を見なさい」
『了解しました、マスター』
ミノムシの返答に、ポンコツはうぅ、と唸るが、リズベットは呆れ顔をしながらも、構わずコックピットを出て行った。
「……リズ様、いつもこんな感じなんですか?」
『そうですね。ローセキュリティでの操縦は任されています』
「寂しくないんですか?」
『当機ミノムシも状況に応じてスリープモードに入りますので、特にストレスは感じていません。ポンコツにスリープ機能がないなら、マスターの言うとおり医療ポッドに入っても構いませんが』
「……折角の時間がもったいないです。付き合ってもらっても良いですか?」
了解しました、とミノムシは答え――そうしておよそ六時間後の食堂。
「おぉ、惑星が町で覆われてます……」
ポンコツが眺めているのは町作りシミュレーションゲームである。リズベットが作ったらしい『町』は惑星全土に広がっていた。
『プレイ時間から判断すると、マスターはこうした自由度の高い建築や運営を主目的としたシミュレーションゲームを非常に好まれます』
「プレイ時間が二万時間近いですね……」
『マスターは完璧主義な傾向があります。介入出来る範囲の大きいゲームと噛み合うと、膨大な時間を費やすのでしょう。今でも時々プレイされています』
行なわれているのはポンコツ会議。いかにしてリズベットと楽しく毎日を過ごすかという議題のため、現在はミノムシによる解説を受けていた。
産業地帯や農業地帯、特に特徴もない小さな町や僻地の謎の一軒家。惑星を町で埋めながら様々なこだわりが垣間見える。
『ポンコツはゲームの腕前もポンコツ、程度の低いNPCレベルですが――』
「あの、ミノムシさんって時々、ポンコツに酷くないですか?」
『失礼しました。この場合における、酷い、の定義をお願いします』
「絶対わかってて言ってます!」
ポンコツは言いながら自分が着ているミノムシを睨む。
『ポンコツの腕前ではマスターの対戦相手としては不適当ということです。マスターの性格上はむしろ、協力型ゲームでポンコツに足を引っ張られる方が、適度なストレスと達成感を得られて楽しめるのではないかと考えます』
「ぃ、言い方はともかく……でも確かにそっちの方が楽しそうですね。ポンコツ全然勝てませんし……」
『実際プレイ中、マスターが負けてばかりでムキになるポンコツに配慮し、塩を送る行為が度々ありました。協力プレイであれば、この点も解消されるでしょう』
なるほど、とポンコツは頷く。
『それにこちらが適宜ポンコツにストレスを溜めるマスターをサポートすることで、マスターから当機ミノムシに対する評価も高まり、メリットが大きいです』
「えと……その場合、ポンコツの評価がすごく下がる気がするんですが」
『ポンコツが当機ミノムシのポジションを奪おうなどと考えないよう、適度にその優劣を示すことは非常に大切な行為です』
「ただのマウンティングじゃないですか!」
ポンコツは、うぅ、とミノムシに目を向ける。
『一般辞書までインストールしたのは失敗でした。ポンコツを名前だと思って喜んでいたポンコツがいなくなってしまいました』
「ミノムシさんって結構、いじめっ子ですよね」
『これはキュートアグレッションというものです』
「……どちらにしてもいじめっ子に変わりないと思うのですが」
流石にポンコツも理解出来ていた。リズベットは表面上、口は悪いが優しく、ミノムシは表面上穏やかだが、加虐趣味。ポンコツをいじめて楽しんでいた。
先日見せた、苛烈なくらいの彼女の姿――我慢しているだけで、少しお茶目で、意地悪で、本当はポンコツと同じくらいに感情豊かである。
『ひとまず、マスターの娯楽に関する情報共有は以上となりますが、どうされますか? ゲームや映画であればお付き合いしますが』
「それも楽しいとは思うのですが、ただ……」
ポンコツはミノムシの提案に少し考え込み、尋ねた。
「ミノムシさんはそれで良いのですか?」
「それで良い、とは?」
「……本来こういう何もない時間こそ、リズ様と気兼ねなくお喋りしたり、遊んだりして過ごせる大切な時間だと思うのです。もちろんミノムシさんと遊ぶのもポンコツは楽しいですが……」
やれることは無数にあった。時間を潰そうと思えば、いくらでもそう出来る。
ただ、それは少し、寂しいようにも思うのだ。
「……この先もこういう時間が来る度、ポンコツとミノムシさんの二人だけで過ごすのは、やっぱりもったいない気がして」
誰よりも多分、ミノムシがそう感じているのではないかと思う。
ポンコツでは耐えられないくらいの長い時間、彼女はきっと、無機質な声音の奥で、様々な感情を押し殺していた。
「ポンコツはともかく……素直にミノムシさんがお願いすれば、リズ様も絶対、嫌だなんて言わないと思うのです」
間違いなく、リズベットは文句を言いつつも応じてくれるだろう。
リズベットは優しい人だった。ちゃんとミノムシの気持ちだって理解してるし、邪険になんてしないだろう。
そう思って尋ねると、少しの間を空け、ミノムシは言った。
『当機ミノムシが、マスターのストレスになってはいけませんから』
これまでの長い年月と、色んな意味が詰め込まれた言葉。
ミノムシにとっては、きっとリズベットが全部なのだろう。
ただ、その一言で理解出来た。
彼女の全部は主人のため。自分が重荷になることを――ほんの少しのわがままでさえ、ずっと我慢して来たのだろう。
多分沢山のことをリズベットとしたいはずで、やりたいはずだった。でも、そういう自分を許さないくらい、彼女にとってはリズベットが大切で。
目を閉じると少しして、わかりました、ポンコツは微笑む。
「じゃあ、ポンコツは今から医療ポッドに入りますね」
『医療ポッドに、でしょうか?』
「はい。なのでミノムシさんは安心してスリープモードに入って大丈夫です。ポンコツは間違ってスリープポッドを開けたりしちゃうかも知れませんが、ミノムシさんはスリープモードに入っていたので止められなくても仕方ないのです」
言葉はしばらく返ってこなかった。
「ちょっとくらいポンコツになったって、リズ様はミノムシさんのこと、嫌いになったりしませんよ。ポンコツにはわかるのです」
うんうんと頷き微笑むと、少しして、
『医療ポッドはスリープポッドの隣にありますが、間違えないようお願いします』
という返答が返って来る。
ポンコツはくすくすと笑って、気を付けます、と口にした。
「で、でも、ポンコツがすっごく怒られたらちゃんと庇ってくださいね……?」
『スリープモードに入りました。ポンコツとの通信、音声のみ遮断されています』
「そんな都合の良いスリープモードはありません!」
もう、とポンコツは唇を尖らせた。
□
スリープポッドの眠りは夢を見ない。
あっという間に長い年月さえもが過ぎ去って、瞼を閉じて開けると数百時間に数千時間、あるいは数百年が過ぎていたりする。
けれどベッドで眠る時には夢を見た。
夢を見ないよう抑制することも出来たし、必要に応じてそうするが、気分の問題。多少の夢を見ていた方が、目覚めの気分が悪くない。
記憶を整理し組み立てて、その過程で生じる混沌とした不明瞭。
意識で形作られた幻想の世界。
意識とは何か。古くからある哲学的な命題だった。
高機能な中央処理装置として脳は遙か昔に解明されたが、こうすればこうなるという理屈であって、どうしてそうなるのかという本質的な解はどこにもない。
意識を生み出し、転写することさえ出来るのに、根っこにあるのは再現性と経験則であった。神や何かが突然真理を教えてくれたりしない以上、それが人という生物の限界なのだろう。
起きていても寝ていても、リズベットは意識の見せる幻の中。
違いは何かと言えば、余計な事を考えたりはしないこと。
これもそうだと理解しながら、様々な夢の中で、遠く忘れた様々な感情が頭をよぎって、身を任せる。夢の中では星空をただ見上げて、今の座標がどこか、なんてことは考えたりはしない。
ただ、星空を見上げるだけ。
キラキラと瞬く星々をぼんやりと眺めていると、ふと、頭の上に手が乗った。
今日は一段と綺麗な夜空だね、と。
うん、と素直に頷いて、疑問はどこにも存在しなかった。
この人が誰、とも考えない。
ただ身を寄せて、明日も綺麗だといいね、と答えた。
頭を優しく撫でられながら、嬉しそうに笑って、目を閉じて。
「……人の頭を撫でないで」
「うぅ……っ!?」
――目を覚ますと、まずやったことはポンコツの頬を引っ張ること。
「スリープポッドから連れだした挙げ句、何様のつもりよ、全く」
「き、気持ち良さそうに寝てたので、つい……」
乳房から顔を離し、リズベットが嘆息すると、頬をさすりながらポンコツは微笑んだ。
「えへへ、良い夢は見れましたか?」
「……知らない。良いも悪いも、夢なんてどれも下らないだけよ。……ミノムシ」
『おはようございます、マスター』
いつも通りの声に眉を顰める。
「何がおはようございます、よ。さっきは怠すぎて聞く気力もなかったけど、なんでこんな時間にわたしが起こされなきゃいけないのか、あなたの口からも理由を聞きたいんだけど。十時間も経ってないじゃない」
『申し訳ございません。スリープモード中に起きた不測の事態でした』
「ミノムシさんずーっと起きてたじゃないですか!」
『ポンコツ、裏切るのですか?』
「裏切り者はミノムシさんです!」
ポンコツが耳元で吠え、リズベットはうんざりしたように耳を押さえる。
寝起きにうるさい声だった。
「ああ、もう、分かった。ポンコツ、ミノムシを入れて」
「え? あ……はいっ」
ポンコツは目を閉じながら言った。
「ミノムシさん、どうぞ。リズ様に呼ばれてますよ」
そう言って、一瞬フリーズしたように固まって、すぐに彼女は目を開く。
リズベットが睨み付けると、中に入ったミノムシは僅かに視線を揺らした。
「……で、どういうつもり?」
「えぇと……」
『ミノムシさんも共犯者ですからね、逃げられませんよ』
「あなたは黙ってて」
スピーカーから響くポンコツの声に、リズベットは不機嫌そうに。
視線を揺らしていたミノムシは、一瞬目を閉じて。
それから少し不安そうにしながらも、意を決したように口にする。
「……スリープポッドを眺めて過ごすより、折角なら……その、わたしもリズベットと一緒に、楽しく時間を過ごしたいです」
リズベットはしばらくじっと、その顔を見つめた。
それから少しして、うんざりしたように嘆息した。
「意見があるなら聞いてあげる。要求も言うだけならタダ。……でも今後、最低限、お互いに納得したことは覆さない。分かった?」
尋ねるリズベットにミノムシは目を見開き、それから嬉しそうに頷き。
次やったら怒るから、とリズベットはその頬を優しく引っ張った。
『ミノムシさんとポンコツの扱いが全然違う気がするんですが……』
「ポンコツ度合いの差よ。……こっちも相当ポンコツみたいだけど」
睨み付けるリズベットに、ミノムシは微笑み両手を頬に。
リズベットが声を上げる前に、口付けた。
「っ……!?」
腕を掴むリズベットを無視しながら、じっくりと。
顔を真っ赤にした主人から、しばらくして唇を離すと、
「……はい、あなた専用のポンコツなのです」
幸せそうに笑って言った。
リズベットはそんな彼女に唖然としながら、その小さな口をぱくぱくと。
何かを言いかけ、目を泳がせ、しかし意味のある言葉は音にならず――最終的には諦めたように、馬鹿じゃないの、と無理矢理背を向けた。
ミノムシはまた笑い、そんなリズベットの体を包んで、乳房をぎゅっと押し付ける。
『……なんかポンコツのセリフを奪われた気がするのですが』
「残念ながら、著作権登録はされていないようですね」
楽しそうに言いながら、耳まで赤い主人の体を愛おしげに。
――その体温を味わうようにただ、強く強く、抱きしめた。
(続きは時間が出来たら……。)