ゴーストシップ ⑫
対する『オルカ』の船内ではフラッシュのように切り替わるディスプレイを捉えるリズベット。コックピットでは呼気も白く、氷点下を大きく下回る。
放熱を目的とした彼女の髪は、それでも熱を帯びていた。
頭蓋骨の中の演算処理装置をフル稼働し、機体を振り回しながら、視覚情報から脳もくまなく働かせる。演算処理の大部分を船体AI、そしてミノムシに代替させながらも、あらゆる計算に自分の性能をフルに使う。
効率的な経路選択、回避の模索、可能であれば敵艦機能停止を視野に入れた効率的な迎撃機動。極限の集中状態に到った思考で捉える世界は緩やかに動き、数秒先の未来までもがその脳裏に描かれる。
先ほどまでに比べ、デブリの密度が飛躍的に増大していた。
過去に大きな戦闘があった場所。大型ステーションや船の残骸が無数にある。
相対速度は大きく落ちていたが、とはいえ、特に『オルカ』にとっては今の方がずっと危険な状況だと言える。シャトル程度の船体を破壊するだけのデブリはこの場に十分なほどあった。
だが、鉄屑と岩で出来たデビルリーフにあって、まるでそこが己の庭であるかのようにリズベットは飛んでいた。
異常と言うべき速度でアステロイドに突っ込むリズベットに、悲鳴を上げていたポンコツも、今ではディスプレイから見える景色に見惚れるよう。計算され尽くした精緻な動きに魅了されていた。
飛来する全てがまるで、自分から船を避けていくよう。
危機感さえも遠く彼方に消えていた。
『魚雷三、二、二』
「ソリッドバレエからバタフライにスパイラル。スラスターと同時に七番射出」
『了解しました』
距離はもはや15kmまで近づいていた。レーザーの有効射程。最大限にレーザーを散らしても、駆逐艦の照射を浴び続ければあっという間にリキッドコーティングもプラズマ化、装甲までもが焼き切れる。
デブリやアステロイドを使った遮蔽の利用。機体後尾、あるいはミサイルによる対レーザーチャフ。スラスター噴射。ミラージュシフトによる位置ズレ。機体両側面の実体弾によるソリッドバレエ――反動による微細な姿勢制御。
ほんの僅かな誤差によって照準をズラし、定点への持続的照射を避ける。
こうしたデブリの多い環境ならばデブリも上手く使えた。付近を通る金属を磁気によってほんの少し引き寄せ、軌道を変えれば、それが一瞬遮蔽となる。
そういう一瞬を幾重にも重ねることによって、『オルカ』は本来一秒保たずに沈められる距離を自在に飛んでいた。
対熱対レーザーコーティングを焼くための高出力レーザー。連続照射時間には当然限界もある。様々な手法で矛が鋭さを増せば、同じように盾も硬くなるのは道理で、兵器と対策はイタチごっこ。何万年という時間で洗練されたレーザーという矛に対して、盾もまた洗練されている。
それを抜くためにはほんの僅かな――そこに注ぎ込まれる膨大なエネルギーからすれば莫大な熱の影響からは逃れられなかった。仮にその制限を完全解決出来るのであれば、誰かが既に同様の理屈で、無敵の盾を作っていることだろう。これほど宇宙にレーザー兵器も溢れてはいない。
未知の原理による兵器はこの世に存在していなかった。全てが既知であるならば、その挙動は綿密な計算によって割り出せる。あらゆる駒の動きは決まっていて、駒の動きにこちらも何かの駒を動かした。
戦いはボードゲームとよく似ている。違うところは公平でないことくらい。
1ターンがコンマ未満で矢継ぎ早に過ぎ去って、強制的にパスをされる。事前の読みと思考速度がものを言い、盤上にある駒の数も端から違う。
そのゲームに勝つために、リズベットは可能な限りの駒を揃えて詰め込んだ。相手の手に必ず対処出来るよう、船体システムには軍用ステルス機並の制御システムを揃え、それをコントロール出来るようミノムシを改造した。
三十年積み上げてきた資産のほとんどを、この船に注ぎ込んだ。
普通の人間ならば遊んで暮らせるほどのクレジットを惜しみなく、最善を尽くした上で殺されたいという理由から、この棺桶に注ぎ込んでいた。
全力を尽くした上で殺してもらう。避け得ない死で眠りに就きたい。
誰よりその死を遠ざけながら、誰よりその死を希う。
それがリズベットという女であった。
アポジモーターを繊細に動かし、船体を揺らしながらの優美な反転。ミラージュシフトによる誤差と、相手の視界から物理的に隠したアポジモーターによって螺旋を描くようにレーザーをズラし、ミサイルによる対レーザーチャフで身を包む。レールガンによる同時発射であれば、分があるのは図体が小さく、小回りの利くこちら。もしも仮に相打ちに出来たとしても、駆逐艦とシャトルを同じ天秤に掛ける馬鹿はいない。
互いに必中となる前に、向き合う体勢では距離を開かねばならず、すぐさまこちらへと尻を見せて減速した。
対艦魚雷は正面が三つ、そこから二隻の『ハンターシャーク』が放った魚雷がそれぞれ左右から二つずつ。それなりに加速力があり、航続距離も長く、小回りも利く。とはいえ所詮は機械であった。それそのもののレーダーはたかが知れていて、アステロイドとデブリの海を自在に飛び回れるほどの賢さもない。
当然向こうもそんなものが直撃するとは思っていないだろう。『オルカ』の周囲で爆破し、偶発的な事故を狙ったものだった。
こちらから突っ込めば包囲するための座標がズレる。即座に方向を修正、包囲機動を変化させて手前に寄せる。こちらとの相対速度が上がるほど、鋭角的な軌道を取らざるを得ない。
「十一番、十二番射出」
魚雷を完全に引き寄せたところで、再度のミサイルチャフ。左右に広がる魚雷四発は指示を遮断され、中央寄りの一発へもレールガン。その爆発を見届けることなく、反動を利用し敵艦へ腹を向けるよう直角に。
そのままアポジモーターを最大噴射し、距離を開いて座標を大幅に狂わせる。
振り回された魚雷は撃ち込まれた『オルカ』の実体弾と、意図的にぶつかるよう誘導されたアステロイドやデブリによって次々に爆発を起こす。
軌道修正が出来なくなるまで引きつけた後、チャフで妨害して各個撃破。魚雷は自爆を恐れない。自分が撃墜されても他の魚雷が命中すれば良いと考える。
そのため一定距離まで近づいた後は、回避のために大幅な距離を開いてしまうよりは接近を優先し、被弾を前提で囮として突っ込んでくる。
基本的に、敵の弾幕があることが前提で作られたものであるが故に、そういうロジックが組まれているのだ。一つでも多くの敵砲を浪費させることによって、相手の迎撃限界を瞬間的に超越、他の攻撃を命中させるために動く。
その動きは対魚雷の教則本に載っているような、お手本通りの対処であり、その応用。ただ、お手本通りではない状況と攻撃に対しても、リズベットは誤らない。
レーザーにレールガン、陽電子砲に致命傷を受けぬよう、高速で飛来するアステロイドとデブリも躱しながら、平然と彼女は『お手本通り』を成立させる。
相手の心理を加味し、追われる立場で常軌を逸した減速を繰り返し、そうでありながらも未だその船体にそれというべき傷もなく。
彼女のマニューバは、それを見る多くのものにとっての芸術であった。
とはいえ、その機動に付き合わされ、酷使させられる船には限界がある。供給の追いつかぬ消費によってエネルギーは枯渇寸前。
この先保って、あと十分。
追う側からすれば無限と疑う体力も、もはや限界を迎える状況にあった。




