世界の端の、淀んだ暗がり ③
敵が来るだろう方向から、浮遊物に身を隠しつつ移動する。ミノムシと抱き合うリズベットは遠距離からではデブリと変わらないが、レーザースキャンが行なわれた場合、分解能によっては気付かれる可能性もある。
運が悪ければ結局、死ぬときは死ぬもの。それを気にしても意味が無いが、その上で大事なことは運の要素をいかに減らすかであった。
さして続けたい人生でもなかったが、あいにくリズベットは間抜けな死に方が出来ないように出来ている。
アステロイドの一つに近づくと、遮蔽を解除。一面が欠け、内側の真っ黒なシャトルが姿を現わした。周囲に浮かんだ球体状のステルスドローンは粒子状のステルスボットを展開、シャトルを包んでアステロイドに偽装している。
よほど至近距離で照射されなければレーダー上はデブリに誤認させるし、光学的にも一見アステロイドのように映った。
宇宙航行する艦船は光学的映像を自動で補正する。その補正を利用したもので、生身の人間の目で見ればデブリの不自然さはあっさり露見するが、カメラの映像からは大きな岩にしか見えない。
『すごいです……岩の中にシャトルが』
『あなたの目は優秀ね』
『優秀……』
広大の空間を旅する宇宙航行において、こうした補正は必要不可欠なものである。遠くのアステロイドと人工物を誤認しないでいられるのは補正のおかげであったし、便利なもの。ほとんどの人間はそれに疑問も浮かべず依存していた。
ただ、それにさえ気付いていない人間は、当然それによって足を掬われる。
無論、悪いとも言えないことだ。それほど馴染んでいることは文明の進歩と言えたし、この世の大半の人間は優秀な道具に依存させられていることにも気付かぬまま、平和で幸せな日常を送り、幸せなまま死んでいく。
その『便利』がどういう仕組みで出来ているのかなんて気にもせず、する必要もない人間がほとんどだろう。
別にそれも悪いことではない。
ラットホールではそうした依存が命取りになるというだけで。
リズベットもこの世の全ての仕組みが分かっている訳でもないし、多くに依存して生きている。だが、多くの人より少しだけ注意深く、神経質であった。
ラットホールを仕事場に、三十年もフリーランスで生きていられる人間はそう多くない。彼女が他と違うところは何かと言えば、その一点だけ。
『そこのハッチから入る』
『はいっ』
リズベットの船は全長35m、中型シャトル『オルカ』。全長に対して図体は大きいが、大型のアポジモーターと多数のスラスターが配され、緊急時の速度、運動性に優れた機体。積載量も中型としては中々のものだった。
より隠密性と運動性に優れた小型シャトルも考えたが、見つかる時には結局見つかる。小型シャトルの脆弱性を考えた結果これを選んだ。逃げるしか出来ない小型シャトルと違って、これなら武装した大型シャトル、駆逐艦程度の戦闘艦であってもギリギリ相手に出来なくはない。
積載量的に、表の輸送業も問題なくこなせるというのも悪くなかった。
船体右側面のハッチを開くとそのまま中へ。部屋が閉鎖され加圧されるのを確認すると、ヘルメットを収納しながら船首方向、コックピットへと向かう。
「一番放出、ピーカブー。間抜けがびっくり箱を開けたら、それに乗じて点火」
『了解しました』
コックピットは元々三人用。それなりの広さがあったが、いらない座席は取っ払い、中央にリズベットの席と、正面にあるミノムシの座席兼待機場所があるだけだった。ミノムシはヘルメットを取ると、コンソールにあるスタンドに設置。リズベットはそのまま座席に座ると、空間に投影されたディスプレイを眺める。
ミサイルが放出されるのを確認していると、ポンコツの声。
「あの……」
「……とりあえず後ろに引っ込んでおいて」
作業服を着たまま困惑した様子のポンコツに告げると、分かりました、とリズベットの座席の背後に。ディスプレイをリズベットの後ろから覗き込む。
リズベットは額に手を当て嘆息した。
「わたしの後ろじゃなくてね……」
「リズ様、わたしにも何かお手伝い出来ることはありますか?」
「ない。お願いだから邪魔しないで」
呆れて告げると、眉を顰めた。
「ゴミ掃除って言ったでしょ? 今から戦闘するの」
「……戦うのですか?」
「そう。別に見ていて楽しいものじゃない。あなたは後ろで船の探検でもしててちょうだい」
ポンコツは少し考え込み、微笑んだ。
「ポンコツは船の中よりリズ様のお仕事が見たいです」
「あぁ、もう……」
面倒臭いポンコツだった。
映像記録が残る。正直見せたくはなかったが、船の脱出からここまでの手順を見られた以上は既に手遅れ。難破船からのサルベージ、違法行為であることは明白であったし、見る者が見ればリズベットの手口も分かるだろう。
どちらにせよ、このポンコツは引き渡し前に初期化する必要があった。
「……分かった。でも、絶対にわたしの邪魔をしないこと。いい?」
「はいっ」
嬉しそうな声にうんざりしながら画面を眺めていると、ミノムシの報告。
『ジェネレーター停止。艦内重力0、バッテリー駆動に切り替えます』
「わ……っ」
座席は座るだけで密着し、無重力でも体を保持したが、ポンコツは人工重力が消えて浮かび上がり、慌てて座席にしがみつく。それを無視しながら、浮き上がったお下げを掴んで引っ張り、小さな欠伸。リズベットの癖だった。暇な時間は二つに結んだ長い髪を弄ぶ。
「捕捉出来たら伝えて」
『了解しました』
後は待ちの時間であった。半ば勝負は決している。心拍数が上がることもない。罠に掛かるのを待つだけだった。
「リズ様とミノムシさんはさっきから何をしてるんですか?」
不思議そうに上から顔を覗き込むポンコツを睨み、嘆息する。
「……もうすぐろくでなしが船に乗ってここに来るの。そいつらがさっきの船で宝探しを始めたら、ジェネレーターが暴走して爆発する」
「宝探しを始めたら……」
「そう。そしたら相手が驚いてる間に、さっき放出した対艦魚雷を点火して、ろくでなしの船を撃沈するだけ」
速度の遅さとレーザーによる対空防御の発達により、誘導兵器の価値は薄れた。対空防御の限界を超える飽和攻撃にしか使えず、だというのに高コスト。費用対効果が見合っていなかった。かと言って安価にし過ぎたものは大型艦の展開するシールドを突破出来ない。
そうした問題点を改良し、生み出されたのが装甲魚雷。
短時間のレーザー照射に耐える装甲を搭載し、大型化したミサイルであった。中でも対艦魚雷はそれ自体がシールドを展開し、敵艦のシールドと装甲を貫通しながら艦内で爆発する。
強固な艦船シールドであっても、シールド同士が干渉すれば力場が乱れて相殺する。命中さえすれば大型艦でも無事では済まない兵器であった。
射程と運動性の問題から当てることは難しいが、至近距離、罠に嵌めた相手に使う分には無類の強さを誇り、これだけでリズベットは十隻を沈めている。
「魚雷……」
「さっきから思ってたけど、あなたの頭にはまともな辞書も入ってないの?」
「すみません。……基本的な言葉は理解していますが、スラングなどにはあまり自信がないです」
「そ。後でポンコツの意味も調べてみたら?」
ちゃんと意味があるんですね、と嬉しそうなポンコツに呆れ、そういうものかと考える。不要なデータは最初から入れないようにしているのだろう。
金持ちの趣味は理解出来ない。主人の思い通りに作られて、言いなりになるだけの玩具。運んではいないが、そうした依頼が来たことも二、三度あった。
結局、ドールを買えるような金持ちになろうと幸せではないのだろう。リズベットが会った金持ち連中は皆、猜疑心に満ちた人間ばかり。人を値踏みし、疑いながら、何かを恐れるように生きていた。
人の底辺を漂うリズベットと同じくらい、他人を信用していない。
だからこそドールのような存在を求めるのか。
従順で決して裏切らない、自分だけの玩具の人形。この世で唯一、疑わないでいられる何か。
何とも下らないことだった。
結局、人が最後に信じられるものは自分以外にありはしないし、その自分でさえ時には裏切るものだ。
『敵艦捕捉』
「ポンコツ、しばらく黙ってて」
その言葉に両手で口を押さえ頷いたポンコツは、宙を浮かんで慌てたように座席へ再びしがみつく。
無視するようにディスプレイを眺めると、
「……宙賊か」
表示されたデータに目を細めた。