ゴーストシップ ⑪
「敵機突入体勢!」
「ハッ、この速度で真横からか。軸を合わせる! コントロールと主砲はこのまま俺がマニュアルでやる、雑用は任せたぞダールトン!」
「仕方ありません。操舵は火器と観測をサポートしろ。兄貴が舵だ」
はい、と声が重なり、ダールトンはディスプレイ上のオルカに目をやる。
秒速1万5000mの流星群に真横から。頭がどうかしていたが、そういう人間は散々見てきた。元々若い頃、ダールトンもお遊び程度にサンダーボルトレースはやっている。本気でハマるような連中は恐怖というものを知らないし、一歩間違えば即死のスリルを楽しんだ。半分程度は馬鹿なチキンレースだとすぐにやめるが、残りの四割は海の藻屑に、残りの一割がスリル中毒のまま生き残る。
ロッドはその一割であったし、何を言っても今更もはや。あの運び屋もまた、そのイカレ具合を見た後では然もありなんという程度。
ダールトンのような凡人にはついて行けない世界であったが、そのサポート程度は出来なくもない。
相対速度を詰めながらの軸合わせ。『オルカ』のほぼ真後ろへと到達する。
アポジモーターは一基潰れたが、それでも最大推力ではこちらがまだ上。単純な追いかけっこで置き去りにされる道理はなかった。
「相手は半透明のゴーストシップだ! ここからはレーザーを照射し続けろ。ダメージ狙いじゃない、焼けない程度に代わりばんこで正確な位置をあぶり出せ!」
「了解です!」
「レールガンは避けきれない岩を崩せ。場合によっては好きなだけ魚雷を使って構わん。相手は必ずそれと同時に魚雷やレールガンをぶっ放してくることを忘れるなよ。外して船を傷付けた奴は後でダールトンの鉄拳制裁を覚悟しとけ」
笑いながら指示を飛ばし、無数のウインドウに目を向ける。
レーザー照射で焼けるステルスボットの反応はない。当たれば即死の陽電子砲を前にミラージュシフトは危険と判断したか、動きはなかった。
照準は既に合っているが、手頃な岩を探す。
向こうの船の至近を通るアステロイドをその眼前で、陽電子砲にて破壊する。回避しようと高い確率でオルカは潰れる。運良くシールドで受け止められても、確実にシールドダウンだった。センチどころかミリ単位の飛翔体さえ防げないようでは、アステロイドの海は泳げない。そもそもシールドがダウンすれば船体も巻き込まれての対消滅となりかねない。
「爆発に巻き込まれるか、シールドを犠牲にするか。どう躱すかは見物だぜ」
右手の川上から飛来する、50mほどのステーションデブリに目を向けて、歯を剥き出しに目を細める。半ば前のめりになりながら、陽電子砲の砲撃準備。亜光速まで加速させた陽電子を、計算され尽くしたタイミングで解き放つ。
ほんの少しの違和感は『オルカ』の挙動。
発射寸前、本来は全開で噴射すべき、スラスターのあまりの弱さ。
その結果がどうなるか、瞬時に計算を終えたロッドの目に見えたのは、シールドの電磁力によって意図的に曲げられた陽電子砲が、見当違いの場所を貫く様。
後数十cmでも近ければシールドは壊れた。
ほんの少し遠ければ、目の前にあったデブリは対消滅を起こしていた。
だというのにメートルどころか、センチ単位のコントロールで、陽電子砲を無力化するオルカの姿。
再び艦内からは一切の声が消え、代わりに息を呑む音。
「……おいおい、やっぱイカレてるぜ、あんた」
前のめりになっていたロッドは、片手で頭を抑えながら仰け反り、笑う。その目はどうしもないほど愉しそうに、ディスプレイの『オルカ』に向けられていた。
35km先となった『オルカ』はそのまま90度右に向き直って更なる加速。横滑り状態で流星群を遡上する。
「ダニーとアレクには、レースに付いて来れるなら傘の外で魚雷をぶっ放せって伝えろ! そうでないなら俺の尻に回らせろ! こいつは頭のぶっ飛んだ奴しか付いて来れねぇサンダーボルトレースだってな!」
同様に『スパルタン』を直角に振りながら吠え、アポジモーターを全開で吹かせた瞬間、スラスターでスライド。『オルカ』はこちらが向きを変えた瞬間を狙って反転し、レールガンを放っていた。流石に強固なシールドと装甲とはいえ、駆逐艦クラスのレールガンは受け止めきれない。
猛烈な横Gと共に回避するこちらを尻目に、レールガンの反動だけで再度反転。最小限の噴射で尻を向ける『オルカ』の鮮やかな機動に口笛を吹く。
「相手はラットホールサーカスのスーパースター、リズベット様だ! 曲芸飛行で張り合えると思うな! 俺達ゃ宙賊、泥臭く下品に勝ちゃいい!」
並のシャトルの乗り手では話にもならない。レースのチャンピオンを気取っていたロッドでさえ追いつけず、あっさり千切られた怪物だった。
シャトル二隻を連れながら、もはや戦いは実質的に一対一。
そこからはアステロイド帯に侵入してのドッグファイトであった。
追う側は『スパルタン』であり、追われる側は『オルカ』である。前面投影面積に関しては六十倍も違う。当然デブリやアステロイドが衝突するも、装甲強度、シールド強度も桁違い。『オルカ』が避けざるを得ないものであっても『スパルタン』は無視が出来、レールガンで好きなだけ粉々に出来る。
中央の陽電子砲や端にあるレールガン、レーザーの砲塔など、脆弱部位はもちろんあったが、そこを避けるだけなら難しくない。
スラスターを小刻みに吹かさざるを得ず、エネルギーに限界のある『オルカ』と違い、『スパルタン』は体力も違う。予備の推進剤をたらふく詰め込んできたのはお互い様だが、ドッグファイトの最中にあっても『スパルタン』のエネルギー残量には十分なゆとりがある。
対して『オルカ』はどれだけ効率的に動いたとて、噴射の度、レールガンを放つ度、供給が追いつかないほどのエネルギーを消費するのが現実であった。
どこまで行っても所詮『オルカ』は貨物シャトルであり、『スパルタン』は歴とした戦闘艦である。その絶望的なまでの基本スペック差を活かした体力勝負であれば負けるはずもない。
とはいえ流麗、神懸かり的な鮮やかさであった。
操縦者が変わったことは、はっきりと見て取れる。自分が乗っているのが駆逐艦でも『スパルタン』であればこそ、食らいつける速度。ただ速いだけではなく、逃げながら反転、絶妙なタイミングでのレールガンを放ち、魚雷で大型アステロイドを砕いてこちらにぶつけてくる。
これがシャトルであったなら、僅か一時間で四、五回は死んでるだろう。
密度の薄い場所から濃い場所へ。
進めば進むほどに減速は必須であった。こっちが追い、向こうは追われている状況にも関わらず、絶妙なタイミングでの反転制動。アステロイドやデブリの対処にこちらが追われる瞬間、一気にその速度を下げてくる。そして『スパルタン』も下げざるを得ない。正面装甲にも限界はあり、そして万が一背後を取られた場合、運動性能で劣る『スパルタン』で流星群と『オルカ』、前後の対処を迫られる。
この『スパルタン』の強味はあくまでシールド込みの正面装甲。背面噴射の一瞬を除けば、川上に背面を向け続けることは不可能だった。
「――このまま突っ込む! 致命傷にならなきゃそれでいい!」
「はい!」
もはや『オルカ』のどんな曲芸を見たところで、『スパルタン』のクルーは驚きを浮かべない。魚雷で意図的に岩塊やデブリをぶつけて来ようと、僅か数センチで飛来する巨岩を回避しようと、レールガンの軌道を豆鉄砲で狂わせようと、そういうものと受け止めた。ただあちらのエネルギーが尽きるまで、己の役割に徹することが自分達の命を繋ぐと信じていた。
「一番レーザー破損!」
「構うな!」
恐らくはラットホールで最も強力な戦列駆逐艦に乗りながら、シャトルに乗った運び屋に、彼らは命の危険を感じていたのだ。
あれはただのネズミなどではなく、小さな体の捕食者なのだ、と。