世界の端の、淀んだ暗がり ④
重力を利用するスイングバイに、電磁気を使った宙間マスドライバー。そうした星や設備を使わない通常航行では基本的に秒速数千メートル程度で航行する。無論更なる加速も可能だが、問題はデブリとアステロイド。
回避運動のための限界であった。
宇宙には岩石に限らず、人工ゴミが溢れかえっている。シャトルが飛び交うような恒星の重力圏なら尚のこと、星系が丸ごと崩壊したこのラットホールならば更に危険が大きい。通常航行を使わざる得ないのは基本的にそういう場所で、デブリの存在しないような航路であれば大抵、何らかのハイウェイが存在していた。
ただ、ラットホールにはハイウェイはなく、ほとんどがアポジモーターによる核パルス推進で移動する。巡航速度や加減速は実質的にスラスター性能と疑似的な慣性制御を含む運動性能、センサー性能が基準で、要はどれだけ障害物レースに自信があるか。肉眼では見えない距離であっても、減速挙動には癖があり、そこから艦船の推測、特定は可能であった。
周囲の岩礁域にかなり近い距離での反転と逆噴射。姿勢制御に使用したスラスターの数は多く、到達時間から運動性が高く、足の速い中型機。ラットホールの宙賊が好む『ハンターシャーク』。
大型機並のシールドジェネレーターを有し、岩礁域を泳ぐために設計された中型探査用シャトルであった。それを改造、武装化したものが宙賊の間では特に好まれている。探査用としては今一つの性能で、あまり人気が出なかったらしく、購入者の七割が犯罪者、宙賊などのろくでなしだと言われていた。
治安の良い宙域であれば、ただ飛んでいるだけで疑われる機体であったが、戦闘用としての性能の高さは折り紙付き。高い加速力と運動性能、並の輸送船では捕捉された時点で降伏するしかなく、これと遭遇する前提でリズベットも『オルカ』を購入し、改造を施していた。
「ハンターシャーク。このエリアだと、ディープ・ワンズ?」
『最も可能性が高いかと思われます』
「じゃ、尚更綺麗に始末しておかないとね」
それなりに大きい宙賊だった。戦闘艦の民間所有は禁じられているのだが、元々軍人崩れの彼らは駆逐艦のみならず巡洋艦まで所有しており、中々の武闘派。無駄に恨みを買うと面倒なことになってしまう。
ラットホールに法はないが、多少の秩序くらいはある。
ここでは何事もお互い様が暗黙の了解。早く死ねクズ、と内心で罵倒する相手であっても、時には利益のために笑顔で握手し肩を組むのが日常だった。
フリーランスの小物相手に船を撃沈されたと大騒ぎをすれば、面子が潰れるのは相手の方。素知らぬふりでもしておけば、大抵事故ということで片がつく。無論連中も事故を装い殺しに来るが、それはいつものことであった。
ラットホールでは挨拶代わりに殺し合うのもまた日常である。
とはいえ、それは精々疑わしきは罰せず、というくらいのこと。
事故と片付けられないレベルで――表立ってその顔面に泥を塗りつけられれば、連中は決して許しはしない。ネットに晒し上げる猟奇的なスナッフビデオが出来上がるまで追いかけられる羽目になるし、大抵どこかでそうなった。
そのため、証拠を残さず後腐れなく、がゴミ掃除の基本。証拠となる記録は破壊し、生存者も残さない。
命も軽い無重力では、それが普通のことであった。
『ハンターシャーク』がやってくるのは背面方向、右斜め下。デブリの中を速度を落として進んでくる。あちらの挙動は手動操縦ではなく、オートパイロット。破損シャトルから600mほど離れた位置に『オルカ』は待機していたが、こちらには完全に気付いておらず、無警戒。
破損したシャトルから50mほどの距離にて『ハンターシャーク』は制止する。
『オルカ』に比べて細身のシルエットだが、基本的には貨物室の大きさの違い。純粋な船としての質量で言えばあちらの方がやや大きい。
「どうやら間抜けみたい。通信を聞かせて」
『了解しました』
しばらくすると、『ハンターシャーク』の下部ハッチから船外作業服に身を包んだ三人が現れる。
『感度良好、取り付きます』
『ああ、さっさと済ませろ。念願のハンターシャークを手に入れて、記念すべき初仕事がクソッタレの尻拭いとはな。兄貴にまた笑われる』
『……すみません、ローガンさん』
破損シャトルに乗り移る様を眺めながら、目を細めた。
ディープ・ワンズ、あるいはその下部組織が受けた仕事であったのだろう。乗組員は囚われたのではなく、恐らく付近にいた仲間に助けられた。
だとすれば、いくらか事情がややこしい。
背後に目をやると、口を押さえたポンコツが不思議そうに首を傾げる。
「……?」
このポンコツを直接顧客に渡したことがバレると問題。ディープ・ワンズに引き渡すのも手であったが、連中からは嫌われていた。この状況では金にならないどころか、高い確率で揉めることになる。
後で、というのもここで連中を始末する以上、余計に立場が悪くなるだろう。
――あなたの船を沈めちゃいましたが、商品の代金は欲しいです!
なんて寝ぼけたことを言う人間がいれば、リズベットなら迷わず撃ち殺す。
「船内の会話記録が欲しい。魚雷のターゲットは後方に」
『了解しました』
今更であった。『びっくり箱』は設置してある。起動信号は送れても、こちらの位置を晒してまで停止信号は送れない。穏便に、彼らを殺さず後で名乗り出るというやり方も出来なかった。
『そっちで切り離せそうか? 場合によっちゃこいつのレーザーで無理矢理貨物室を切り離してもいいが……』
「……いいじゃない」
名案であった。ジェネレーターと物理的に離してしまえばびっくり箱は作動しない。連中が客に送り届け、中身が空っぽであったことが発覚してから、匿名の怪盗気分でポンコツを引き渡してやれば全てが丸く収まるだろう。
『いえ、故障はしてないようです。二、三十分ほどもらえれば……』
『分かった。十分で終わらせろ。ねぐらに戻ったらお前、全員分の酒を奢らせるからな。死んだクソッタレ連中の分もだ』
『……はい』
僅かに喜色を浮かべたリズベットは、その言葉に落胆する。あの三人組の一人は元々の乗組員らしい。切り離し操作もできるのだろう。その操作を実行したタイミングでドカンであった。
それからリズベットの顔を覗き込む、ポンコツへと目を向ける。
「やっぱりあなたは、わたしが直接飼い主のところに連れてってあげる」
「ポンコツの飼い主はリズ様なのですが……」
「違うって言ってるでしょ」
「違いません。……あの船の中、危険な状況で出会い、見つめ合ってのインプリティング。更にポンコツという名前を与えてくださったリズ様は、このポンコツにとって唯一無二のマスターなのです」
その言葉に眉を顰めた。
「ちょっと待って。まさかあのやりとりで所有者登録が済んだって言いたいの?」
「はい。リズ様は大部分の手順をスキップされてましたので、ポンコツ的には既にマスターです」
そしてリズベットは唖然とし、思わずポンコツの頭を両手で掴んだ。
「急いでたからそうしただけ! そんなつもりは一切ない!」
「ない、と言われましても、リズ様こそポンコツのマスターなのです。ポンコツの魂はリズ様を一目見た瞬間、この人こそがマスターだってぴぴんと来たのです」
「そういう機能でしょ! 何がポンコツの魂――」
『ジャンプスケア作動』
ミノムシの声に「話は後」と、ポンコツの頭を放り投げる。悲鳴を上げてポンコツは背後でぐるぐると回転した。
今日何度目かも分からない溜息を吐きながら、リズベットは額を押さえ、ディスプレイの映像へと目を向ける。
『おい、ジェネレーターを弄ったか?』
『ジェネレーターですか?』
『あぁ、異常な動きを……っ、すぐさま離れてこっちに戻れ! 爆発するぞ!』
『え――』
丁度、破損シャトルが光に変わる瞬間であった。